遺伝子組換えは生物学的にはどのような意義や問題があるのですか?
この質問はとても良い質問で、いろいろな答えがいろいろな視点からできると思います。ここでは、遺伝子組換えが、ほかの項目で述べているような「私たち人間」や「環境」に及ぼす影響ではなく、組み換えられる植物や農作物自身にとって、組み換えられたために新しく農作物が持つようになった性質がどのような意味を持つのか、という点から答えたいと思います。
遺伝子が組み換わる現象は、人間でも微生物でも常に細胞の中で自然に起こっています。もし、遺伝子が組み換わらなかったら人間の子供がお父さんとお母さんの遺伝子が「組み換わって」できることもなく、(もし、できたとしても)クローン人間しかできないでしょう。朝顔の花の色にいろいろな色があるのも花の色を決める遺伝子が組み換わるからです。野菜や果物などは、掛け合わせと呼ばれる優れた性質を持つものどうしを受粉させて、より優れた品種を作り出すことも、遺伝子の組み換えの一種です。たとえば病気に強いトマトの品種(しかし味はまあまあ)と、味の良い(しかし病気に弱い)品種を掛け合わせると、片方ずつから病気に強い性質と味の良い性質を受け継いだ新しい優良品種ができます。同時に、味はまあまあで、病気にも弱い品種もできますが、そのようなものは人間が排除します。
いわゆる遺伝子組換え技術を用いて同じこと(病気に強い性質と味の良い性質を受け継いだ新しい優良品種を作る)をした場合を考えてみましょう。味が良いが病気に弱いトマトに、病気に抵抗性の遺伝子を外から入れて、病気に抵抗性の性質を与えます。この性質を与える遺伝子、すなわち抵抗性を示すたんぱく質は、どの生物から取り出したものでも良いのです。このとき、どの生物が持っているものでも、病気に強いトマトが持っている抵抗性たんぱく質と同じなので、基本的な働きも構造も同じです。ともかく、そのような遺伝子を遺伝子組換え技術で味の良い(しかし病気に弱い)トマトに入れると、掛け合わせの時と同じく、病気に強い性質と味の良い性質を受け継いだ新しい優良品種ができます。トマトにとってみれば、されていることは全く同じです。掛け合わせの場合には、味はまあまあで、病気にも弱い品種ができたら排除しますが、遺伝子組換え技術の場合はその必要はありません。そのかわり、余分な性質が入ってしまっていないか、きちんと目的の性質が入っているのかを確認します。
人間が農作物を改良してきた過程では、様々な遺伝子組換えが行われてきました。それは、植物にとっては、ただ人間の食糧として、本来のその農作物の祖先にとって植物として有利だった性質を捨てさせられることも意味しています。そのようにして、トマトもトウモロコシも、ジャガイモも、それら自身には全く意味のない、「人間が食べるとおいしい」という性質を持たされたかわりに、人間の手を借りないと子孫を残せないくらいひ弱にされてしまったとも言えるのです。植物としては(生物学的に)、このような人間の身勝手な「品種改良」によって、不利な性質を与えられてきたとも言えます。そして、遺伝子組換え技術も植物にとっては、従来の品種改良の延長線上の、人間の身勝手な行いなのでしょう。関連した話は植物が自らのために自分で品種改良をしたり、その逆に人間の力による遺伝子操作をいやがったりしないのですか?でも解説しています。