植物が自らのために自分で品種改良をしたり、その逆に人間の力による遺伝子操作をいやがったりしないのですか?

この質問は遺伝子組換えは生物学的にはどのような意義や問題があるのですか?とかかわりの深い質問です。前半の質問にはいわゆる「進化」を、後半の質問には「家畜」を例にとって解説したいと思います。自分のための品種改良とは遺伝子の突然変異や遺伝的組み換えによる進化の過程そのものです。遺伝子が組み換わる現象は、人間でも微生物でも常に細胞の中で自然に起こっていて、その結果、優れた方向に組み換わった子孫が繁栄することが生物が進化するという現象だからです。サルからヒトができた過程では、手先の器用なように、また、大脳の働きが活発なように神経系の遺伝子が突然変異した優れた遺伝子を持っているサルが、生存に有利なためにたくさんの子孫を残すことができ、ヒトに進化していったのでしょう。このときの、優れた遺伝子を持っているサルが子孫を増やすときには、体が強いという性質を受け継ぐ遺伝子を持ったサルと組み換え(つがいを作る)をして体が強く手先が器用な子孫を作っていきます。植物に付いても花の色や香りを決める遺伝子を突然変異や組み換えで変化させ、たとえば花粉を運ぶ虫にもっと好かれる優れた品種を作り出すことをしています。これらは、生物の自分自身のための品種改良や遺伝的組み換えと言ってもいいでしょう。

後半の質問は肉牛を考えてみましょう。いわゆる松坂牛は、霜降りのたくさん入ったおいしい牛肉を持っていますが、これは決して松坂牛自身にとって好ましいものではないことは想像に難くないでしょう(きいてみたことはないのでわかりませんが)。これは、人間による人間のためだけの品種改良です。植物にしても同じで、遺伝子組換え技術であろうが、これまで人間が何万年もの間、行ってきた農業での品種改良であろうが、植物のためを思って行っているわけではありません。これは人間に「飼育・栽培」されるようになってしまった生物の宿命とも言えるでしょう(罪深いと言ってしまえばそれまでですが、ある意味ではライオンが容赦なく獲物を狩るのと同じでしょう)。

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