![]()
空襲になると警防団へ |
|
父、頼光。「新しいことに関心が強く、曲がったことは嫌いで、自分が正しいと信ずると、不利を招くと分かっていても、初志を貫く人」一口で父を表現すると、こういうことになる。 |
得意はハーモニカ演奏、特許も取得 |
|
薬專時代はハーモニカ部に所属していた。三越劇場にも出場、ラジオで放送されたこともあり、平常からハーモニカを手放したことがないくらいだ。店先でもお客さんのいないときはよくハーモニカを吹いていた。 |
マレー、エスペラント、中国、英語を独学で |
|
語学にしても日本軍が南進するとマレー語、国際化が叫ばれるとエスペラント語、戦後は中国語、英語、それに専門分野の医、薬業界でよく使われるドイツ語は別として、独学で自分のものとし、原語の新聞など読みこなしていた。 |
趣味は多彩、川柳で光る |
|
趣味は多彩でビリヤード、姓名判断、手相、囲碁など何でもござれ。魚釣りは戦争直前まで仲間と共同で船を買い海釣りを楽しんでいたが、戦争のためこの趣味は続けることは出来なかったようだ。
「算盤は ないかと社長 立ってくる」昭和39年の犬を正しく飼う標語で、大阪府知事賞を受賞した。 「速達郵便、これじゃ遅れる 放ち飼い」この受賞で自信を得たのか、暇を見付けては川柳を作り、全国の同人雑誌にもこまめに投稿、仲間より「しょうがさん」と親しまれていた。 |
忌明けの供養に遺稿川柳集「天ぷら」 |
|
父は昭和50年5月28日、救急車に運ばれ、病院に着くや否やで急死してしまった。 |
主婦と店番のひとり二役 |
|
母・哲子。明治43年9月15日、藤原藤蔵、良江の長女として岡山県邑久郡朝日村東片岡2214番で生まれた。吉江は
母・哲子を生んで間もなく、若くして死んでしまった。 |
「母はいつ寝るのだろう」 |
|
私は4歳ぐらいまでは腺病質で病気がちだったので、親をよく心配させた。 |