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明治40年〜昭和60年(父母のこと)

空襲になると警防団へ

父、頼光。「新しいことに関心が強く、曲がったことは嫌いで、自分が正しいと信ずると、不利を招くと分かっていても、初志を貫く人」一口で父を表現すると、こういうことになる。

明治40年1月2日、大阪府東成区天王寺村字天王寺で牧場を経営する安之助・さいの次男として生まれた。強い子に育つようにと、大江山の鬼退治伝説で知られる源頼光にあやかって、「頼光=よりみつ」と、名付けられた。

大阪市立常盤小学校、大阪府立八尾中学(現八尾高校)、大阪薬学専門学校(現国立大阪大学薬学部)を卒業して、ライコー薬局を開業。

昭和3年1月22日に藤原藤蔵・良江の長女哲子と結婚、薬剤師会の役員、山王警防団副団長、日赤奉仕団会計、山王消費組合、阪神高速山王地区建設協議会公害部長、金塚小学校学校薬剤師などを歴任した。

剣道の練習中に怪我をしたのが原因で、腕が十分に伸びないため徴兵検査では丙種となり、兵役を免れたものの、警防団の副団長をしていたため、空襲を知らせるサイレンが鳴ると家にいることは許されなかった。不安がる家族を後にして、国民服にゲートルを巻いて家を出ていく後ろ姿が思い出される。

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得意はハーモニカ演奏、特許も取得

薬專時代はハーモニカ部に所属していた。三越劇場にも出場、ラジオで放送されたこともあり、平常からハーモニカを手放したことがないくらいだ。店先でもお客さんのいないときはよくハーモニカを吹いていた。
幾つかのレパートリーを持っていたようだが、なぜか「カルメン序曲」だけがいまでも頭に残っている。

新しいものが好きでNHKのラジオ放送が始まったとき、自作の鉱石ラジオでこれを聞いたという。原石を針で探り、感度の良いところを探し当てるという原始的なものだった。
やがて、チューブに鉱石を入れたものが登場、銅線をクモの巣状(スパイラル)に巻いたものを二つ作り、一次側と二次側を向かえ合わせにして、バリコンで受信周波数を調整するようになった。

昭和30年transxyloから37年にかけて、ハーモニカ、シロホンについての特許を数点取得した。朝日、読売、サンデー毎日、朝日放送などに記事として取り上げられた。
二重共鳴ハーモニカ、シロホンはライラック商事より商品化された。

マイクの発達していないときだけに、音量の小さいハーモニカ、シロホンに共鳴箱を付けて大きな音にするアイデアが注目されたのである。

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マレー、エスペラント、中国、英語を独学で

語学にしても日本軍が南進するとマレー語、国際化が叫ばれるとエスペラント語、戦後は中国語、英語、それに専門分野の医、薬業界でよく使われるドイツ語は別として、独学で自分のものとし、原語の新聞など読みこなしていた。

写真にも凝りパーレット単玉を使ったサロン調の写真を得意とした。このカメラは文字どおり1枚レンズの蛇腹式のカメラだ。カメラの原点ともいうべきもので、1メートル程度の短距離はアタッチメントを付けて撮り、それより遠方は常焦点となっていた。フィルムは現在では製造中止になっていると思うが、35ミリより大きく、ブローニーより小さいベスト判というサイズのものを使っていた。

ベスト、つまりチョッキのポケットに入るくらいの小さいカメラ用のフィルムというわけである。
蛇腹を折り畳んでふたをしてしまうと、かなりコンパクトになる。戦後のフィルム不足のときは、カメラのフィルム面の内面に半分だけ黒いを紙を張り付け、露光しないようにして、片道を撮り終えるとフイルムをひっくり返してもう一度写して、二倍に使えるように工夫した。
現在の録音テープも同じ原理で、トラックを往きと返りに使い分けている。

当時のフイルムはフイルムの後ろに黒いリードペーパーを添えて、スプロールに巻き付けられていたので、こんな芸当も出来たのである。いまでもブローニ判はこの形式を取っているが、フイルムが安くなり、商品が有り余っている時代には、ハーフサイズカメラでも敬遠されるようになってきたが、この使い方で友人の倍のショットが楽しまれるので、自分のカメラもそうして欲しいと、何人かから申し出があった。

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趣味は多彩、川柳で光る

趣味は多彩でビリヤード、姓名判断、手相、囲碁など何でもござれ。魚釣りは戦争直前まで仲間と共同で船を買い海釣りを楽しんでいたが、戦争のためこの趣味は続けることは出来なかったようだ。

姓名判断は25年にわたる鑑定をもとに、五格剖象法に境遇、環境、教育、技能、経験を加味して判断する、独自のものを考案、「科学的姓名学」と名付けて子供、孫、知り合いなどの名付け親となる。

俳句は子規派、芦田秋霜の門下生だったが、本人は俳句よりも川柳の方が自分の性格にに合っていると考えていたのか、急速に川柳への傾斜を高めていったようである。
川柳では当初「生薑」の号を使っていたが、「章雅」に変えた。

昭和36年の大阪市民文化祭川柳大会では、市長賞を獲得した。

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    「算盤は ないかと社長 立ってくる」

昭和39年の犬を正しく飼う標語で、大阪府知事賞を受賞した。

    「速達郵便、これじゃ遅れる 放ち飼い」

この受賞で自信を得たのか、暇を見付けては川柳を作り、全国の同人雑誌にもこまめに投稿、仲間より「しょうがさん」と親しまれていた。

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忌明けの供養に遺稿川柳集「天ぷら」

父は昭和50年5月28日、救急車に運ばれ、病院に着くや否やで急死してしまった。
午前2時15分のことである。救急車に乗るときも、「大丈夫だ」といいながら、自ら歩いて乗車したいうのに、なんだかだまされたよう気持ちで、その死が信じられなかったが、現実のものと分かり、人の命のはかなさを思い知らされた。

死の3、4時間前まで川柳を作っていたということだ。枕元に鉛筆と川柳が数句書かれていたメモが残されていた。
よほど川柳とは相性が良かったと思われる。本人もいつの日にか出版するつもりでいたのだろう、便箋には雑誌に掲載された川柳を整理してあった。

故人の遺志を推察して四十九日の忌明けまでに今西章雅川柳集「天ぷら」の題のもとに編集、出版して、故人と親しかった方々に配布させてもらった。

私が中学校に入学するときも、校舎が戦争で焼けてしまって、バラックのような応急教室で授業をしているところが多いので、教室が焼け残っている学校をと、関大一中を選んでくれたのも、大学の専攻を決めるとき新設の新聞学科がよいだろうとアドバイスしてくれたのも父だった。

新しいものに興味を持ちいち早くそれを取り入れる。先取りの精神を植え付けてくれたのも父だといえよう。

一つ残念なことは語学に興味を持っていただけに外国に対する関心が強く、海外旅行に出かけることを強く望んでいたのではないかと思うが、68歳で亡くなるまでに、その夢が実現しなかったことである。

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主婦と店番のひとり二役

母・哲子。明治43年9月15日、藤原藤蔵、良江の長女として岡山県邑久郡朝日村東片岡2214番で生まれた。吉江は 母・哲子を生んで間もなく、若くして死んでしまった。

藤蔵は八重を後妻として迎え5人の子供を授かるが、母も分け隔てなく育てられた。父との結婚のいきさつは詳しく聞いていないが、藤原家は牧場を経営していたので、同業者の集まりか、何かで見合いの話が出たのではないかと想像される。

哲子は大阪の海老江にある技芸専門学校を出て間もなく結婚。四男三女の母になるが、うち一男二女を病気で失っている。

父はどちらかといえばのんきな人で家を出ると、いつ帰ってくるのか分からなかった母はこんな父を「鉄砲弾」といっていた。
近所の店先で話しこんでいることが多く、お客さんを待たせて探しにいったこともある。そんなわけで母は主婦以外にも店番役もしなければならなかった。

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「母はいつ寝るのだろう」

私は4歳ぐらいまでは腺病質で病気がちだったので、親をよく心配させた。
病気で寝ているとき、ふと目を覚ますと、覗き込むようなような母の顔があった。ウツウツとまどろんだ後に目を開けると、また母が見守ってくれている。その顔を見て安心して目をつhahaむる。
こんなことが繰り返される。子供心に母はいつ寝るのだろうと不思議に思ったものだ。

崇浩(大学)、順子(短大)、修三(高校)、晃久(中学)、淑子(小学校)と日本の学校制度すべてに子供を預けるという時期もあった。経済的にも食事、洗濯など日常の仕事も大変だったと思う。

そのうえ、友人とよく連れて帰り、一升炊きのご飯をぺろりと食べてしまうこともしばしばあった。それでもいやな顔をしなかった。

父の死後、しばらく服部の団地に一人住まいをしていたが、箕面に家を建てるときに、離れ形式の部屋を用意して、そこに住んでもらうことにした。

年を取ってからの引っ越しなので、地域に馴染み、友達が出来るだろうかと心配したが、「もみじ会」という老人クラブに参加、仲のよい友達もすぐに出来、引っ越しをしてきてよかったと本人が言うのを聞いて安心した。

仲良しグループとバス旅行に行った帰り道、おなかが痛いと言い出し、すぐに救急車で病院へ運んでもらったが、一週間あまりで、あっけなく死んでしまった。父が亡くなって十年程たった昭和60年4月のことだった。
夜中にトイレに行こうとして廊下で転び、出血多量によるショック死だった。父は入院したその日に、母は1週間程度の入院で家族に殆ど迷惑を掛けずに永遠の旅に発った。残され家族にはあっけないがおなじ死ぬのなら、こういった死に方をしたいものだ。


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