

孫には甘かった頑固爺さん |
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祖父、安之助は父・弥三郎、母、さとの次男として慶応2年3月10日に兵庫県武庫郡西宮市町濱石西町60番屋敷より、大阪市南区西関谷町792番地に移籍した。 |
ちちくまをして骨董市へ |
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骨董が好きで月に何回か立つ骨董市にもよく連れていってくれた。セリ独特のダミ声が今でも耳に残っている。 |
終戦の年、疫病で三人の葬儀 |
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祖父はイカの塩辛、海鼠腸、雲丹、塩コンブなどの珍味が好きで、塩コンブなどは市販品ではもの足らず、厳選したコンブを買ってきて鋏で四角に切り、三升炊きの大きな釜で自分の好きな味に炊き上げていた。 |
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食べるもの、着る物、医薬品などすべての物資が欠乏したのは、戦争が原因だったといえる。そうすれば祖父、祖母、妹の三名は戦争犠牲者だといってよいのではないか。
このように戦争は直接、間接に人々を死に至らしめ、貧困に追いやり、離別などの多くのドラマを作っていくのである。 |