09golf

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昭和34年〜55年(日装時代)

洋服もゴルフも発祥の地は英国

日本洋装新聞社では室内仕事が多いテーラーの健康増進のため、卓球、野球などの後援や協賛をしてきた。しかし、ゴルフへの関心が次第に高まってきたので、そのタイミングを捕らえて、ゴルフに力の入れ方をシフトした。

ゴルフをする人は経済的にも余裕があり、注文洋服の良いお客さんでもある。それにゴルフ場はどのスポーツよりも服装にうるさい。夏でも上着着用を求めるところが多い。
シャツにしても衿のないTシャツ形式のものは認められない。スタンドカラーが流行したときは、あれをカラーと見るかどうかが問題になったが、3センチ以上なら衿として認めようということになった。ジーンズのズボンは多くのコースで駄目といわれた。

ゴルフ発祥の地は英国、洋服の故郷も英国である。だからエチケットやマナーにうるさいのではないかと思う。

これからはゴルフをする人が多くなるので、練習を始めよう、という話が昭和34年1月の新年会のときに持ち上がった。「善は急げ」。それでは新年会が終わったら早速行ってみようということになり、中津にある世界長ゴム会社が経営するゴルフ練習場に出かけ、初打ちを試みた。
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文字通り新年の初打ちであり、ゴルフ始めの初打ちでもあった。打ち方のレッスンも受けずに、我流でただひたすらに球をたたいただけである。グリップの仕方もフォームも何もわからない。しかし、当たれば白い球がはるかかなたに飛んでいった。悩みも心配事も球と一緒に飛び出す感じで、実に爽快なスポーツであることが分かった。

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昭和38年には洋服業界懇親ゴルフ大会

早速、ゴルフ道具を購入することした。心斎橋を少し入ったところにミキという店があった。あのPL教団に関係のある店だと聞いて信用し、ハーフセットを買い求めた。

靴まで買う予算がなかった。履きふるしたグレーのカジュアルシューズが有ったので、親しくしていた会社の近所の靴修理屋さんにスパイク用の鋲を持っていき、底皮を取りかえるときに、こことここに鋲を埋め込んでほしいとお願いした。少し工賃を余分に払うだけで、足にぴったり馴染んだ、履き易いオリジナルシューズが出来上がった。

神崎川、PL、尼崎などの練習やショートコースで少し腕を上げてから、清水羅紗店(現・清水株式会社)の初代社長にお願いして城陽カントリークラブに連れていってもらった。我が社の加藤専務とMデパートの紳士服部長も一緒だった。

距離はさほど長くないが、バンカーが多いので有名な西コースでの初体験は、スコアを計算する暇がないほど忙しいものだった。真っ直ぐ飛べばバンカーに捕まるし、曲がるとラフへ入るのはまだよいとして、林の中に転がり込んでは「松下さん」と冷やかされたりの波瀾万丈。

当社の瀧口相談役が東城陽と私市のメンバーだったので、よく東城陽でプレーさせてもらった。

ゴルフの腕が少し上がり、ルールやマナーが理解できるようになった昭和38年に深喜毛織の協賛を得て洋服業界懇親ゴルフ大会を城陽カントリー倶楽部で開催した。

テーラーは職業柄、中小企業の経営者、大企業の役員、幹部クラスの人など、社会的地位の高い人との接触が多いこともあり、他業界よりゴルフを楽しむ人が多かったように思う。流通段階の人にも呼びかけて参加してもらったので、文字通り懇親の実を挙げ、評判も良かったので一安心した。

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工場の横にゴルフ場、ユニークな三星毛糸

そのころアメリカ輸出で大をなした一宮市の三星毛糸が国内向けに進出するチャンスを狙っていた。同社の岩田社長はユニークな経営者で、人のやらないことをするので有名な人物だった。

厚くて重い服地が原毛をたっぷり使い、しっかり織ってあるので上等という、日本の紳士服地業界の常識を打ち破るライトウエイトの高級服地を織り上げて、アメリカのマーケットを席巻した。柄行も大胆で他社ではリスクが多くて手掛けるのをためらうものでも恐れず取り上げ、それがまた他社にない色柄と評判になった。
保守的な日本の市場をこれらの武器を前面に押し立てて、攻め上げようというのだ。

同社から日本における販売促進計画を立てるようにとの要請があった。ユニークな社長にはこれまたユニークな企画案を持っていかなければ目も通してもらえないと、変わった企画を10案程度考えることにした。

予備の打ち合わせのとき三星毛糸の工場兼オフィスを訪ねて、びっくりしたことが幾つかあった。
まず、オフィスの隣接地に、3ホールの手入れの行き届いた、ゴルフコースgolf4があったことである。池もあり蛍を飼育しているということだ。蛍は水が澄んでいないと育たないし、大変な手間が掛る。それをやり通し、シーズンには蛍を見る会を開催している。

事務所の廊下は埃一つ落ちておらず、ピカピカに磨き上げられている。社内に床屋さんがおり、髪の毛を延ばした不潔な輩がいると、即座に切ってしまう。などなどである。

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販促企画にテーラーズゴルフ選手権大会

三星に提出した企画案の一つは、自動車の天井に宣伝文句を書いた車を抽選でテーラーにプレゼントし、仕事にはもちろん、私用にも大いに車を走らせてもらい三星のブランド「スリースターズテックス」の知名度を向上させようという作戦である。
横からは宣伝文句は見えないが、ビルの階上からはよく見える。ビルの増加を予想しての企画だが、少し捻ったところが話題を呼ぶことを計算していた。

三星毛糸のオフィスの隣りにあったゴルフ場が印象に残っていたので、もう一つの企画案として、全日本テーラーズゴルフ選手権大会を企画案の中に入れておいた。社長は自分自身がゴルフ愛好者でもあったのでゴルフ大会案にに大変興味を示し、「よし、これていこう」と、即断即決された。

東日本と西日本でそれぞれ予選大会を開き、そこでコリファイされた選手を決勝大会に招待し、日本一を決定しようというものである。

ちなみに、第一回全日本テーラーズゴルフ選手権大会は昭和39年3月9日に千葉カンツリークラブで東日本予選大会を、3月12日に名門・鳴尾ゴルフ倶楽部で西日本予選大会を開催、決勝戦は3月23日に愛知カントリークラブでおこなっている。

途中の詳細は省略するするとして、第4回大会は昭和42年に開催されたが、多くの参加者が九州から大阪まで予選大会にやってくるのは大変だという声にこたえて、九州地区でも予選会をやるようになった。会場として志摩カントリークラブの芥屋コースがあてられた。その後の九州予選は玄海ゴルフクラブに会場を移した。

東日本の会場は千葉カントリー、筑波カントリー、多摩カントリー、読売パブリック、地産取手などのコースを使った。

西日本大会では鳴尾ゴルフクラブ、池田カントリー、よみうりカントリーなどをその年の都合で使い分けた。決勝戦は初めは愛知カントリーを利用したが、2回大会以後は犬山カントリーに定着した。

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決勝戦前夜祭にゴルフウェア・コンテスト

昭和40年代の後半になってくると、ゴルフ人口が急激に増え予選参加者も急増、ゴルフ人口の多い東日本大会は貸し切り状態にまで人数が膨れ上がり、コースをリザーブすることが困難になってきた。

この催しは年に1回開催で、昭和49年まで11年間続き、業界の名物催事となっていた。予選大会でコリファイされた選手は、犬山ホテルに招待され、決勝戦に臨むわけだが、試合前日には前夜祭が開かれた。テーラーの集まりらしく、ゴルフウエアのコンテストが行われることになっていたので、色、柄、シルエットなどで個性を表現した自慢作のオッドジャケットを着てくる人も多く、最新モードのファッションショーを見ているような楽しいものだった。

東西両軍の顔合わせの後、明日の健闘を祈りエールを交換、隠し芸の披teruteru露などで、前夜祭のムードはいやが上にも盛り上がる。雨が降らないようにとテルテル坊主の歌と踊りなども披露され、ひょうきんな仕草に敵も味方も腹を抱えて大笑。本番のゴルフに増して、この前夜祭を楽しみにして、決勝戦にでてくる人も少なくなかった。

こうした全国スケールのゴルフ大会になるとハンディキャップの決め方が問題になる。初めのうちはキャロウェイ方式を採用していたが、スコアを自分で調整できる欠点があり、ペリア方式に切り換えた。これはハンディホールの取り方で、運・不運がでるが、一応納得のいく結果がでた。

オフィシャルハンディでプレーしたい人のため、オフィシャルの部とペリアの部に分けて腕を競ってもらったこともある。
ゴルフ大会の模様と参加者全員の写真は後日、雑誌形式のブリーフとして出場者に配布された。

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英国大使杯争奪ゴルフで日英の交流はかる

注文洋服の素材として英国製の紳士服地がよく使われている。日本が英国から買い付けているのは、超高級品で英国にとつては日本は良いお得意先である。そこで駐日英国大使を招いてアンバサダーズカップゴルフ大会を開催することにした。

インポーター、エージェント、服地卸商、テーラーなど英国服地に関係の深い人が腕を競って英国大使杯を争奪しようというもの。昭和46年に第1回大会が大阪の池田カントリーで開かれた。
第2回は会場を東に移し静岡の愛鷹六〇〇クラブで開催した。それから東西交互に10年間続けられ、日英懇親の実を挙げたゴルフ大会として業界でも知られていた。

ゴルフが普及しコンペの数も増えてきた。取引先や得意先の多い商社では毎日のようにコンペがある。一社の催しに参加すると、おつき合いで他社から誘われる。我が社も事情は一緒だった。こちらが主催しているコンペに出てもらうと、相手の関係するコンペに参加しなければならなくなる。

初めの内は手分けをしてできるだけ参加するようにしていたが、社内で働いている人の目には「遊び」としか写らないで、整理しなければならなくなってきた。
ついに商社では「平日ゴルフ禁止令」が発令された。「猫も杓子を持つ」と皮肉られるほど、ゴルフ人口が増え、土、日、祝日のコンペは開けない。
アンバサダーズカップゴルフ大会も惜しまれながら幕を閉じることになった。

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東西で異なるゴルファー気質

いろいろなゴルフ大会を数多くお世話したこともあり、全国のコースをたくさん回るチャンスに恵まれたのは幸いであった。
多くのプレーヤーを観察していると、西日本と東日本ではゴルフに対する姿勢が少し違うことを発見した。

東日本の人はルール、マナーにかなり厳しい。ことにシングルプレーヤーについては、その傾向は顕著に見られる。
リプレース、ドロップの仕方などのルール、ティアップ、パッティング時には騒音を出さないなどのマナー面で違反している人を見付けると、親しい友人であっても、きっちり注意をする。

これに対して西日本の人はその場の雰囲気を壊さないようにと、少々の違反は黙認して、直接注意をしない。すべての人がこの通りだと言うわけではないが、最大公約数を求めると、こういうことになる。

西日本流のプレーに慣れた人は、関東の人と回って幾つかの注意を受けたと言うケースがときに見受けられる。

注意されて「所詮ゴルフはお遊びだ。役人のように堅苦しいことを言ってゴルフをしていると面白くない。」と反発する人。知らずにルール違反をしていたことを教えてもらえたと、感謝する人。人間模様はさまざまだ。

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パターを持たない晩年の元岸首相

愛鷹600では、故岸信介元首相がプレーしていた。キャディさんの話によると、ぶ09golfgreenらりとゴルフ場に現れ9ホールだけ回る。それもグリーンにオンするとお終いで、パッティングは身体に良くないからと省略するということだ。

年配になってからのゴルフはガツガツせず、このようにマイペースで楽しむのもいいものだ。
テレビで有名な料理の大先生に対するはキャディさんの評価はすこぶる悪い。調子が悪いとキャディを怒鳴りつける。OB球を打ったのも、池ポチャになったのも「みんなキャディが悪いのよ」とされてしまうので、顰蹙を買うのは当然のことだろう。

話題の料理人が、私たちの後からプロを一人従えてスタートした。こちらは4人パーティで、あちらは2人、当然プレーの時間差はでてくる。われわれのパーティに打ち込んできたこともある。ついに追いつき「パスさせてほしい」という申し入れをしてきた。

オブザーバー参加のわれわれはいいとしても、その前の組からはコンペの参加者である。これを次々パスできるとでも思っているのだろうか。
こんなエゴイストはキャディさんから嫌われて当然だろう。

また、ある一部上場会社の社長は打ちっ放しの練習場で、従業員か車の運転手か判らないが、従業員に自分の球をティアップさせていた。
周りの人から「何様のゴルフか」と顰蹙をかっているのも知らず、得意げな表情で練習を続けていたが、そんな横柄な態度が嫌われてか、あまり長く勤めない内に会社から身を引くことになった。

麻雀でも打ち方でその人の性格がわかるというが、ゴルフでも緊張している職場と違って知らない内に「本性」が出てくるのだろう。

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前も後ろも人影なしの大名ゴルフ

日常の業務から開放され、あらゆる悩みも忘れて、一心不乱にただ一つの白球を追うゴルフ。もともと、スコットランドの羊飼いが棒で石を打って、羊の行く方向を示したのが始まりだといわれている。これがゲーム化されて、「コルフ」と呼ばれる遊びとなり、後に「ゴルフ」と名を変えた。

緑に富み、空気の澄んだ牧場を歩くゲームだから、爽快な気分になるのは当然のことである。飛行機の窓から眺めると、狭い日本にこんなにたくさん作ったものだと感心するくらいに、あちらこちらにゴルフコースが見える。

ことに大阪のお隣兵庫県はゴルフ銀座といわれるくらいで、中国道の吉川インターチェンジの出口には、数え切れないほどのゴルフ場案内の看板が揚がっている。最近は不況で少し混雑ぶりが緩和されているが、ウイークエンドのゴルフ場は大変混み合う。

のんびり気分を休めに来たのに、前がつかえているので打つのを待たされたり、後ろが追いかけてくるのでスピーディなプレーを要求されたりで、新たなストレスを産み出すもとになりかねない。

周辺の景色を眺めながら、マイペースで、ゆったりした気分でゴルフを楽しみたいと考えるのは、私一人ではないだろう。

こんな贅沢なゴルフを楽しむ機会がやってきた。いつもお世話になっている英国総領事をゴルフに招待することになり、鳥取エフワン(現グッドヒル)の吉岡社長にエントリーをお願いしたところ、特別なお客さんなので、私も一緒に回り、できうる限りのサービスをしましょうということになった。

吉岡氏は日本を代表する大手紳士服縫製会社・鳥取エフワン(現グッドヒル)の社長、地元の有力紙「新日本海新聞社」のオーナーであり、日本海カントリーの社長も兼ねる有名な実業家で、独得のワンマン経営でも知られている人だ。
ファーラー英国総領事と吉岡社長、日装からは加藤社長と私の4人のパーティだが、吉岡社長の鶴の一声で9ホールすべて空けた状態でアウトからスタートさせてもらった。一般のお客さんは全員イン・スタートになった。

前も後ろも人影がなかった。まさに大名になった気分である。その割にはスコアが良くなかったが、こんな経験は二度とできないだろう。
吉岡社長のワンマンぶりはゴルフ場でも見られた。社長は時折親しい友人とコースを回るが、自分が負けたコースを覚えておき、すぐに改修を命ずるという。

あるコースではロングヒッターは必ずツーオンしてしまうので、グリーンのすぐ奥にウォーターハザートを作ってしまった。強い目の球でグリーンを少しはずし、エッジに09golf止まっているだろうと、見に行くと見事に「池ポチャ」になってる。天国から地獄に堕ちたような悲惨な気分である。刻んでグリーンに辿り着いたものには、逆転のチャンスが与えられて機嫌を良くする。こんな仕掛けがあちこちに隠してあるのでスコアが良くならないが、挑戦するには変化に富んだ面白*いコースといえよう。

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