洋服もゴルフも発祥の地は英国 |
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日本洋装新聞社では室内仕事が多いテーラーの健康増進のため、卓球、野球などの後援や協賛をしてきた。しかし、ゴルフへの関心が次第に高まってきたので、そのタイミングを捕らえて、ゴルフに力の入れ方をシフトした。 |
昭和38年には洋服業界懇親ゴルフ大会 |
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早速、ゴルフ道具を購入することした。心斎橋を少し入ったところにミキという店があった。あのPL教団に関係のある店だと聞いて信用し、ハーフセットを買い求めた。 |
工場の横にゴルフ場、ユニークな三星毛糸 |
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そのころアメリカ輸出で大をなした一宮市の三星毛糸が国内向けに進出するチャンスを狙っていた。同社の岩田社長はユニークな経営者で、人のやらないことをするので有名な人物だった。 |
販促企画にテーラーズゴルフ選手権大会 |
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三星に提出した企画案の一つは、自動車の天井に宣伝文句を書いた車を抽選でテーラーにプレゼントし、仕事にはもちろん、私用にも大いに車を走らせてもらい三星のブランド「スリースターズテックス」の知名度を向上させようという作戦である。 |
決勝戦前夜祭にゴルフウェア・コンテスト |
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昭和40年代の後半になってくると、ゴルフ人口が急激に増え予選参加者も急増、ゴルフ人口の多い東日本大会は貸し切り状態にまで人数が膨れ上がり、コースをリザーブすることが困難になってきた。 |
英国大使杯争奪ゴルフで日英の交流はかる |
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注文洋服の素材として英国製の紳士服地がよく使われている。日本が英国から買い付けているのは、超高級品で英国にとつては日本は良いお得意先である。そこで駐日英国大使を招いてアンバサダーズカップゴルフ大会を開催することにした。 |
東西で異なるゴルファー気質 |
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いろいろなゴルフ大会を数多くお世話したこともあり、全国のコースをたくさん回るチャンスに恵まれたのは幸いであった。 |
パターを持たない晩年の元岸首相 |
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愛鷹600では、故岸信介元首相がプレーしていた。キャディさんの話によると、ぶ |
前も後ろも人影なしの大名ゴルフ |
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日常の業務から開放され、あらゆる悩みも忘れて、一心不乱にただ一つの白球を追うゴルフ。もともと、スコットランドの羊飼いが棒で石を打って、羊の行く方向を示したのが始まりだといわれている。これがゲーム化されて、「コルフ」と呼ばれる遊びとなり、後に「ゴルフ」と名を変えた。 |