10UKWoollen

10UKWoollen

昭和34年〜62年(日装時代)

業界のバイブル、輸入服地特集号

日本洋装新聞社では昭和34年以来輸入服地特集号を発刊してきた。注文洋服業界では近い将来、英国毛織物を中心とした輸入品が、大きなウエート占めることを確信していたからである。

当初は「国産のメーカーから広告をもらっているのに、国産服地のライバルである輸入紳士服地の提灯を持つとは何事か」とクレームを付けられたこともある。社内でも国産メーカーの担当者は、この特集号に対しては批判的だった。

しかし、どの業界にもライバルというものがあり、お互いに切磋琢磨していくところに発展がある。ライバル必要論の基本的な考え方を貫き通したのは正解だった。時代の要請を受けて、後に国産メーカー自身が輸入服地を取り扱いはじめたことがそれを物語っている。

初めのうちはタブロイド判18ページ程度の薄いものだったが、業界の発展と共にページ数が増え、現在は120頁を超えるボリュームとなり、カラーフルなものに成長した。これを見ると輸入服地の全てが把握できることから、業界の「バイブル」という評価を受けている。

特集号の本体は日本語だけで構成されているが、英国に送るものには英語のbibleサマリーを付けているので、その概要は英国人にも理解してもらえる。
われわれは新聞という表現をしているが、全体の頁数とカラー頁が多いためか英国人は「マガジン」と呼ぶ。
英国の毛織物産地ブラッドフォード、ハダースフィールドの工場を訪ねたとき、どこの会社にも応接間に特集号が、置いてあったので感激した。

arowuparowdown

「ミル物」とはメーカー直輸出の毛織物

今でこそファッション性に優れたイタリアに第一位の席を譲っているが、かっては輸入紳士服地といえば英国製の服地を指していた。

一口に英国毛織物といっても、輸出形態により大きく二つに分類することができる。
その一つは毛織メーカーが直接輸出する「ミル物」と呼ばれるものだ。ミルは工場を意味する言葉で、柄出しから仕上げまで、あくまで毛織メーカーが自己リスクで作る商品である。

取引の単位は、値段の高い高級品は1反、値段の安いものは4反になっている。服地の巾は150センチが標準で、織機の違いや、染色、整理、仕上げなどの段階で若干の誤差がでる。取り扱い易いように通常二つ折りにして75センチ巾にして、巻き付けてあり、これを「ダブル巾」という。背広地はほとんどかタブル巾で織られるが、モーニングのズボン地・コールと手織のハリスツィードはシングル巾になっている。

1反の服地で標準体型の人のスーツが20着採れる。60メートル巻きが標準となっているが、イタリア製品は50メートルのものが多いという。

ロンドンから約500キロ北に離れたヨークシャーのハダースフィールドには、高級紳士服地メーカーが工場を構えている。日本人は高級品好みでこのハダースフィールドの最大のお客さんになっている。隣町ともいえるブラッドフォードは夏の服地として人気があるモヘアと比較的値段のこなれた毛織物を生産している。

カジュアルな感覚のジャケット地、オーバーコート地として知られるツィードは主としてスコットランドで造られる。俗にスコッチイツィードと呼ばれているものだ。
手織の味と趣味的な色柄が魅力のハリスツィードはハリス島を初めとするアウターヘブライ諸島が産地となっている。

arowuparowdown

個性的な色柄で売る「マーチャント物」

ウールン・マーチャントというのは文字通り毛織物商だが、業界では主にロンドンに本社を置く毛織物の輸出業者を意味する。彼らは自社独自の色柄の服地を自分のリスクで毛織りメーカーに発注して織り上げてもらったものを在庫し、その服地の一部を週刊誌の半分ぐらいの大きさに切り、これを何枚かを束ねてバンチ見本作る。

バンチをテーラーに配布し、全世界相手に販売する。彼らの扱う紳士服地を「マーチャント物」と呼んでいる。少し値段は高くなるが、「ショートレングス」という一着単位の小口注文も受けてくれるので、同じ柄の服に出くわす恐れはまずない。究極の個性を求める人にとっては、貴重な存在である。
その代表格としてドーメル、スキャバル、Hレッサー、フィンテックスなどがある。

arowuparowdown

リーゼント通りを挟んで東西に拠点

ロンドンの有名なショッピングゾーン、リーゼントストリート挟んで西と東に主なウールン・マーチャントのオフィスがある。東側のゴールデンスクェアには世界一のスケールを誇るドーメル社、品質の高さと、シックな柄行きで知られるフインテックスのショールームを初めとする数社の本拠地が置かれている。

西側には「背広」の語源となったサビルローという通りがあり、世界的に有名なテーラーが軒をならべているが、粋な色柄が特徴のウェインシール社もここに拠点を置いている。
他の地区にもウールン・マーチャントは存在するが、ここから一キロ以内の交通の便の良いところに事務所を構えている。

ただ一つの例外はすべてに最高を求める「スキャバル社」である。この会社はサビルローにショールームを持っているが、本社はブリュッセルにある。ロンドンとは海を挟んでいるが距離的に近く、大きなマーケットとして期待されるEC諸国の中心に位置する。ここに本社を置いたのは、視野の広いユダヤ人的な発想である。

arowuparowdown

ウールンマーチャントとテーラーの関係

ヨーロッパのテーラーは、日本のように服地の現物は置いていない。礼服地のような定番以外はウールン・マーチャントから送られてきたバンチ見本から好みの服地を選び出さなければならない。

服地を肩に掛けて似合うかどうか、試してみることはできないが、テーラーとお客さんの間で築かれた信頼感がその不便さカバーしている。

お客さんの好み、趣味、職業、地位などを良く知っているので、ビジネス用かリゾートで着る物か、カントリーでの着用かを伝えると、手際よくバンチ見本から適当なものを選び出してくれる。

テーラーはお客さんから注文を聞いてからウールン・マーチャントに服地を発注して取り寄せる。2、3日で届けられるので、それから裁断に掛かればよい。納期は6ヵ月mishinという店が多いので問題にならない。その間に3回ほど仮縫いをする。のんきな商売だが、「金持ち急がず」と客もおっとり構えている。

ヨーロッパのテーラーはビルの中にあることが多く、街を歩いていても見付けることが困難だ。だから、道路から見える一階に店があるロンドンのサビルローは、例外的な存在といってよい。

テーラーの善し悪しは、店の雰囲気でおおよその見当はつくが、もう一つ簡単な方法はバンチ見本を沢山持ているかどうか、その見本は名の知れた会社のものかどうかで見分けることができる。

バンチ見本は高価な服地を切って作られるので、コストが高くつく。販売力の弱いテーラーには一流マーチャントからのバンチ見本が回ってこない。

日本はロンドンとの距離がありすぎるのが原因でウールン・マーチャントの機能を十分に使えない。したがって商社が中に入って輸入業務と一部のウールン・マーチャント機能を代行している。

マーチャント物のよいところは、ミル物では期待できない、大胆な柄行、思い切った色使いの商品が揃っていることだ。

arowuparowdown

英国との交流、公私ともに密接に

輸入服地特集号の情報の7割は英国に関することで埋められている。いやが上にも英国との関係が深くなる。英国大使館、総領事館との交流も増える。関西日英協会会員にもなった。英国から輸出ミッションがやってくると、懇親パーティが行われるが、これにもよく出席した。

英国政府は輸出に大変力を入れており、海外での展示会の開催や輸出ミッションの派遣には補助金を出している、これに参加すると一般よりかなり安い費用で日本に来られるようだ。毛織物は英国の代表的な輸出品で、高級毛織物、殊に紳士服地の分野では日本が最大のマーケットになっているため、毎年一回は来日し、展示会、PR事業の開催、市場視察、日本繊維輸入組合との話し合いなどを続けている。
需要喚起にも必死の努力を続けている。

新任の英国総領事の就任披露パーティには芦屋にある総領事邸にも招いてもcacktilらった。阪急沿線の岡本駅の近くにある領事邸は、瀟洒なタウンハウスだったが、ここにも度々顔を出した。

気安く話し掛けすぐに友達になるアメリカ人と違って、イギリスの紳士は初めのうちは気難しく思えたが、何回か会って気心が分かっててくると、本来の親切で、心優しい隠れた持ち味がにじみ出てくる。ただ階級意識が強く、場違いのパーティなどに参加すると、何となく違和感が生ずるので、英国人は自分の置かれている立場をよくわきまえて、そんな場所には出ないようにしているらしい。
われわれ報道人は天下御免でいろいろな階層の集まりに出席する。

arowuparowdown

秀才一家のフィックス家に招かれて

輸入服地特集号には毎号寄稿してくれているゴッドフレー・フィックス氏は、毛織物の本場ブラッドフォードの地元新聞の記者を勤めていたが、退職後、英国毛製品輸出協会のPR担当となった人である。

同じジャーナリストとしての親しみもあり、英国毛織メーカーの取材に同行してもらうなど、大変協力してくれたばかりではなく、自宅にも一泊させてもらった。

食事の用意は奥様一人でするのでなく、ご主人も手伝うのがこちらの習慣らしい。準備をしている間、リビングに小学生ぐらいの女の子供さんが出てきて、スライドを映しながらフィックス家のことをいろいろ説明してくれた。
slidepro
初めて会う日本人に物怖じもせず、判り易いようにとゆっくりした言葉で、丁寧に一枚一枚のスライドを解説してくれたのは、フィックス家をよりよく理解するのに役立った。、その聡明さ、頭の回転の速さに驚かされた。後で聞いて判ったことだが、姉妹揃ってオックスフォードケンブリッジに進学したそうだ。秀才一家である。

夕食には近所に住んでいるというフィックス氏の兄弟も参加しての賑やかなものとなった。日本に関するいろいろな話題が中心となり、焼き物や空手、柔道などの質問も受けたが、ブロークン・イングリッシュで必死に答えていたのは、今になっては良き思い出なっている。

arowuparowdown

同業のよしみフィックス氏との交流

ロンドンから飛行機でブラッドフォードへ出かけたときのことである。霧で飛行機が遅れたうえ、ミッドランドというかなり離れた別の空港に到着、そこからバスでブラッドフォードへ向かった。フィックス氏を2時間以上待たせてしまったにもかかわらずニコニコhickshome顔で暖かく迎えてもらった。

土地不案内とうまく会えるかという不安はその瞬間に吹っ飛んでしまった。
ロンドンへの帰路、フィックス氏が新聞を見て、これは大変なことになった。鉄道も飛行機もストで利用できないのだとという。

あちこちに電話を入れてマンチェスターに行けばロンドン行きの飛行機に乗れることが判った。
タクシーを手配してもらい、日本円にして約15,000円也のタクシー代を払いやっとのことでマンチェスター空港にたどり着き、無事にロンドンへ帰ることが出来た。もし、フィックス氏がいなければパニックになっていたところである。

フィックス氏が来日した時には京都のお寺を案内した。大原を中心とした古寺を見学して、ワビ、サビの世界を味わってもらった。ジャーナリストらしく古寺を訪ねる女性団体の行動にも興味を示し、いろいろ質問を受けた。日本に来て一番面白かったものは、と、尋ねると「おみくじ」という意外な返事が返ってきた。

自分の運勢を神や仏に聞くことも興味深いが、小さな紙切れに書いてある運勢を真剣な顔をして読んでいる姿、その後、木の枝に結び付ける風習、など全てが珍しいものだったのだろう。

arowup

ダイアナ妃の手は冷たかった。京都で歓迎会

英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が京都を訪ねられた機会をとらえ、関西日英協会では昭和62年5月9日、京都のミヤコホテルで歓迎パーティーを開いた。東西の日英協会のメンバーを中心に英国に関係の深い人々が大勢参加した。

私もメンバーとして加藤社長とともに出席した。途中、車の渋滞であわや開催時間に遅れるところだったが、ぎりぎりで間にあいほっとした。ミヤコホテル周辺は厳重な警備陣が張られていたが、招待状を示すと簡単に駐車場へ入ることができた。

パーティー会場は出席者が多かったためか、二つの部屋に別れており、チャールズ皇太子とダイアナ妃は中庭をはさんで二つの会場を行き来された。午後6時に始まり8時に終わる予定のパーティーだったが、5月だというのに屋外から会場に入ってこられたダイアナ妃は「寒い。寒い。」と言われていたのが印象に残っている。

この時のお二人はまだ仲睦まじく、ダイアナ妃もテレビや雑誌で見るよりも、こうして身近に見るといっそう美しく、オーラーが出ているように光り輝いておられた。

パーティも終わりに近づき、お二人と握手をして閉会となった。初めにダイアナ妃、ついで皇太子と握手したが、ダイアナ妃の手がすごく冷たかったのに対して、皇太子の手が暖かかった感触を今でも思い出す。出席者全員と握手するのは時間的に無理なので、途中でうち切られたが、前のほうに並んでいたので、チャンスに恵まれた。

当日の印象ではお二人に破滅が訪れることは夢にも思えなかった。
ましてダイアナ妃が交通事故でお亡くなりになるとは・・・。



BACKTOPNEXT


HOME