11Kekkon

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昭和33年〜平成8年(日装時代)

ダンスが取り持つ「縁」

妻の塩道明子(ひろこ)との出会いはダンスがきっかけだった。
関西大学2回生のときのことである。当時のは関西大学はいまのように女子学生は多くなかった。
どちらかといえばバンカラな気風を誇る、男子専門校のような雰囲気を醸し出していた。商学部、経済学部、法学部には数人程度、文学部の国文、英文にはかなりの女子がいたようだがそれでも全学合わせて数十人という希少価値の高い存在であった。

国文学科に第新純子さんという女子学生がおり、まじめに教授の話をノートしていたので、試験が近づくとノートをよく貸してもらっていた。

自分史原稿の最終的なチェックに入ったとき彼女の旦那さんが家へやってきて、彼女(結婚して古志姓に変わっている)が死にかけていると云うではないか。初めは冗談と思っていたが、脳梗塞で倒れ意識不明で病院に運び込まれたのは本当の話だった。

可成りの日数が経過してから手術したが、意識の戻らない状態は続いていた。現在の医療制度はいろいろな矛盾を含んでいる。入院して3カ月経過すると、健康保険から医療機関への支払金額が減らされる。意識不明の患者にも退院を迫る。
彼女の場合もそうだった。頼み込んであと3カ月入院させてもらったが、6カ月目には否応なく退院させられた。公的病院がこの状態である。

あちこちの病院に当たり、小さな病院に入院が決まった。転院して一週間で奇跡が起こった。意識が完全に戻り、栄養補給のために空けられていた咽の穴を手でふさぐと、喋ることも出来るようになった。「結果良し」になったが、その反対のケースだって考えられる。

大した病気でもないのに、老人ホーム代わりに長期入院されるのを、防止する対策と思うが、本当に入院治療が必要な者には困った制度である。

第新さんの中学時代の友人がいまの妻である。ミナミのダンスホールに相手は女同士、こちらは男集団で出かけていったたところで、偶然の出会いがあった。これをきっかけに、文化祭に来てもらったり、体育部主催のダンスパーティに誘ったりの交際が始まった。最初の印象は「よく気のつく子」で、誕生日とか何かの記念すべき日は忘れずにプレゼントの品を用意してくれた。

彼女はパパヤ石鹸という会社で事務をしていた。
家は片町線(現・学園都市線)の放出(はなてん)にあった。あるとき彼女のmirrerballおじさんから呼び出しをうけ、「女の子としてはもう年頃で、結婚を考えなければいけない年齢なっている。そこであなたの本心を聞かせてほしい」と決断をせまられた。

ダンスホールで知り会ったというのでは、印象が良いはずがない。どんな人間かを見定める人物考査も兼ねられていたのかもしれない。

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「三高?」高望みは婚期を逸す

大学を卒業した翌年、日本洋装新聞社へ入社したその年(昭和33年)に結婚することになった。

式場は上本町の教育会館。同じ学年では二番目に早い結婚だった。一番手は阪神の出来島駅の近くで親が風呂屋と燃料の販売をしていた汐見君。彼は高校時代は「やんちゃくれ」で知られた男。親がお嫁さんを早くもらば、少しは「やんちゃ」が治るのではないかとか思ったのか、あるいはそれ以外の事情があったのか、詳しくは知らないが高校を卒業するなり結婚した。

社会人になってからも同窓会には欠かさず出席し、男気のある人物として人気者だった。日本拳法も強く、指導者として多くの師弟に慕われていたが、肝硬変を患い、亡くなってしまった。sensu

お酒が好きでパーティでは肝臓が悪いのにもかかわらず「アルコールが消毒してくれる」と回りの人の心配をものともせず、杯を重ねていた姿が思い出される。

最近は晩婚の傾向が強くなっているようだが、自分の経験からすると、結婚は早いほうが良いと思う。
若いということは貴重な財産で、地味婚、派手婚、人前結婚、2人だけ海外のチャペルで、どんな形式でも「若い2人のことだから」で許される。

それに若いと自分の伴侶と他の人と対比、比較することが少ない。結婚は妥協の産物ともいえるが、年を経て一人前以上の判断力が付いてくると、学歴の高さ、給与の額、身長の三高から始まって、容貌、性格、将来性、財産、家柄、家族構成、ババ抜き、住居、職業、物の言い方、眼鏡、頭の禿具合、服装、趣味、血液型、干支、相性、ユーモアのあるなしなど、なんだかんだと条件を付けていると、どれかに引っかかってうまくいかない。

神は完全な人間を作っては面白くないというので、男と女を作ると共に、幾つかの欠点を人間に与え賜った。欠点だけを問題にすると,どんなに良い人でもバツ印が付いてしまう。

燃え上がったときにあまり深く考えずに結婚したほうがうまくいく。経済的に苦しくても若さがそれに耐えてくれる。孫のお守りには大変なエネルギーを要する。年をとってから孫ができると、体力が無くなっているので、可愛くても充分に相手をしてあげられない。

若くしての結婚なら40歳代で、お祖父さん、お婆さんになる。若干の抵抗を感じるが、50歳後半、60歳で孫ができると体力がなくなり、里帰りも3日位たつと「早く帰ってくれないかなあ」という気分になり、居なくなり家に静寂さが戻ってくると、何となく寂しくなる。こんな事を毎年繰り返しているのだ。

私の場合、昭和34年に女の子を授かり(一人っ子)、同58年、49歳で初孫が生まれ、晴れて「おじいちゃん」になった。

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人間8人、ペット2匹の大家族

結婚後は大阪市内の実家の2階に住まいをおいた。この家には私の両親と私たち夫婦、弟が2人、妹が2人、犬1匹、猫1匹、合計8人にペット2匹の大所帯が住んでいた。

食事時は大変で、食べ盛りでもあり、一人のご飯をよそい終わると、また別の手がお変わり、それが終わるとまた次と、自分の食べる間ないくらい忙しい。やっと暇ができるとめぼしいおかずは食べられた後、という状態だった。

洗濯物も人数が多いので一仕事。かなり広い物干しを、離れの屋根の上につくってあったが、すぐに洗濯物で一杯になってしまった。

いまから考えるとよくこんな大所帯のところにお嫁に来てくれたものだと思う。家賃は只だけれど、大勢の家族との人間関係をうまく保つには、大変なエネルギーと気配りが必要だったと思う。

結婚の翌年(昭和34年)には長女・貴子が誕生した。清宮貴子さんの結婚が世間の話題をさらっていたので、名をそのまま頂き「貴子」と命名した。気管支が弱く、ぜんそく気味だったので、市内より少しでも空気のよいところに転地療法をするため、門真市月出町に引っ越しした。

木造の文化住宅である。やっと親子三人の生活が始まったのだが、そのときの給与は13,000円、そのうち3,000円は株券の積み立てとして天引きされるので、10,000円で生活をしていかねばならない。

長い人生でこのときが一番厳しかったかもしれない。しかし、若さがそれを乗り越えさせてくれた。家賃、光熱費、主食費、副食費、交通費、雑費などの袋を作り、その中にお金を入れて管理していた。冠婚葬祭などで臨時の出費があるとたちまち赤字になる。

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引っ越し6回、快適生活求めマンションへ

昭和37年の門真市への引っ越しを手始めに、同40年には豊中市城山町の大阪府住宅公団の団地へ、48年には豊中市服部本町のマンションを購入、53年には母親と同居するために箕面市粟生外院に土地を求め、木造2階建ての家を建築した。

平成7年の阪神大震災では庭の灯篭が二つとも倒れ、この家もこれまでかと思うほど激しく揺れた。テレビが床に落ち、本棚が倒れて壊れてしまった。
幸いなことにモルタルの壁にヒビが入る程度の被害ですんだが、もう一度同クラスの地震に見舞われると、確実に倒壊するだろうと、木造での生活に恐怖感を持つようになった。病気のため、庭木の手入れがおっくうになった。築18年のため家の手入れも疎かにできない。

より快適な生活を求めて平成8年に再びマンションに移った。大阪府吹田市五月が丘南、どうやらここが終の棲家となりそうだ。
合計すると6箇所の違った土地に住んだことになる。転勤族ではもっと移転暦の多い人もいるだろうが、転勤無しでのこの数字。track

引っ越し貧乏というように、金と手間が掛るので、「もうこれが最後」と言いながら続けてきた。しかし、その土地、土地にはいろいろな風習もあり、家族構成も変わるので、一箇所に住み続けるよりも良かったのではないかと考えている。

現在のマンション生活は快適そのもの。鍵を掛けるだけで気軽に外出ができる。庭木の手入れも不要。断熱効果がよいので冬は暖かく、夏の冷房も良く効く。ワンフロアなので掃除が楽。
風呂も湯量と温度をセットしておくと自動的にストップするので、炊きすぎ、空だきの心配はない。木造に比べる耐震性にも優れているので、地震に対しても自信が持てる。

ただ一つの不満は収納スペースの少ないこと。引っ越しのときにそれを見越してタンス類を初めとして洋服、滅多に使わない器具や道具、百科事典、雛人形など思い切って廃棄した。

荷物を半分に減らしシンプルライフを目指したが、それでも収納しきれない。
それにしても人間はいろいろと不要な物を持っているものだと、自分で自分のことに驚いている。

物に囲まれての生活が豊かさのバロメーターといわれていたのは過去のこと、これからは「シンプル・イズ・ベスト」。家具や道具は本当に必要なものだけにしようと決心して引っ越しをしたのに、パソコン、それを乗せるラック、周辺機器が増えた。いろいろなアプリケーションを購入すると大げさな箱に入っているので、場所をとる。マニュアル、参考書などがまた生活空間を狭くしそうだ。


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