12FRP

12FRP

昭和49年〜平成2年(日装時代)

FRPの将来性に賭ける

FRP(Fiberglass Reinforced Plastics)つまりガラス繊維で強化したプラスチックのことである。原料である液状の不飽和ポリエステル樹脂に硬化剤を混ぜると、熱が発生してある時間が経過すると硬化するが、煎餅のように薄く伸ばしたものは、折り曲げるとポキリと折れてしまう脆い性質を持っている。

樹脂が硬化するまでにガラス繊維を張りつけると,お互いの欠点を補いながら長所を補完して強度が強くなる。ガラス繊維を一層だけ強化したものを1ブライといい、ブライを2、3と重ねていくとますます強いものとなる。といっても5ブライぐらいが限度と考えた方がよい。それ以上プライ数を増やしても重くなり、別の面でFRPの良さを損ねてしまう。

強度を求めるならガラス繊維の代わりに炭素繊維、ケプラーなどで補強する手もあるが、値段が高くなるのでガラス繊維を使うことが多い。

住宅機器、建材、自動車、ヨット、小型船舶、飛行機、水槽、浴槽、サーフボードfrpkinoko、POP用のカウンターディスプレーなどいろいろな用途に使われている。
木の目まで忠実に再現された木調パネル。本物と見間違うよな銅の渋い輝きと質感、大理石・花崗岩の重量感と表面感、昔の建造物には欠かせない石膏の装飾品など、原料と着色を工夫すればどんな物でも出来てしまう。

樹脂に石の粉や銅粉、その他の粉末、粒状の素材を混ぜ合わせて、より本物に近付けることも可能だ。
エージング処理をすれば、新しいものであっても、百年、二百年の風雪に耐えた感じも表現できる。ディズニーランドは昔のアメリカを忠実に再現しているが、FRPが無ければ出来なかったといってよいくらい多用されている。

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脱繊維をFRPファッション建材で

大阪の一流ホテルのロビーから見える大きい岩。瀧も流れている。こんな大きなものをどうして運び込んだのだろうと思われる人もいるが、実の所はFRP製の人造岩である。本物の岩から原型を取れば寸分も違わぬものができあがる。1ブロックは片手で持てるほど軽く、現場でつなぎ合わせると、どんなに大きなものでも作れる。

岩を手でたたいてみると「ポコポコ」と、樹脂特有の音がするので、人口岩だと判るが遠くから見ている限り、プロの庭師の目でも見破ることができない。

この特徴を生かした新しい建材を開発して、新事業に取り組もうと考えた。というのは本業の新聞が対象としている毛織メーカーは不況産業の代表的な業種で、英国、日本ともに業者の廃業、倒産、リストラが相次ぎ、メーカーの数が少なくなることによって、縮小均衡が保たれ生き残っているのが実状である。
生き残ったメーカーも従業員の数を半分にしたり、企業規模を縮小するなど必死の努力をしている。

毛織り業界というこれまでの基盤だけに頼っていると、将来の発展は望めないのはもちろん、現状維持すら難しくなってくる。新聞以外にもメーカーや関連業界の宣伝代行をする形で、見本帳、カタログ、ダイレクトメールなどの企画物の注文も受けているが、仕事のベースとなるのは毛織業界だということには変わりはない。不況風が吹くと川上、川中、川下も若干の時間差があるだけですべての段階で被害を受ける。

業種が違うとそうした弊害が避けられる。何とか違った分野での仕事を開発しなければ、・・・という思いが強くなってきた。東レ、帝人、ユニチカが必死で脱繊維をはかるのと同じことだ。

創業者精神を大切にし、創業事業も疎かにできないが、それだけに頼っているとジリ貧になってしまう。
「創業から三十年を経過すると、事業生命はなくなったと考えよ」。多くの評論家がこのようなことを口にしていた。
しかし、乏しい資金で他業種に進出するのは、「言うは易く、行い難し」である。

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社内の反対意見を押し切ってのスタート

FRPの存在を知ったのは昭和49年に英国毛製品輸出協会と日本繊維輸入組合の共催でウインドウディスプレーコンテストを開催したときのことである。その参加賞ともいうべきウインドウ用のPOPをFRPで制作した。

木や石などの表面感で毎回違った感覚のショーカードを作成した。その経験からFRPの用途の広さを知ることになった。制作を依頼したZ社の代表者から、建材の販売についての相談があった。
柱の原型をいくつか持っているので、これを利用した商品を世に出したいという申し入れである。

本業からあまりにも離れすぎ、これまでの経験、地盤、人脈が全然役に立たないため、躊躇していたが、アメリカのFRP業界の実状などを調査してみると、需要は年々増え、用途も広がっていることがわかった。

一方国内の状況を見てみると、FRPのメーカーは数え切れないほどあるが、いずれも1人あるいは4人までの零細企業が多く、デザイン感覚もなく、ひたすら下請け仕事をこなしているところが殆どである。カタログを発行して大々的に宣伝しているところが4社ぐらいしかない。
やり方によってはまだまだ割り込んでいく余地はありそうだ。

FRPに関する目論見書を書き上げ新規事業の提案をしところ、予想通り反対するものが多かった。「木材不況の時でもあり、始める時期が悪い」、「建材業界にはヤクザが多い」、「代金回収が難しい」等々が反対理由である。

ある評論家が全員賛成の企画案はやめた方よい。なぜならその案はすでに古くなっているからだ。多くの人が反対し、一部の人が心から賛成してくれる案は有望だと語っていたのを思い出した。

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ジャパンショップに出展、カタログ配布

昭和49年ごろより小物ではあるがFRPを手がけ約9年間も温めていたものだけに、万全の準備は出来ていた。昭和55年、ちょうど49才のときである。50の大台に乗ると、新規事業に取り組むだけの意欲が衰え、事業を推進するバイタリティも薄れてしまうのではないかという切迫感が心を支配していた。

普通の建材を売るのではない。ファッション性の優れた建材だけを販売していくのだ。ファッションと言う切り口は本業と同じだと、屁理屈に近いことで言いくるめ、「もしこの企画が失敗に終わったら責任をとって会社を辞める。」と、最後の切り札まで出して強引に企画案を通してしまった。

とりあえずカタログを作成することにした。
Z社は商品見本を作り、当社は撮影から印刷までを担当した。カタログの製作は当社の得意とするところで原価でできるのが強みだ。他社よりかなり有利な立場に立てる。frppony

商品名を「ニッソーアートデコレーション」とし、商標登録も申請した。会社の定款も変更した。カタログの制作はあまり問題はなかったが、これを効果的に配布するのが難しい。ましてこれまでの得意先が全然無いというゼロの状態からのスタートである。そこで建材業界最大の展示会に出展して来場者に可能な限り手渡すことにした。

日本経済新聞社主催のジャパンショップには、約10万人以上の来場者があるということだ。カタログを郵送する費用よりかなり安く上がるのも魅力だった。

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展示会開催中に注文第一号

昭和59年、東京の晴海・国際見本市会場で開催された第13回店舗総合見本市(ジャパンショップ)に参加することにした。当初は無駄な経費を極力省くため、東京への搬入もレンタカーを借りて、社員が交代で運転して、出品商品やカタログを運んだ。開場されるや否や入場者がどっと入ってきた。時間が経過してもその勢いは絶えない。

洋服関連業界でも色々な展示会が開催されているが、こんなに活気に溢れている催しを目の前にした事はない。「これは行けるぞ」という感触が得られた。

この展示会に出展する準備として、昭和58年にドイツのデュッセルドルフで開催された「ユーロショップ」にも行ってみた。ヨーロッパ最大の展示会という評判の催しだが、こんなに活気に溢れたものではなかった。

展示会でまだ東京にいるときに本社から注文の第一号が入ったという連絡を受けるなど幸先の良いスタートと切った。
商品についてはある程度の知識はあるが、建築、設計、店舗、装飾などの知識は全然持ち合わせていない。専門用語を使っての質問にはしろどもどろ。いま専門家が外出しているのでと、言い訳しながら、必要なら後ほど答えることにして、急場を凌いだ。

商品については概ね好評で、先発FRPメーカーがPRしてくれていたので、他社商品と対比しながら商品を評価してもらえたので、ライバルメーカーの商品内容、営業方針などを知ることが出来た。会場で聞いた意見は貴重なもので、後々の商品開発に大いに役立った。

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高齢の相談役に刺激を受けて

商売の経験も豊富な当社の相談役・瀧口武雄氏に、FRP事業への協力をお願いしたところ、70歳を過ぎている高齢にもかかわらず快諾していただき、商売の仕方を一から教わった。

業界の情況も商習慣、何も判らない素人集団の事業ながら、順調な滑り出しで、2年目には年商1億5千万円を達成した。初年度から黒字決算で社内の反対派からの突き上げも受けることがなかった。
FRP建材のよいところは軽くて、丈夫、水にも強く、いろいろな表面感を再現できることである。木の温もり、金属の輝き、石の重量感もお手のものだ。

造形性にも優れており、ギリシャ、ローマ時代の繊細な装飾を施した円柱、エンタシスもFRPなら再現が可能である。さらに、ほとんどが手作りで、道具は使うが機械はあまり使わない。そのため、大企業がこの分野に進出してくる恐れが少ない。
機械で出来るものは資本力を持った大企業が進出してきて、中小企業が苦労して育て上げたマーケットをそっくりさらってしまう悲劇を何回も見てきている。その轍だけは踏みたくなかった。

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売上げ伸びたが、生産面で問題

順調に売り上げが伸びてきたのは良いのだが、問題点も出てきた。
品質の低下と納期遅れである。Z社の能力をはるかに超える注文が入って、消化不良を起こしてしまったのである。

そこでM社に協力を依頼することにした。あるパチンコ屋さんから注文を貰った大型のレリーフが納期に間に合いそうにない。開店に間に合わないと損害賠償を請求される恐れも出てくる。急遽、M社に制作を依頼することにした。急ぎの飛び込み仕事を快く受けてくれたM社の作ったレリーフを見て驚いた。Z社より技術水準がずっと高かった。

これまで少々出来上がりに不満があっても、手作りのFRPとはこんなものだと信じていたが、上には上があることが良く分かった。Z社が出来ないとしていたハウジング会社の柱を、M社ではこともなげに製品化してしまった。

K社にも作品を作ってもらった。一匹狼的な存在だが確かな腕を持っていた。
当然の結果としてZ社への発注量は減少する。M,K両社への傾斜が強くなった。自分のブランドで売っている以上その品質が他社に劣っていることが分かると、生産拠点を変えるのは当然の行動である。もちろん、それまでにはZ社に品質向上に努力するように何回も申し入れてきた。

FRPは手作り商品だけに、製作者の技術水準がモロに品質に響いてくる。腕の良い職人さんにやらせても、慌てさせるとこれまた品質低下の原因となる。
「ニッソーアートデコレーション」の名で販売している以上、信用維持のためにも品質向上にたゆまぬ努力をしなければならない。

Z社のO氏はこの事業を始める10年も前からの付き合いであり、発足の当初には共に苦労を分かち合ってきたので、何とか品質向上を計れないか、納期を遅れないように出来ないか、何回も話し合いもし、書面でも申し入れをしたが、なんだかんだと理屈を付けて改善されなかった。

新しくFRP担当となったS君がまじめな性質の男で、品質向上に力を入れないZ社のやり方に対し腹立たしく思っていた。

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ついに裁判沙汰、結果は勝訴

柱の原形は自分で作ったオリジナルデザインで、それと同一の商品を販売するのは不正競争防止法違反だと、商品の差し止めと以後のカタログへの掲載を中止するようZ社のM氏が訴えてきた。何回かの審理の後、これは不正競争防止法違反ではない、つまり、こちらの言い分が正しいとの判断が示された。
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やれやれと一息入れているところに、今度は民法による不法行為に当たるとして損害賠償と商品の差し止めを求める訴訟を起こしてきた。

関西大学の一年先輩の弁護士に裁判は任せたが、10回ほど法廷に出て成り行きを傍聴した。証人として出廷、宣誓をして事実関係を語らされたこともある。

裁判の前日、日程順にこれまでのいきさつを判り易く整理したメモを持って証人台に立ったが、裁判長からメモは見ないで、裁判長の方を向いてしゃべるようにと、事前に注意があったので、苦労して作ったメモは役に立たなかった。

こちらの弁護士は気心も知れているし、答え易いように質問をしてくれるが、相手側の弁護士は誘導尋問に近い形の質問で何とか有利な言質をとろうとするので、これに引っかからないようにしなければならなかった。

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量産目的の原型には著作権なし

先方の主張は自分がデザインをして造った原型を使って制作した柱は、オリジナル商品であり、これと同じデザインの商品を売ることは、民法で言う不法行為に当たり、それによって受けた損害を賠償せよ、と、いうものである。

自分が考えたデザインというが、類似のデザインはギリシャ、ローマの時代から今日まで、世界中にいくらでもある、そんな物に著作権を認めていると、建築業界は何も出来なくなってしまう。しかも当社の社名を冠した商品として、カタログに掲載して、何万部もすでに配布し、広く知られているので、その商品はどこで造って販売しても何ら不法行為に当たらない、というのがこちらの言い分である。

1点もののFRP製品で芸術性の高いものなら、著作権の存在が認められる場合があるかもしれないが、量産を目標につくられた原型には著作権はないという、簡単なことを知らないでの訴えだから、勝訴を信じていたが、なんだかんだと理屈を捏ね回すので、要らない時間とお金がかかった。

こちらの言い分が100パーセント認められ、全面勝訴になった。
ちょっとした争いでも裁判で決着を付けるアメリカでは裁判中は必死になって争うが、終わってしまうと以前と変わらない付き合いが続くという。

日本では一度裁判すると一生の敵になり、顔を見るのも、声を聞くのもイヤということになる。こんなことで長年の友を失うのは残念なことである。どうも、お互いにアメリカ人のようにアッケラカンとしていられないようだ。

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