「儲かる話し」はしゃべれない |
|
新聞記者は結構な商売で、名刺が一枚あれば、どこへでも入っていけるし、経営者や会社の役員と話もできる。長年この職業についていると、業界の将来に対する見通しもつけられる。いろいろな統計や資料も集まってくるので、余程のバカでない限りゼミナールの講師ぐらいは勤められるようになる。 |
注文服、昭和45年から苦難の道に |
|
私にできることは「このようにして儲けた店があります。と、実例を示すことです。しかしここにおられる数十名の方がこの通りのことをしても必ず儲かるとは期待できません。だから、できるだけ多くの実例を示しますので、これなら自分の店で実行すればうまくいくと、自信のあるものだけを実行に移してください。」と、断りを入れるようにしている。 |
第2の機能が売れる時代に |
|
昭和45年ぐらいから経営に関するゼミナールや講演会が多く開かれるようになったのも注文服のシェアが小さくなり、競争が激しくなったからだと思われる。 |
次々にかかる「お座敷」の声 |
|
テーラーもなかなか難しい仕事である。まず、裁断、裁縫などの技術を持っているか、あるいは自分で服は縫わないが腕の枯れた職人さんを雇っているなら、良い服を見定める目を持っていなければならない。 |
新事業開始、「講師稼業」に幕 |
|
幸い私は下戸でお酒の場で飲み過ぎる心配はないが、酒の好きな人にはこたえられないだろう。しかし、いつまでも続けるのは良くないと思いながらも、日本洋装新聞の宣伝になればなればと思い、できるだけ暇を作って、全国各地に足を運んだ。 |