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昭和49年〜61年(日装時代)

英国製高級紳士服地の上得意は日本

英国毛製品の最大の輸出先は日本である。特に高級紳士服地は、大半は日本向けとなっている。世界に冠たる高級品愛好民族といっても言い過ぎではない。

「舶来上等」という考え方が少し前まであった。いや、今でも少しは残っているかも知れない。紳士服地の場合、舶来といえば英国製と決まっており、戦前戦後を通じて英国製の紳士服地は高い評価を受けてきた。

英国は伝統を大切にする国で、羊毛を織り糸にする紡績の機械を例にとっても、他の国ではとっくに廃棄してしまったキャップ紡績機をよく手入れをしながら後生大事に使っている。百年以上も使ってきた機械が今でも現役で働いているのには驚きだ。

日本を始め世界の国で効率の良いリング紡績機に入れ替えている。スピード時代に逆行するような機械が最高級の毛織物を生産する秘密兵器になっているから面白い。キャッブで引いた糸は芯がしっかりしており、その周りに柔らかい毛が出ているような状態になっている。

製品になったとき、業界の専門用語で「ぬめり」と呼んでいるが、何となく柔らかな手触りが味わえるのは、この糸の特性によるところが多い。

品質の点では世界のどの国にも引けを取らない英国毛織物だが、泣き所はファッション性である。格調の高いシックな服地を得意とする英国の弱点をついてイタリア製品がファッションセンスの良さを売り物に進出してきた。

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イタリア品の進出に危機感抱く

イギリスは謹厳実直。イタリアはアモーレ(愛して)、カンタレー(歌って)、マンジャレー(食べよう)と、楽しく生きることを信条としている。国民性も違えば生活環境も違う。イタリアにはローマ時代からの文化遺産が至る所にあり、子供の頃からそれらを見て育ち、感覚が磨かれてきた。

暗く、寒い冬のシーズンが長い英国に対して、イタリアは南北に長く、一概にいうのは難しいが、平均すると明るい風光明媚な国といえよう。
ミラノから電車で30分ほど行ったところにコモ湖がある。水面に木々の緑が映り込み、いくら見ていても飽きない「絵に描きたくなる」ようなところである。この近くで生産されているネクタイやスカーフにする絹のプリント地、それにカジュアルな感覚のニットウェアなどではセンスの良さには定評がある。

パリコレが夢と芸術性の高さを誇れば、 ミラノはファッション性の高さを求めながら実用性を重視したデザインで勝負をする。世界に名の知れたデザイナーも数多く輩出している。展示会でも規模はそれほど大きくないがフィレンッエ(フローレンス)で開かれるビッティウオモは、センスの良さで世界の紳士服業界から注目されている。
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格調と、品質の高さだけで売れていた紳士服地にもファッション性が求められるようになってから、イタリアの紳士服地はジリジリと、英国のシェアを浸食し始めた。

イタリアの北部、すぐ後ろに迫るアルプス、それを越えるとスイスと国名が変わる。こういうロケーションにビエラという町がある。日本に輸出されるのは主としてこの地域で生産されたものだ。

危機感を抱いた英国が世界最大のマーケットである日本で巻き返しのキャンペーンを行うことになった。英国毛製品輸出協会と日本繊維輸入組合がそれぞれ年間500万円を出し合って、共同で消費者に英国服地の良さを再認識してもらおうというのだ。

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3年温めた企画「ディスプレーコンテスト」

企画コンペというほどのものではないが、日本繊維輸入組合の紳士服地委員会宛に販促企画案を提出することになった。第1回のキャンペーンは大手の電通が担当することになった。

田英夫をモデルにしてコマーシャル・フィルムを作り、テレビでスポット広告を流そうというものだが、予算に限りがあり、露出回数が少なかったため、放映期間中にCMを一度も見なかった委員もいたくらいで、あえなくこの企画は一年でおわってしまった。

次の年に担当したのが国際PRという会社で、実施した内容をはっきり記憶していないが、シャルマンというお洒落雑誌を発行して、アンケートに答えた人に抽選で紳士服地をプレゼントするという企画であった。当選した人は寿司屋さんの店員さんだった。
アンケート回答者も高級紳士服地の需要層とは大きなずれがあったため、その年だけの企画になってしまった。

昭和49年にやっと日装の出番がやってきた。これまでに実施された二つの企画が思うような成果を上げられなかったのは、限られた予算にもかかわらず、直接消費者に呼びかけたからだと思う。高層ビルの屋上から如雨露で水を撒いているようなもので、途中で霧のようになり、歩道を歩いている消費者にはかかっても気付かない程度であった。

そこで英国服地の消費者との接点になっているテーラーを動かすことによって、販売促進の実をあげる企画として、英国服地ディスプレーコンテストを提案した。
秋冬商戦が始まる直前の八月に英国製の服地をウインドウにディスプレーしてそのテクニック、センスを競ってもらおうというものだ。

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英国服地のディスプレーを競う

かって全日本洋服組合連合会が紳士服技術コンクールを開催したとき、出品作品は出品者自身か、店の従業員が縫わなくてはならないという決まりがあるのに、審査員に縫ってもらったり、他店の技術者の力を借りるなどの違反行為が問題となった。

しかし、このコンテストは全面的に規制を緩和、商売人のコンテストらしく、いくらお金を使ってもOK、プロのアドバイスを受けるのは、もちろん、プロがディスプレーしたものでもいっこうに構わない。もちろん撮影用の小物は何を使ってもよい。

ディスプレーが完成すると写真に撮影して、キャビネ以上、四つ切りまでの大きさの印画紙に焼き付けものを日本繊維輸入組合に送れば応募は完了となる。審査員が実際に店舗を訪ね優劣を決めるのが理想だが、全国の何百店のテーラーを回ることは不可能だ。次善の策として写真による審査になった。
入賞するようなところはほとんどが四つ切りに伸ばした写真を送ってきた。

このコンテストの狙いはテーラーのウインドに英国服地を上手にディスプレーする事により、販売時点で顧客の関心を引き、購買につなげることにあった。スタジオでの写真撮影は失格とした。また、8月の後半以降、つまり洋服店にとっては一番大切な秋冬物商戦の直前に、自店のウインドウでディスプレーしてもらうのが主催者側の狙いである。
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その年のディスプレーであることを証明するために参加者には事前にウインドウ装飾用の英国服地の良さをアピールするPOPショーカードを送付しておいた。必ずこれを写真の中に写し込むことを応募条件にした。どんなに良くできたディスプレーもショーカードが写っていなければ失格となる。

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審査員に岡本太郎氏、秋山庄太郎氏

ディスプレーコンテストの審査員は岡本太郎(彫刻家)、秋山庄太郎(写真家)、石井好子(シャンソン歌手)、大鷹淑子(山口淑子・国会議員)、地主金次郎(店舗設計家)の各氏である。

全国から300店あまりの参加があり、大変な激戦となった。
優秀な作品10点にはゴールド賞の賞状と賞金20万円、ついで優れたディスプレーをした店10店にはシルバー賞の賞状と賞金10万円が贈られることになっていた。

上位入賞作品は撮影そのものにも、撮影小物にもお金をかけているようで、総費用は入賞の賞金を遙かに上まわっているものと思われるが、金銭的な損得勘定より入賞の名誉をかけてのコンテストとなった。

賞状授与式は東京の帝国ホテルか、ニューオオタニで、駐日英国大使、英国毛製品輸出協会、日本繊維輸入組合の役員、審査員が参列して行われた。コンテストの入賞はテーラーにとっては格好の宣伝材料になる。地方紙で大きな記事として取り上げられ、知名度を上げた店もある。

この企画の予算は賞金も入れて約2000万円、日英併せて年間1000万円の予算で実施するために、隔年開催とされた。昭和49年に開催された第1回の英国服ディスプレーコンテストは大成功裡に終わった。以後6回、12年間にわたって続けられ、テーラー業界の名物催事の一つになった。

また、このキャンペーンが実施されたため、テーラーの一番の弱点といわれていたウインドウ・ディスプレーの技術が飛躍的に向上するという無形財産を残してくれた。

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