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昭和47年〜平成2年(日装時代)

「書く」よりも「売る」が難しい

この世に生まれたからには本の3冊ぐらいは書きたいものだと、かねてより思っていた。
なぜ3冊なのか根拠はない。ただ何となくそう思っていただけである。しかし、本来の貧乏性のためか、仕事、仕事でなかなか本を書く暇を見つけることができない。

それに原稿を書いても本にするには、印刷代も相当かかる。
本が売れれば良いが、出版ラッシュの中で売れる本を作るのは、並の努力と才能ではできない。
書籍の配給会社にコネがないと書店に並べてもらうことすらできない。

文章を書くのが好きで、まとめた原稿を持ってきて、これを本にして市販できないだろうかという相談が時々ある。書いた本人は絶対的な自信を持っているので、長い時間を掛けて原稿用紙を埋め、意気揚々として来られるのだが、あまりにも熱心にpenpaperいわれるのにほだされて、何種類かの本を配給会社から書店へ流してもらったことはあるが、ほとんどは失敗の巻である。自分の書いた本でも同じ過ちを犯すことは、容易に理解できた。

関係の深い人がお付き合いのつもりで買ってくれる程度で、何ヶ月か後に返本の山を見て「こんなはずではなかった」と、涙を流すことになる。
こんな出版界の事情が良く分かっていたので、自分で本の出版することはあきらめ、会社に関連の深い本を作るように方向を転換した。これなら会社に幾ばくかの収益をもたらしながら、自分の思いも達せられる。
一石二鳥とはこのようなことをいうのだろう。

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「薬に頼らない健康法」

−−病気を克服する食べ物考−−

堀田初代社長は自分の肝臓病に効果があるということで、カルシウムイオン水製造機「シンノオル」を東京で見つけてきた。肝臓以外にもアレルギー、心臓、腎臓、喘息、痛風、糖尿などの慢性病、今でいう「生活習慣病」に著効があるいうふれこみだ。

簡単に説明すると、水を電気分解してできたアルカリの水を内服用に使い、酸性液は外用として用いる。その水を作る機械である。一時大手の電機会社が手掛けるほどのブームを呼んだが、シンノオルはその元祖的な存在であった。

会社に一台置いておき、水を作りこれを飲むようにしょう。ここまでは良いのだが、社員の家庭にも一台ずつ置くように、と、強制販売である。代金は毎月の給与から差し引くとのことだ。

テーラー業界は他業種に比べて高齢者が多い。若手の参入が少ない注文洋服業界では、テーラー皆さんに長生きしてもらわなければ、我が社の将来はない。シンノオルを我々の手でもっと普及するように努力して、日本洋装新聞の読者が減らないようにしたい・・・と、いい出した。

よほどこの機械の性能に感心したのか、惚れ込んでしまった感じである。
1台36,000円也。昭和43年のことだから、安い買い物ではない。
初めのうちは「水で病気が治ったら医者はいらない」と効果を信じなかったが、いろいろ調べているうちに,これは本物だということが分かった。

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水を電気分解しカルシウムイオン水を作る

縦、横、高さとも約30センチほどの水槽に水と素焼きの筒を入れる、素焼き筒の中にも半分くらい水を入れる。
水槽に被せる電極は炭素を棒状(円柱)にしたもので、回りに4本あるのは陽極、真ん中、つまり素焼き筒の中に入る1本の電極が陰極となっている。これに直流電流を流すと、回りの四本の陽極から、真ん中の陰極に向かって流れる。

素焼き筒の極小の穴を通って水も筒の中に入ってくるが、素焼きはカチオンつまりプラスイオンしか通さない。素焼き筒を焼くときの炭素の量を調整して、カルシウムイオンが通りやすいような穴の大きさにしてある。

素焼き筒の中にできるアルカリ性液を飲むと、細胞が活性化され、自然治癒力が増し、病気が良くなるのだ。

素焼き筒の外側に出来る酸性液は主として外用として使用する。アストリンゼンとし使えるし、あるいは火傷の治療にも効果がある。社会奉仕の精神でこの機械を業界に普及させようというのなら、
水、身体、病気の知識をもっと増やさなければならない。

製造元のシンノオル電機の主催で、毎年一回、お医者さんが講師になって研究会が開かれていた。横浜日赤、慈恵医大、開業医などが、シンノオル液を使った臨床例を発表し、質疑応答が行われる。ここでいろいろな知識を得た。
自信もついた。

カルシウム・イオン水製造機シンノオルを松本佐智子氏を中心に、本格的に取り扱うようになったのは昭和44年のことである。瞬くうちに2,000台を販売して、製造元を驚かせた。

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医学研究会の資料をもとにして

−−薬に頼らない健康法−−

回を重ねてきた研究会、購入者からの声などの資料がたくさん揃ったので、一冊の本にまとめてはという話がでてきた。研究会の講師を務めたお医者さんが原稿をまとめるようになっていたが、時間が取れずそのままになっていた。

そこで日装が編集、出版を引き受けることになった。水の特性を調べてみると、これが面白い。水はほとんどのものを溶かす最も優れた溶剤であることも判った。解けにくいガラス、金でも僅かではあるが溶かすことができる。
栄養をカラダに運ぶにも、いらないものを身体から排出するのも、水に溶けた状態でなければできない。

身体の65パーセントは水分であるため水は健康を大きく左右する。
私が中心となってまとめた本『薬に頼らない健康法』の内容を簡単に紹介すると、

1、「水」この不思議なもの

120メートルの高さによじ登る水、重い水・軽い水、汚れる水、水にも硬派と軟派、生命は水から発生。

2、「健康」この大切なもの

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満員の病院、ストレス・薬が病気をつくる、増える内因性疾患。

3、健康のための食べ物考

過食・美食・偏食が現代病の元凶、大切な酸・アルカリのバランス。

4、酸性体質からの脱出

自然治癒力の見直し、健康の決め手カルシウムイオン、内部エネルギーの強い水、カルシウムイオン水の作り方。

昭和47年6月1日に第1版を出した後、版を重ね約5万部を数える隠れたベストセラーになった。

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明日をつかむのはあなただ

−−新時代のテーラー像−−

日装が日本洋装新聞を発刊して20年、紙齢1,000号を記念して、昭和52年
10月10日に発刊されたのが、
「明日をつかむのはあなただ−−新時代のテーラー像−−」
注文洋服業界はこの本を発刊するまでは、景気の好・不況にはあまり影響を受けない業種とされていた。

ところが石油ショックに続く不況は消費者の心の中まで変えてしまう新型の不況だった。あらゆる物に対する価値観が変わり、商品に付けられた価格に対する反応が厳しくなった。

注文服は手作りのため人件費が上がると仕立て代も高くなり、一般サラリーマンでは手の届かない存在となりつつあったが、これまで値段を聞かずに、テーラーにお任せで洋服を誂えていた上得意さんまでが、値段にこだわるようになってきた。

洋服の売り上げが大幅にダウンした。
しかも、これまでの景気循環型の不況とは違い構造変化による売り上げの減少だけに、その打開に頭を悩ます店が多かった。
発行のタイミングが良かったのだろう。「明日をつかむのはあなただ−−新時代のテーラー像−−」は大変な人気を博した。

業界内の出版物としては珍しく翌年再版することになった。毛織物の本場・愛知県一宮市の「長大」が本の趣旨を理解して協力してくれたので、より一層の部数が消化できたのである。
本は6章で構成されている。

1章、消費者は本当にテーラーを見離したのか

値上げが客離れを招く、価格に対する反応が厳しくなった、一人よがりの技術が落とし穴、変わってきた「背広」の価値観。

2章、サイフのひもをゆるめるための戦略

注文洋服は欲しがられている、ファッションは利益の源泉、「洋服」は売れない「幸服」が売れる、口コミの利用、利は「先」にあり。

3章、さまざまな洋服の売り方

百貨店オーダー、イージーオーダー、システムオーダー、プレタポルテ、ブティック、レディメード。

4章、新しい時代の新しいテーラー像

跡継ぎか・二代目創業か、先取り商法で勝ち残り、常識は邪魔・まかり通る逆手商法。

5章、現代に生きるテーラーの心理

団体行動での創意、団結して闘う。

6章、売るための具体的なアイデア

30軒回れば1着受注、店の掃除で販売増進、「洋服の病院」も繁盛、趣味のつながりで客をキャッチ、技術者を株主に、共同の力を利用。

理論だけではなく実際に同業者が行って成功した販売促進策を公開したのが、この本の人気を高めた理由である。あの店が成功したのなら、自分の店でもできないことはない。身近に感じる実現可能な成功例を数多く紹介しておいた。

経営戦略には特許がないので、いくら真似をしても、一向に構わない。よその店での成功例、失敗例を共有することが、お客さんの購買心を引き出す企画の源泉になる。
そんなヒントがこの本に多数掲載されている。

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消費者の心をつかむ100のアイデア

−新時代のテーラー経営法−

先に出版した「明日をつかむのはあなただ」−−新時代のテーラー像−−が好評だったので、2匹目の泥鰌を狙ったわけてはないが、翌年の昭和53年7月20日に「消費者の心をつかむ100のアイデア」−−新時代のテーラー経営法−−を発刊した。

この本についてはミリオンテックスで知られる大同毛織(現・タイドーリミテッド)に協力してもらった。
「物離れ」、「節約志向」、「選別買い」などの傾向が強まり、通り一遍の品物、普通の売り方では見向きもされなくなってきた。それまでのテーラーは技術に習熟して「仕立ての良い服」に専念しておれば、お客さんもそれなりの評価と信頼を寄せてくれた。

しかし、お客さんの洋服箪笥は洋服で満杯となり、嗜好は多様化、テーラー以上にファッション感覚を身につけた顧客から、テーラーのセンスを疑われかねないと、洋服販売にとって最悪の状態になってきた。

旧態然とした縫製、十年一日の商法しかとれない業者は、時代の波に乗り遅れて廃業に追い込まれることになる。
その反面、消費者の心を巧みにキャッチした服作り、独特の営業方針を打ち出して成功、繁栄しているテーラーも数多くある。

積極経営で成功したテーラーの販売促進策を調査し、これに消費者心理と購買習慣などの解説を加えて、実例を100項目にわたって紹介したのがこの本である。
100項のうちの幾つかをかき出してみると、

1章、厳しくなった「価格意識」

仕立てランクを客に選ばせる、売値を抑えて抵抗感をのぞく、値引きはパーセントより金額で、消費者の「心理サイフ」を狙う。

2章、ファッション化は繁栄への道

脱皮の楽しさを売る、新素材で個性の引き出し役に、物足りなさ・飽きをくすぐる、節度のあるコーディネート作戦で。

3章、モノ、ココロ、アタマでサービス

修理のときはすばやく訪問、礼服には着こなしのマナーを添えて、客を感激させた芯地の「祈健康」、「いらっしゃいませ」は「赤」の声で。

四章、声なくしてあなたの存在はわからない

肉筆のDMに自作の和歌を添え、大き目の記念切手で注目度向上、DMより安上がりの電話作戦、不況こそ効力抜群の口コミ。

5章、注目されるファッション表現のための技術

ワンポイント技術を売る、輸入プレタポルテの良さも取り入れ、どんなデザインの服も安く仕立てます、保存型紙にこまめな訂正を加えて、仮縫い回数を増やして不安感をのぞく。

6章、消費者に受けるシステムオーダーとは

電気カンナで仕上げた「本建築」と訴え、「安物扱い」が失敗の原因、人間臭い親密感を売り物に。

7章、洋服より店の姿勢が売れる

「長生きする洋服」はいかが、生地を豆腐のように大切に扱う、職場のいやがる仕事で繁盛、クレームは立派な消費者情報、「社会に役立つ」経営哲学が最後の決め手。

この本は全日本洋服組合連合会が、毎年行っているビスポークライン発表会bookshelfに来場したテーラーに配布されたので、多くのテーラーに読まれ、これにヒントを得て売れ行き不振にストップを掛けた店、サービスの仕方を変更してお客さんに喜んでもらった店などから感謝の手紙や電話をいただいた。

100項のうち一つでも二つでも役に立つものがあれば本の使命は果たされたことになる。

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男 の 「 幸 服 」

 −−いい服はビジネスを成功させる−−

『男の「幸服」』。タイトルが間違っているのではないか。疑問をもたれるのは当然である。
「幸福」がなぜ『幸服』に入れ替わったのか、それがこの本を出版した理由でもある。

男の幸福とは何か、金であろうか、地位であろうか、名誉なのか、健康か、いずれも一つの要件になるかも知れないが、絶対的なものではない、

ニーチェは、「幸福とは人として生まれてきたことの楽しさ、生き甲斐を求めることだ」と、説いている。
人間と動物の違うところは、思想を持っていること、衣服を着ること、それぞれが仕事という役割を持っていることだといわれている。洋服は着る人の思想の表現ともいる。

洋服はその人の第一印象を決定し、仕事を成功させることにも少なからぬ役割を果たす。
平社員から、係長になり、課長へ、さらに上の部長、あわよくば取締役に、という絵に描いたような「出世論」は最近はやらなくなっているようだが、現在取り組んでいる仕事を成功させたいという気持ちは誰もが持っているはずだ。

アメリカでもジョン・T・モロイという人が、「成功のための服装学」という本を書き、100万冊以上売り、著者本人はもちろん世間の人も、こんなに服装に関心を持っている人がいたのか、と、驚かされたという。

仕事の成功は男にとって何よりも幸福感に浸れる瞬間である。いい服を着ていれば第一印象が良くなる、仕事がうまくいく、心が充実する、マナーが良くなる、姿勢が良くなる、健康になる・・・・「幸福」は『幸服』によってもたされる。

この本は二つのブロックで構成されている。前半は紳士服、つまり、男の「幸服」についていろいろな情報や知識で埋められている。後半は『幸服』を作る店というタイトルでインターナショナルテーラーズクラブ(ITC)加盟のメンバー店を全店、北から南への順で紹介している。
内容の概要を紹介すると、

1、「幸服」という洋服

人間はなぜ服を着る、第一印象を決める、人相・手相・さらに「服相」、礼服は相手のために着る,昔のスポーツ着が今の礼服、礼服五着出世論。

2、「幸服」のことば辞典

背広はサビルローからきた、ズボンと履くからズボン、チョッキは「直着」、「幸服」の穴いろいろ。

3、「幸服」の素材

ウールの王様タスマニア、珍獣・珍鳥すべて服地に、国産と英国品の違い、色柄のセンスで売るイタリア品、知名度売れるクチュール・ブランド。

4、「幸服」のお手入れ

洋服はアイロンを待っている、ドライクリーニングは良い店へ,洋服は湿気が大嫌い、ブラッシは洋服への気配り。

5、「幸服」を造るあの店、この店

東京・銀座の英國屋、大阪の松崎に代表される地域一番店の経営理念、販売政策、顧客管理、創業者精神、などを紹介している。

幾つかの店を例に取ると、
技術・経営で地域一番店(旭川)・・・ともえや
「世の中のもの、すべては神のもの」・・・テーラーカンノ(福島)
世界に例のない注文服チェーン・・・英國屋(東京)
生活提案を掲げる老舗・・・テーラー辻源(静岡)
「知性と品格」をテーマに・・・テーラー神谷(名古屋)
科学的な数値で洋服造り・・・イマヅ(岐阜)
新素材利用のヒット商法・・・ゴソー(富山)
洋服が趣味の客に支えられて・・・大西洋服店(金沢)
香林坊を代表する老舗・・・平井洋服店(金沢)
創業者の名を四代まで継ぎ・・・有本(京都)
名実ともに大阪一誇り・・・松崎(大阪)
人格を語る一級品の仕立て・・・柴田音吉洋服店(神戸)
常に前向き一歩先んじて・・・大松(姫路)
讃岐の家倒れを着倒れに・・・ヨシハラ(高松)
正札販売を貫き通す・・・テーラーゴトウ(福岡)
四代続く熊本の老舗・・・泉洋服店(熊本)
店は一流、値段は二流・・・トミヤマ(宮崎)booktana

大枚100万円を払い朝日新聞の全国版1面に広告を掲載した。3段6分の1の大きさでこの値段である。本の広告は一般商品より、広告料は安く設定されているが、個々の店では払いきれない金額である。団体の力と本という公共性のある媒体を利用してのPR作戦である。

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五十のポケット

英國屋創業50周年社史

東京・銀座に本社おく英國屋が平成2年4月に創業50周年を迎えるにあたって、社史を作ることになった。日装で引き受けてくれないかという話が持ち上がってきた。

同社の会長・小林新三郎氏(創業者)は、当初、50年の歩みを振り返って、英國屋の歴史を書き残そうという企画には、あまり乗り気ではなかった。過去を振り返るより、夢多き未来の可能性を求めて、チャレンジする生き方に限りない情熱を持っていたからだ。

熱心に奨めたのは若手の幹部社員だった。昭和62年6月に発足した業務革新委員会の社史編纂小委員会のメンバーは「今後ままます競争が苛烈になる。そうしたとき、創業社精神が薄れる企業は、一丸となって経営を推進する基礎が危うくなる、問題点にぶつかったとき、過去にはどのような対応をしてきたかという具体例が役に立つ」と熱心に会長を説得した。
若い人がそこまで情熱を持ってくれているならと、ゴーサインを出したものである。

条件は「餅は餅屋で」で進めるようにだった。
英國屋にはいろいろな広告代理店や印刷屋さんが出入りしていたが、業界事情に通暁した日装にやってもらうように内示があったという。我が社にとってはまことに有り難くもあり、名誉なことでもあった。

昭和63年5月の役員会で承認を得て編纂作業に着手することになった。
完成までの期間は1年半。そのうち1年間は月に1回上京して、取材、打ち合わせをした。
一般に社史といえば時系列的に出来事を並べた無機質なものが多いが、ファッション産業の一端を担う英國屋には、もう少しひねった企画の方がふさわしいだろうと、事実にもとづき50の項目に分け、どの項目にも経営のヒントを含ませるようにした。50という項目数は総業50周年にかけたもである。

洋服店らしく「50のポケット」というタイトルにした。たとえばお客さまにクレームを付けられた場合、どのように解決して良いのか、その方策が見いだせないときに、どこかbookのポケットを開いてみれば、何らかのヒントが与えられる。

昔とは時代が違うが人間の基本的な心理というものは、何年経っても変わらないものだ。時代に合わせた対応策は与えられたものをヒントにして思考を巡らせると自ずから浮かび上がってくるものだ。

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50のエピソードと資料で構成

まず、退職された年輩の元役員、幹部社員の自宅を訪ね、記憶をたどりながら昔話を語ったもらった。もちろん会長の小林新三郎氏、子息で社長の明氏、各部の責任者など、多くの人の話を聞かせてもらった。

一言一句を逃さずテープに録音、社に持ち帰り、熟練した速記者の手で忠実に文書化してもらった。あらかじめ作成してもらっていた年表と引き合わせるのだが、何十年か前の話である。脳の最深部から引き出して話をしてもらう事柄だけに、
1、2年のずれは絶えずあり、後で調べると5年もずれていたということもあった。

株式会社英國屋創業50年社史「50のポケット」は4つの章と資料編で構成されている。

1章「揺籃」
では、創業者・小林新三郎氏の生い立ち、羅紗店、洋服店での終業時代から独立準備までの生き様と考え方が中心となっている。

2章「創造」では、英國屋の前身小林洋服店の創業、結婚、戦後のなんでも屋から帽子屋を経て、英國屋1号店のオープン、火事による店舗の消失、それが店の宣伝になったこと、銀座だけで3店舗を持ち、まわりの人を驚かせたことなど出店にまつわるエピソードが中心になっている。

また、社訓、人づくり、技術者の養成など、社内体制の充実に力を注いだことが読みとれる。ちなみに銀座の商店で大学卒を採用したのは、英國屋が一番早かった。商売面では昭和33年に東京會舘で開いた食事付きの展示会と山本海苔店にヒントを得た洋服をギフトにつかってもらう企画はともに大ヒットしたことが述べられている。

3章「商魂」
では、銀座を固めて新宿に進出、多店化のきっかけを作ったこと、攻めの営業政策をとるため、外商部隊の設置、洋品の取り扱いを開始するなど前向きの姿勢が目立つ。商工分離を計るために、縫製工場を独立させる一方で、直営工場では縫製を合理化、安い注文服の普及に力を注ぐ。クレーム防止と信用維持のためクレームの付いた服は作り替えるという英國屋独特のシステムが紹介されている。

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世界総会の東京開催にも尽力

これは英國屋とは直接関係はないが、昭和39年8月に東京で国際注文洋服業者連盟(FIMT)の総会が開かれた。世界各国から140名のテーラーが集まった。

日本で初めて開かれたこの世界総会を成功させるため、同38年に英國屋社長
(当時)小林新三郎氏の経営手腕に期待を寄せ、全日本洋服組合連合会会長に選出している。総会開催にはかなりの資金が必要だ、小林氏は資金集めにも、会議の運営にも誰もが感心する能力を発揮、すべての行事が終わった後でもお金があまり、連合会の事務局用として湯島に土地と建物を購入した。

本業以外の名誉職は2年で辞退するのが小林流と、惜しまれながら同40年全服連理事長を辞任した。小林氏の経営能力を証明するエピソードである。

4章「信念」
では、京都に続いて大阪、そして地方への出店と、英國屋が世界でも例のない注文洋服店の本格的なチェーンを形成していく過程が分かる。

コンピュータの導入、多くの人に注文服を着てもらうため、価格を低く抑えた洋服の販売を目指して丸の内テーラー設立、創業者・小林新三郎氏が会長職に退き、社長に明氏が就任するなど、社の内外で若返りが図られる。

最後の50項は英國屋の念願だった年商100億円達成で締めくくられている。
資料編には、会社概要、売り上げ、従業員数、資本金の推移グラフ、仕立て代の推移、組織図、経営信条と社訓、研修体系、主な輸入紳士服地ブランド、洋服のマナー、フォーマルスタイル集、英國屋年表、「英國屋」ゆかりの銀座、役員任期一覧などが収録されている。

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