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(その1)

昭和47年〜平成2年(日装時代)

アジアが先か、ヨーロッパが先か

アジアを先に見てヨーロッパへ行くか、ヨーロッパが先でアジアが後の方が良いか議論の分かれるところだ。

私の海外出張は、アジアが先でヨーロッパが後になったが、この順番の方が良かったと思っている。
まだ、貧しさの残っているアジアを見て、日本に生まれた有り難さを知り、ヨーロッパの爛熟した文化に触れて、日本の足りなさを痛感する。海外に出て一番の収穫は、日本あるいは日本人を客観的に観察できることだ。

なぜか昭和47年はアジアへの海外旅行の年になった。まず、1月に在阪有力テーラーの仕入れ組織「千なり会」の香港、マカオ、台湾の旅に同行取材することになった。
香港、マカオでは貧富の落差の大きさをまざまざ見せつけられた。
金持ちは大きな邸宅に住み、贅沢な食事を楽しんでいる一方で、一生涯、海に浮かぶ舟で暮らす貧しい人がいる。

日本人観光客が海に投げ入れた小銭を潜って拾い上げ、生計の糧にしている姿に接した時の心理状態は複雑だった。お金を投げるのが、この人たちの幸福に繋がるのか、それとも投げない方がよいのか迷った。結局のところ投げ入れるのをやめたが、その判断が正しかったかどうかは今でも分からない。

台湾の「烏来」ではトロッコに乗った。観光客を乗せたトロッコを現地の人がフウフウ言いながら山の上へ押し上げる。中には小さい子供をつれた労働者もいた。足を踏み外せば谷へ真っ逆さまという危険な場所もある。

あまりにも気の毒に思えたので、「モーターを付けたらもっと楽に上がるのに」と、言ったところトロッコを押しているおじさんにひどく叱られた。「日本人は皆そんなことを言う。モーターを付けると、我々は無用になり失業してしまうではないか」と、言うのだ。
なるほどそのとおりである。日本人の価値判断だけで、物事を決め付けるのは良くないことだと思った。

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香港、夜の11時に眼鏡を納品

中国人の商売の上手さにも教えられるところがあった。
洋服地を販売している店に用事があって数人で訪ねた。買い物をする店を探していると言うと、その店なら知っているので連れていってやると、かなり遠い距離を同行してくれた。買い物が済むとそこの店員さんがまた、よその店まで同行してくれる。
どこまでもこの紹介の連鎖が続く。

香港には親切な人とが多いなぁと、思ったが、客を紹介すると一定のリベートが入る仕組みになっているらしい。
客には喜ばれ、店は繁盛し、リベートも入ってくる。商売人らしいシステムだと思った。

眼鏡屋を冷やかしに行った。夕方のことである。値段は安い。店に入るなりコーラ飲料飲料の栓を抜いて「まあ一杯飲んでください」と奨める。「ジャスト・ルッキング」と行っても、
「ご遠慮なく」とくる。どこの店でもそうだったが、客を引き留め、商品に関心を持たせるには、良い方法だと思った。

眼鏡を一つ買いたいのだが、明日出発しなければならないと言うと、今夜の11時で良ければホテルへ持っていくというではないか。
半信半疑で待っていると本当に持ってきてくれた。眼鏡1つを夜の11時に納品する。商売熱心には頭が下がる。日本では考えられないことだ。

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台湾、ペアー人形の値札のからくり

台湾ではペアになった人形の焼き物を買いたい人がいたので、日本語の達者な台湾人女性と三人で人形店へ行った。一つ一つの人形の裏には価格が表示してあった。

買い物をするときは必ず値切ることと聞かされていたので、交渉すると、あっさり半値にしてくれた。喜ぶ我々を横目にかの台湾女性は「私の知り合いだから、もう少し負けてあげて。」と、声を掛けてくれたのでさらに2割ほど安くなった。

まさに半値八掛けになったわけだが、後でその女性が「1体ずつ人形の裏に張ってある値段はペアとしての値段である。しかし、日本人観光客お金持ちで゛高いものを喜んで買ってくれるので、1体分の値段として売っている。だから半値に値引きしても何ら損はしない。だから私がもう一値切りしたのよ」と値段のからくりを教えてくれた。結局のところ2割引で買ったというわけである。

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目抜き通り・南大門に並ぶ注文服店

昭和47年9月に韓国洋服業界の視察に出かけた。飛行機でソウルまで飛び、高速バスで大邸、鉄道で釜山へ移動するバラエティに富んだ旅だった。

大韓国洋服組合連合会の白事務局長は日本語がしゃべれる親切な人で、各地の洋服組合に連絡を取ってくれた。

一つ注意を受けたのは韓国のテーラーと話をするとき絶対政治に絡んだ話をしないこと、特に北朝鮮や金日成の名前などは絶対に町で口に出さないこと、旅行者は罰せれることはないが、現地の人に大変な迷惑が掛かるらしい。返還前の沖縄でも同じような話を聞かされたことがある。coffe

言論だけではなく日常の生活にもかなり制限が加えられていた。夜11時以降は外出禁止となっている。コーヒの輸入も制限されていたので、大豆のような豆を煎って代用品にしていた。米を節約するため、週に1日は麦飯にするように決められていた。

ソウルの目抜き通り南大門には50店以上の注文洋服店が並んでいた。月に1,000着も売る店がある。少ないところでも月に200着の注文があるという。日本では考えられない大量受注だが、値段も安く、(日本の3分の1から4分の1)マージンが少なので、受注数が少ないと韓国ではやっていけないらしい。

毛織物の輸入は自由化されていなかったので、紳士服地はすべて韓国製のものだった。第一毛織が韓国最大の毛織メーカーで、あと数社が、第一毛織を追いかけるような形となり、競争は激しく、東大門市場で消費者に直接安く売られている。

洋服店ではそれに合わせて服地の値段を安すく設定しているのでほとんどマージンがないらしい。儲けの主体は仕立て代から捻出しなければならない。裁断士は1日に25着もこなさなければらず、昼の食事も短時間で切り上げ、夜も11時、12時になることもザラだと実状を語ってくれた。

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釜山、TVアンテナは山口向き

昭和47年当時の韓国は既製服が未発達で、注文洋服の値段も安かったので、一般市民でも注文服を買うことができたのである。
日本の昭和30年代の状態と、同じように思えた。

大邸では第一毛織を見学した。日本からの見学が多いとみえ日本語のkoriahata解説付のスライドが用意されており、これを映写しながら生産工程を分かりやすく説明してもらった。

設備は日本より近代的で、新しく開発された新鋭機ばかりがずらりと並んでいた。毛織物の輸入が正式に認められていなかったので、この第一毛織を初めとする数社の韓国製の服地で洋服を作らざるを得ないのである。

釜山は済州島は別として、日本に一番近い港町である。近くには温泉もある。ここで一番驚いたのは、エレメント数の多いアンテナをスタックに組んで南の方向に向けられていることだった。その数がやたらに多い。聞けばテレビ用のアンテナで、山口県の方にアンテナを向けると、日本の放送が簡単に受信できるのだ。韓国の放送は面白くないので日本のテレビを見ているとのこと。後になって、金大中大統領が日本文化の取り入れにOKを出したが、釜山では早くから日本のテレビを通じて文化、情報を得ていた。

帰国のためタクシーで釜山の空港へ向かったが、ダットサンのボロボロ中古車、これを超スピードで走らせる。日本の神風タクシー顔負けの荒っぽい運転で、到着するまでヒヤヒヤものであった。釜山から大阪へ向かう飛行機が離陸して二十分も経たないうちに「日本領域にはいりました」と機内放送。本当に近い外国である。

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初海外はゼニア社の「ファッションセミナー」

日装では毎年輸入服地特集号を出版している。それには見てきたような英国の産地情報が掲載されている。ロンドンのウールン・マーチャントのマップまで紹介している。どこの隣には何があると細部にわたる解説もある。

読者は毎年誰かがヨーロッパに出ているものだと、思っていたらしい。輸入服地の業者は少なくとも年に2回ヨーロッパに出張しなければ商売にならない。これらの人から話を聞けば現地の状況が手に取るように分かる。多くの人の話を突き合わせると情報がより正確になる。高い航空運賃を払って行かなくても、情報の入手には不自由しなかった。

日装の社員が初めてヨーロッパに出張したのは昭和48年のことで、6月1日から15日までイタリアのトリベロで行われた「第1回イタリアン・ファッション・セミナー」に私が出席することになった。

このツアーを企画したエルメネジルド・ゼニア社の紳士服地は品質が高く、色柄のtrabellセンスに優れ、そのファッション性の高さが日本でも評価され、短期間で多くのファンを作ることに成功した。

ゼニア社では自社のすばらしい環境を見てもらえば、服地に対する理解が深まり、日本での販売量がさらに増えるだろうとみて、日本の販売店・有本、鷹岡、ストック&ゼノックの協力を得て開催したツアーである。

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ヨーロッパ第一歩は「難破船空港」

物見遊山に終わらないようにセミナーを開催したこと、旅費が格安だったこと、3社が競って参加者を集めたことなどで参加者が多くなり、一機の飛行機に乗りきれないほどの人気だった。このツアーに同行取材をした。

オランダのアムステルダム、イタリアのローマ、ミラノ、トリベロ、スイスのジュネーブ、フランスのパリ、イギリスのロンドンというコース。

KLMオランダ航空。機種はDC―10。アンカレッジで給油、休憩、北極点を通過してオランダのアムステルダムへ。磁石は北極点を通過するときどうなるのか、北を指していた針が地面を指すかのような格好になり、まるっきり役に立たなくなった。極点を通過すると確かに針はこれまでと逆の方向を指しはじめた。

機長のサイン入りの「北極点通過証明書」が記念として配られた。この頃になると飛行機の旅にも飽きが来て、つまらなさそうな雰囲気が機内に漂う。「あっ、白熊が走っとおる」と窓際の人が素っ頓狂な声を上げた。「どこだ、どこだ」と多くの人が窓を覗くが見えるのは白一色の寒々とした光景だけ。ウソだとわかり機内に笑いが渦巻く。

アムステルダムの空港はスキポール空港と呼ばれている。難破船という意味らしい。水面より低い土地が多いオランダにはぴったりの名前である。
アムステルダム、ロッテルダムの「ダム」はやはり水に関係している。

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オランダで生やした髭、26年保つ

ヨーロッパで初めて降りたスキポール空港で、ある種のカルチャーショックを覚えた。入国管理官、税官吏、航空会社の従業員、バス・タクシーの運転手、あらゆる業種にひげを蓄えた個性的な人が実に多かったことである。
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日本ではひげを生やしているのが例外だが、オランダはその反対でひげのないことが例外になっているかのような印象を受けた。
ひげのオランダ人にそのわけを聞いてみたところ「ひげは自然に生えるもの、むしろ剃り落としている方が不自然ではないか」と、いう返事が返ってきた。

ひげ人間の多さにショックを受けたのは私一人ではなく、何人かがひげを生やし始めたが日本に到着するとせっかく延びたひげを落としてしまった。横並び社会の日本ではひげに違和感があるようだ。家族に反対された、お客さんを訪問するのにひげ面では、何となく違和感を抱いて、と、理由は様々だが、ひげに未練を残しながらもお別れを告げなくてはならなかったようだ。

私はこれを契機に26年間生し続けた。
パーキンソンの影響で、最近になってかみそりを持つ手が震えてうまく手入れが出来なくなった。愛着はあったが、手入れの行き届いていないひげは、人に不快感を与え、何らお洒落や個性表現の役に立ってくれない。平成10年10月10日10時10分10秒に「26年間ご苦労様」と声を掛けて剃り落とした。

なぜその日を選んだのか、年、月、時、分、秒が同じ数字で揃うことはあまりないからだ。
つまり何かのきっけが欲しかっただけである。
しかし、自分ではトレードマークのように思っていた「ひげ」も剃ったことにすぐ気付いてくれた人は10人に1人の割合。こちらから言ってみて「なんだか感じが違うと思っていたら、やはり・・・」という程度の存在感であった。

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文明は進んだが、文化、哲学は足踏み?

もう一つのカルチャーショックはバチカン教皇宮の内部装飾だ。小さいタイル状の石を貼り付けて模様を構成しているが、気の遠くなるような作業である。色彩、デザインの感覚もすばらしい。

イメージスケッチだけで、詳細な設計図もないのにあれだけ多くの装飾を施しながら,建物全体のバランスが見事に保たれている完璧な施工。デザイン、豊かな発想力、確かな審美眼。
重量計算の方法も持たないのに、コンピュータで計算してみると、ほぼ間違いがない設計になってる。どんな手法で行ったのか素人の私には見当もつかない。アーチの組み方一つを見ても石の重量を巧みに利用して、相対する石がお互いに押し合う形で落下しないよう工夫がなされている。

日本でもお城の石垣、屋根の美しいカーブはわら縄を石垣の上から下に降ろして、縄が描くカーブの通り石を積んだという。重量の掛かり方を縄でシミュレーションしていたのだ。
こんなノウハウをいくつも持っていたのだろう。

現在ではお金の面もさることながら、これだけの建物、装飾が出来るだろうか。この2,000年間に文明は進み、生活は便利になったが、文化面、精神面ではあまり進歩が見られない。ある面では後退しているではないかと思えることもある。

昔の哲学者は人間の心の中をまるでレントゲンで覗くように見通し、立派な考えを残した。
爛熟したヨーロッパ文化も昔の人が築き上げたものの上に乗っかっているだけのような気がする。昔の人が偉かったのか、現代人があまりにも経済効果を中心に動きすぎるのか。考えさせられるところだ。

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美しい自然環境の中で勉強会

高級紳士服地メーカー・ゼニア社の本社はトリベロにある。イタリア北部の町ビエラをさらに北へ入った山間の町である。町というより人口6,000人の長閑な山村という表現の方がぴったりくる。一つ山を越えればスイスという北のはずれ。

この地は古くからゼニア伯爵の所有地で、3つのホテル、病院、生活協同組合、発電所まであるという。山間にこれらの建物が散在し、四季の花が彩りを添える自然の景観と見事にマッチしている。
この美しい風景を「ゼニアパノラミカ」と、名付けて同社の自慢としている。

すばらしい色、柄のヒントは、自然を眺めているだけで、いくらでも出てくるような環境である。加えて、街に出るとあちこちにモニューメント、人物像、歴史的な建造物がある。毎日の生活が博物館ですごしているようなものである。

ミラノで墓地を見学した。日本の墓は石を角柱状に切り出し「○○家先祖代々之墓」とか「南無阿弥陀仏」と書いてある個性のない墓が多い。これじゃお盆の時など、御先祖様も自分の名前をよく確認しなければ、よそのお墓に間違えてお帰りになるのではないかと、心配になってくる。

ミラノの墓は個性的だった。故人が大学教授なら、片手に本を持って学者らしい石像を、看護婦なら一目でナースと分かる姿にしてある。だから暗い雰囲気はなく、まるで野外美術館を見学しているような感じであった。優秀な彫刻家が生まれる素地は案外こんなところにあるのかも知れないい。

景観の美しいゼニアパノラミカの話から人生の終着駅の話になってしまったが、ここに国際注文洋服業者連盟(FIMT)のポール・ボークレル会長、服飾コンサルタント、裁断、裁縫の技術者などを招いてファッション・セミナーが開かれた。

セミナーの最後は美しい庭園でのファッション・ショー。男女の一流モデルが最新のファッション・トレンドを取り入れた洋服をつぎつきに披露する。食い入るように見入る日本のテーラー。すばらしいショーだったのであっという間に終わってしまったが、イタリア・ファッションの神髄を垣間見ることが出来た。

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立て続けに石津謙介氏と欧州へ

イタリアン・ファッション・セミナーの旅から帰って2カ月ほど経ってまた、ヨーロッパへ出張することになった。昭和48年に創刊されたファッション雑誌VP(ヴィピィ)の資料を集めるのが目的。日本メンズファッション協会(MFU)の理事長で、服飾評論家としても名が知られている石津謙介氏がコーディネーターを務めるツアーに参加した。

旅慣れないときはツアーに参加すれば楽に旅行が出来る。その場合ツアーの性格を見極める必要がある。このツアーはほとんどが紳士服関係者で目的は新しいファッション・トレンドを知ることだった。ただ一人眼鏡業界の人がいた。

参加理由を聞いてなるほどと思った。眼鏡業界のツアーには何回も参加しているが、眼鏡だけに注意が行き視野が狭くなる。ファッションと言う観点から見ればまた違った見方が出来るだろう。眼鏡は本業だから見るなと言われても見てしまうので・・ということだった。

このツアーのもう一つの特徴は、石津謙介さんが服飾評論家として独自の見方でファッションの解説を随時してくれることだ。石津さんはかってVANを設立、JUNやその他の「三文字」ファッションメーカー隆盛のきっかけ作った。アメリカの大学生ファッション、アイビーリーグ・スタイルを紹介、若者の圧倒的な支持を得て「教祖」と崇められていた人である。

豊富な経験と物事を少し斜めから観察するジャーナリスティックな目による評論は参考になった。
また、バスで移動する時間を利用して、ツアー参加者自身が感じたこと、見てきたこと、新しい発見などを発表する。同じところを眺めていても、人によって見る目が違ってくる。

単なる風景を見ていても、ある人は川に関心を持ち「日本の川は堤防があるのにヨーロッパの川は平面の土地がくぼんで川になっているところが多い。」という。
また、ある人は窓枠に関心を示し、国境を越えると窓枠の色が変わる」と、新しい発見を発表するといったことが何回か行われた。いろいろな情報が共有でき、情報量も飛躍的に増えるメリットもあった。

また、何日か行動を共にし、同じ食事をとったという共通体験が同窓会的な雰囲気を醸しだし、その後も交流が続く。濃度の高い人脈の輪が広がるのも、共通のテーマを求めてのツアーの良さのひとつだといえる。

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世界最大の「ケルンメッセ」で情報収集

MFUは服地メーカー、アパレル、服飾デザイナーなど、頭の先から靴に至るまで、男のお洒落に関わる個人、法人が会員となっている。年に2回鈴鹿サーキットなどでファッション産業会議を開催、メンズファッションを中心に政治、経済、社会と、広い視野での勉強会を主宰している。

洋服を上手に着こなしている有名人をベストドレッサーとして表彰したり、父の日の普及、推進役を果たしていることでも知られている団体である。

ドイツのデュッセルドルフ、ケルン、ボン、イギリスのロンドン、イタリアのローマ、ベニス、ミラノ、フランスのパリというコース。8月24日から9月12日までの旅である。このツアーの目玉はドイツのケルンで開かれる、メンズファッション・ウィーク(ケルン・メッセ)の視察である。

ケルン・メッセは紳士服業界では世界最大の展示会で出展者も国際的なら入場者も世界数十カ国から3万人以上の人がやってくる。
この会場を1回りすると、来年のファッション・トレンドが手に取るように分かる。会場が3,4棟に分かれており、その建物がばかでかい。丁寧に見ているととうてい1日では見切れない。

日本ではこの種の催しは業界団体とか地方自治体が主催するケースが多いが、ヨーロッパでは、一私企業が主催者になり、会場設定、出展の呼びかけ、来場予定者へのPR、交通機関への協力から、マスコミへの広報活動まで、一切の手配をしている。

外貨を交換する銀行、飛行機、鉄道のチケットを手配してくれる旅行代理店、観光案内、ホテルの予約、郵便業務など、会場の中でほとんどのことが出来るようになっているから、その運営は大変なことだと思う。

ドイツ人の緻密さが見事に発揮され、ケルンメッセの評判は上々で、我が社でも年に2回は欠かさずケルン詣でを続けてきた。

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写真盗み撮りで評判落とす日本人

ケルンメッセには日本からの来場者も多く、ピーク時には1,500人もの来場があったが、出展者の評判はあまり良くなかった。と、いうのはヨーロッパのメンズショップはこの展示会を次年度の商品仕入れの場と捕らえているのに対して、日本人は情報収集の場と考えているからで、新製品を写真で盗み撮りしたり、たまに買ってくれると、見本という名目で一着だけだという。camera

日本に持ち帰って洋服をバラバラにして裁断、裁縫のノウハウを研究するのだろうと裏の手をよみとられている。

ドイツ紳士服協会(DIH)の組織もしっかりしており、次の年のファッション・トレンドをスライドにまとめ1日に3、4回上映する傍ら、大勢のモデルを使った30分あまりのファッションショーを開催して、来場者の参考に供している。

ドイツには東京や大阪のような人口の多い都市がない。ライン川沿いにも幾つかの主要都市が存在しているが、どこも百万人ぐらいの人口になっている。ホテルのような宿泊施設もそれに合わせて作られているためか、何万人もの人が集まる催しがあると、どこのホテルも満室になってしまう。

ケルン・メッセに行くのに、デュッセルドルフに宿を取り、そこから通ったこともある。
フランクフルトでも同じ状態だった。ギルセンキルセンという街のホテルへ連れて行かれたこともある。

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メッセでホテル不足、船で宿泊したことも

一度は日本からホテルの予約を入れ、OKの返事をもらって出かけたのに、ホテルに到着したら部屋がないと言われた。予約も取ってあるのにと抗議してみたが、「何かの手違いかも知れないいが、ないものはどんなに言われてもないんだ」と言うばかり。困り切った顔を見て「良いホテルを紹介するから今から行ってみては」と住所とホテルの名前を書いたメモをくれた。

事務処理の正確さで定評のあるドイツでなんたることだ・・・と、腹立たしく思ったがホームレスならぬルームレスになっては困るのでタクシーを呼び、くだんのホテルに向かってもらった。

ライン川のほとりの公園のようなところまで来て、その周りをくるくる回った後、車の運転手が地図を見ながら首を傾けてブツブツ言っている。住所のところに間違いなく来ているのにホテルらしい建物が見つからないのだという。

あまり距離が離れていないので、先のホテルに帰ろうかと考えた。そのとき地図から目を離して外の景色を見た運転手が「あった」と、うれしそうな声を上げた。(ドイツ語は分からないので推察だが)指の差す方向を見ると「アナスタシア」と書かれた船が止まっているではないか。

聞いてみると間違いなくここだという。普段はライン川で客を運んでいるが、大きい展ship示会があると、川岸に停泊して、ホテルとして利用してもらっているのだという。
あまり大きな船ではないが、一応設備の整った船室だったので一夜お世話になった。

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民宿では経営者の老夫婦と朝食

ケルンではホテルがなく、在日ドイツ商工会議所で民宿を取ってもらったこともある。
メッセ会場からストリートカーで3駅ぐらいの住宅街にある三階建ての瀟洒な建物で、70歳近い老夫婦が経営していた。一階に老夫婦が住み二、三階を宿泊客用に当てていた。全部で10部屋ぐらいあったと思う。

家の入り口をあけるのと、部屋の鍵を2つくれて、これで自由に出入りするようにと言われた。一応門限は11時だが、静かに部屋にはいるのなら少しは遅れてもOKだという。

朝食は老夫婦と一緒に食べた。パンに付けるバターが美味しかった。小さな入れ物に入っているのだが、誰かが使うとすぐに補充するのか、いつも容器に一杯入っていたのが、気持ちよかった。

老夫婦はドイツ語だけで英語はほとんど出来なかった。一般的にドイツでは若い人はある程度の英語は理解できるが、お年寄りは自国語のみしか通じない。
石鹸を忘れたので予備に1個や2個ぐらいの石鹸は持っているだろうと、日本人的判断で「ソープ」、「シャボン」といっても分かってもらえない。

ドイツ語では何というのだろうか、以前に辞書で調べたとき、確かに「ザイフェン」とあったのを思い出した。ようやく分かってくれたが、「家には予備は置いていない。100メートルほどいったところにドラッグストアがある。そこへいって買ってきて欲しい。私たちもそのようにしているのだから。」という返事が返ってきた。

わが家には貰い物の石鹸が10個ぐらい何時でもあるので、それを前提にものを言っていたことを反省することしきり。

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省エネではドイツが一歩先を行く

ヨーロッパの冬の夜は長い。「朝は朝星、夜は夜星」の出勤となる。メッセが終わる頃はすでに暗くなっている。
宿に帰ると玄関のところは薄暗い電灯が点っているが、階段や廊下は真っ暗闇。階段の上り口にスイッチがあるので、それをONにして、階段をうえまで上がると、今、上ってきた階段の電気を消して、廊下のスイッチを入れる。
私というよりほとんどの日本人にはこのような節電の習慣がないので、幼稚園の子供のようによく怒られた。

「これから上る階段は暗くては危険なので電気をつけるのは当然のことだが、上がってしまうと必要がないから電灯を消す。」必要なところだけつけて、不要になったらすぐに消す、そんな簡単なことがなぜできないのか、いわれればその通りで反論のしようがない。

平和呆けで飽食に甘んじ、節約心を忘れた日本人は1回や2回言われてもすぐに忘れてしまう。子供の時からの習慣にしておかなければいけない。
パリのホテルでも同じような経験をした。廊下が暗いなあと思って階段を上がっていくと自動的に点灯する。廊下でモタモタしていると電気が切れる。もちろん近くのスイッチで点灯できるようにはなっているが。

原子力発電反対を唱えている人々の日頃の生活はここまで節電に徹しているだろうか。老夫婦に怒られながらこんなことが、ふと頭に浮かんだ。

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「無駄なタクシーに乗るな」一ドイツ人の忠告

この民宿にドイツの地方からメッセに出展している小規模な鞄屋さんの主人が宿泊していた。ある日の朝メッセに行くためストリートカーの来るのを待っていたら、「グーテン・モルゲン」と、くだんの鞄屋さんがやってきて挨拶した。

この人は英語が出来るので「グッドモーニング」と答えると、「あなたは偉い。タクシーではなく、電車を利用している。日本人のほとんどがタクシーを利用していることをよく知っている。急ぎの用事でもないのにタクシーに乗るのはもったいない。石油資源の無駄使いにもなるので、帰りも電車を利用した方がいい」と言われた。

帰りの電車で偶然にも鞄屋さんの主に会った。「私の言うことを守ってくれてうれしい。ドイツビールでも一緒にどうか」と誘われた。

「アルコールには弱いのだが」、「それではちょっと一杯だけ」、「しかし、先程は無駄な金を使うなと言ってたではないか」「何かの縁で出来た人間関係は大切なもの、私がおごるから遠慮はせずに」といった会話がつづいた後、、近くバーで本場のビールをご馳走にることになった。のど越の良い生ビールを味合いながら楽しいひとときを過ごした。

単なるケチ人間ではなく、不必要なものにはお金を払わない。
彼にしてみれば5分か10分早く出れば同じように会場に着く、しかも、荷物というほどのものも持っていない。だのにタクシーに乗る日本人が多いことが、常に気になっていたのだと思う。

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パリではセーム展とクチュールのショー

フランスのパリでは、地下鉄のポートベルサイユ駅の近くで、毎年2回開催されるセーム展(SEHM)を見ることにしている。ドイツのケルンメッセとは良い意味でのライバル関係になっているので、ケルンが先でセーム展が後か、あるいはその逆といったように日程がずらされている。

両方の展示会に出展する会社もあるし、催しを取材して、報道してくれるマスコミの都合も考えての配慮である。

フランスでの催しだけに有名デザイナーやクチュールの紳士物(オム)の作品も多く、華やかな彩りを添えている。

このバイヤーやファッション・ジャーナリストが集まる時期を捕らえてデザイナー、クチュールなどのショーも開催されるので、大忙しのシーズンになる。

フランスでオートクチュールといわれている高級婦人服店では、その店に所属しているクチュリエのオリジナル作品を王侯、貴族などの大金持ちの奥方を対象にショー形式で見てもらっていた。

一流店ではハウスマヌカンといって、専属のモデルを抱えている。着るモデルの善し悪しで作品の値打ちがうんと変わってくるからだ。作品の中で気に入ったものがあると、お買いあげとなるわけだが、オリジナル作品ともなれば1着40万、50万円。あるいは、それ以上の値段が付いているものもザラにある。

昔はこうした高価な洋服を求められる経済力のある人々が多く存在していたが、年とともに金持ちの人口が減少、一部の富裕階級だけを相手にしていてはクチュールの経営がおぼつかなくなってきた。

代わって得意先として目立ってきたのがプレタポルテの業者である。クチュリエの作品のコピーを作る権利を得る代価として契約料を払う。年間何千万円の基本料ともいうべきお金、プラス売り上げの何パーセントと決められているロイヤリティ。

もちろんクチュールよっては自社でプレタポルテのティビジョンを設け、自身で商売をしているところもある。

ブランド名が有名だと何でも売れるというわけではないが、販売の第一線で有利な立場に位置することができる。そのためか、婦人服から紳士服、子供服、下着、洋品雑貨、文具食器、洋酒から便器まで、ライセンス契約のもとに作らせているところもあるくらいだ。

しかし、ある靴下メーカーの話によると、自社ブランドでは1足350円(メーカー出し値)が限度で原料や製造方法を工夫して高級品を作り出しても受け入れられなかったが、ブランドを付けると、この足枷は見事に取り外されたということだ。
契約料、ロイヤリティを支払っても充分に元が取れる場合もあるが、その反対の結果になるケースも少なくない。

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ホモがデザイン界を支配

ファッション・ショーも開催するからには、話題になるようなものにしたいと考えるのは当然のことだ。その作品もマスコミ受けする趣向の凝ったものも必要だが、話題だけでは飯が食えない。ヨーロッパだから「パンも食えない。」というのが正解かも知れない。アパレル業者が興味を示してくれる作品、売れ筋商品をおりまぜておくことが必要だ。

マスコミでどんなに話題になっても、次の契約に繋がらなければ、たちまちお手上げとなってしまう。
とはいっても、実用的な作品ばかりでショーを構成すると、面白味がないとそっぽを向かれてしまう。趣味と実益の配分をうまく計らなければいけない。

したがって、デザイナーやクチュールは生き残りを懸けてショーに全勢力を傾注する。ある店では新作を発表した月は、お針子さんの給与が払えなかったという。
売れる作品がなければそれでお終い。命が懸かっているだけに真剣にならざるを得ないのである。ファッション業界にもハングリー精神が求められる。

高級ブティック、クチュール、デナイナーズショップなどか立ち並ぶパリの目抜き通りフォーブルサントノーレの裏には、表の華やかさからは想像のつかないどろどろした人間ドラマがあるのだ。

ヨーロッパにはホモゆわゆる同性愛の人が多いが、特にパリでは目立つように思う。デザイナーの8割以上がそうではないかと言う話がまことしやかに伝わっている。これからデザイナーを目指す人には、その覚悟をしておかなければ、出世は出来ないだろうともいわれている。

確かにその氣のある人は男の気持ちは分かるし、女性の心理も理解できるためか、すばらしいデザイン感覚の持ち主が多い。色彩面でもパステル調の色など出させると,男では考えられないものを出してくる。女性にも好評、男性の目にもフレッシュに映る。

知らないうちに「おかまさんデザイン」の服を着せられているこもある。まあ、最近ではホモの人権も確立し、市民権も得てきているので、どうということもないが。

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身障者への配慮で恥ずかしい経験

パリでは非常に恥ずかしいというか、その人に申し訳のないことをしてしまったことがある。シャンゼリーゼ通りの下を走っている地下鉄のジョージ五世駅(ジョルジュ・サンク)で降りて、地上へ出ようとしていたとき、白い杖をついた目の不自由な人が横を歩いていた。

年配のご婦人がサッと駆け寄り腕をとって階段を上まで連れて上がった。不自然さのない行動に感心をしていたところ、次の四つ辻に来ると私の方を見て何か言った。フランス語が堪能でない私には、意味が分からず「ポカン」としていた。

これは駄目だと思ったのか、次に歩いてきた人に声を掛けると「いいですよ」と言った感じで、目の不自由な人の手を引いて歩いていった。

後で考えてみると、私はこの辻で曲がるので、この人の手を引いて欲しいといわれたのだと思う。日本にいるときもこのような行動をとったことがないので、言葉が通じていても、行動に移せたかどうか自信がない。

ハンディキャップを持つ人に絶えず温かい目を注ぎながら、困っておられたら恥ずかしがらず、自然に行動に移せるように訓練が必要だ。一足早く老人社会を迎えたヨーロッパの方が一歩前を進んでいるようだ。そのうちにこちらが手を引いてもらわなければならない立場になりそうだが。

次頁に続く

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