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(その2)

昭和47年〜平成2年(日装時代)

英では「ファブレックス」と「パークレーン」

イギリスのロンドンでは織物全般の展示会「 ファブレックス」、高級服地が中心の「パークレーン・コレクション」、紳士服の展示会では「インベックス」を取材対象としていた。

パークレーンはオックスフォード・ストリートのマーブルアーチの南側にあるハイドパークに沿った通りの名前で高級ホテルが建ち並んでいる。そのうちの一つグロブーナ・ホテルで開催されるのが「パークレーンコレクション」である。高級品の展示にはぴったりの場所なので、ストリートの名が付けられたのだろう。

以前はこれも高級ホテルの名前を付けて「ドーチェスター展」と呼ばれていたものだ。主だったお客さんは日本人。韓国の毛織物輸入が自由化されてからは韓国人の来場が増えたという。
どの分野でも日本は韓国に追い上げられているようだ。

インベックスなどの大きな催しはオリンピアと呼ばれる会場で開催される。かってイギリスはモッズルックの発祥の地としてビートルズとともに、ファッションの最前線に躍り出たこともある。教祖ジョン・ステファンの店があったカーナビィ・ストリートは、世界の若者であふれていた。日本でいうなら原宿の竹下通り、大阪のアメリカ村の趣である。

話題にとアメションならぬカーナビィで小便をして帰るものも出るほどの人気だった。
この辺りに住んでいる人には臭くてたまらない。ビルの上から見張っていて小便をする若者を見付けると「コラー」と声を掛けたりもしていたが、つぎつぎにやってくるのであきらめてしまった。

階級社会の古い因習の残っている英国では若者心のに大きなストレスを与えている。旧体制に対する心の反発がビートルズを生み、ファッション面では世間をあっと云わせたモッズルックになった。モッズルックはある種のレジスタンスといっても間違いではない。

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世界の有名人の服を縫うサビルロー

一時的なヤングファッションが去り、異常な喧噪から再び元のカーナビィ・ストリートに戻ると、残るのは伝統的なイギリス・ファッションである。
ダックス・シンプソン、オースチンリード、アクアスキュータム、イェィガーなどで、これらの会社はメンズウェアギルドという団体を組織し、共同のPRも行っている。

またそれぞれにハウスチェックと呼ばれる独自のチェック柄を持っており、カバン、財布、シャツやパンツをそれで造ったり、コートの裏に使ったりして、自社製品を特徴づけている。

イギリスでは昔からタータンチェックがあり、アーサー・マッカーサーという会社が一手に引き受けて生産している。日本の家紋のように、この柄は何々家のものと決まっており、色糸が一本違っても意味の違ったものになる。

イギリスのハウスチェックにすばらしいものがあswingるのは、こんな背景と伝統があるからだ。
伝統的なものといえば、サビルローの注文洋服店の存在を見逃すことは出来ない。世界の政財界の首脳がここで洋服を誂えていることはよく知られている。

日本人では西園寺公、吉田茂氏などが英国滞在中にサビルローのテーラーで洋服を作っている。

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コンコルドに乗って仮縫いを

石油ブームの時はアラブの要人から100着もの洋服を1度に注文を受けたという伝説も残っている。それもシャツからネクタイ、靴に至るまですべてコーディネートして納品することが約束されていたので大変な作業になった。仮縫いにはあの鳥のような格好をした、超音速旅客機・コンコルドに乗ってくることが条件になっている。

うなるほどの大金を持っている大富豪に取っては、自分がコンコルドに乗って旅行するのは当たり前で、仲間内では話題にconcordもならない。そこで、自分のお抱えテーラーがコンコルドで仮縫いに来たことを自慢し、相手に一泡ふかしやろうとい算段である。

こんなにしてもお金が余るので、ロンドンの中心地、ハイドパークに沿いのパークレーンやその裏のマウント・ストリートにある高級住宅やホテルを買収して英国人の顔をしかめさせた。

今にアラブ・ストリートと通りの名が代わるのではないかと、冗談とも英国人が得意のユーモアともいえない話がささやかれていた。

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背広の語源になったサビルロー

よりよい洋服を求めて世界の有名人が集まるサビルローはロンドンでは一番名の知れたショッピングゾーンであるリーゼント・ストリートの1つ東にある150メートルほどの通りで、ギーブス&ホークス、ハンツマン、キルガーフレンチ、ブレーズなどを初めとする多くの注文洋服店がある。

店内を覗くと木馬の置いてある店が多い。乗馬服の着心地を試すために実際に馬に乗った状態を再現するための道具である。

1着洋服が出来るまでに3回も仮縫いする。納期も6カ月とのんびりしたもので、日本のように「半月後の会合までに間に合わせて」と、いうようなことは通用しない。

「背広」という言葉もサビルローの地名がなまったものという説がある。明治の終わりか大正の初め頃に出てきた言葉だと思うが,背広を一番早く着たのは洋行帰りの、その時代のリーダーだと思われる。その人がどこで仕立てたのかと聞かれ、自慢げに「サビルローだよ」と言ったのが、口づてに広まったのだという。

サビルローは洋服界のメッカだけに、こんな伝説が出来てもおかしくはない。他にミリタリー(軍服)に対するシビリアン(市民服)が語源というもの、前身に対して後ろ身が広くなっているので「背広」と書かれたという説もある。どれが本当かは判断材料がないので分からないが、私としては「サビルロー説」を取りたい。

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年代で変わる技術者の国籍

サビルロー・テーラーの高度な技術を収得しようと、日本からの留学生が昭和40年代後半から次第に増えてきた。昭和49年には13名を越えるテーラーの卵がハンツマン、キルガーフレンチ、ヘイワード、ヘレンカーティス、ブレーズなどで技術見習いとして働いていた。

このうち今でも洋服関係としてロンドンに残っているは2、3人を数えるのみ。後は日本に帰りその技術を生かしてテーラーを継いだり、ファッション関係で活躍している。

ロンドンには洋服の裁断、裁縫を教える学校もある。テーラー&カッターという雑誌社が経営するテーラー&カッター・アカデミーには、地元イギリスを初めとして世界各国から学生が集まる。その変遷を見ると面白い。

初めはイギリスの学生が多く、しばらくするとフランス、ドイツ人が増え、ついでイタリア、スペイン、日本、東南アジア、インド、アフリカ諸国とつづいている。注文洋服はほとんどが手作り、機械といえるものはミシン程度で、後はハサミ、アイロンと言った道具である。

学校で理論を習い、現場経験を5年ほど積むと、一応服が縫えるようになる。
初めは「下物」と呼ばれるズボン、チョッキから始まって、「上物」、つまり上着を縫えるように腕を上げていく。礼服が縫えるようになると最高の技を持った技術者として高く評価される。

一人前の職人さんが、上着を1着縫い上げるには25時間から30時間もかかる。ズボンとチョッキはそれぞれ上着の3分の1の時間が必要だ。人件費が高くなるとそれに連れて仕立て代が高くなる、洋服の値段が高くなると、売り上げ着数が減る。

ロンドンのように労働市場が国際化しているところは、人件費の安い国から職人さんが流れ込んでくる。技術レベルを高める学校へ通う人の国籍も変化してくるというわけである。

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水を掛けられ「雨に歌えば」

英国人の気質を現す幾つかのエピソードを紹介したい。
英国と一口にいうが、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、北アイルランドに分かれており、それぞれ気風も言葉もことなる。

狭い日本にも方言があるのだから、イングランドで「ニューズペーパー」と言うところをスコットランドで「ニューズパィパー」と、発音されても不思議ではないが、ロンドン在住の人がスコットランドのことを国境の向こうと、まるで外国のように表現するのには驚いた。

狭いロンドンのなかでもコックニーと呼ばれる人も独特の発音をする。言葉が違えば考え方も変わる。したがって、英国人すべてがこうだといえば誤解があるかも知れないい。

紳士はユーモアを理解し、ユーモアを語れなければならないとされている。
ロンドンのピカデリーサーカスの近くの、ロイヤルカッフェで日本人、イギリス人それぞれ2人、計4名で昼食をとったときのことである。店内はかなり混雑していた。ヨークシャーから出張してきた毛織メーカーの社長W氏が、我々日本人のためにミネラル・ウォーターを注文してくれた。

それを運んできたウエイターが誤ってW氏の服の上にこぼしてしまった。
恐縮して謝るボーイさんに対して「シンキング・イン・ザ・レイン」、「雨に歌えば」を歌い始めた。このとっさの機転、心の余裕、自分だったら多分、怒るのは何とかこらえても「気をつけろよ」の一言は言っていたかも知れないい。

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厳しく育てられる特権階級の子弟

郊外からロンドン市内の地下鉄に乗り入れている電車に乗ったときのことである。小学校の3年生ぐらいの子供と身なりの良い婦人が、途中の駅から乗り込んできた。空いている席に座ろうとした子供に「あなたはゼントルマンでしょう」と声を掛けた。

子供は座るのをあきらめて、しっかりと立ち続けた。多分イートンのようなエリート校の生徒さんではないかと思う。一人前の紳士になるには子供の頃から身も心も鍛えておく必要があるらしい。全寮制の学校があり、親と離れた集団生活の中で、どこへ出ても恥ずかしくいマナーとスポーツを愛する頑強な身体をつくっていく。血筋の良い家に育った子供はそのように運命付けられている。

それに比べて、人前でもギャーギャー騒ぐ子供、ロビーを走り回るちびっ子、エレベータのボタンをやたらに押す「やんちゃくれ」、それを黙って見ている親。オヤオヤ日本はどうなっているのと、つい愚痴も出てくる。

英国人の気の長さにも驚いたことがある。サッチャー女史が首相になる前の英国はストが頻発しいた。労働組合が職種によって分かれているので、運転士がストをしても電車が止まる。保線の組合がストをしても止まる。電力がしてもしかり。

ダイヤが乱れ長時間駅で待たされることも度々あったが、黙って静かに待っている。
日本だったら誰かが「何時になったら電車が来るのか」と声を高めれば「そうだ。そうだ。」と付和雷同する人がでる。最後には「駅長を出せ」となってしまう。まだ、肩に力が入っているテンション民族の域を出ていない感じだ。

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女王の一声で「ビキューナ」取り引き中止

辛抱強いと言えば石油ショックで発電量が急に不足したとき、アセチレンランプを灯しての商売にも、さほどの文句が出なかった。ホテルを朝早く出発するためにレストランへ行って驚いた。非常用の豆ランプが壁にポツポツとついているくらいで、顔すら判別が難しい。

黒い色の液体がコーヒー、白いのがミルクと分かるぐらいのところで黙々と朝食を取っている。節電に協力しているという大義名分があっても、日本ではこうは行かないのではないか。

ワシントン条約でビキューナの売買が禁止された。コート地1着分で300万から500万円もする超高級品である。
条約が発効するまで半年ほどの猶予期間があり、この間は在庫に限り販売しても良いことになっていた。

しかし、女王から保護をしなければ絶滅してしまう恐れのあるビキューナに、特別の関心を払うようにとの発言があったその日から、自主的に販売を中止してしまった。業界で話し合ったわけではないのに、足並みが見事に揃っていた。

我が日本ではどうだろう。「もう買えなくなるから、買うなら今のうちですよ」と、営業のチャンスとして利用されるだろう。
この考え方の差はどこから出てくるのだろうか。
私権を大切にするとともに公共の利益にも関心を払う生き方を良しとするイギリスに対しプライバシー、私権にも集団に対する権利と義務のどちらにも「まあまあ主義」でことに望もうとする農耕民族独特の気質がそうさせているのか、よく分からないが、違いが有ることは事実である。

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年配のアル中が集まる「チャリングクロス」

少し英国人を褒めすぎたので彼らの恥ずかしい部分に触れてみよう。ヨーロッパ共通の現象だが、アルコール中毒の人が実に多い。ロンドンのチャリングクロス駅にはどういうわけかアル中患者が集まってくる。

同類親和の法則で自然に集まり傷をなめ合っているのか、一人で昼間から飲んでいることに罪悪感を抱き、「みんなで渡れば怖くない」式の考えで、みんなで飲んでいるのか、アル中患者の心の中は読み切れない。

若い人も時たま見かけるがほとんどが定年退職後のお年寄りである。英国では定年後は都市をはれてカントリーに家を買い求め、悠々自適に過ごすことが理想とされている。子供や孫が時々遊びに来られるくらいの距離で、緑の多い静かなところで老後を過ごしたいと50歳代のビジネスマンはいうが、チャリングクロスに集まってくる人は、家も夢もアルコールに変わってしまった。

同じアル中患者でも特技を生かして飲み代を稼いでいる者もおれば、乞食同然のお恵みに頼り切っている気の毒な人もいる。

観光客の集まるバッキンガム宮殿を稼ぎの場にしているアル中患者の1人は、カメラに詳しい。観光客のカメラをみて何ミリのレンズを使ってるかを聞き35ミリの広角ならここ、50ミリの標準ならこの辺り、70ミリの望遠なら・・・と、建物の上に揚げられた英国旗と建物がフレームにぴったりはいる位置を教えてくれる。camera

ファインダを覗いてみると彼のいうことに間違いはなかった。最良の撮影ポイントを教えたのだからコインが欲しいと、ねだり日本円で百円あまりのお金を稼ぐ。日本人で高級カメラを持った旅行者が一番良いお客さんだという。

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アル中でも特技があれば稼げる

ロンドンのピカデリーは旅行者が必ず訪れるところである。近くを歩いていて明らかに英国人と思える人から英語で「ピカデリーに行くにはどうすればよいか」と、何回か尋ねられた。

どうして日本人に聞くのだろうと不思議に思ったことがある。英国人といっても地方から出てきた人はロンドンの様子を知らない。日本人の旅行者はよく地図を手にして歩いているので、道を尋ねられるのだろうと、ロンドン滞在の長い日本人の友人が解説してくれた。

リーゼント・ストリートの近くにゴールデンスクェアという小さな公園の周辺には、日本でも名の知れた毛織物卸商のショールームや事務所が数多く存在している。地図とメモ用紙を持って歩いていたとき、「何をしているのか」と、年配の男性が声を掛けてきた。

「ゴールデンスクェアとサビルローの毛織物卸屋さんとカストムテーラーのマップを作っているのだ」と答えるとアルコールの臭いをプンプンさせたこの男性は「それはよいアイデアだ。私がよく知っているから手伝ってやる」と、親切とも迷惑とも判断の付かない申wdbusし入れをしてくれた。

これは飲み代を払わなければならないなあ、と一瞬とまどったが、人の良さそうな人物のように見えたのと、実にその辺りの地図に詳しかったから、「それじゃよろしく」と、協力してもらうことにした。

サビルローの入り口に当たるバーリントン・アーケードにはブレーズかあり、サビルローの端からギフス&ホークス、ウエイン・シール社がその向こう、その隣にビートルズの事務所・アップルがあった・・という感じである。30分ぐらい経ったと思うが、仕事が終わったので、「ハウマッチ」と、尋ねたところ日本円で600円ほど欲しいとの意思表示があった。

それくらいは値打ちがあると思ったが、昔はかなりの生活をしていたことを思わせるキングス・イングリッシュだったので、英会話の練習のつもりで500円に値切ってみた。
その理由を日本のパートタイマーの時給を例にとって説明した。

彼は在職中からも酒が好きだったが、勤めのことを考えて節制がきいていた。定年退職してから時間を持て余し、悪いと解りながら毎日酒を飲み続けて、お金も家も無くなってしまったという。今は完全にアルコール中毒だ、と自ら認めている。

「あなたもアルコールには気を付けた方が良いよ」、「私は全然飲めないので」、「それは大変ハッピーなことだ」、「ではバイバイ」という会話の後に、「これでまた一杯やれる」と言う言葉を聞いてアルコールの魔力を改めて感じた。

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ロンドンに特派員を、欧州の拠点に

日本洋装新聞が毎年4月に発行する輸入服地特集号の取材もさることながら、ファッション雑誌VP(ヴィピィ)の資料集めには、1、2月の春・夏物、8、9月の秋・冬物と年に2回はヨーロッパに出掛けなくてはならない。

周囲の人には「度々海外に出掛けられていいですね」とよく言われるが、行き先の国も、場所もほぼ一緒、季節も航空運賃の一番安い時、というのは旅行に不向きなシーズンというわけで、観光旅行のように旅そのものを楽しむことは出来なかった。

シーズンオフとあって機内はガラガラにすいているときもあった。エコノミーの狭く窮屈な座席も3席分を独占して、寝転がって行くと楽だった。エコノミーベッド付き旅行と自分で名付けていたが、時には品性の良くない団体さんで超満員となり、騒々しさで寝られない時もあった。
初めの2、3回は物珍しさもあり出張を楽しみしていたが、回を重ねる毎に億劫になってきた。

幸い昭和47年に大和孝三君がロンドン特派員になってくれたので、次第にロンドンを中心にヨーロッパをカバーしてもらうようにした。

しかし、海外での重要な仕事があと一つあった。それは毛織メーカーが販促ツールとして欠かせない存在となっている、スタイルブック形式の見本帳の写真撮影である。
一昔前までは品質の良い商品を造りさえすれば売れていたが、個性化が進みファッション性が重視されるようになってからは、この服地が、このような服に仕立て上がり、このような着こなしが出来るという提案をしなければ売れ難くなってきた。

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見本帳の撮影をフランスで

スタイルブック形式の見本帳は1冊あたり1万円を超すほどのコストがかかるが、これが有力なセールスマンの役割を果たしてくれる。ことに表紙にした生地は特に目を引くためか、抜群の売れ行きをみせる。

日本人に売るのだからなにも外国へ行って外人をモデルに服を着せて、写真を写す必要はないという議論もあるが、「洋服」は「西洋服」が縮まったもので、日本では一般の人が背広を着はじめたのは戦後の混乱が落ち着いてから。せいぜい数十年の歴史しかない。

長い歴史を持つヨーロッパにかなりのスピードで追いついてはいるものの、まだ、その差は大きい。体型も違う。肩甲骨が後ろに張り出し、胸は鳩胸で立体的な体型、その体型に合わせて、機能的で着易い服として開発されたのが背広である。ヨーロッパの人に背広が似合うのは当然のことである。

これに対し、日本人は平面的な和服が良く似合う体形になっている。平面的な身体、胴長の短足という身体的欠陥を、和服は見事にカバーしている。帯は足の短さをカモフラージュしてくれる。

外人が和服を着るとなんとなく間延びして見えることに比べれば、日本人の背広の着こなしは、かなりのレベルに達していると言えるだろう。そのレベルを一層引き上げてもらう提案をするには、どうしても外人モデルが必要になってくる。

それにヨーロッパには歴史的な建造物も多く、いわゆる「絵になる」場所に事欠かない。ファッションには夢や雰囲気を付けて販売するのが良しとされている。
また、洋服地を見ても仕立てあがった姿を想像するのは難しい。ましてや小さい見本では一層難しくなる。

お客さんの不安感を払拭してくれるのが、スタイルブック形式の見本帳である。仕立て上がりのイメージが容易に掴める。

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アムステルダム在住のカメラマンと

毛織物の本場愛知県一宮市の大手メーカー「中外国島」が、自社ブランドである「ペガサス・イン・パリ」の販促用としてスタイルブック形式の見本帳を作製することになった。
カメラマンにはミラノにジョン・レックという優秀な人がいるので、ぜひ彼を起用して欲しいとの注文付きだった。

日商岩井の大阪からミラノ支店にこの件を伝え、彼にコンタクトをとってもらうように依頼し、返事の来ないうちに大阪からヨーロッパの旅に出た。ミラノの日商岩井へ到着して驚いたのは、カメラマンはミラノにおらず、オランダのアムステルダムを拠点に仕事をしているとのこと。当日もアムステルダムから飛行機で来てくれたという。

早速、条件交渉が始まる。カメラマンのギャラを決める。1日6カットを目標にする。雨天の場合は室内撮影にする。撮影は4月3日から6日までの4日間、モデルは男性3名、女性1名などなど。こちらの細かい要望も受け入れOKだった。

彼の本名はジョン・マーチン・フレンケン・レックという恐ろしく長いもので、本人も面倒なのか、viwcameraジョン・レックの通称を使っているということだ。
我々の話を横でメモをしていた現地の社員は話が終わるなり、取り決めの内容を書いた書類を私とカメラマンに渡し、内容を確認して間違いがなければサインをするように促し、お互いに保管しておくようにアドバイスしてくれた。その手際の良さ。流石一流商社マンだと感心させられた。

何事も契約が先に立つヨーロッパでは、口約束ほど当てにならないもはない。日本では「あのように云うのだから大丈夫だろう」という推測まで入れて、相手の心を読むことが多いし、それだけに「言った」、「言わない」と、もめることが多発する。
ビジネスが国際化してくると、話し合い内容を書面にしておくことが大切になってくる。

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国際色豊かな男性モデル

海外の写真撮影には少なくとも2回の出張が必要だ。1回目は本番の約2カ月前に、撮影候補地の下見、つまり、ロケーション・ハンティング(ロケハン)をする。モデルの選定も必要だ。ロケハンは現地の事情に詳しい在住日本人と一緒にレンタカーで回る。

公園、博物館などは撮影許可が必要だし、レストラン、ホテルなどを使用するには料金が必要なこともある。これれらの事務手続きは現地の人に頼むしかない。

モデルはパリプランニング、エリートなど国際的に名の知れたモデルクラブに所属しているものを選ぶ方が安全だ。事務所で写真入りのカード目を通す。地元のフランス人は思うほど多くない。アメリカ、ドイツ、イタリア、イギリスと世界各国から集まっている。

女性モデルほどピンとキリのギャラの差はないが、まず予算に合ったモデルのカードをピックアップする。もしモデルに事故があっても簡単に入れ替えられるようにサイズも大体揃えておく。
カードには頭の毛の色、目の色まで記入されてる。人選が終わるとそのモデルをホテルに呼んでオーディションをする。同時に洋服作製用にサイズも測っておく。

撮影用の小道具も専門のレンタル屋さんがあり、ほとんどのものが揃う。
ステッキ、鞄、洋傘、パイプ、ゴルフクラブ、猟銃はもちろんのこと、本物のバーズカ砲も警察の証明を取れば貸してくれるらしい。

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大晦日を日本とヨーロッパで

日本を代表する毛織メーカー・御幸毛織の社員さんはなかなかの働き者である。
同社のスタイルブック形式の見本帳「アドパリ」のロケハンに行ったときのことである。出来るだけ業務に支障をきたさないようにと、12月31日・大晦日に日本を発った。

時差の関係で午前中に出発するとその日の夕方に着く。日本とフランスの二国で大晦日を過ごしたことになる。遅い夕食を取った後、旅の疲れもあったので、少し早い時間に寝ることにした。深い眠りに陥ったときけたたましい自動車のクラクションで目を覚ました。というより、何事かとびっくりして飛び起きた。

以前にもロンドンのホテルで火災報知器が鳴り、驚いたことがあるが、それに優るとも劣らない動転ぶりだった。
よく聞いてみると、一台の車だけではなく、車という車がすべてクラクションを鳴らしているようだ。その音が石造りの建物に反響し、集積されてすごい音響となって部屋に届いたのだろう。

服を着直して階下のラウンジルームに降りてみると、大勢の人がわいわい騒いでいる。「クラクションで目を覚ましたのが、どうかしたのか」と聞いてみた。ここでは平常はクラクションを極力鳴らさないよう気を付けている。しかし、ニューイヤーを迎えた瞬間だけ公然とならせる。31日の12時になるのを待ち構えて、一斉にクラクションを鳴らすのが習慣になっているそうだ。

「子供じゃあるまいし、そんなに早く寝るなんて、これからが面白いのに・・・」と言われた。
早寝る方が馬鹿だといわんばかりである。

そういえばイタリアのサンレモで開かれた、紳士服のファッションショーと優秀作品の表彰式に出席したときのことである。
夜の8時ぐらいから食事が始まり、ファッションショーが始まったのが10時すぎ、日本人はショーの終わりの方では、コックリ、コックリ、舟をこぐ人が増えてきた。優秀作品の表彰式は夜中の12時ぐらいに行われる。日本では考えられないことだ。フォーマルの式典が終わるとカジノへ行って一遊び。遊ぶときは時間を気にせず徹底的に遊ぶ。

どこにそんなスタミナが隠されているのか、不思議でならない。
食事の量の違いも原因の1つかも知れない。胃袋が2つ、3つ有るのではないかと思う健啖ぶりだ。
国際化時代とは言うものの人生をトコトン楽しむことと、旺盛な食欲はまだまだ格差があるようだ。

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日、英、仏それぞれの生活習慣が違って

ミユキ・アドパリの撮影は冬の最中に行われる。冬のパリは天候が悪く、写真の発色が良くないので、南へ下り、地中海沿いの街を選んだ。プロバンスと呼ばれる南部フランスは、北のバリほど寒くなく、天候も安定している。

初めは日本人のカメラマンを起用していたが、画面構成がマンネリになり、面白くないという意見で、マイケル・ボーイというイギリス人のカメラマンに撮影を依頼することにした。
レンズの焦点距離を変え、カメラアングルも変えるように、事前に良く打ち合わせをして、カメラマンも納得したはずなのに、最後の焦点合わせの段階で、ちょこちょこっと訂正して、自分の好きな画角にまとめてしまう。

あの黒い布を被ると、外界からは完全に遮断され、自分だけの世界に入り込んでしまい、無意識のうちに自己流が頭を持ち上げてくるのだろう。こんなジレンマに陥ると、カメラマンを入れ替えるしか手はない。

イギリス人カメラマンと女性の助手。モデルはフランス人、ドイツ人、アメリカ人の混成部隊だが、パリに長く住んでいるので、考え方はフランス人に近い。コーディネートするのは、フランス人女性とパリ在住の日本人。ディレクター役は日本人。

イギリス、フランス、日本。たったの三カ国だが、考え方の違いにより対立することもしばしばあった。多くの国が集まっている国連の運営は大変なことだろうと思う。違った価値観を持つ人間の集団をコントロールすることは、非常に難しい。

イギリス人カメラマンは食事にお金を掛けるのなら良いモデルを雇い、小道具に予算を割くべきだ・・・と主張する。
画面に映るものに金を使うのが本道だといい、カルカソンヌの古い城壁をバックにして写すシーンのとき、どうしても中世の騎士が欲しいと言い出し、どこからかそれらしい姿をした人物と馬を借りてきて、御満悦だった。

モデルが主体のフランス人部隊は「生活エンジョイ派」だ。良い写真を撮るには余裕のある生活をしなければ、良い顔立ちに写らない。食事もがつがつ食べず、ゆっくり時間を掛けて楽しく食べなくてはと、2時間程度かけて食べる。

比較的天候の安定している南フランスとはいえ、冬は天候が変わり易い。皮肉なことに食事をしているときに太陽が出て絶好のコンディションになっていることが多い。日本なら「昼飯抜きで天気の良いうちにやってしまおう」と一声掛けると全員が協力して、食事をかき込んで次の仕事に取り掛かってくれる。

「阿吽の呼吸」とはこんなことを指していうのだろうが、お互いに腹の底が読み取れるが、ヨーロッパではそうはいかない。

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嫌われる団体行動、すべてに個人優先

そこで一計を考えた。何事も契約で成り立つヨーロッパでは、日本式の精神論を基にした「とにかく協力して欲しい」という一方的な頼み方は通用しないので、「昼休み無しで仕事をすれば、今日は3時に仕事を切り上げるがどうだろう」と持ち掛けると、すんなりOKしてくれた。彼らはフリーの時間を強く望んでいるようだ。

日本だったら撮影が終わると、近くのレストランを見付けて、全員で食事をしてから「お疲れ様。明日もよろしく。」と、なるのだが、個人主義のヨーロッパではこれも嫌われてるらしい。初めのうちは「何時に食堂に集まって」の方式をとっていたが、あまり評判が良くない。

南フランスでは昔の貴族の館・シャトウホテルに泊まることもあったが、夕食の相場はそのホテル宿泊料とほぼ同じ。宿泊料が150フランなら食事も150フラン。けして安くない食事なのにぶつぶつ文句をいわれるのはかなわない。

これも夕食代として現金で払い自分の好きなところで食べてもらうようにした。翌日の雑談から推測すると、日本式な表現で言うと、「ラーメンいっぱいで済ませた」「ディスコで遅くまで踊ってた」とか、どちらにしてもロクな食事をしてないのだが、自分の意志でそのようにしたのだから、大満足である。

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食も仕事と「仏」、仕事第一「英」

カメラマンはロンドンから南フランスの撮影現場に助手とともにやってくる。われわれ日本人スタッフとモデルは、パリからの出発である。日本ならパリのどこどこに何時に集合となり、団体で現地入りするのだが、「郷に入れば郷に従え」で、パリから現地までの航空運賃を現金で渡しておく。

自分の車でドライブを楽しみながらやってくるもの。鉄道が好きなので時間を掛けて特急列車に乗ってきたもの、仕事が終わった後、現地からスキー場に直行する予定を持つものと人生模様はいろいろだ。

すべて個人の判断に任せて、その手段、方法を問わないが、現地の集合時間に遅れることがあれば、仕事の進行に支障をきたすので、それだけのペナリティを科するという約束が基本になっている。

過程を重視する日本と結果に重きをおくヨーロッパの考え方の違い。どちらが良いというのではなく、いろいろな見方、考え方があるということを理解することが大切なのだろう。

フランス人とイギリス人の考え方、生き様の違いは「イギリスにはローストビーフ以外に料理はない」と回りの国から揶揄されているように、料理にこだわらないところから出た発言なのか、カメラマンとして何としても良い写真を撮りたいという職業意識によるものか、あるいはその両方がベースになって出てきた言葉かも知れない。

フランスのリヨンは料理の大本山ともいえる存在で、一流シェフを目指して世界各国から料理人がやってくる。それだけにグルメも多く、味にもうるさいので、食事にこだわる気持ちも分かるような気がする。

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日本人は足して2で割る「まあまあ主義」

これにイタリア人が入ってくると、カンターレ(歌って)、マンジャーレ(食べて)、アモーレ(愛して)となる。生きているうちにトコトン人生を楽しもうというのだ。これらの対立する考えの中に入って、われわれ日本人スタッフはどんな態度でのぞんだのか。

「今日はフランス的な考えで食事を楽しもう。しかし、明日はイギリス人の考えを入れて小道具に金を掛けよう。」足して2で割る日本式のことなかれ主義だ。主体性がないと思われたかも知れないいが、たいしたトラブルも起こらず予定のスケジュールがこなせた。

写真撮影のとき最終的なポーズとアングルが決まると、ポラロイドでその写り具合をチェックする。
この段階でカメラマンとわれわれとが違った意見を持つこともある。
マイケルボーイは流石、一流カメラマンである。

「あなたの言う通りに撮るが、私の考えているカットも撮らせて欲しい。どちらを採用するかはお任せするが」という形で、嫌みのない自己主張をした。ここらが商業写真の難しいところである。

クライアントのいいなりに写すのでは、写真に一貫性が無くなるし、個性がプンプン匂ってくるようでは、特定の人に受けが良くても、一人よがりの芸術作品の域を出ない。
芸術性を感じさせながら一般受けしなければならない。
ファッションを通じて生活提案という情報も写真に写し込んでおかねばならない。

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英国政府、協会から三度の招待

24時間、丸一昼夜をかけて、5、6回着陸、給油を繰り返してようやくヨーロッパに到着する「南回り」。アンカレッジで給油、北極点経由のコース。東西の雪解けで可能になったモスクワ回り。ノンストップ直行便と、ヨーロッパへの便はますます早く便利になった。

と、いっても直行便で十時間と少々の時間がかかる。パーキンソン病に罹ってからは、同じ姿勢を長時間保つのが苦痛で、新幹線で大阪から東京、あるいは福岡に到着する三時間が限度になってきた。十時間以上狭い椅子に座っているのは拷問に等しい。

最後のヨーロッパ旅行は平成2年である。数えてみればアジア、ヨーロッパを含めて26回、海外に出掛けた。

昭和59年、62年、平成2年の3回の海外出張はいずれも英国政府、繊維団体からの招待旅行だった。英国服地のPRに、販売促進に、仕事を通じてではあるが、力を注いだことに対する何よりの贈り物と心の勲章にしている。UKjack

昭和59年は英国繊維協会(British Textile Confederation)の招きで、昭和62年は英國商務省と英国繊維協会から招待を受けたものだ。インワードミッションとして英國最大の総合繊維展示会「FABREX」を取材するのが主目的だった。

昭和59年を例に取ると世界6カ国(フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、日本)から10名のファッション・ジャーナリストが選ばれた。(62年も若干メンバーが入れ替わった程度)日本からは株式会社日装の私が1人、責任の重さをひしひし感じた。

男性3名、女性7名で、この業界も女性上位が目立つ。初めてドイツのケルンメッセで記者会見に出席したときに、紳士服ファッションの取材なのに、女性、それもかなり年配のご婦人が多いのに驚かされた。

失礼ながら最初の印象は「こんなお年寄りに最新のファッショントレンドが解るのか」と、いうものであつた。

ヨーロッパ諸国からは飛行機で1時間程度で来られるのに対して日本はあまりにも遠い。直行便で10時間以上かかる。航空運賃もヨーロッパから来た9名分をすべて足しても日本からの1人分に及ばないのではないかと思う。
大阪の英國領事館から手渡された航空券はビジネスクラスのノーマルチケットだった。

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英国最大の繊維展は「ファブレックス」

ロンドンのオリンピアを会場として開催されるファブレックス展は、開催年度によって変動はあるが約20カ国、600社が参加、毛織物からレース、ジーンズ、衣服用からインテリア用の素材に至るまでのあらゆる繊維製品が展示される。

TEXPRINTという学生を対象としたテキスタイルデザインのコンテストも行われ、優秀なデザインをした5名に500ポンドの賞金が贈られる。コンテストで入賞したのがきっかけで売れっ子のテキスタイルデザイナーになった人もおり、プロへの登竜門として、毎回150名あまりの学生が参加している。

インワードミッションの役割は会場の模様、ファッショントレンド、会場の模様を自分の媒体で紹介することだ。そのためプレスブリーフィングで各団体の代表者の挨拶と業界の状況説明などを聞く。

ロイヤルソサエティ・オブ・アーツという織物博物館ともいえる施設の見学などもあるが、朝食会、昼食会、ディナーと食事に出ることがやたらに多い。
それぞれの会社、団体がスポンサーとなっているので、同じ食事会でも雰囲気はまるっきり違う。こんなところにも会社の特色が出ているから面白い。

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欧州ではタキシードが必需品

主催者が設定したオフィシャルディナーには、「ブラックタイ着用」とあった。つまりタキシード を着てこいというといこと。ヨーロッパではこれれが多いのでタキシードは欠かせない。

シャツはフリル付き、カマーバンド、エナメル靴、蝶タイ、黒のシルクソックス、サスペンダーと普通の着用分とは別に持参しなければいけないので、荷物が増える。タキシードの衿には拝絹という光沢のある薄い絹地が被せてあるので、しわにも注意が必要だ。

われわれ日本人はフォーマルウェアに着替えるのを面倒がるが、平生着用できない服を着るチャンスを、楽しみにしなければいけないと、ロンドンのオースチンリード社の重役に言われたことがある。

ちょうどその日の夕方に同社の社員の結婚披露パーティが行われることになっていたが、3時頃からどんな服を着て行こうか、と、嬉しそうに話をしていたシーンを思い出す。

ついでのことながら「ホワイトタイ着用」の指示があれば「燕尾服」を着なければならない。勲一等あるいはノーベル賞でももらわない限り必要がないが、ブラックタイのタキシードは午後のフォーマルウェアとして、業務での海外出張の多い人にはワードローブに入れておきたいものである。

タキシードはニューヨークのタキシード公園にあるクラブが制服として着用したのが始まりで、ディナージャケット、スモーキングジャケットともいう。それまでに礼服として着用していたフロックコートは丈の長いものだったが、汚れた裾を切り落として丈を短くしたところ、格好がよいと評判になり、タキシードになったという話もあるが、これはマユツバものである。
タキシードについての詳細は、『男の「装い」一科事典』へ。

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恐竜の骨格見本の傍らでディナー

一般的にいって英國の料理は「美味くない」といわれる。確かに味の面ではフランス、イタリアに差を付けられているが、非日常的な雰囲気で食事を楽しむなどのアイデア面では引けを取らない。ファブレックスの公式ディナーがロンドン市内の自然史博物館で開かれたことがある。

ロンドンの街を特徴付けている黄色いナトリウム灯にライトアップされたロマネスク風の瀟洒な建物の中には自然の歴史がわかる資料が展示してある。
もちろん主役は巨大な恐竜だ。その恐竜の骨格見本の傍らで食事をしようという一風変わった企画である。

テーブルを一卓ずつ回って妙技を披露するマジッシャン。頃合いを見ての衛兵軍楽隊によるマーチ。美味い、美味くないの論議を挟ませない見事なお膳立てであった。

第3回目のイギリス招待は平成2年、英国毛製品輸出協会(NWTEC)によるもので、ロンドンのグロブーナホテルで開かれている「パークレーン・コレクション」の取材が主な仕事だった。

紳士服地を主体に英國がほこる高級服地の新柄を披露する展示会である。高級服地の分野では日本は世界で一番のお得意先である。この展示会の模様を取材し、新聞記事を通じて英国服地の品質の高さと、ファッション面でも新柄、新色の開発に力を入れいていることを多くの読者に知らせて欲しいというのが主催者の要望である。

日本繊維新聞、繊研新聞、WWDそれに我が日本洋装新聞の四紙が選ばれた。
ロンドンの玄関・ヒースロー空港にはベントレーと思われるミニバーの付いたVIP専用車が迎えに来ていた。

dino國独特の最高の敬意を払う歓迎の表現である。ヒースローからロンドン市内までは30分ほどで到着するので、折角のミニバーも利用できなかったが、その心使いが嬉しかった。メンバーの中には、海外旅行が初体験という人もいたが、いたく感激し、ロンドンの第一印象は二重の花丸だと喜んでいた。

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アン王女台臨で会場盛り上がる

パークレーン・コレクションには43社、60ブランドの新作が展示されている。
日本からのインポーター、エージェント、服地卸商などの関係者がつめかけ、会場に活気がみなぎる。日本では多忙で、なかなか顔を合わせるチャンスがない人にも、出合うことが出来た。

鮮やかなグリーンの洋服をお召しになったアン王女が会場を一巡、時折展示ブースの中に入って何事か話しておられる。王女は繊維関係の名誉職にも就いておられ、ファッション、テキスタイルにも詳しいとか。

王女が来場され会場はにわかに活気づいた。英国毛製品輸出協会の役員が説明役として王女を案内する姿を撮影しようとカメラマンが列をなす。日本のように制服の警官が並んで警備に当たる物々しさはないが、私服のSPが、身辺警護に当たっている。

英國は産業界と皇族とのつながりが多く、皇族も気軽にいろいろな催しに参加される。
たいていの皇族は恵まれない人の施設に関係されており、その面でお金が必要なときには、団体の名誉職が集金マシーンの役割を果たす。国民と皇族、持ちつ持たれつのバランスの取れた関係が保たれている。

日本と少し違うのは皇族にまつわるゴシップは、有名芸能人なみというよりも、それ以上に新聞紙上を賑わせる。殊に夕刊紙の書き方はひどい。

日本のように宅配制度がないイギリスでは、駅、売店、街頭での販売が中心になっているため、目の引く見出しと、興味のあるトップ頁によって売れ行きが違ってくる。
皇族のゴシップは格好の対象となる。善意に解釈すれば、国民の皇族への関心がそれだけ高いともいえる。

出展者の製品でデザイン、色彩などに優れたものは、スーツ,タウンウェア、スポーツジャケット、婦人服地の分野に分けて賞が与えられるが、カップを提供するのが、バークレー、ロイド、ミッドランドなどの銀行というから面白い。そんなに高額のお金を銀行から借りているのか、あるいは貸しているのか。要らぬことまで詮索したくなる。

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