

幼少時は弱く,次第に元気に |
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幼稚園へ行くまでは体が弱かったらしい。風邪を引いたり、腸をこわしたり、湿疹ができたり、一つ直れば次というようにエンドレステープよろしく、病気になったそうだ。兄を小さい頃に病気で亡くしているだけに、両親にはずいぶん心配をかけたようだ。 |
急性肝炎で十日休んだだけ |
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小学校(当時は国民学校)に入学してからはあまり病気をしなくなった。もちろん、戦中と戦後しばらくの間はろくな食事をしていないので、栄養失調状態になり、それに伴うシモヤケ、夕方になると目が見えにくくなる、ビタミンA不足が原因の夜盲症などには悩まされたが、食糧事情が改善されてくると自然に治っていった。 |
坐骨神経痛、一過性虚血発作といわれ |
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昭和60年頃、股関節から腰にかけて痛みを感じ、長時間座敷に座れなくなる。職業柄座敷で座っての会議や食事に出席することが多い。これは困った。病院で診察を受け、レントゲン検査もしたが、頸椎,脊髄、腰椎など骨には異常なしということで、坐骨神経痛との判決を受ける。 |
歩幅が狭く、前傾姿勢、ゴルフも休会 |
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何時からかは自分でも分からないが、左足が上がりにくくなり、歩幅も小さくなっていた。それも人に指摘されて分かったので、自分では少し変だなぁという程度の感じ方だった。 |
ヒットラー、ケ小平、江戸川乱歩も同病 |
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パーキンソン病はジェームズ・パーキンソンが1817年に初めて報告した病気で,中高年になってから症状がではじめる。 |
ストレスで全治1年の胃潰瘍に |
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パーキンソンの他に胃潰瘍も背負い込んでしまった。ある日入浴をしていると急に気分が悪くなり、直ぐに風呂から出たが冷汗がだらだら流れ、意識が薄らいでいく感じで、1時間あまり裸で寝ていると、気分が収まってきたので就寝した。 |
横行する「マーケットクレーム」 |
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繊維業界では「マーケットクレーム」と呼んでいるが、自分の見込み違いで在庫を抱えたのに、それを生産したメーカーに押しつけようと、色が若干違うとか、指定より織物の幅が狭いとか俗にいう「イチャモン」を付けてくる。 |
「一万円札をお持ちでしょうか」 |
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こんな不逞の輩には「1万円札をお持ちでしょうか」と聞くことにしている。相手は訳が分からないうちにも、「おぅ、持っているよ」と自慢げに何枚かの万札をだしてくる。5、6枚机の上に並べて、色の違いを見てもらう。明らかにインクの濃淡のあることが分かる。 |
道路で転倒、負傷、引退を決意 |
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平成8年の12月、あと何日かで正月と言う時である。手に書類を持って会社から帰るために地下鉄の駅の方に向かって歩いていた。歩道が修理中で1センチ弱の段差が出来ており、これに引っかかり、前につんのめるような形で転倒した。 |
アメリカ生まれの新鋭機で歩行訓練 |
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平成10年7月に刀根山病院の姜進先生からアメリカ製の新しい機械が入ったので歩行訓練をしてみないかと奨められた。パラシュートのようなウェアを着て腰をワイヤーでつり上げる装置を使っての治療だという。 |
入院の暇つぶしに「自分史」の下書き |
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入院していても初めはいろいろな検査で忙しかったが、それが終わると週に3回、1回40分あまりの訓練がある。これとは別に、月曜日から木曜日までの毎日、集団によるリハビリが15分間、指先の動きをよくする作業療法が週に1回程度あるだけで、暇は充分すぎるほどある。 |
パーキンソンについての詳細は別サイト
『吾輩は「パーキンソン」である』をご覧ください。