退職記念にパソコン(IBM)を購入 |
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39年半にわたって勤めた日装を退社したのは、平成8年の年末である。パーキンソン病の上にひどい胃潰瘍に襲われた。当初はきっちり65歳まで働いて、と、考えていたが病気はそれを待ってくれかった。 |
ベーシックでローン返済プログラム |
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パソコンとの出会いは昭和52年のことだったと思うが、大阪商工会議所に向仲というパソコン通がいた。「これからはパソコン時代がやってくる。中小企業もパソコンで合理化を計ろうではないか」という呼びかけに50名ほどの人が集まり、パソコンの講習会が開かれた。 |
パソコン諦め、社用はオフコンに |
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ところで、商工会議所のパソコン講習会を受けた最大の目的は、社内の事務をパソコンで合理化、効率化したかったからだ。新聞、雑誌の発送、読者・購読料の管理、経理・財務の自動化、給与計算、企画書の作製・・・やりたいことはいっぱいあった。 |
悪筆でワープロの出現を熱望 |
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我が社のOA化はワープロの使用から始まった。私は字が下手で「金釘流」のはるか上を行く程の悪筆である。新聞記者は早く文章を書くのに重点を置いているためか、乱雑な字を書く人が多いが、その中でも筆頭だったようで、何回となく原稿用紙の上に朱筆で「これは原稿にあらず」と書かれて返送されてきた。 |
文選、植字工の仕事を奪ったパソコン |
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印刷工場にこの原稿が渡ると文選工が1本1本の活字を拾って行く。 |
オフコンの硬直、マイツールで解消 |
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次に導入したのはリコーの「マイツール」である。これは表計算ソフトをデータベース化してソート、組み替え、検索などの作業を素早くやってくれる便利なもので、オフコンの融通のなさをカバーするために導入した。 |
デザインはマックとアドビーソフトで、 |
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社内合理化の第3弾はデザイン部門の機械化である。昭和62年にアップル社からマッキントッシュUが発売された。ある画材屋の展示会でこれを見て、「これからのデザインはこれだ」という思いを強くした。 |
デザイン用具をすべて廃棄、パソコン一本に |
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学校や職場で技能を磨いてきた人には申し訳ない気もするが、コンピュータだと誰でも好きな太さ、長さの線が引ける。文字も書ける。土木、建築の設計図を綺麗にトレースするには少なくとも5年以上の経験を要したが、キーボードで数字を打ち込むか、マウスを操作することで、経験何十年の熟練工が裸足で逃げ出すほど、美しく、正確なラインを引いてくれる。 |
パソコンデザイン、機密保持に一役 |
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誰でも線が綺麗に引け、図柄も書くことが出来るようになると,これまでの職人的な技能は無用となり、レイアウトのセンスと色使いの上手、下手といった感覚面が重視されてくる。 |
カメラマンの特技も不必要に |
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カメラマンに要求されることは構図の良さと商品の色を如何に忠実に再 |
ゴルフの順位をハンドヘルドで |
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自分の趣味の方だが、昭和57年にエプソンからHC−20が売りだされたので、これを買い求めた。これはハンドヘルドコンピュータで、マイクロカセットによる記録装置と小さなプリンター装置が内蔵されていた。 |
五代目のホームページがこれ |
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退職して自分のホームページのテーマを考えていたときに、娘婿が独立して眼鏡店を始めると言い出した。しばらくの間バックアップの意味を含めて、眼鏡と目に関する知識を集めたページを開設した。これが三代目のホームページ。 |
IBM自慢の便利な機能が障害に |
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8時の割引時間のあとは、オフラインの仕事が待っている。私のIBMはMwaveという特殊なボードがついている。オーディオとモデムを一つにまとめたものだが、インターネットホーン、ボックスホーンなどの電話ソフトを使うと、音声が地球を一回りしてきたようにタイミングが遅れ、その上エコーまで伴った変な声に聞こえて使い物にならない。こちらの声は相手方にクリアに届いているから始末が悪い。 |