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平成 8年〜(隠居時代)

退職記念にパソコン(IBM)を購入

39年半にわたって勤めた日装を退社したのは、平成8年の年末である。パーキンソン病の上にひどい胃潰瘍に襲われた。当初はきっちり65歳まで働いて、と、考えていたが病気はそれを待ってくれかった。

直接の原因は平成8年の年末に会社からさほど離れていない歩道で転倒、顔に名誉の負傷を受けたことに動転した家族が、身を案じて退社を強く望んだからだ。
パーキンソンも胃潰瘍もストレスが良くないと、医師からも身を引くことを暗黙の内にいいわたされていた。退職後の楽しみはパソコンいじりと生涯教育講座へ参加だった。

滅私奉公といえるほど会社中心に生きてきた者にとっては、天と地が入れ替わる程の環境変化である。

何はともあれ、退職の年の末のクリスマス頃にパソコンを手に入れた。各機種いろいろ比較検討してIBM Aptiva H-5-Eに決めた。 プリンターはスキャナーにもなるアルプスのMD4000Jにした。スペースが充分にないのでこの選択は正解だったと思う。マイクロドライという独得のインクリボンを使った色の再現性もわるくない。

運が悪かったのか、用紙の取り込みが不調で2回マシンを取り替えてもらった。3度目の正直の諺通り、三代目はご機嫌よく動いている。

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ベーシックでローン返済プログラム

パソコンとの出会いは昭和52年のことだったと思うが、大阪商工会議所に向仲というパソコン通がいた。「これからはパソコン時代がやってくる。中小企業もパソコンで合理化を計ろうではないか」という呼びかけに50名ほどの人が集まり、パソコンの講習会が開かれた。

前年の昭和51年に日本電気(NEC)から、エンジニアのトレーニング用としてTK-80が発売された。88,000円という値段に関わらず予想以上の売れ行きをみせた。

この時点でアメリカに10年以上遅れていたというから、満を持して日本製パソコンの誕生を待っていたマニアが飛びついていったのだろう。

商工会議所では実習用に日本マイコン学院から借りていたのが、アメリカ製のタンディ・レディオシャック。14インチのモノクロディスプレーにキーボードが付いており、記憶装置にはカセットテープ・レコーダーが使われていた。言語はベーシック。

先生の指導で初めて作ったプログラムは、住宅ローンの返済額を計算するもの。わが家の25年ローンを計算させてみて驚いた。約300カ月分の返済と残債の数がスクロールしながら次々に表示されるスピードの早さに、流石コンピュータと感心した。

それよりもショックだったのは前の半分の返済は利子の支払いに回り、元金はほとんど減らないことと、1,000万円借りると約2,000万円と2倍返却しなければならないことだった。
理屈では判っているが目の前で数字をずらりと並べられると、心にぐさりとくる。

コンピュータの合理性というか、感情を持たない機械の冷たさが、そうさせているのだろう。
もちろん金融公庫の金利が5パーセントを上まわる時代の話しで、現在の超低金利では違った感慨が湧いてくるかも知れない。

言いにくいことでも数字でスバリと示すコンピュータの特性を利用して、集金の効率を飛躍的に向上させた企業がある。
セールスマンにコンピュータが打ち出した未収金表を持たせて「私はお店の事情も良く分かるのですが、コンピュータが毎日こんな表を打ち出しますので」と、データを見せるようにしたところ回収が上手くいくようになったそうだ。

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パソコン諦め、社用はオフコンに

ところで、商工会議所のパソコン講習会を受けた最大の目的は、社内の事務をパソコンで合理化、効率化したかったからだ。新聞、雑誌の発送、読者・購読料の管理、経理・財務の自動化、給与計算、企画書の作製・・・やりたいことはいっぱいあった。

しかし、言語はベーシック、テープへの記録というでは、仕事の上では役に立たないことが分かった。もちろんこちらの経験不足もある。それにプログラムの作成は時間と根気が必要だ。のめり込んでしまうと本業に悪影響を及ぼしてしまう。

会社の事務の合理化はパソコンをあきらめ、オフイスコンピュータに任せることにした。今はパソコンがオフコンに負けないほどのスピードと容量を持っているが、昭和50年の初期ではオフコンが圧倒的な強みをもっていた。computer

シャープ製品の中から機種を選び,こちらのしたいことを全てプログラマーに伝え、独自のプログラムを作ってもらった。新聞の発送は三種郵便物の許可を受けて割安の料金で送れるが、郵便番号順に並べるのはもちろんのこと、あるブロックで何通未満になる場合はこのように分類するなど、細かく条件が付けられている。 「安くしているのだから郵便局の手間を省くように」ということだろう。

宛名印字の時にその約束事を守らさなければならない。一方、社内のキーボードアレルギー対策としてタッチパネルにして、キーはテンキーのみとした。これなら項目のある場所だけ覚えてしまうと、誰でも入力できる。

パソコンの方はこの段階では趣味でとどめておこうと思った。
習っているモノと同じ機種にした方が覚えるのに都合か良いと思って、タンディ・レディオシクャのパソコンを購入した。

いくらの投資だったのか忘れてしまったが、同じ頃か少し送れて発売されNECのPC-8200が、138,0000円、シャープのMZ-80Kが198,000円していたことから考えて150,000円ぐらいかと考えている。
アメリカではアップルTに続きアップルUが人気を得ていたが,日本では値段が高く、われわれには手の届かない高嶺(高値)のはなだった。

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悪筆でワープロの出現を熱望

我が社のOA化はワープロの使用から始まった。私は字が下手で「金釘流」のはるか上を行く程の悪筆である。新聞記者は早く文章を書くのに重点を置いているためか、乱雑な字を書く人が多いが、その中でも筆頭だったようで、何回となく原稿用紙の上に朱筆で「これは原稿にあらず」と書かれて返送されてきた。

欧米諸国には欧文のタイプライターがあり、字の下手な人でも救われる。やがて日本にもこのような便利な機械が発明される。そうすれば字の上手、下手よりも文章表現にウエイトが置かれるようになってくる。高校生のときからそんな考えでいたので、文字を上手に書く24wqrdpr0努力をしてこなかった。

いや、少しは上手くなろうと通信教育のペン習字講座なるものもやってみたが、効果なしで止めてしまった。
この夢のような話が現実のものとなった。日本語をワードプロセッサーの登場である。
これまでの新聞記事は新聞記者が2Bとか3Bという芯の柔らかい鉛筆をなめながら新聞用の小さい原稿用紙に書き込んでいた。

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文選、植字工の仕事を奪ったパソコン

印刷工場にこの原稿が渡ると文選工が1本1本の活字を拾って行く。
通常使う文字だけで約4,000種類あるというから、文選工は文字を良く知っていると同時に、どこにどんな文字が入っているかを熟知しておかなければならない。文選工が拾った文字を植字工が、積木を積むようにして組んでいくという、原始的な方法で印刷の準備がなされていた。

やがて活字の自動鋳造機が発明され、原稿用紙を見ながらタイプを打つと穿孔テープが出来上がり、これを機械に通すと、活字を自動的に鋳造して、指定の字詰めで組み上がって出てくる便利な機械だ。

文選工は不要となり、植字工も大組といわれる仕事が残っただけになってしまったが、活字は鉛で出来ているので、ずしりと腰に負担がかかり、絶えず鉛に触れている指先は鉛毒にやられて健康まで害してしまう。

コンピュータの発達は印刷業界に大革命をもたらせた。まず、重い鉛を使う活版印刷が、姿を消し、平版と呼ばれるオフセット式が新聞印刷の主流になった。編集部でも鉛筆で原稿用紙の升目を埋める作業から、ワープロで打ち込んだデータをフロッピーで渡すようになった。電話線を利用しての入稿も可能だ。

コンピュータはオペレーターという新しい職種を産み出したが、文選工、植字工の仕事を奪ってしまった。どちらも熟練を要する仕事で、年輩者が多かったので、配置の転換などでいろいろ摩擦があった。

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オフコンの硬直、マイツールで解消

次に導入したのはリコーの「マイツール」である。これは表計算ソフトをデータベース化してソート、組み替え、検索などの作業を素早くやってくれる便利なもので、オフコンの融通のなさをカバーするために導入した。

オフコンは内部がブラックボックスになっているため、少し違ったデータが欲しくても、印字位置を少し移動させるしても、いちいち専門の手をわずらわせなければならない。ルーチン的な作業には良いが、硬直化した仕事ぶりは、めまぐるしく変化する世間の動向に付いていけないものがある。

その点ではパソコンは便利に使える。データによってはオフコンと二重管理になることは分かっていたが,現状から未来をシミュレーションをしたり、出てきた数字をいろいろな角度から見直すことが出来る便利さは、何物にも代え難いものであった。

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デザインはマックとアドビーソフトで、

社内合理化の第3弾はデザイン部門の機械化である。昭和62年にアップル社からマッキントッシュUが発売された。ある画材屋の展示会でこれを見て、「これからのデザインはこれだ」という思いを強くした。

ソフトにアドビのフォトショップ、イラストレーターを使うとほとんどのデザインワークがこなせる。
それまではポスターカラーと筆でラフスケッチ、カンプを作っていた。線を引く道具の一つ、烏口をオイルストーンで磨きインクがスムースに出るように研ぐのもデザイナーの仕事だった。それでもネジの緩め具合でボタッと出てしまい、やり直すこともしばしばあった。皮肉なもので急いでいるときにこの種の失敗をすることが多い。pencil

その後いろいろな太さの線が上手く引けるロットリング、上から擦り付けるだけで色(カラートーン)、パターン(スクリーントーン)、文字(インスタントレタリング)などが張り付けられる便利な素材が次々と開発されたが、いずれも、使いこなすには熟練した技術が要求された。

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デザイン用具をすべて廃棄、パソコン一本に

学校や職場で技能を磨いてきた人には申し訳ない気もするが、コンピュータだと誰でも好きな太さ、長さの線が引ける。文字も書ける。土木、建築の設計図を綺麗にトレースするには少なくとも5年以上の経験を要したが、キーボードで数字を打ち込むか、マウスを操作することで、経験何十年の熟練工が裸足で逃げ出すほど、美しく、正確なラインを引いてくれる。

線の太さを変えたり、引き直すのにも時間が掛からない。トレーサーとして生きてきた人にとっては、技術収得に使った労力は何だったのか、という疑問と不安感にさいなまれたことだろう。

グラフィックデザインの場合、クライアントから、色の変更やロゴの位置変えを求められたとき、これまでだと初めからやり直すしかなかったが、コンピュータならいとも簡単に色もレイアウトも変更できる。

資料さえハードディスクにため込んでおくと、次回からのデザインワークは飛躍的にスピードアップする。
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早速これを導入した。これまで使っていたデザイン用具、ポスターカラー、筆、烏口、ロットリング、カラーマーカー、定規類、カラートーン、スクリーントーン、インレタなどを思いきってすべて廃棄した。手許に道具があるとどうしてもそれに頼り、新しいマシンに関心が行かないないからだ。一カ月ぐらいは混乱したが、必要に駆られて思うより早く、デザイナーの必需品になってしまった。

印刷物の仕上がり位置を示すトンボも自動的に打ってくれるし、出力センターを利用すると難しいカラーカンプもプリントしてくれる。印刷するにはコストが掛かりすぎる10部 、20部という少部数のものならコンピュータから直接プリントアウトすることもできる。

印刷関係ではマックを導入しているところが多いので、データのやりとりでお互いの手間が省略出来るメリットもある。

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パソコンデザイン、機密保持に一役

誰でも線が綺麗に引け、図柄も書くことが出来るようになると,これまでの職人的な技能は無用となり、レイアウトのセンスと色使いの上手、下手といった感覚面が重視されてくる。

それだけではない。例えば自動車メーカーのカタログなど機密を要するものであっても、早くから資料をデザイン会社に渡さなければならず、秘密事項の漏洩の心配もあった。
パソコンを使えば素人でもある程度のデザインが出来ることから、社内でラフスケッチを作製して、充分に検討を加えあとで、フィニッシュワークだけをデザイン会社に依頼するケースも増えている。

印刷物の出来上がりから逆算したデッドラインぎりぎりにデータの入ったディスクを持ち込む。万一、機密が漏洩しても発売の日まで時間がないのでライバル会社に対抗策を講じる隙を与えない。

カメラマンのあり方にもパソコンは変革をもたらした。
印刷物の場合は発色の具合が良く分かるようにポジフィルム(リバーサル・フィルム)を使って撮影したものを製版用のスキャナーで、赤、青、黄、黒に色分解していた。デジタルカメラを使うと、いきなり色分解済みの製版用フィルム作製段階まで進められるから、コストが安くなり、時間がセーブされる。

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カメラマンの特技も不必要に

カメラマンに要求されることは構図の良さと商品の色を如何に忠実に再24cameraするかということである。そのために明るさを入念にチェックし、露光時間と絞りの値を調整して,さらに半絞りほどプラス、マイナスしたものを予備として撮影していた。

また、背の高いビルなどを撮影すると上階が狭く写るのをカメラのあふり機能を使い歪みを調整する、二重露光で1枚の写真の中に違った写真を写し込むには、ファインダーでその位置をチェックして、マスクを被せるなど苦労した。

水面やウインドウへの写り込みを防ぐための偏向フィルタの使用、星の輝きの雰囲気を出すための紗の使い方、まだまだあるが、いずれもカメラマンの特技とされてきたが、デジカメラとパソコンはこれらのことを、いとも簡単にディスプレーで確認しながら修正できる。

必要となればクライアント立ち会いのもとで色彩、写真の切り抜き、組み込み、シャープに表現したり、ぼかしたりも自由自在に修正することもできる。
カメラマンの役割、存在価値も大きく変化せざるを得ない。デジカメの使用が増えるとフィルムの売れ行きにも影響を与えるだろう。

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ゴルフの順位をハンドヘルドで

自分の趣味の方だが、昭和57年にエプソンからHC−20が売りだされたので、これを買い求めた。これはハンドヘルドコンピュータで、マイクロカセットによる記録装置と小さなプリンター装置が内蔵されていた。

持ち運びに便利な特徴を利用してゴルフ場に持ち込んで順位を早く出す道具としてよく使った。オフィシャルハンディなら計算は簡単だ。しかし、ペリア方式でハンディを算出し、順位を決めるのは少し手間がかかるので幹事が喜んでくれた。

また、感情、知性、身体の好,不調が判るバイオリズムのプログラムを入れるなど、お遊びにもよく使った。
会社でコンピュータをいじっていると自宅では時間的にもやれなくなってしまう。
マックを使って会社のホームページを作ったのは平成2年のことである。我が社が発行しているメンズファッション雑誌VP(ヴィピィ)のPRも兼ねファッショントレンドを写真で紹介するものだった。
その後、会社の新規事業であるファッション建材・FRP(ガラス繊維強化プラスチック)サイバーカタログの形に変身している。

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五代目のホームページがこれ

退職して自分のホームページのテーマを考えていたときに、娘婿が独立して眼鏡店を始めると言い出した。しばらくの間バックアップの意味を含めて、眼鏡と目に関する知識を集めたページを開設した。これが三代目のホームページ。

四代目は「立腹大学」と名付けて、日頃腹の立つことを掲示板に書きなぐってもらおうと思って始めたものである。
アクセス数は結構多いのだが、書く込むが億劫なのか、肝心の掲示板に書き込んでくれる人が少ない。五代目はこの自分史なのだが、全く私的な事柄の羅列だから、家族や親戚以外には関心がないだろうと思っていた。2部か3部作って記録として保管しておくつもりだった。

パソコン中毒にかかって3年目。暇を持て余すどころか,メールのチェック、返信の書き込み、関連ホームページへのアクセス、ホームページのサーフィン、名簿、データの入力、ハートウェアのグレードアップなどなど、朝の四時からディスプレーとにらめっこしていて、まだ時間が足りない状態だ。

パソコンを始める前から朝早く目が覚めて困っていた。決まって4時前後に目が覚める。
若い頃は「宵っ張りの朝寝坊」だったがいつぞやから、お百姓さんタイプというか自然型に近い暗くなったら寝て、明るくなったら起きるスタイルに変わってしまった。

テレホウダイに加入してこの早朝の時間を有効に使おうとインターネットは、この時間に集中するようにした。プロバイダーも何時間使っても料金が同じで、地元大阪にしっかり根を下ろしたところを選んだ。

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IBM自慢の便利な機能が障害に

8時の割引時間のあとは、オフラインの仕事が待っている。私のIBMはMwaveという特殊なボードがついている。オーディオとモデムを一つにまとめたものだが、インターネットホーン、ボックスホーンなどの電話ソフトを使うと、音声が地球を一回りしてきたようにタイミングが遅れ、その上エコーまで伴った変な声に聞こえて使い物にならない。こちらの声は相手方にクリアに届いているから始末が悪い。

IBMに電話をして通信速度を落とせとか、何とかしろと、親切に教えてくれたのはよいが、根本的な解決には至らなかった。

最後の手段としてサウンドボードを新しく購入し、モデムも外付けのものを買って、IBMが自慢としていた装置を外すと、とたんに、クリア声で話が聞けるようになった。

少し文句を言ってやろうとIBMに電話を「改造された機械は当方ではフォロー出来ません」と門前払いをくった形。つまらない二重投資をさせられて釈然としないきもちである。

ウインドウズ98にOSを入れ替えるにしても、Mwaveは様々な障害をひきおこしている。2つの機能を1つに纏めて新たな性能を引き出そうとする姿勢は悪くないが、どちらか1つが狂うと両方が往かれてしまうので、その時点では良くても時代が変わったり、OSを入れ替えると使い物にならない。

OSの入れ替え、フラッシュROMのBIOSを書き換え。そのたびにマシンを工場出荷時に戻せと説明書に書いてあるが、増設したボードを抜いたり差したり、アプリケーションやデータをもとに戻す作業は、いうほど簡単ではない。
アップルの方がこの点は親切で上書きするだけで新しいバージョンに変わる。
ブツブツ文句を言いながら当分の間はパソコンとの関係は切れそうにない。

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