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西暦より660年、歴史が古い
| 昭和15年(1940年)私が金塚国民学校にに入学する1年前に、皇紀2600年を祝う催しが全国的な規模で行われた。そのころ私は金塚幼稚園の園児だった。国民学校と同じように金塚の文字が付いているが、その場所は地下鉄の動物園前の近くで、距離的にはかなり離れていた。古い写真にはスモックを着て楽しそうに「お遊戯」をしている平和なシーンが写っている。戦雲は次第に低く空に漂うようになったが、まだ明るさを残していた。 昭和15年(1940)11月10日に政府主催の奉祝会が挙行された。 その狙いは、時の政府に対する一般国民の不平、不満が爆発寸前まで高まってきたが、このエネルギーを紀元2600年に向けさせるためであり、もう一つの狙いは、日本の2600年が西暦では1940年、日本の歴史が660年も古いことを、内外に知らしめることであった。 |

| 式次第は次のようになっていた。 一、整列(式典中全員起立) 参列者一同 一、天皇皇后両陛下出御 奏楽「君が代」 陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊 一、諸員最敬礼 一、国歌「君が代」奉唱 参列者一同、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊 一、寿詞(よごと)奏上 内閣総理大臣(近衛文麿) 一、勅語を賜ふ 一、紀元二千六百年頌歌斉唱 東京音楽学校生徒、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊 一、万歳奉唱「三声」 参列者一同 一、諸員最敬礼 一、天皇皇后両陛下出御 奏楽「君が代」 陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊 |
| 茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ 昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス 今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ爾臣民其レ克ク嚮ニ降 タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和ト ニ寄与スルアランコトヲ期セヨ 翌日開かれ祝典は近衛首相の開会宣言、君が代斉唱、「奉祝詞」奉読、天皇勅語、宮内庁楽部による「悠久」奏楽、祝宴が開かれた。全国から集められた子供たちが國民奉祝歌「紀元二千六百年」を斉唱、最後に「天皇陛下万歳」で締め括った。 |

| 街は奉祝一色になりの花電車が走り、提灯行列や旗行列が全国各地で行われた。家の近くでも提灯行列が通るとあって、祖父に連れらて見にいったことを覚えている。地方自治体では記念の建物を建てたり、記念碑を建立した。このほか記念の武道大会、音楽会が開催され、オーケストラはベートーベンの第九を演奏した。 現在でも「年末になるとダイクさん(大工?)が出てくる」と言われるくらい、ことがある毎に演奏されたり、合唱される日本人が好きな曲目である。 各地のお祭り騒ぎは、11月14日までの5日間は政府公認だった。お祭りが過ぎると、また、元の暗雲が低く漂ってきた。永井荷風は日本国中が浮かれている状況を見て、「この御許しは年末にかけて窮民の暴動を起さんことを恐れしが為にて、来春に至らば政府の専横いよいよ甚だしくなるべし」との卓見を述べている。 |
| 大日本帝国政府は、皇紀2600年を記念して、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ハンガリーの6ヶ国の政府に対し、作曲家の人選も含めて、奉祝楽曲の作曲を依頼した。西暦に対して日本の皇紀は660年先行していることを世界の人々に知らしめ、日本の優位性を誇示することを一つの目標とする一大キャンペーンに参加を求められた各国の表情は、日本に友好的であったドイツ、イタリアは別として、日本の真意が分からず複雑な心境で対処したものと思われる。「これは一種の踏み絵だ」と考えた国もあったのではなかろうか。 |
| アメリカは対日感情の悪化を理由にして、この依頼を断ってきた。 イギリスのブリテンは、シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)を作曲したが、故意にそのように仕向けたのかは不明だが、締め切り日に間に合わなかった。6ヶ月後に送られてきたものは、関係者ががっかりするものだった。 祝賀の曲を依頼したというのに、開けて吃驚、いや、聞いてびっくり、送られてきたものは、死者に対するミサ曲。お目出度いときにレクイエムとは何ごとと、クレームを付けてイギリスに送り返された。しかし、腹立たしさをグットこらえて、約束の作曲料は全額支払ったというから日本もいいところがある。 アメリカは国民感情を理由にストレートに断ってきたが、イギリスの場合は彼らの好きなブラックユーモアだったのかも知れない。冷静、沈着な英国人が、他国からの、大切な依頼を取り違えるはずがない、と考えられるからだ。 「おごる平家久しからず。2600年だと浮かれていると、今に悲しい気持でレクイエムを聞くことになるよ」。と受け取るのは、私の一人合点だろうか。 答えは数年後の敗戦で出てしまった。各国から寄せられた祝賀の曲と、作曲者の名前は次の通り。 ドイツ :リヒャルト・シュトラウス 皇紀2600年祝典音楽 フランス :イベール 祝典序曲 イタリア :ピッツェッティ 交響曲 イ調 ハンガリー:ヴェレシュ 交響曲 第1番 「日本風」 |
| 一、金鵄輝く日本の 榮(は)えある光身にうけて いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年 あゝ 一億の胸はなる 二、歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて はるかに仰ぐ大御言(おおみこと) 紀元は二千六百年 あゝ肇國(ちょうこく)の 雲青し 三、荒(すさ)ぶ世界に唯一つ 搖がぬ御代に生立(おいた)ちし 感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年 あゝ報國(ほうこく)の 血は勇む 四、潮(うしお)ゆたけき海原に 櫻と富士の影 織りて 世紀の文化また新(あらた) 紀元は二千六百年 あゝ燦爛(さんらん)のこの國威(こくい) 五、正義りんたる旗の下 明朗アジアうち建てん 力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年 あゝ彌榮(いやさか)の日は上る この歌は、昭和15年(1930)の紀元2600年を祝うために歌詞、曲ともに国民から公募されたもの。連日、NHKのラジオで流されたので、広く普及した。リズムが良く、歌い易いために、いくつかの替え歌も作られた。代表的なものを紹介すると 金鵄あがって 15銭 榮(は)えある光 30銭 朝日は昇って 45銭 鵬翼つらねて 50銭 あゝ 一億の 金は減る インフレに悩む当時の生活ぶりの一端が出ている。本歌の方は一番だけは歌詞を全部覚えているし、リズムも記憶に残っている。習っていない替え歌は、「金鵄あがって15銭、 榮(は)えある光30銭、 今こそ上がるタバコの値、 紀元2600年」と中途半端に覚えいた。 |
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| 西暦1940年がどうして紀元2600年にあたるのだろう。 『日本書紀』には神武天皇の即位は「辛酉(かのと・とり)年」の春正月朔、すなわち1月1日の事と記されいる。「辛酉」というのは十干十二支を組み合わせ たもので、年を表す時に用いられる。60年目には同じ年がやってくるので、60歳を還暦という。 辛酉から次の辛酉までの60年間を1元とし、21元=1260年を1蔀(ぼう)とよぶのが、ならわしとなっていた。「辛酉為革命、甲子為革令」この言葉の意味するところは、辛酉の年に王朝が変わり、甲子の年に法律が変わる」というのである。また、1蔀毎に世界的な変革が起きるという。60年周期説、大きくは1260年周期説というもので、「讖緯(しんい)説」と名付けられている。 「日本書紀」によると西暦601年(推古9年)が辛酉の年であった。この年に聖徳太子は斑鳩(いかるが)に都を移した。推古12年の甲子には、十七条憲法が定められた。 「辛酉為革命、甲子為革令」という「讖緯説」がピッタリ当てはまっている。 推古天皇9年から1蔀、つまり1260年を遡った辛酉の年を神武天皇の即位の年と定められた。 |
| その計算をベースにすると神武紀元の元年が西暦紀元前660年となる。 しかし、この方式で行くと、100歳を超える天皇が数多く存在したことになる。 第一代神武天皇から第16代仁徳天皇までを例にとると、1代・ 神武127歳、5代・ 孝昭 114、6代・ 孝安137、7代・ 孝霊128、 8代・ 孝元116、9代・開化111、10代・崇神 119、11代・垂仁139、12代・景行143、13代・成務107となっている。 正直なところ、最近までこのような歴史的事実は知らなかった。「人生50年」は明治以降に口にされた言葉だと思う。だから、たまたま70歳まで長生きすると、古代に希なりとういうことで「古希」なる敬称が与えられている。時代が古くなるほど早死になると思っていたが、神代に近くなると寿命が延びるのかも知れない。時代によって年数の数え方が違ったのではないか、史実の多い天皇は長生きとされ、その反対は短命とされた、という見方もある。 神武から開化までの天皇を全て、「架空である」と断言する人もいる。神武、開化の両天皇が「ハツクニシラススメラミコト」という同じ名を名乗っていることを理由に、「神武天皇は崇神天皇の投影である」などの説があり、本当のところは分かっていない。 |
| 天皇の寿命については更なる研究、解明が必要かと思われるが、これだけで歴代天皇を記したものは信用にならないというのも、我が国の歴史書である「古事記」「日本書紀」を否定することになり、短絡し過ぎると思う。 短い我が家の家系図を作ったり、自分史を編成した経験からすると、資料のあるもの、記録に残っている出来事の年代を正確に把握することは、大切な作業に違いないが、正確さを求めるために、是非とも残したい事実、出来事、エピソードなどを隠しておくことが一番良くないことだと悟った。 少しの疑問があっても公の目に晒すと、思わぬところからでも修正が入り、次第に正確なものになってくる。 時代をリードする人物の生存期間に長短が出るのは、その人物の話題性や活躍ぶりの多少にも関係してくる。歴史書を作るときはあちらこちらに残されている資料を1つ1つ拾い上げて、系統的に整理していくが、話題の多い活動家は、数多くの資料が残っており、 年代的にも広い範囲で登場してくる。総てを収録しようとすれば生存期間が延びてくる。 |
| 旧約聖書にはもっとすごい年齢的な矛盾が出てくる。 一例を挙げると、最初の人間として、イブと共に知られているアダムは930歳まで生きていた。アダムの息子セツは912歳、セツの子エノスは905歳、エノスの子カイナンは910歳となっており、4代でなんと3657年生きていたことになる。 人類の堕落がもとになって起きた大洪水に、方舟に乗って避難するように神に命じられたというノアは950歳となっており、100歳を超える人は珍しくない、100歳などは子供扱いである。太陽暦の1ヶ月を1年と読み替えても、長命といわれるくらいだ。 |
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