(その2)
素戔鳴尊と天の岩戸


歴史は苦手教科の一つ

少国民に必要な知識として、古事記、日本書紀に記載されている天孫降臨前後の話が、国語、修身の教科として採用されていた。歴史は人の名前、地名、年代を覚えなければならないので、苦手学科のひとつだった。年数を言うと、仏教伝来とか法隆寺建立などすらすら答えるものがクラスにいたが、どうして覚えるのか、どんな頭の構造をしているのか不思議でならなかった。
そんな私の頭に残っていることを中心に神代の終わりから人代の初めかけての出来事を振り返ってその内容を検討してみることにした。

やんちゃな神様・素戔鳴尊

まずは皇室の先祖である天照大神が天の岩戸に隠れて世の中が真っ暗になったお話。
素戔鳴尊(すさのおのみこと)は高天原(神の世界)きっての乱暴者であった。
天照大神が大切に耕していた天狭田(あまのさなだ)と長田(おさだ)の2つの神田の水路を防ぎ、畔を壊し、籾(もみ)を2度蒔いたり、田んぼの中を馬で走り回ったり、考えられるかぎりのいたずらをした。これは農業立国を標榜する国に対する重大な挑戦といえる行為である。
それだけではない。こともあろうに新嘗祭(にいなめさい=その年にとれた新米を神に供える行事)を厳粛に執り行っている最中に、こっそり大便をすることもあった。

機殿に剥いだ馬の皮を放り込む

天照大神に大きいショックを与えたのは神衣にするための織物を織る機殿の屋根に穴を開け、剥いだ馬の皮を放り込んだ。
機殿は大騒ぎになり、逃げ回っているうちに、1人が亡くなり、天照大神も機織りの梭(はたおりのひ)で怪我をした。 これまでも、悪戯好きの弟の行動を苦々しく思いながらも、そのうちに止めてくれるだろうと、忍耐強く見守っていた天照大神も、生皮を剥ぐという残酷な名行為には、完全に切れてしまった。
度重なる悪戯に怒り心頭にきた天照大陸大神は、見せしめのために、天の岩屋に入り岩戸に閉じてしまった。天照大神は文字どおり日の神であったので、岩戸の奥に閉じこもってしまうと、光は失われ、漆黒の闇に包まれた。

役割の違う神様が多く存在

日本は他の国と違って特定した一つの神を信じる習慣をもたない。ヤソ万(やそよろず)というのは中国や古代日本の過大な表現で、そんなに多くの神様がいるとは思わないが、神代の時代からワークシェアー制度が発達しており、いろんな能力を持った神様がおられたようだ。早く岩戸から出てもらわないと、物をみることも出来ないし、農作物にも悪影響を与える。
そうした神達が天の安川(あまのやすかわ)に集合して善後策を練った。アイデアマンの定評の高かった思兼神(おもいかねのかみ)が面白い案を提案した。

洒脱な提案「岩戸を開くにはストリップ」

朝の時を告げるのが役目の常世の長鳴鳥(とこよのながなきとり)を集めて長鳴きをさせよう。岩戸のすぐそばに力持ちの手力雄神(たちからおのかみ)を立たせる。天香具山から取ってきた榊に八咫の鏡(やたのかがみ)をはじめとする三種の神器や青や白の布をかけて、派手な舞台装置を作ろう。
その前で天鈿女命(あまのうずめのみこと)に、手に茅纏の矛(ちまきのほこ)を持ち、
セミヌードでできるだけ面白い踊りを披露してもらおうというものだ。
一方、天照大神は自分が岩戸に隠れていると真っ暗で面白いことなどあるはずがないと思っていたが、岩戸の外がいつになく賑やで、笑い声さえ聞こえるのが気になった。
長鳴鳥を連れてきて「コケコッコー」と派手な鳴き声を上げる。樽の上で行われた天鈿女命(あまのうずめのみこと)のストリップショーが、あまりにも滑稽だったので、集まった神様が腹を抱えて大笑いしたのだ。(真っ暗ヤミの中での踊りがどうして見えたのだろう)

天国追放の素戔鳴尊は出雲で活躍

天照大神は好奇心にかられて戸を少し開けてみた。鏡に映っているとは知らず、明るい光線を発している神様がいるのを見てびっくりした。ちょっとしたスキを狙って、力持ちの神様・手力雄神(たちからおのかみ)が力いっぱい岩戸を開いた。高天原に再び光が戻ってきた。めでたし、めでたし。
余りの力で戸を引いたので、地上まで落ちたという。その場所は長野県北部の戸隠山の麓である。
姉・天照大神を困らせ、岩戸に隠れる原因を作った、やんちゃな神様・素戔鳴尊(すさのおのみこと)は罰として高天原を追放された。出雲に直接天下ったという説もあるし、朝鮮の新羅を経由して出雲に戻ったという見方もある。いずれにしても名誉挽回を狙ってか、出雲で大蛇を退治するという大手柄を立てた。



天の岩戸が飛んできたといわれる戸隠山

(戸隠村観光協会 )

皆既日食を神話に置き換えた?

明るかった世の中が急に暗くなるのは日蝕だろうと思った。詳しい年月日は忘れてしまったが、子供の頃に皆既日食を見る機会があった。日蝕を見るための道具は自作した。10センチ四方ぐらいの大きさの透明ガラスを1枚用意し、ロウソクの火の上にかざすと、真っ黒な油煙がガラスに付着する。太陽にかざしたときに、目がまぶしく無い程度の濃度にするのがコツで濃、中、淡の3種類を用意して、観測に備えたものだ。
明るく照りつけていた太陽が吸い込まれるように影に入り込む、壮大な天体ショーは、舞台効果を上げるために、照明を落としたように周辺が暗くなった中で行われた。やがて反対側に太陽が顔を出し、明るさを取り戻すまでの間は神秘的な雰囲気に包まれた。
天の岩戸神話は水、空気とともに身近にありすぎて、本当のありがたさを忘れがちな太陽に関心を向けさせながら、天照大神、ひいては子孫である天皇の偉大さの知らしめるのが目的だと思われる。

農業での太陽の大切さを知らしめる

農業を主産業とするわが国にとっては太陽の恵みは計り知れないものであり、豊かな太陽光は豊作を約束し、これが足りないと凶作ととなり、飢饉に見舞われる。人間の健康にも欠かすことができないことから考えて、神の世界でも太陽は大切なものだったのだろう。
そういえば金塚国民学校には「太陽光線室」があり、もやしのように、ひょろひょろした虚弱児が黒いゴーグルを掛けて15人ぐらいずつドーム型の部屋に入っていくシーンを見掛けたことがある。
私もあまり丈夫な方ではなかったが、「人工太陽光線」のお世話になったことがないので、内部がどのような構造になっているのか知らないが、中に入れられている生徒は天照大神とはほど遠い心境だったと思う。
また、もっと早く素戔鳴尊(すさのおのみこと)のような人間くさい、暴れん坊の神様がおられることを知ってれば、現人神・天皇がトイレに行かれるのかどうかで悩む必要はなかったのでは無かろうか。

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