日本の中心地、大和を目指して


神話には「ドタ救」がよく出てくる

「困った時の神頼み」という諺がある。神話の世界でもイザというときに、神あるいはその化身が現れ、絶対絶命のピンチから救ってくれる。物語りとしては土壇場でどんでん返しがある方が面白いからだ。神話での神武東征にも神が土壇場のピンチから人々を救「ドタ救」の話が出てくる。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)こと、神武天皇は45歳の時、長兄の五瀬命(イツセノミコト)と大八洲全体を見渡した政を行うのにふさわしい土地、つまり「青山をめぐらす東方の地」を目指すことにした。三代続いた日向(ヒムカ=宮崎県)の地を離れ、東征の旅についたのである。

宮を徐々に東に移す。浪速では激戦に・・・

宮を徐々に東に遷す事業は長期に渡った。筑前→筑後→筑紫(福岡)→阿岐(広島)→吉備(岡山)→浪速(大阪)→紀伊(和歌山県)→竈山→熊野→大和のコースを辿ったが、交通、通信手段が発達していない時代でもあり、45歳からの大事業開始はかなりの負担だったと思われる。
岡山までは陸路、そこから海路で浪速(大阪)の青雲白肩の津に至り、上陸する予定だったが、土地の豪族である長髄彦(ナガスネヒコ)の激しい攻撃を受け、長兄の五瀬命が敵の矢玉に当たり、重傷を負ってしまい一時撤退するというピンチにもあった。

逆光での戦いは不利、南から攻める

神武天皇は、「日の神の子孫である我々が日の出の方角(東)に攻め込んだのが誤り」と悟り、迂回して南から攻めることに作戦を変更、紀伊(和歌山県)の雄水門に上陸し、陸路を竈山へと軍を進めた。この途中、長兄・五瀬命は息を引き取った。
神武軍の進撃はまだまだ続く。狭野を越えて、熊野の神邑を経由して、天磐盾(アメノイワタテ)から海を渡るが運悪く台風に遭い、残った2人の兄、稲氷命(イナヒノミコト)、三毛入野命(ミケイリノミコト)を失ってしまう。這々の体で熊野の山へやってきたところ、巨大な熊が現れた。この土地の神の化身した姿とは知らない兵は、疲労していたのと、熊を見たショックで全員が失神してしまった。天上ではこの様子が手に取るように判っていた。
テレビカメラなどの文明の利器はなかったので、神様ならお手の物の、透視能力を発揮したしたか、巫女の力で現世を再現してみたのかも知れない。

天上から剣を投げ入れ勇気を鼓舞

ここで第一の「助っ人」ならぬ「助っ神」の出現となる。
高御産巣日神と天照大神は、救助のために武甕槌神を派遣することを決めた。武甕槌神は自分の身代わりとして、霊剣布都御魂剣を投下させたところ霊剣は、天孫降臨の際に邇邇芸命と一緒に天下りをして、熊野に定住していた高倉下神の屋根を抜いて床に突き刺さった。その刀を神武天皇のもとへ届けると、天皇も兵も元通りに元気を回復したということだ。物語りでは一本の刀に象徴されているが、おそらく天照大神よりの大量の武器、といっても古代のことでもあり、弓、矢、刀などであるが、元気の元である食料、酒などの差し入れもあったものと考えられる。

八咫烏のナビゲーターに助けられ

勢いを取り戻した東征軍は張り切って軍勢を進めたのはよいが、今度は土地不案内のため道に迷ってしまう。
またもや天上の神式モニターでこれを見ていた高御産巣日神は、賀茂建角身命(カモノタケツヌミノミコト)に救援を依頼した。賀茂建角身命は、三本の足をもった漆黒の烏(からす)に化身して神武天皇のもとへ飛んでいった。 神武天皇は「烏は太陽に棲む神の使」ということを知っていたので、突然現れた不思議な烏の後に続くようにと命じた。八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれるその烏は立派にナビゲーター役を果たし、神武軍は無事に山越えさせた。第二の「ドタ救」である。


熊野神社の八咫烏(ヤタガラス)三本足で有名



フットボール日本代表選手の胸にも八咫烏

八咫烏(ヤタガラス)というのは、古事記に出てくる、伝説上の三本足を持った烏。
八咫烏の「咫」というのは長さの単位で、翼を広げると「8咫」の長さ(約1メートル)というから一般で云われている烏より、かなり大きなものと考えられる。
ところで、この八咫烏(ヤタガラス)は最近になって、非常に有名になってきた。サッカーのワールドカップ日本代表選手が着ているユニホームの胸にマークとして付けられていたからだ。実は日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏だったのである。神武天皇を安全な場所へと導いた古事記の記述にあやかり、「勝利へ導く」という意味合いを込めてシンボルマークに採用されたものである。
W杯の開催前に清酒・八咫烏のこも被りで鏡割をして、八咫神社で必勝祈願を行ったということだ。ヨーロッパ生まれのスポーツと日本神話が意外なところで結びついていた。



日本サッカー協会のシンボルマークも八咫烏



敵の目を眩ます金色のトビ(金鵄)

第三の「ドタ救」は神武東征物語では一番有名な「金鵄」の話。終着地とされる大和まで軍を進めた神武天皇は摂津で苦戦を強いられ、その時受けた傷が元で、長兄・五瀬命の命を奪われた宿命のライバル、長髄彦と対峙することになる。
全国を統一して治めようとする神武軍とそうはさせまいとする大和の豪族との戦いは熾烈を極め、双方に多くの犠牲者が出た。
戦況は神武軍が不利で最後の突撃あるのみ、という状況になった時、上空がにわかに明るくなった。近くの金山彦神社が遣わした金色の鵄(トビ)が飛んで来て神武天皇の弓の上に止まった。その光はまるで太陽のように強烈で、直接この光を浴びた長髄彦の軍は、目がくらんで戦うことが出来なくなり、敗走してしまった。これが第三の「ドタ救」。
金山彦神社にあった金色のトビの置物をピカピカに磨いて、神武天皇の弓の上に取り付けたのか、あるいは神の国にはたくさんあり、地上では珍しい鏡を付けたと考えられるが、それでは、余りにも現実的過ぎて面白くないし、神話にもならない。
いずれにしても、西から東へ攻めることが多く、逆光で相手の動静が子細に掴めず、苦戦した神武軍が逆に太陽光線を味方に引き込み、これを利用して戦いを有利に展開した。

身内の反乱で神武軍に凱歌

四つ目の「ドタ救」には、またもや、剣が登場する。 実はこの戦いには神武東征よりも先に天照大神の命で天磐船に乗って高天原から天下り、長髄彦のもとに身を寄せていた饒速日尊が長髄彦の与力としてこの戦いに参加していた。長髄彦の妹・登美夜須毘売(トミヤスビメ)と結婚して大和の地方豪族として活躍していたので、義理の兄の戦いとなれば、参加するのは当然のことだろう。高天原を出発するのに際し、天照大神から「十種の神宝」の一つ八握剣(ヤツカノツルギ)を授かっていた。
劣勢となった軍を立て直し、反撃のチャンスを見付けるための軍法会議の席上で饒速日尊は神武天皇より授かった八握剣(ヤツカノツルギ)で長髄彦の首をはねた。最も信頼のできる味方だと思い安心していたのと、一瞬の出来事でどうしようもなかった。

統一国家を樹立、大和国・橿原で即位

饒速日尊は長髄彦のもとに身を寄せたのも、この時のことを考えての行動だったという。
饒速日尊は神武天皇を訪ね、ことの成り行きを説明した。これにより神武東征の長い旅は終り、3人の兄と多くの兵員の命と引き替えに、大和の支配権は神武天皇の手に渡った。
長年の念願だった統一国家樹立の夢がついに現実のものとなった。
神武天皇は大和国の橿原宮で即位し、富登多多良伊須須岐比売命と結婚した。
今から2662年前のこととされている。天皇家の歴史の始まりである。
日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命の3人の子をなした。137歳で没し、その子の神沼河耳命が第二代綏靖天皇となった。

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