(その2)
酒、タバコ


原料米が不足、お酒作れず

タバコと並んで止めることが難しいものに「お酒」がある。冠婚葬祭、うれしい時も、悲しい時もお酒がなければ始まらないのは、洋の東西を問わない。それなのに生活必需品としての地位を獲得していないので、非常時には一番早く生産がストップされる。そもそも人間様の口に入る米さえ不足しているのだから、原料米の入手は困難を極めた。
アルコールが入らないと、体の動きがどうもしっくりこない、という酒好きの人にとっては、生き甲斐の一つを奪われたようなものである。
政府の統制を一番強く受けたのはビール業界だといわれている。昭和14年、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、政府は国家総動員法を発動し、価格統制を実施、ビールの原料や製造量まで統制を受けることになった。

ビールの生産、戦前の4分の1に

昭和14年には価格指定、15年には生産・卸・小売りの各段階での都市、地方別に公定価格が設定され、同時に配給制が開始された。
18年には全国同一価格となり、ラベルはただ「麦酒」と書いただけの個性のないものになってしまった。
太平洋戦争が始まり原料である大麦やホップは次第に入手困難となり、電力・石炭なども不足したため、生産量は減少の一途をたどった。終戦の年の生産量は昭和14年当時の4分の1となったというから、生産量の大半を軍隊に抑えられてしまうと、庶民の口を潤すことは不可能である。それなのにビール税は度々引き上げられ、戦費調達の片棒を担がされたという。

人気の自家製・アルコールの水割り

私の父も祖父も酒は一滴もやらない下戸だったので、アルコールの欠乏については、問題がなかった。しかし、母方の血筋はめっちゃアルコールに強かった。
日本酒、焼酎、ビール、ワインなどが商品棚から姿を消すと、アルコールを水で割って飲む人が増えてきた。アルコールにはメチールアルコールとエチールアルコールの二種があるが、前者には強い毒性があり、飲むとたちまちのうちに天国行きとなる。
我が家にやってきた酒好きの親戚の楽しみは、安全なエチールアルコールの水割りが飲めることだった。水割りといっても、水の上にポトポトと何滴かのアルコールを落としただけのものである。
それでも、「この匂いがたまらない」と美味しそうに飲んでくれた。
水薬を調合する時に使うアルコールを横流ししたものだが、この程度のワルは大目に認められていたようだ。薬用として優先的に供給されていたアルコールも商品が底をつき、手に入らなくなってきた。薬局方のアルコールがなくなると、苦味チンキなどの薬草成分をアルコールで抽出したものが代用に使われた。多分咳の薬として使うものだと思うが、なめてみると苦くて、飲みにくそうな味がしたが、それでも左党にとっては、貴重な一杯になっていたようだ。

メチールアルコールで落命、失明続出

その内にメチールアルコールを蒸留すると毒性がなくなるという噂が広がり、街のあちらこちらに密蒸留所が出来た。素人が見よう見真似にすることだから、蒸留に失敗するケースも少なくなく、死亡者が続出した。終戦の前年に名誉の戦死ではない、不名誉なアルコール死をとげる人が多かった。一命を取り留めた者でも、アルコールの毒性で、視神経を侵され、失明し、不自由な生活を強いられるケースも見受けられた。
酒を飲まない者からすると、命をかけて飲むほどのことはないと思うが、アルコール中毒患者、あるいは、依存症になると、ガソリンがなくなると車が走らないように、アルコールがないと、その日が過ごせないようだ。

「恩賜の煙草」で戦意高揚

私はタバコを吸わないので、愛煙家の気持ちは分からない。だから、「今度は本当に止める」と、強い決心を聞かされても、信用しないことにしている。3日もしない内にタバコを手にしている姿を見掛けることがよくあるからだ。「酒と違ってタバコは止められない」というのが言い訳の定石。
酒飲みに聞くとその反対のことを云うので、酒もタバコやらない私としては「2人とも意志が弱いのだなぁ」としか云いようがない。まして禁煙とか嫌煙権などあまり問題になっていなかった戦争中では、余程大きな理由がないと止められなかったものと思われる。
政府も軍も喫煙に対ししては既成の事実として認めてきたようである。いうよりも「恩賜の煙草」で戦意高揚を計るなど、喫煙を奨励るかのような制度まであった。

「金鵄上がって十五銭」、インフレ2600年

タバコが庶民の生活に密接していたことは紀元二千六百年のすぐ後にひどいインフレに襲われたが、その替え歌が、本家である祝賀の歌よりよく歌われたことが物語っている。
   金鵄上がって十五銭   栄えある光三十銭
   朝日は昇って四十五銭  鵬翼つらねて五十銭
   ああ一億の金は減る
私の父はタバコ好きで、一日に40〜50本も吸っていた。タバコを挟む指がニコチンで黄色く変色していた。タバコの銘柄はゴールデン・バットだと思う。銘柄を指定して買いに行くと、品切れになっていることが多くなり、何でもよいから店先にあるものを買うようしなければ、タバコを買い損なうようになった。

辞書の紙で自家製巻きタバコ

紙巻タバコが品切れになっても、キセル用のタバコ葉を髪の毛のように細く刻んだものは販売されていた。インディアンペーパーで刻みタバコをクルリと巻いて、特製の紙巻きタバコにする。
父の話では、道端に生えている草、木の葉なども手当たり次第に、乾燥させた後、細かく切ってタバコの代用原料にしてみたが、これはと思うものは見つからなかったという。タバコというものは吸い始めると、こんなに不自由を強いられても、なかなか止められないものだと思った。
インディアンペーパーがなくなると、使わなくなった古い辞書をちぎって巻紙にしていた。辞書の紙はページ数が多くなっても、かさばらないように薄くて丈夫な紙が使われいる。なんでも紙質が同じらしい。英語の単語を完全に覚えてしまうために、勉強済みのページをぢぎって食べてしまう話は聞いたが、タバコの巻紙にまでになるとは・・・。

新商売「モク拾い」が誕生

そのころ「モク拾い」という新商売が誕生した。地下鉄や国鉄の駅や人通りの多い道で歩行者が「ポイ捨て」した吸い殻を拾うのが仕事。火ばさみで器用に路上の吸い殻を拾いあげる。作業が簡単なので真似をする同業者が増え競争が激しくなる。ベテランは細い竹ざおの先に、魚を突き刺す銛を付けた道具を考案した。これならプラットホームから線路に捨てられた吸い殻を安全に拾える。駅でも掃除をする手間が省けるし、「モク拾い」側はお金になる。両得である。プラットフォームに入るには入場券が必要だが、「モク拾い」さんは、持ちつ持たれつの関係で、「顔パス」で改札口を通過していたようだ。


美しく整備された天王寺公園も戦争中は秘密の専売公社が・・・
(ホームタウン・ホームページより)


天王寺公園に秘密の専売公社

こうして拾われた吸い殻はバラバラにした後、再びタバコの原料にされる。タバコの秘密工場は天王寺公園の内部にあったようだ。「モク拾い」 が集めた吸い殻を買い取るブローカーがいて、何人かのタバコを巻く人が一つのグループを形成している。縦、横、高さともに
15センチぐらいで、幅広の紙のベルトと2本のローラのついた器具があり、ローラの間に刻みタバコ葉をつめ1回まわすと葉が円筒状になり、用紙を添えてもう1度まわすと紙巻タバコの出来上がりだ。
出来上がった製品はヤミ市で新品よりうんと安い価格で販売される。飛田本通りなど人通りの多いところでは、売人が通路に立ち、道行く人に声をかけていた。値段は再生タバコに比べうんと高いが、PX(米軍酒保)の横流しと思われるキャメル、ラッキーストライク、クールなどの外国製タバコも、併せて売っていた。
天王寺公園のフェンス際の私設専売公社・青空工場で働く人の数から考えても可成りの需要があったものと考えられる。

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