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(その2)
俄作りの民主主義
| 新しい民主主義とはどんなものか、教える方の先生は昨日まで、国家主義、皇国史観を教えてきたので、そんなに簡単には転換できない。哲学、思想、主義、主張など心にかかわる問題を教えるのは難しい。 ことに国家の一大方針を教えるというよりも、頭に刷り込むには、教える側が熱心な信奉者にならなければ、迫力に欠け、思うように伝わらない。 宗教を例にとるとよく分かる。 身の隅ずみまで教義で埋め尽くされている教祖の話と宗教学研究者の話しを比較すると、前者の迫力、聴衆を感動させるパワーは後者の比ではない。 特定の思想教育を強力に進めるなら「教祖的存在」、現代のはやり言葉で表現すれば「カリスマ性」が必要となってくる。 昨日まで「軍国主義」を説いていた人が、急に「民主主義」を教えることになれば、生徒から「昨日までの勉強は何だったのか」。こんな疑問が寄せられた時に答えようがない。 もちろん、新しい民主主義の基本をなす日本国憲法が終戦から僅か三カ月で出来上がったのだから、促成栽培の教師が出来るのは、仕方がないことだろう。自分自身が民主主義、個人主義、主権在民、基本的人権、平等、権利と義務、天皇の役割など充分に理解できていないのに教鞭をとっていたのだから、教えられる方は大きな迷惑を被った。 この時の教育の歪みが後の時代にも影響を及ぼした。 |
| 国民学校の教科書の中で、時局の変転で不都合になった部分を黒インクで塗り潰した「墨塗り教科書の存在がそれを物語っている。 当時、教員をされていた方々の心労は大変なものだったと考えられる。総ての教育関係者が戸惑いを見せているなか、GHQ・連合国軍最高司令部は新しい教育のあり方を発表した。軍国主義、極端な国家主義的イデオロギーを助長する箇所を教科書から削除する。平和的で責任を重んずる公民の養成を目的とした教育材料を速やかに用意すること、がその要旨になっていた。GHQの意向を汲んで、文部省が暫定的な手段として墨塗り教科書を考え出したのである。 墨塗り教科書に対する私の印象は「そういえば、そんなものがあったか」という程度の薄いものであった。 いち早く回収されてガリ版刷りの貧相な暫定教科書に取り替えられたのではないかと思う。ざら半紙には慣らされているが、いかにも慌てて作ったかのように、インキがかすれたり、反対にですぎてべっとり滲んだりして、読み難かった。ページ数も少なく、手に持つとペロリと折れるお粗末なものだった。 |

| 戦後初めて作成された教科書は、当然国民学校のそれとは違い、われわれの世代が貴重な時間を費やして学んだことの大半が削除されていた。 1.天皇陛下の起源は神であること。2.天皇陛下のためには死をもいとわない。3.天皇陛下の勅令に対しての従属的な忠誠心。4.大東亜共栄圏の思想による領土の拡大。4.日本を神州として世界に冠たる国である。5.日本中心の八紘一宇の考え。 などである。 軍国主義より民主主義、超国家主義から個人の尊厳重視、「死が中心の文化」より「生が中心の文化」へ、重軍備より恒久的平和へ、など時代の流れを考慮にいれながら、国民の権利と義務、基本的人権の尊重、自由と平等にふれた内容のものに変わった。 |
| 昭和21年(1946)1月1日に天皇陛下自ら神格を否定する「人間宣言」がなされた。 正式には「新日本建設ニ關スル詔書」と呼ばれるものである。明治天皇の五箇条の御誓文から説き起こしたかなり長文のものなので、その要点だけを紹介しておく。 惟フニ長キニ亙レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ 、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ヲ長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思 想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。 然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾 等國民トノ間ノ紐帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説ト ニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ 他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念 ニ基クモノニ非ズ。 相変わらず難しい漢字を使っての勅語調の難解な文章である。新しい時代のために国民に送る大切なメッセージだけに、国民が親しみやすい平易な文章で発表された方が、時代の移り変わりを身をもって感じられ、より効果的だったと思った。 「やはり、そうだったのか」長年の疑問がすっかり晴れ、すっきりとした気分になった。この世を去った人の神格化は多くの例もあり、さほどの抵抗は感じないが、「生き神様」となれば、何故、どうして、という疑問が次々に湧いてくる。 |
| 新しい日本のあり方を示す日本国憲法が公布されたのは、昭和21年(1946)11月3日で、半年後の22年5月3日に施行された。 この憲法がアメリカの押し付けである、いや、そうではなく自主憲法である。2つの論議があるが、どちらの要素も含んでいるといえよう。 マッカーサーというかGHQの意向である「天皇制の存続」、「戦争放棄」、「封建制の撤廃」を中心に構成されたから、この面を重視するとアメリカの押し付け憲法ということになる。しかし、時の国務大臣・松本蒸治を中心メンバーにした「憲法問題調査委員会」が設置され憲法草案を作成していたし、各政党も独自案を持ち、それぞれが検討された結果決まったものである。という立場からすれば自主憲法ともいえる。 一番有力視されていた松本案は「国体」の維持が最重要とされ、明治憲法とほとんど変わらないものであった。毎日新聞によるスクープでこれを知ったマッカーサーは、GHQに憲法改正作業を急ぐように命じた。先の三原則を取り入れた草案の作成は、弁護士、大学教授、元下院議員などから選ばれた25人のスタッフが担当し、僅か10日間で完成した。 提案を受けた日本政府は字句を少し修正して公布、施行となったものである。そもそも法律というものは国民の生活実感から自然発生的に生まれるのが理想の姿といえるが、新日本国憲法の場合は終戦によってすぐさま新しい規範を作らなければならなかった。旧体制のままではダメなことは、全員が分かっていた。しかし、新しい態勢についてはほとんどの人は未経験である。敗戦の混乱から十分に立ち直っていない、しかも、アメリカ軍の占領下という特殊事情の下での、10日足らずで、よくあそこまで出来たものだと関係者はいう。 色々問題点を含みながらも今日まで五十数年間改正を見ずに過ごしてきた。悪法ならとっくに改正されているはずである。ただ憲法の条文を勝手に拡大解釈したり、憲法の決まりを自分に都合の良い方に理解することで、弊害も出ている。 |
| 憲法の第13条は【個人の尊重と公共の福祉】についての条文である。 すべての国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権 利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を 必要とする。 この条文を手前勝手に理解し、個人の尊重が憲法で決められているので、自分の思い通りの行動をとってもだれも妨げることは出来ない、と解釈している人もいるようだ。後で出てくる「公共の福祉に反しない限り」という大切な文言を無視したのか、忘れたのか。「公共の福祉」など分かり難い言葉を使っているから理解出来なかったのかもしれない。 判断能力がある人間なら誰しもが「自分を尊重してほしい」と考えている。自分もそうなら、相手もそう、周りの人もそうである。 自分を尊重して欲しいのなら、まず、自分が相手を尊重しなければならない。こんな簡単な理屈を忘れて「俺が」、「私が」がいまだにまかり通っている。 |
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