(その3)
義務と権利


権利が大きければ、義務も大きい

権利と義務の関係にも問題が生じている。「権利」が先行して「義務」がついていかないのだ。
ヨーロッパには古くから≪ノブレスオブリージ≫という考えがあった。簡単に説明すると「身分の高い者には一般人以上の義務が伴い、特権をもつ者には同様の責任が伴う」ということである。イギリスの貴族は特定の職業を持つことを嫌う。他人の目には毎日ぶらぶらと遊び暮らしているように見えるが、普段から体を鍛え、有事の場合は真っ先に駆け付ける。フォークランド戦争の時には貴族階級の人々が先頭に立って戦い、≪ノブレスオブリージ≫の健在ぶりを示した。
大きな権利を行使できる立場にある人は、その分だけで他人よりも多くの義務を果たさなければならないということだ。

善悪の判断基準があいまいでモラル低下

道徳・修身を教える教科書には、天皇陛下に忠誠を尽くすという記述が多かったせいか、訂正点が多く、道徳教育そのものが途絶えた時期もあった。道徳というのは社会の成員に対し、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として存在するものである。
だから国によって、地域によって判断基準が変わる場合がある。ある国では朝のあいさつは頭を下げて、「おはようございます」というのに対して、舌を出して挨拶するところもある。どちらもその国、その地域では正しい。
国際的に通用するグローバル・スタンダードもあれば、日本の常識は世界の非常識ということもある。
道徳教育の大切さは一般社会から、自分がどのように評価されているかを知るためのひとつの基準を教えることにある。
最近、財、政、官の分野で明らかにモラルの低下がもたらしたと思われる事件が増えているが、道徳教育が姿を消した間に青少年時代を過ごし、善悪の判断基準を学んでなかったか、あるいは、忘れてしまった結果だと、愚痴をこぼしたくなる。
モラルの低下といえば、政治家のそれはひどい。贈収賄の容疑で取り調べられたり、逮捕された政治家は口を揃えて「法律に触れるようなことはしていない」と弁明する
そんな人に大正3年11月25日、夏目漱石が学習院て行った講演の一部をプレゼントしたい。

夏目漱石の説く「個性」「権力」「金力」

 いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値も  なし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもういっぺん言い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。
もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険  な現象を呈するに至るのです。


人格なき者が金力を使うと社会の腐敗をもたらす
(夏目漱石が学習院で講演したときの言葉)

法に触れないが、モラルに劣る

国会議員は国民によって選ばれたられた「選良」である。従って一般市民より高いモラルを持っていて当然なのに、いかにも法律に触れなければ、「悪いことではない」、「何をにしても個人の勝手」と言わんばかりの弁明は、政治家の品性を引き下げるだけで、聞く方でも悲しくなってくる。
法律は外面的で強制力を持っているだけに、「これ以上のことをすれば罪になる」ということを定めたもので、モラルという面では最低の基準を示したものである。法網をくぐり抜ける軽業師的なことは、即刻やめて、高いモラルの下に、内外に誇れる夢のあるスケールの大きい仕事に取り組んでほしいものだ。

何処へ行った「李下瓜田」の諺

「李下瓜田」の諺は死語になってしまったのか、もしそうなら政治家の心の中に再び復活させて欲しいものだ。
  李下に冠を正さず(梨畑では梨泥棒と間違われないように、冠を直さない)、
  瓜田に履(くつ)を納(いれ)ず(瓜畑では瓜泥簿と間違われないように、くつが脱げても  履きなおさない)
犯罪行為のあるなしにかかわらず疑われるだけでも恥ずかしいという個人の内面的な原理が抜け落ちているので、自分の正当性を主張するために「法律に触れていない」が口から出てくるのだろう。

変わり身早いが、自己中心的

ニクソン米大統領時代のキッシンジャー大統領補佐官は日本を評して「日本は他国に対して感受性がない。自分のことしか考えず、変わり身が早い。封建制から天皇制には2、3年で移行した。天皇崇拝から民主主義へはたった3カ月しか要しなかった」と語っている。表面的には3カ月で新体制に移行したかのように見えるが、大まかにでも民主主義の何たるやを理解するには、かなりの年月を要した。教える教師側にも戸惑いがあった。この間にも自己流の民主主義、個人主義がまかり通り、社会を混乱させた。ひとつの制度が完全に定着するには100年を要すると言われている。まだまだ試行錯誤が続くことだろう。

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