I am a Parkinson's
Disease
目 次
SINCE 2001.10.1
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| 【国立療養所・京都】 |
| パーキンソンだった2代目社長の紹介で |
吾輩の仲間に狙われるのは1000人に1人の確率になっている。ところが、主人が勤務していた株式会社日装は小さい会社なのに2代目の社長がパーキンソンで体調をこわし、業務が遂行できなくなり、会社を引退している。12歳年上の同じ戌年だ。
子供のころは神童といわれた頭の回転のいい人で、筆を持たせれば惚れ惚れする素晴らしい字を書く人だったが、病気が進行するにつれ金釘流となり、満足な字が書けなくなってしまった。
トボトボと小股で歩く。電車への乗り降りが危険なので、奥さんが付き添って会社へ出勤されていた時期もあった。座席に座っていてもいつの間にか身体が傾いていしまう。隣に女性が座っていると大変なことになる。何回も体勢を立て直そうとしても、すぐに傾き始めるので、痴漢と間違われかけたこともあるそうだ。
動作も鈍くなり、食事を終えて代金を払おうとしても、お札がなかなか出てこない。ズボンのベルトの下に作った隠しポケットに千円札を何枚か小さく折って入れてあるのだが、これがなかなか取り出せない。社長より年上の相談役がよく冗談で「あんた。お金を払うのがが嫌なのと違いまっか」と冷やかしていた。レジの前に行列が出来るくらい時間が掛かった。
この社長の場合、薬は劇的な効き目を発揮した。その代わり薬が切れると、電池が切れたロボットのように、筋肉が硬直してしまい動きがとれなくなってしまう。幻覚症状も時折出ていたようだ。
主人はこの社長の病状を身近で見ていたので、パーキンソンについての基礎知識はあったた。社長も他の患者と同様に、評判の良い病院や治療法を求めてあちこち回られたようだ。
主人にパーキンソンの嫌疑がかけられたとき、「治療経験が豊富で専門医のいる病院で正確な診断を仰ぐべきである」と自分が通院している国立京都療養所・宇多野病院を紹介してくれた。昔の結核療養所だから人里から離れた辺鄙なところにある。結核患者が減ったため、パーキンソンや筋ジストロフィーなどの難病治療に力を入れている。厚生労働省より神経難病を中心とした神経筋疾患の基幹施設として機能づけられており、日本神経学会教育施設として認定されている。
患者側から見ると頼りになる病院で、吾輩の側からいうと鬼門にあたり、恐ろしい先生がたくさん揃っているとこ ろといえるだろう。
主人は神経内科学会でも有名な女性ドクター・久野貞子先生に診察してもらうことになった。平成4年(1992年)のことである。
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