I am a Parkinson's
Disease
目 次
SINCE 2001.10.1
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| 【典型的な症状5】 |
| 大手を振って堂々と歩けない |
5.歩行障害 人間の歩行は足を出すと同時に手を大きく振って身体のバランスをとることにより、スムーズに行われる。健康な人なら特別な神経を使わなくても手足が勝手に動いてくれる。
ところが吾輩が少し悪戯すると、手と足の動きがバラバラになってしまう。 まず歩くためには立ち上がらなければならない。これがなかなかの大事業である。「ヨットコショ、ドッコイショ」の掛け声は勇ましいが、腰がなかなか上がらない。やっと立ち上がったと思うと今度は第一歩が踏み出せない。 足の裏に接着剤が付いているような感じである。その上主人は何か考えている様子だ。少し意地悪い質問をしてみようと「何かお考えですか?」と聞いてみた。「チョット憲法第9条について考えていた」と笑いながら答え、すぐに「冗談、冗談」と否定し、「別に、何も考えていなかった」と言い直した。それほど第一歩を踏み出すのに時間がかかっていた。
足を出す所が安全かどうか,どれくらいの歩幅で足を出せばよいのか、周辺の複雑な状況情報が脳に送られてくるが、状況に適応するための行動に必要な筋肉を動かす命令が素早く伝わらず混乱してしまうらしい。
以上は専門知識を持たない主人の推察だから間違っているかも知れない。 「すくみ足」というらしいが、主人が住んでいるマンションにウォークイン・クローゼットが付いている。不動産屋が好んで使う言葉だが、中で歩けるほどの広い洋服タンスかと思えば、1.5畳程度のささやかなものである。狭いクローゼットの中に足を踏み入れて、洋服を出さなければならない。このクローゼットの扉を開けたとたんに、足がすんでしまい動きがとれなくなるという。 トイレットに入るのも同じことである。とにかく中が狭いと足を踏みいれるのに、大変な勇気と時間を要するらしい。 狭いマンションの洋室には大きなベッドが置かれている。夜中に便所に行くには40センチ巾のところを寝ぼけた状態で通らなければならない。平家ガニかワタリガニのように、壁に手を添えながら横這いスタイルで通過する。 第一歩が出ると今度はトッ、トッ、トッ、トッと勝手に進んでしまい。止まらなくなる。吾輩の主人はなんとかストップできるようだが、壁か何かにぶつかるまでは止まらないという人もいるから、危険極りない。
前傾姿勢で、歩幅が小さく、すり足で歩くので道路のちょっとした段差で足をひっかけ転倒することがある。吾輩の主人も平成8年(1996年)の年末、退勤時に歩道工事でできたちょっとした段差に足を引っ掛かり、前に飛び込むような格好でひっくり返った。眼鏡の縁で額を切り、前歯が一本根っこから抜けてしまった。背広は血で染まった。あまり出血がひどいので、通りがかりのビジネスマンが「大丈夫ですか」と声をかけ、持っているティッシュペーパー全部提供してくれたそうである。 救急車で病院に行くのも大袈裟なので、地下鉄の洗面所で顔だけ洗って吹田市民病院で応急手当をしてもらった。怪我を見てびっくりした家族に、「またぞろ、こんなことが起こると大変なことになる」と強く、退職を迫られたという。転倒が直接のきっかけとなり、平成8年の年末で40年弱、つとめた会社から身を退くことにした。 後日、吾輩の主人は足を引っ掛けた場所を確認に行ったところ、水道かガスの工事跡をアスファルトで補修してあったが、僅か5ミリぐらいの盛り上がりで、段差というほどのものではなかったらしい。 目に見えないほどの凹凸が一番危険で、階段のように足を上げなければならないことが事前に判っている方が、安全に歩ける。階段では降りるときの方が、膝ががくがくして危険度が高い。
平地でも線を引くなどの目印があると足の運びはスムーズになる。1、2、3、4と、リズムをとるのも良い方法だ。また、号令を掛けられると足が出しやすい。
したがって、気功や太極拳の場合は割合スムーズに足が出る。ただ足と手がそれぞれ複雑な動きを要求されるとどちらかがお留守になってしまう。 歩くときに前傾姿勢になるのを防ぎ、転倒防止にもなるから杖を突いた方が良いとドクターや回りの人が勧めてくれるが、吾輩の主人は杖を持つとそこに神経が集中し足が出にくくなると、持つのを嫌がる。カバン、荷物を持っても同じことだ。 極端な話をすると紙一枚だけを手に持っていても、神経が手と足に分散され、上手く歩けないという。昔のように「ながら族」はやれなくなってきたのである。
今は一つのことも満足にできない「セミ・シングル族」になってしまったと自分の変身ぶりを説明する。 吾輩も365日、46時中全力投球をしているわけではない。たまには休んだり、サボったりすることもある。正直なものでこの時は背筋をピンと伸ばし、いつもより大股で、踵から着地するという理想的な歩き方になっている。 「一瞬ながら病気が治った至福感が味わえる。」主人の言葉を聞いていると、吾輩の闘争本能がなえてしまうような気分になってしまう。 この状態を少しでも長く保とうと意識すると、100メーターも歩かないうちに元に戻ってしまう。少しでも正しく歩けたということは、手足の筋肉はまだ健在で、脳の命令さえ上手く筋肉に伝えられさえすれば、正しく機能を果たすことが証明されたことになる。 独断と偏見に満ちた自己流の見解かもしれないが、主人は本当にそう信じている。
吾輩がいつサボるのか、主人は必死になって探っている。朝、昼、晩・
夜の時系別、食事時間との関係、薬の服用からの時間、体調の良しあし、疲れているとき、休憩した後などいろいろなケースを考えて、因果関係を求めようとしているが、はっきりしたした相関関係を見いだせていない。それほど吾輩は自由奔放、気ままに生きているのだ。
不思議なことには自宅にいるときが一番姿勢が悪く、歩き方もなっていない。病院で歩行訓練を受けている時は、そこそこ上手く歩いているのに・・・。不思議なことである。と、主人の「ナンデダロー節」が始まる。 姿勢が一番良いのは、気功、太極拳の練習をしている時である。先生から頭のてっぺんにある百会というツボを天から引っ張られている感じで立つように、絶えず注意をされるからだろうか。主人の疑問は一向に解けそうもない。当然のことがら、疲れてるときは足の運びは良くない。
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