ベルギー生まれの厚いコート地を素材にして、北海の漁師が防寒用のコー
トを
作りました。
厳しい寒さ、吹きすさぶ寒風、飛び散る水しぶき、これらをものとせず、身体を暖かく包んでくれる素朴な毛織物の特性を充分に活かしたコートです。
フロントは手袋をはめたままでも、留められるようにと、漁師の命である浮きに麻のロープを引っ掛けるだけです。頭の保護のために被るフードも身頃に直接縫いつけられています。丈は作業がし易いようにと短くされています。
抜群の機能性を誇るこのコートは英国海軍の制服に採用されました。戦争が終わり、平和な時代になると、民間人がダッフルコートを着るようになり、紳士物から、婦人物、さらには子供用とバラエティを増やしてきました。
漁民→海軍→民間人とファッション普及の法則に則って、一つの洋服分野を築き上げてきたダッフルコートの出世コースをトレースしてみましょう。
ベルギーのアントワープ(Antwerp)郊外にある、マリーヌ(Malines)とダッフル(Duffelzandhoven)地方では、その昔厳しい寒さ、雨、風から身を守ることを目標に、紡毛のフェルトタイプの厚い生地を生産していました。1677年頃の話です。
この毛織物は「厚手玉絨」の一種で、起毛仕上げが施され、織物の表面は毛羽立っているため、風を通さない特性を持っています。優れた防寒性から、好評を博し、ヨーロッパの各国に輸出され、フランスではモルトン(MOLLETON)、ドイツではディッフェル(DUFEL)という呼び名で親しまれるようになりました。
北海漁業で生計を立てていた人々が、この厚手の生地を使って、自分達の仕事がしやすく、寒さから完全に身を守るためのコートを考え出しました。ダッフルコート誕生の一コマです。
一番有力な起源説は北欧ノルウェーの漁師の仕事着がルーツとするものです。それは違うアイルランドの漁師が着ていたコートこそが起源という説もあります。
海に起源を求めるのに対抗して、フランドールの羊飼いが着ていたコート、オーストリア・チロル地方の野良着をアレンジしたもの、という二つの高地説があります。いずれにしてもそのルーツは庶民が着ていた労働着で、何処かの王侯、貴族が着ていたという、曰く因縁のあるものではありません。
古くは上層階級の着ていた服を次の時代に庶民が着る「上意下達」型での普及が主流をなしていましたが、新しい洋服の場合、ジーンズのケースを上げるまでもなく、労働着に端を発して徐々にその影響力を上層階級に及ぼす「下意上達」型に替わってきています。
ベルギー・ダッフル産の生成色(きなりいろ=羊毛そのものの色、オフホワイト)をしたコート地は1677年以来、ヨーロッパ各国に輸出されていたので、共通の素材を使って防寒用のコートをデザインすると似通ったものになるのは、ごく当然のことのように思えます。
新しい洋服形態を考える場合、1.使用生地の特性をいかす。 2.既存の洋服を参考に変化を付けていく。
3.誰が着るのかをしっかり把握する。 4.洋服の着用目的にあったデザインを考える。
5.売るものなら価格帯を考慮に入れる。などの過程をへて行われます。
各過程のフィルターを通してくると、その形態なり、デテールデザインは似たものになります。
予想通りに本家争いが起こります。生地が生産されるようになってから約7年後の1684年頃にダッフルコートが誕生しています。ヨーロッパ各地の技術者が腕によりをかけ、新しい防寒コートの開発に励んだことは容易に推察できます。
ダッフルコートのデテールデザインからすると、トッグル釦を使って、麻のロープ留めにするなど、海の香が強いので、高地説はこの際、遠慮願うとしましょう。海・起源説の中でもノルウェーを有力と見て話しを進めます。
ダッフルコートには「W・W・Uブリティシュ・ショートウォーマー」、「コンヴォイ・コート」、「モンゴメリー・コート」の別名があります。名の由来を尋ねることはダッフルの歴史を検証することになります。
デザイン面からダッフルコートを眺めてみましょう。時を経るにつれ、使用素材、ディテールデザインにも変化が見られますので、オリジナルに近いものを紹介します。
生地はベルギー・ダッフル産の厚手紡毛地。丈は船の上での作業の妨げにならないように短めで膝丈となっています。
帽子を被ったままでもカバーが出来る大きいフードは造りつけで、取り外しは出来ません。フロントボタンはトッグルと呼ばれる木製の浮き型で、これに麻のロープを引っ掛けるようにして留めます。
手袋を一々脱ぐことなく、穿いたままで、ボタン掛けが出来るという海の男ならではのアイディアです。大きなパッチポケットが付けられているのも、同じ理由からです。
機能性を高めるため、両サイドにスリットが入っています。スリットの留めの部分には補強のため、三角の小さな革が縫いつけられています。
補強といえば、フロントのトッグルを縫いつける部分の裏側と、反対側のひもを縫いつける部分に力布と呼ばれる補強用の布が取り付けられ、ハードな仕様に耐えられる工夫がなされています。
寒風や雨が服の内部に浸入しないように顎の下にはフード・ストラップ、袖先にはカフ・ストラップが付けられています。
ロンドンの英国戦争博物館(British Imperial War Museum)所蔵の資料に1890年代からの写真があります。1914年〜1918年の第一次世界大戦戦争中に英国海軍(British
Royal Navy)の水兵といってもサービスマンですが、ダッフル型コートを着用している写真があります。
ループをトッグルで留める、暖かさを保つため、肩の部分は布が二重に補強されているなど、ダッフル型コートの特長を、この写真は示しています。
どれほどの人がダッフルコートを着ていたのか、詳しく判りませんが、第一次大戦の時も着用されていたことは事実です。第一次と第二次世界大戦の間の1939年からは一般市民のダッフルコートへの関心が高まり、幾つかの改良が加えられました。
第二次世界大戦では、イギリス海軍が北海警備の勤務用にダッフルコートを採用しました。素材はダッフル・クロ−スに替わって、濃紺色の厚手の紡毛服地(メルトン)が使用され、ディテールテザインも軍隊向きに再び手が加えられ、完成度を高めていきました。
ダッフル・コートは「モンゴメリー・コート」とも呼ばれています。イギリスの英雄「バーナード・ロウ・モンゴメリー元帥(Bernard
Law Montgomery)」が愛用したことから名付けられたものです。戦記によると、「モントゴメリー」と読んでいるものも少なくありませんが、「Montgomery」の中程の「t」は発音しないのが普通なので、ここでは「モンゴメリー」に統一しておきます。
1940年ドイツ軍のフランス侵攻によってイギリス軍は負け戦を強いられ、ベルギーとの国境にほど近い港町・ダンケルクより、何とか撤退することができました。その時に地元の漁師からキャメル色のダッフルコートをプレゼントされました。
モンゴメリー将軍は、ドイツ軍の名将「エルヴィン・ロンメル将軍」を1942年の北アフリカ戦線で討ち破り、一躍英国のヒーローとなったの人です。
ロンメルは巧みな戦術を駆使してイギリス軍をつぎつぎに破りました。後にチャーチル英首相が『敵ながら天晴れ』とほめあげた名将で、「砂漠の狐」の異名で恐れられていましたが、この人を破ったのですから、総ての英国人が惜しみない拍手を送りました。
モンティことバーナード・モンゴメリー陸軍元帥は、ベレー帽にタートルネックのセーターにコーデュロイのパンツという、カジュアルなスタイルが好きで、ダッフルコートも良く似合っていました。
普段着の将軍からは、第二次大戦中の1942年にエジプトのエル・アラメインの戦いで第八軍団を指揮して戦果を上げた名将軍のイメージがわいてきません。
イギリス海軍が北海勤務向けの防寒着として採用したダッフルコートが、戦後「放出品」として一般に出回ったことと、モンゴメリー将軍のPR効果が相まって広く普及するようになりました。
1945年にはグローバーオール社の前身・モリス・ファミリーはまだ高級注文服を主な仕事としていました。
戦争が終わった後、1951年にはハロルドとフリーダ・モーリスは英国国防省の委嘱を受けて第二次世界大戦用に調達したが終戦で不要となった「WW2ダッフルコート」や棉、革製品、手袋、樹脂でコーティングした鎖帷子などを販売することになりました。
戦争の後には新しいファッションが生まれるというジンクス通り、「WW2ダッフルコート」は、大人気を博し、直ぐに売り切れてしまいました。
何分、放出品だけに売れてしまうとそれでお終い。「もっと買いたい」たいというお客さんの声に応えるすべがありません。二人のモーリスはダッフルコートに対する根強い人気に心を揺すぶられ、独自のダッフルコートの生産を開始する央に決心しました。名称も『グローバーオール』と決めました。
英国軍の制服としてのダッフルコートは詳しく仕様が定められているます。もともと漁民が作業服としてきていたコートに改良を加えたものでから、作業性というか、運動のしやすさは抜群です。軍仕様は総てに命が掛かっているだけに、ハードデューティに耐え得ることを前提に造られています。
軍の放出品ばかりでなく、それ以前のダッフルコートの形態、特長も調べ上げました。
機能性に富み、暖かく、着やすいという優れたところはそのまま残し、流行を取り入れた高級でファッショナブルなコートに改良する作業に取り組みました。
合理主義一辺倒から、ファッション、ムード、雰囲気、高級感などを取り入れるマーケティング手法は、戦時から平和時に移行する消費者の大きな満足感が得られると信じてのことです。
オリジナルではフロントに木製のトッグル釦(浮き型)とそれに引っ掛けるための麻のロープが付けられていますが、これをバッファロー(水牛)の角、革製のロープに変えました。
アジャスト用のボタンとストラップが付いているバケツ型の大きなフードは、より平たくなったパンケーキ型のものに変えられました。手袋を穿いたままで物を出し入れできるパッチポケットには、フラップが付けられました。
生地はベルギー・ダッフル製の粗野な物ではなく、二重構造になった英国製の高級毛織物です。一般にリバーシブルと呼ばれるコート地で、2枚の布をあたかも1枚の布のように仕上げたものです。通常は色や柄の違う布を組み合わせてあり、裏地を使わない一枚仕立てにすると、洋服を裏返して着ると違った色、柄を楽しむことができることから、「リバーシブル」呼ばれています。
表面は濃紺、キャメルが中心、裏は英国ならではの洒落たタータンチェックです。グローバーオール社では、あえて一枚仕立ての「リバーシブル」にしないで、二重構造になった生地の保温効果に着目しました。
また、コートを脱ぐときにチラリと見える生地の裏側に英国独特のタータンチェックを配し、裏の変化で洒落るというファッション性を重視しました。これはバックチェックと呼ばれ、人気商品になっています。肩の部分はさらに布が補強されているので、抜群の保温性を誇っています。
永い伝統に裏付けられた英国の縫製技術と、世界的に定評のある高品質の毛織物との結合は、必ず消費者の要望を満たすというグローバーオールの哲学が支持され、順調に業績を向上させました。男性用だけではなく、婦人用、子供用と、商品バラエティも増えました。
1968年にはニューヨークにオフィスを開設、生産量の70パーセントは世界40カ国以上に輸出されています。1986年には国際的に人気のある商品(アウターウェア)として、バーバリー、アクアスキュータムに次いで3位に入りました。
引き続き1987年には英国衣服輸出賞で1位になり、アン王女がグローバーオールの工場を見学されました。1993年には念願だったクインズアワード(女王賞)を得ることができました。
これは輸出に貢献した者だけががもらえる最高の栄誉です。
品質向上のために続けている地味な努力が、このような形で報われ、信用という無形の財産が、ダッフルコートならグローバーオールといわれるまでに、その地位を引き上げました。
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ダッフルコートの元祖、グローバーオール社
http://www.gloverall.com/
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