チャック(Fastener, Zipper

チャックは日本の商標、正式名は「スライドファスナー

チャック、ファスナー、ジッパー、スライドファスナー、ジップファスzipperナー、
色々な名前がありますが、総て同一のものです。衣服や鞄などの開閉に革命をもたらした商品です。男で馴染みの深いのは、Mボタンに代わって、ズボンの「社会の窓」に付けられている例のモノです。1日に数回は御世話になっています。
ブルゾン(ジャンパー)形式のアウターウェア、ゴルフバッグ、ビジネスバッグなどにも使われいるので、知らない人はいないでしょう。
「チャック」は日本で登録された商品名で、日本でしか通用しません。英語のチャック(Chuck)はドリルの刃を取り付ける部分、あるいは旋盤の加工物をつかむ万力のことを意味します。そんなモノで、男の大切なモノを挟まれてはたまりません。
ジッパーはアメリカで商標登録された商品名ですが、あまねく普及したため、一般名のような使われ方をしています。
正しくはファスナー、またはスライドファスナーと呼ばれています。
ズボンのファスナーを単純にフライ(Fly)ということもあります。

靴紐が苦手なホイットコム・ジャドソンの発明

ファスナーが初めて登場したのは1891年のことです。靴の紐を結ぶのが苦手だったアメリカのホイットコム・ジャドソン(Whitcomb Judson)さんが、考え出したもので、二つの小さいチエンが金属のスライダーによって交互にかみ合い、靴のフラップを紐に代わって締め、しっかりと固定してくれる画期的なアイデアでした。
彼は"Clasp-Locker"と 名付けて特許をとり、1893年にシカゴで開催された世界博にこの商品を展示しました。
展示会は二千百万人が来場して成功裏に幕を閉じましたが、魅力に溢れた商品が、他に多数展示されていたため、彼の発明品はわずかな人の注目を浴びただけにおわりました。しかし、ある弁護士がこのアイディアに興味を持ち、後になって設立されたのが、ユニバーサル・ファスナー社です。

ジッパー(Zipper=弾丸が飛ぶ擬音)の名称は1923年から

十数年後、別の技術者・ギデオン・サンドバック(Gideon Sundback)が、ジャドソンのアイデアに工夫を加えて、軽く、小さいものを作りました。それはホックレス・ファスナー(Hookless Fastener)と名付けられ、ブーツだけではなく衣服や財布にでも使えるものでした。
1923年にゴッドリッチ社(B. F. Goodrich Company)が、ゴム製のオーバーブーツを発売したときにホックレス・ファスナーを採用して、ジッパーという名前を初めて採用しました。同社が考えた創作語といいますが、Zipというのは、布地を裂くときに発する「ビュー」という擬音で1850年頃から使われていました。他に弾丸が超スピードで飛ぶ時の音も「Zip」が使われます。ファスナー締めるときの音は日本人には「シュー」と聞こえますが、アメリカ人「ビュー」と聞こえるようです。どちらにしてもなじみ深い擬音を商標にしたのが大成功して、たちまちのうちにアメリカを中心にして、全世界に広がりました。

衣服の着脱が簡単に、情事の表現にも変化

1920年代には実生活に役立ち、心を豊かにするものが次々と出現しました。自動車の普及、ジャズ、モダンアート、クリネックスティッシュ、ジッパーなどです。ジッパーと呼ばれる小さな道具は、当初は衣服やカバンの隠れたところに使用されていましたが、デザインの完成度が高くなり、色彩のバラエティが増えるに従い、表面に姿を現し、デザインの一部を構成するまでになってきました。
衣服の着脱を容易にしたのは、もちろん、その後の女性、男性のファッションにも大きな変革をもたらせました。ジッパーのスライダーを下げると新しい世界が開け、引き上げると夢のシーンがフェードアウトして、現実の社会に引き戻されます。
小説の格好の材料になります。映画にも取り上げられました。
ボタンを外すには何かもどかしさを感じますが、ジッパーは弾丸が超スピードで飛ぶときに発する擬音を意味しているだけあって、スピード感にあふれています。
情事の表現をスピード時代に相応しいものに変えた主役はジッパーでした。

ファスナーの歴史に残るタロン社とYKK

ファスナーを語るのに欠かせない会社が2社あります。アメリカのタロンと日本のYKKです。タロンはファスナーの本家、元祖的な存在で、他のメーカーはタロンを目標にもの作り、品質の向上に励んだといわれています。
特に品質の高さには定評があり、1920年代の初期にアメリカ軍へ納入を果たし、厳格さで知られている「ミルスペック」を獲得しています。
「ミルスペック」というのは正式な表現ではMilitary Specificationのことで、直訳すると「米軍仕様書」です。開発や調達するために要求に合った品目や材料、手順や役務についての技術要求を記載したものをいいます。
戦場でいざという場合に役に立たないと、多くの人命を失うの危険があるので、非常に厳しい規格が定められてます。

ジーンズのリーが、タロン「42オートマ」採用で知名度上昇

1920年代の半ばにジーンズメーカーのリーが101Zによって初めてジッパーフライジーンを商品化したときに、タロンのジッパーが採用されました。
このタロン「42オートマチック」は歴史に残る逸品中の逸品といわれています。閉じたときの幅が42ミリだったことから「42」の愛称が付いたものです。スライダー部分にスプリングが内蔵されており、スライダーがロックできるという優れもので、それ故にオートマチックと呼ばれています。
この名品も1992年に生産が中止となり、タロンのブランドそのものが、経営上の理由で他社に吸収され、昔ながらのタロンを目することはできなくなりました。
昭和30年代には他社のファスナーが、よく故障するのを後目にタロンは安定した品質から絶対的な信頼が寄せられていました。高価な注文洋服のズボンには必ずタロンのファスナーが付けられていました。ファスナーのブランドを見るだけで、洋服のグレードが判るほど、高いステイタスを誇っていたことを思うと、時代の流れを感じます。

YKK、世界シェアの6割を占める。建材分野でも健闘。

一方、YKKは1934年に創業者・吉田忠雄が、東京・東日本橋にサンエス商会を設立し、ファスナーの加工・販売を始めたのがスタートです。当時は務歯(ムシ)というファスナーのかみ合う部分を櫛を使って手で植えていたので、量産はできず、品質が不安でした。スライダーが途中で止まったり、務歯が抜けてしまったりの苦情も多く寄せられていました。
カバンの生産地として有名な兵庫県の豊岡には、多くのファスナーを購入してもらえる上得意の企業がありました。ファスナーへの苦情は即カバンに対するクレームとなり、生産地が困っているという話を聞き、創業者自らできたばかりのファスナーをリュックにいっぱい詰めて、名誉回復をはかったことが、エピソードとして、残っています。
1945年に吉田工業株式会社に社名を変更、翌年「YKK」を商標としました。
1955年、富山県の黒部工場が稼働して、ファスナーに使う金属の鋳造、テープ部分の糸を紡ぐ紡績設備まで備えて、一貫生産が可能になってからは、品質が飛躍的に向上、やがてライバルのタロン社を質量ともに追い抜いてしまいます。
世界各地に工場を持ち、世界シェアの6割を占め、建材部門でも業績を上げています。、創業者の吉田忠雄の「善の巡環」というもの作りに対する基本精神は、今なお全社に脈々して伝えられており、タロン社とは対照的な足跡を残しています。

チャックは広島生まれ、「巾着」がヒントになって・・・

日本にファスナーが初めて現れたのは1917年です。輸入された財布に付いていたものです。昭和2年(1927年)には広島の日本開閉機会社という企業がファスナーの生産を始め、「チャック」のブランドで発売しました。何でも、巾着からヒントを得たものだといいますが、片仮名でチャックと書くといかにも外国語のように見えますが、純粋の日本語で、日本以外では通用しません。
「ジッパー」もアメリカの商標ですが、「ZIP」というのは、弾丸が飛ぶときに発する「ビュッ」という擬音から転用したといわれております。ファスナーを勢いよく引き下げるときの音がよく似ています。
アメリカ人には布を裂く音も同じく「ZIP」ですが、ファスナーの用途から考えて、こちらの音は返上したいものです。
Zipperはアメリカ人好みの明るい響きがあることから大いに普及し普通名詞として使われることもあるようです。
風の強い日でも、スパーッと、小気味のよい音を立てて、炎が現れ、愛煙家の必需品となっているライターの「ジッポー」。このライターの開発者・ブレイズデルはジッパーという言葉の軽快な響きが好きでしたが、ファスナーの商標として使われいるので、やむなく発音の似ている「ジッポー」にしたということです。
世界共通の正式名は「スライドファスナー」です。閉じこめる、固定するなどの意味を持つ英語の「Fasten」からきた言葉です。

スライダで務歯をかみ合わせて閉じる。精確さが命。

ところで、ファスナーはどうやって閉まったり開いたりするのでしょうか。理屈が判らなくても、開閉には不自由をしないので、無関心派に属する人が多いようです。簡単なようで、言葉で説明するのは、案外難しいものです。
ファスナーは基礎になる布テープの部分に金属あるいは樹脂製の小さい務歯(ムシ)がたくさん付けられています。
歯のような部分を「エレメント」と呼んでいます。 このエレメントがかみ合って閉まるのです。上下に移動するスライダーの部分で、エレメントをぐっと曲げて,口を開いた状態にして、歯車がかみ合うように一つ一つのエレメントをかみ合わせていきます。
したがって、エレメントが正確な間隔を保ち規則正しく並んでいないと、スライダーが途中で動かなくなります。その昔はエレメントを手で一つ一つ植え込んでいたので、務歯の並び方が不正確で、便所に行ったのはよいが、途中で動かなくなり、恥ずかしい思いをした殿方も多くいたようです。
務歯が布にしっかり固定されておらず、抜け落ちて、使えなくなったこともあります。戦中、戦後しばらくの間のファスナーに対する不信感は大変なもので、 「ファスナーは壊れやすい!」というよからぬ評判を頂戴しましたが、機械生産になってからは、品質が著しく向上して、そうしたことも昔話になってしまいました。
しかし、ファスナーの構造上から、布を食い込んだり、大切なところの毛を挟んで痛い目に遭うことは避けられません。

Mボタンに代わってズボンの前開きにファスナー

背広の故郷・イギリスでは1934年にはマウントバッテン伯爵がトラウザーズの前開きにファスナーを使用していたといいます。もちろん一般人のズボンはボタン留めでした。ボタンが外から見えいよう比翼仕立てになっていたので、Mボタンを留めるのに一苦労しました。
ところで、Mボタンの「M」は何を指すのでしょう。一般論からすると男性を現すMan,Maleの「M」が採用されたものと考えますが、明解国語辞典によるとMは魔羅(Mara)略称だと説明いしています。魔羅は仏教用語から転じて、男のシンボルを現す言葉で、軍隊でも「左マラ」などという使われ方をしてきました。この辺の事情は別稿の股袋(Codpiece)を参照してください。

「M」に関するイギリスの下ネタ二題

謹厳実直な英国人も下半身についての人格は別と見え、「M」に関するジョークが色々紹介されています。
その1。舞台はロンドン郊外にある、小学校・高学年の教室。毎日のように黒板に「トムのアレは大きい」と落書きされます。「誰ですか、こんな悪戯をしたのは」担任の女教師の注意にも代わらず、落書きは続きます。
ある日、先生はトムを別室に連れて行きいいました。「トム。噂が本当か確かめてあげるから出してみなさい」
その2。背広の語源となったロンドンのサビルローにある注文洋服店が舞台。Mボタンの代わりに新しく開発されたファスナーを付けました。開発当初のこともありお客さんの大切なモノを挟んで傷を付けてしまいました。
「5針も縫う傷をした」というクレームを受けた店員が、マスターに向かって、客がカンカンに怒っていると事の次第を報告しました。マスターは驚く様子もなく「虚栄心の強いやつだ。5針も縫ったと・・・」と、つぶやいたといいます。1930年代の後半での話です。
大きい、小さいといっても、何センチ、何ミリの違いなのに、巨乳、巨尻、巨マラは何時の時代でも話題になるようです。大物に憧れるのは男の本性なのでしょうか。
しかし、先に紹介したように、生産の機械化で務歯が正確に植えられ、さらにベースのテープの改良、スライダーの性能アップなどで、最近はこの種のトラブルは殆ど無くなりました。
ファスナーの種類も増えジーンズ、チノパンツなどのカジュアルのパンツには金属ファスナーが、主として用いられるようになりました。金属ファスナーは材質別に大別すると 丹銅、洋白、アルミの3種類あります。 もっとカジュアルなスポーツウェアには、デルリン樹脂を務歯に使ったカラーフルなものが主流になります。
ビジネススーツのトラウザースのようなオーソドックスなモノにはコイルファスナーと呼ばれるナイロン製の務歯の付いたものなどなどと、使用目的による棲み分けが進んでいます。

初めてカバンにファスナーを採用したエルメス

バッグに初めてファスナーを採用したのは、エミール・エルメスです。1923年に発売された旅行用バッグ「ブガッティ」は、鞍を縫う特別な技法と、簡単に開閉できるファスナーの利便性をドッキングさせたもので、シンプルで機能性に優れたこの商品は、高価な値札が付いてるにも関わらず、働く女性層の支持を得ました。
エルメスはブルボン家の王政復古の1837年に創業しました。創業者・ティエリ・エルメスは13才の時に馬具屋に見習いとして入り、革のなめし、鞍作りの技法を学びました。
当時は王侯、貴族、新たに誕生したブルジョアが競って馬車を持ったので、パリ・ランパール通りにオープンした彼の工房は繁盛しました。
しかし、1903年にはアメリカで馬車に代わる自動車の大量生産が始まりました。その頃はエミール・モーリス・エルメスが3代目の社長を務めていましたが、危機感を持ったエミールは長年の間に積みあげてきた鞍作りの技術(クウジュ・セリエ)を温存させながら、時代の求める商品の開発に力を入れることにしました。

伝統技術を応用しての新製品開発に軸足

エルメスは懐中時計の紐を「腕巻き用」の皮バンドに替え腕時計を創作したり、紙に多色刷りが出来るシルクスクーリン技法を絹のスカーフに応用するなどで、時代の要請に応えてきました。
1867年の第2回パリ万博に出品した鞍が銀メダルを得ました。1878年の第3回パリ万博でもグランプリを得ており、革製品を縫う技術には自信があります。
エルメスの先取精神が、新しいカバンの開発をアイテムとして選びました。発売間もないファスナーに目を付け、完成させたのが「ブガッティ」でした。
1880年に2代目社長のエミール・シャルルは、現在エルメスの本店があるフォーブル・サントノーレに店を構えました。どっしりとした風格のあるたたずまいは、創業以来今日まで「品質至上主義」を貫いているエルメスを象徴するかのような雰囲気を持ち、フォーブル・サントノーレでもひときわ輝いた存在です。
今日もパリの上層階級、世界各地からパリにやってきた観光客で賑わっております。もちろん日本らのお客さんも少なくありません。
この辺りはパリでも外国、文化の中心地として知られ、一流のクチュール、デザイナーの店舗が軒を並べています。
では、ファスナーの話はこれでお終いにします。スライダーを上げて・・・さようなら。
Your fly's open.「社会の窓が開いているよ」と言われないよう、ご注意、ご注意。


ファスナーのことがよく判る、YKK特約店・共栄ファスナーの頁
http://www4.ocn.ne.jp/~chakkuya/index2.html


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