ジーンズの語源はイタリア北部の港町、ジェノア(Genoa)に求められます。
中世に目の詰まった丈夫な三枚斜文組織の綿布・ジェノア・ツゥィル(Genoa Twill)がジェノアを中心に広がりました。
時代は下って1850年頃より、この港からアメリカに向けて、幌馬車の幌用として、あるいは、テント用としてこの丈夫な綿布が輸出されるようになりました。ジェノアをフランス読みをするとジェーン(Jenes)となり、さらに英語読みでジーンズになったといいます。
生地は素材がコットンということもあり、その上がっちり織ってあるので、少しごわごわしていてお世辞にも風合いが良いと言えませんが、丈夫で、野性的な魅力を持っています。
その魅力で今日でも男女、老若、幅の広い層に愛用されています。
単なるファッションではなく、ライフスタイルに変革をもたらし、一つの文化を築き上げました。
ジーンズの素材として知られているのが、デニムです。南フランスのニーム地方でも線を斜めに走らせた綾織りで、厚地くて丈夫な綿織物を生産していました。綾織りのことをサージといいます。戦後真っ先に流行した服地がサージでした。綾が斜めに走っており、光線によって立体的に見えるので、軍服、制服などにはサージ組織の服地がよく使われます。ニーム地方で生産されたサージという意味で「セルジュ・ド・ニーム」と呼ばれていました。長いのでセルジュが省かれ、「ド・ニ−ム」になり、最後に「デニム」になったそうです。
1800年代、ゴールドラッシュに沸く、アメリカ開拓時代の立役者である男達が待望していたのは、ハードワークを支えるための丈夫な労働着でした。リーバイ・ストラウス(Levis Strauss)は、テントに用いられる厚手のブラウンキャンパス地で世界初のジーンズを商品化しました。
さらに、1873年に衣料品のポケットの補強に金属リベットを使用する方法」に関する特許をリーバイ・ストラウス&カンパニーがヤコブ・W・デイビスと共に取得しました。
「リベッティド・クロージング」の誕生が飛躍、発展のきっかけになったわけですが、、リーバイ・ストラウスはサンフランシスコで雑貨店を開いていたので、世の中の流れを汲み取るのに敏感でした。この読みが正しかったことは今日のジーンズの普及が如実に証明しています。
いかにもテント地の転用を思わせる生成りやベージュ色にせず、ブルーにしたのも成功を呼ぶ一因になりました。藍の葉を発酵させて染色するインディゴという手法を採用し、ブルーに染めました。ブルージーンズの誕生です。
「藍」は藍より出て藍よりも濃し・・・という諺があるように染色性にも優れていました。さらにインディゴ染めを身に着けていると蛇に噛まれないという神話も出来て、大ヒット商品となりました。
タテ糸にインディゴで染めてたブルーの色糸を、横糸には白く漂白された細めの糸を使い、サージ組織に織り上げますと、布地の表にブルーの色糸が多く出て、裏は白がかったものになります。
長年はいているとブルーがはげて、横糸の白が浮き出てきます。そのはげ方がファッションとなり、新品をわざわざ使い古したように加工されたものもあります。
後のことですが、「ホワイトカラー」に対して「ブルーカラー」という言葉を産み出しました。ブルージーンズをはいた人を意味します。それほどまでにジーンズが普及したのです。
ジーンは労働者が作業着として使ったものだけに、丈夫で、機能性にに富み、汚れも気ににせず、遠慮会釈なくはきこなすことが出来ます。丈夫な生地、金属のリベットによるポケットの補強などの商品を特長が消費者に受け入れられ、業界に確固たる地位を築き上げました。
ファッション界の常道で労働者、軍人に愛用された機能性の良いものが、一般市民、中流階級、上層階級へと影響を及ぼしていきます。すべてがリーバイ・ストラウスには追い風になりました。
しかし、アメリカでも大衆に普及するするのに可成りの日数を要しています。大衆に受け入れられたのは、第二次世界大戦後の1950年頃です。まず、大学生がこれに飛びつき新しいカレッジライフスタイルを作りました。ジェームス・ディーンの映画も、少なからぬ影響を与えたようです。
日本にジーンズをもたらしたのは、アメリカの進駐軍(GI=Goverment Issue=官給品のことですが、アメリカの下士官、兵士の衣服はすべて官給品であることから、兵隊そのものを意味するようになりました。)です。ジーパンという言葉はGIがはいていたパンツを意味する日本製の言葉だといわれています。
そうではない、ジーンズで作ったパンツだという説もあります。本家のアメリカではパンツをわざわざ付けなくても意味が通るので「ジーンズ」といっています。ジーンズが日本に持ち込まれ、普及したタイミングなどから考えるとGI説が有力になってきます。
日本には1950年頃に援助物資として中古のジーンズが持ち込まれましたが、これに注目したのは、ごく一部の人だけでした。
1953年の映画「乱暴者」で主演のマーロン・ブランドがジーンズを格好良く着こなすというか、はきこなしいたのが話題になりました。アメリカと同じように、先頭を切ってこれを着たのは大学生でした。体制への反抗の象徴としてジーンズを受け入れたのです。1969年学生運動が盛んになりましたが、歩調を合わせるようにジーンズが普及してきました。
きれい目のファッションとして日本に輸入されたジーンズも、弊衣破帽の影響を受けたのか、だんだん、汚い目のファッションへと移行していきます。色はげ、穴あき、破れ、汚れ、1974年にはつぎはぎジーンズが脚光を浴びます。
新品にも関わらず、石と一緒に洗濯して、石の摩擦で、はげたように見せるストンウオッシュという手法が1982年に採用されました。
ある生地メーカーが染色に失敗したサンプル商品を目ざとく見付けたジーンズ・メーカーがその失敗作を商品化したいと申し出たというエピソードも残っています。
息子がはいているジーンズを見て「だらしないズボンをはきやがって」と、冷たい目で見ていたオジサン族が、何年か後に、日曜大工(Do
It Yourself=DIY)を楽しもうと思ったとき、散歩などのリラックス・タイムに息子のジーンズをはいてみます。
意外にはき心地が良い、機能的で動きやすい、なによりも気分がリラックスすることを発見、虜となりワードローブに一本、また1本とジーンズを加えていきます。
軍服、作業着などヘビーデューティに耐えうるためには丈夫で、着やすく、機能性に富み、手入れが簡単という色々の要素を満たしていなければなりません。これにファッション性が加わると、服装の制約が少ない学生が興味を示します。そして、一般の若者から中高年へと広がっていきます。伝染病のように・・・。ファッションが持つ魔力のせいです。
ジーンズの日本の生産量は主要18社の金額ベースで2000億円と言われています。
先駆者のリーバイ・ストラウスは1982年にリーバイ・ストラウスジャパンを設立しています。
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ビッグジョンのジーンズワールド。
http://www.fcc.co.jp/bigjohn/index.html
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