国民服(Kokuminfuku)

何時でも軍服に替わるテザイン、色はカーキ

そこそこ年配の人なら、色とか、スタイル、ファッションなどには一切関kokuminfuku
係のないブラックホールの時代を経験されたはずです。第二次世界大戦を挟んでの数年間のことです。
男は頭を丸坊主に丸めて、そのまま軍服に替わるというデザインの国民服を着せられました。色はカーキ色一色。
女性は年齢を問わず、色気の「い」の字もない『もんぺ』姿になってしまいました。
「欲しがりません。勝つまでは」の標語が示すようにあらゆる物資が不足してました。「欲しがっても、ありません」というのが実状です。国民服の制定は繊維の不足を補うという目的もありましたが、国民の目を戦争という一点に向け、同じような考え方、同じような行動をとらせるには同じ服装をさせるのが一番の早道との考えもあったようです。

贅沢は敵。女性は「もんぺ」に「防空頭巾」

日本、ドイツ、イタリアの三国による防共協定が成立し、戦時色が一層濃くなってきた昭和12年10月に、国民精神総動員中央連盟が結成されました。洋風や贅沢をやめ、非常時に備えて「もんぺ」を着るように啓蒙運動が行われました。
第二次世界大戦が激しくなると、女性の姿はもんぺと防空頭巾に、統一されてしまいました。着られなくなった着物を潰してもんぺにする人もいました。スタイルは農作業をするオバサンを彷彿させるもので、お世辞にも良いとは言えませんが、着易く、動き易いと、機能性の面では概ね好評を得ていました。

日本陸軍はカーキ色がお好き。大砲、戦車、国民服まで

一方、男性の服装は昭和15年11月1日に大日本帝國国民服令で「国民服」を着るように定められました。かって中国の要人が好んで着用した「人民服」とほぼ同じようなものです。背広に替わる平常服として考えられたものですが、そのまま戦地に出向くことができる軍服に似たデザインでした。色はカーキー色で国防色とも呼ばれていました。カーキーはヒンズー語で土埃という意味です。少しグリーンのかかった茶褐色といえるでしょう。
動物は自分の命を守るために、自分の体の色を周囲の色に合わせます。保護色というヤツです。そのむかし日本の陸軍は紺色の軍服を着ていました。目立つのですぐ敵に所在を知られてしまいます。そこで目立たない保護色ともいえるカーキーを採用したわけです。
国民服は陸軍の軍服を意識して制定されましたので当然色もカーキーになりました。
日本陸軍のお偉方はこのカーキ色がお好きだと見えて、大砲、戦車、装甲車まで、この色に塗ってしまいました。

国民服、ゲートル、坊主頭。思想まで単一化

国民服は礼装として用いられるようにも考えられていました。上衣の第二ボタンから胸ポケットに古代紫色の国民服儀礼章をつけるというものですが、衣料品に配給制度が採用され、肝心の服地そのものが入手できなくなりました。
「礼装にも着用できる」という、せっかくの親心も役に立たないものとなりました。
日本男子の服装は坊主頭に国民服、足にはゲイトルを巻くというスタイルに完全に統一されました。国民学校の制服も同じ色、同じスタイルが採用され、万一の事故に備えて身元が分かるように、胸に白い布をつけて学校名、学年、血液型、氏名などを書き込んでいました。
洋服のスタイルだけが同一化されたのではありません。洋服は人間の思想・行動を左右する不思議な力を持っています。

モーニングを着ると行儀が良くなる

ジーンズのようなラフなを洋服着ているときは、道端にしゃがみこんでみたり、ラフな行動をする人も、モーニングコートのような厳粛な雰囲気の洋服を着ている時は少し行儀がよくなります。
劇のリハーサルを見たことがあります。衣装をつけていなかったこともあり、セリフからはその人の役割がはっきりわかりませんでした。ところが実際の舞台を見ると衣裳と役者の演技力が相まって、王様役は立派な王様を演じていました。リハーサルで聞いた声と全く違ったように聞こえたのは不思議なものです。衣裳が俳優さんをその気にさせたのでしょう。
「馬子にも衣装」。馬子のような粗野な仕事をしている人でも、身なりを整えれば立派に見える・・・と諺が教えています。「馬子に褞袍」。こちらの方は馬子には「どてら」のようなお粗末な服が似合う、身分相応の洋服を・・・との教えです。

スッポンポンで役割を好演するフランスの役者

こんな話もあります。フランスはパリのムーランルージュ近くで、時間潰しに映画を見に行こうとしました。切符を買って中に入って吃驚しました。男と女がいずれも全身スッポンポンで映画と同じタイトルの劇を演じていたのです。間違っているかも知れませんが、「O嬢の物語」だったと思います。
たったひとつ身に付けていたのは、黒の蝶タイです。フランス語の苦手な私には台詞は全く判りません。しかし、一人一人の役割が手に取るように判るのです。
さすがにフランスです。ストリップにも芸術性を求めています。しかし、これは限られた役者の世界だけにのみ通じる話です。衣服が人間の行動や思考のパターンに影響を与えるという話から大きくそれてしまいました。

国民服を着て「進め一億火の玉だ」、「鬼畜米英をやっつけよう」

戦争中私たち国民は「神州不滅」という言葉の下に、日本には神様が付いておられ、絶対戦争に負けることがないと教えられてきました。疑うことなくその通りだと思っていました。神風戦闘機、人間魚雷など必ず死ぬと分かっていることでも、あえて良とする「死中心主義」の考えから、花と散ることが、お国の役に立つのだという矛盾に満ちた論理にも疑問を挟む余地が与えられなかったのです。
国民の目を戦争の勝利という1点に集める手段としては、国民服は効果的でした。「一億一心」と時の近衛首相がラジオで演説すれば、すべての国民が「鬼畜米英をやっつけよう」と答える。ついには「進め一億火の玉だ」と増幅してしました。

マオルック」としてファッションの第一線に・・・

「ぜいたくは敵だ!」とも云われました。実際にはぜいたくをしようにもできない状況になっていました。「欲しがりません勝つまでは」、欲しがっても物資不足で思うようなものが手に入らなかったのです。
衣料の購入が切符制になりました。都市住民には100点、郡部には80点の衣料切符が配られました。
洋服、着物80点、ワイシャツ28点、タオル3点で買うことが出来たのですが、何点か使った時点で品物がなくなり結局は役立たずになりました。
ファッションがどうのこうの、色は、柄は、スタイルはと、トレンドを語れるのは平和な証拠です。
ファッションとは面白いものです。「マオルック」という名前で毛沢東が着ていた釦数の多い折り襟の洋服が一部の若い人にカジュアルウェアとして着られています。強制されずに自分の考えや信念で着るのは結構なことです。



戦争に関する資料館調査会
http://www.pref.aichi.jp/kenmin/chosakai/tenji/tenji_b/picl/hp1010190.htm


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