背 広(Sebiro=Jackt & Suit)

背広の語源には地名・種別・形状の3説が

何気なく使っている「背広」という言葉はどこからきたのでしょう。ジャsevilrowケット
にズボンとチョッキを加えた三揃えも、ジャケットとズボンを組み合わせた上下服も、ジャケット単体でも「背広」という一つの言葉でいい現されています。では、背広の語源に探りを入れてみましょう。
1、ロンドンのウエストエンドに高級注文洋服店が軒を並べるサビルロー(Savile Row)という小さい通りがあります。背広発祥の地でもあり、英国トラディショナルの、メッカといわれている通りの名に由来するもという説です。ここで洋服を誂えてきた明治の元勲が自分の服を「サビルロー仕立てだよ」と自慢したのが始まりだといいます。
2、軍服のミリタリーに対してシビル・クローズ(市民服=Civil Clothes)がなまったもの。シビルがセビロになったというのです。
3、フロックコートなどの背に対して、背広は文字通り広く裁断されているからという諸説があります。

洋服のメッカ・サビルロー通りの名を取って《地名説》

客層は世界の王侯・貴族からにわか成金まで
ロンドンの中心地,ウエストエンドと呼ばれている地域、リージェント・ストーリーと,ボンドス・トリートに挟まれた,150メートルあまりの短い裏通りが、サビルロー(Savile Row)です。ここにはキルガーフhuntsmanレンチ&スタンバリー、ハンツマン、キブス&ホークス、ヘンリープールをはじめとする高級注文洋服店が約50軒を並べています。
世界中のVIPが、このサビルローで洋服を誂えています。
英国紳士、ヨーロッパの貴族はもちろんのこと、インドが英国から独立するまでは、殆どの豪族(マハラジャ)の洋服はここで造られていました。
世界各国の王侯、貴族、首長、歴代米国大統領、有名なハリウッドスター、アラブの石油成金、日本では西園寺公、吉田茂、昭和天皇など錚々たる顔ぶれがお客さんになっています。

一度に100着も注文した石油成金も
バブル経済に浮かれていたときは、日本からも何人かの成金紳士が洋服を誂えにやってきたそうが、仕立て上がるのに6カ月もかると聞いて、せっかちな日本人は「そんなに掛かるなら、止めたー」と、注文をせずに帰った人も少なくなかったといわれています。
原油の値上がりで思わぬ大金を掴んだアラブ人が一度に100着もの洋服を注文し、頭にかぶる帽子から靴まで完全にコーディネートして納品して欲しい、しかも、仮縫いは必ず超音速旅客機・コンコルドで来るように・・・というような話題には事欠きません。
こうした大金持ちになると自分がコンコルドに乗るのは当たり前で話題にもならないので、かかりつけのテーラーがコンコルドで仮縫いに来たことを自慢したかったのかも知れません。

サビルローでは路面店が軒を並べる
ちなみに、サビルローのテーラーを中心とした「マーチャントテーラー協会」が設立されてから約110年になります。個々の洋服店はもっと古い歴史を持っています。
背広形式の洋服がサビルローで始めて作られたのは1787年だとされています。以前のサビルローにはお医者さんががたくさん住んでいたようです。 何時とはなしに、テーラーの店が多くなりました。お金持ちのお医者さんを当て込んで、テーラーが集まってきたのか、別な理由があったのかは、定かではありません。
バーリントンアーケードの方角から北の方向に少し入ったところ、右側(東側)のサビルロー3番地にジョージアン風のクラシックでありながら瀟洒なビルがあります。ビートルズのオリジナルオフィス・アップルがこの中に入っています。savilehyoshiki
ヨーロッパのテーラーはほとんどがビルの中にあり、路面店は見掛けられないのですが、サビルローは例外で、一階に店舗があり、階上あるいは地下に、職場があります。経験、何十年という熟練工が、慣れた手つきで洋服を縫っています。
洋服一着の値段は店や素材で違ってくるので、一概に言えませんが、約35万円ぐらいです。三つ揃えの洋服だとどんなに早く縫っても5日間掛かります。世界に名の知れた老舗の洋服を高いと思うか、妥当だと思うかは、消費者の美学、哲学が判断するところです。

「サビルロー仕立て」と自慢したのが始まり?
しかし、一般のサラリーマンの目から見ると、高嶺の花の存在です。レストランに入ったときにコートをクロークに預けますが、サビルローの一流テーラーの織りネームがついていると、上席に案内してくれるという神話がいまでも残っています。
サビルローで洋服を誂えてきた明治の為政者が自慢げに「サビルロー仕立てだよ」と、吹聴したのが、「セビロ」という言葉を産み出したとする説には説得力があります。
しかし、「サビルロー街というのは、ビクトリア朝のころは別に洋服、羅紗の街ではなかった」ということを理由に、この説は間違っているという意見があります。なるほどと思いますが、日本で「せびろ」という言葉が書物に取り上げられたのは、慶應義塾の初代塾長となった古川節蔵が明治3年(1870年)に発刊した「絵入智慧の環」だといわれています。その頃にはサビルローは立派な洋服街になっていましたので、サビルロー説を否定する材料にはなりません。
明治の初めには「せびろ」は、「まんてる」あるいは「半まんてる」と呼ばれており、「せびろ」が定着したのは、明治25年以降です。

市民服(シビルクローズ)がなまった?《種類説》

洋風化は軍服(ミリタリー)が先行、市民服が後追い
日本でも一番最初に洋服を採用したのは軍隊です。有事には機能性、活動性が要求されるから当然のことでしょう。初のうちは洋服の着用を厳しく禁止していた幕府も陸海軍の調練用として、詰め襟の上衣にズボンの使用を認めるようになりました。
筒袖の上衣とズボンに陣笠をかぶるという和洋折衷の奇妙な姿で戦いに臨んだのです。日本で公に認められた最初の洋服は戎服(じゅうふく)ともよばれていました。しかし、この洋服は外国人の教習を受けるためのもので、訓練以外の着用は禁じられていました。
慶応2年(1866)に幕府は陸軍の制服を洋服に替えたのをきっかけに一気に洋風化が進みました。
ちょうど政権が幕府より明治政府に移行するときでもあり、総ての体制が大きく変わろうとしていた時代を背景にしていました。

陸軍はフランス式、海軍はイギリス式
明治3年(1870)には兵部省が設けられ軍制が整備された結果、陸軍はフランス式、海軍はイギリス式を模範とすることとし、翌年にはそれぞれにふさわしい服制が定められました。服装の洋風化は軍隊から始まり工部省、兵部省の役人、邏卒(巡査),郵便夫、鉄道員などの官員に広まり、少し遅れて京都のお公家さん、一般市民へと波及していきました。
軍服(Military Clothes)に対して市民の着る服は(Civil Cothes=シビル・クローズ)と呼ばれます。シビルがなまって「セビロ」になったという説があります。慶応3年(1867年)に福沢諭吉が書いたといわれている「西洋事情」という小冊子にはセビロのことをビシネスコートと呼んでいます。
●オワコート(オーバーコート) ● ビジネスコート(上着=ジャケット)seiyojijyo
●ゼルツマンコート(フロックコート) ●ヅローセルス(ズボン)
●ヅロワース(ヅロワース) ●ウエストコート=チョッキ(ベスト)
●オントルショルツ(シャツ) ●ショルツ(ホワイトシャツ)
●ネッキタイ(ネクタイ) ●コラル(カラー=衿)
●ストッキング(靴下) ●シウーズ(靴)
●シウーイン・ホルン(靴べら) ●スリップル(スリッパ)
といった具合です。
耳から聞いた外国語を日本語に書き直したもので、福沢諭吉の場合はドイツ訛の強いものなっています。シビル(Civil)が「セビロ」に変わっても不思議ではない雰囲気ですね。

明治3年「智慧の環」に「せびろ」初登場
しかし、初めは足袋職人に洋服の縫製技術を仕込んだそうですが、彼らが軍服の次に縫ったはフロックコートの類では無いかと思われます。
ところがよく資料を調べてみると、先にも紹介しましたが、日本で「背広」という用語が初めて登場したのは明治3年(1870年)に発刊された「啓蒙・智慧の環」で、その中に平仮名ではあるが「せびろ」と書きあらわしています。言葉が存在するのは実物が存在していたことを物語ります。
その後に出版された諭吉の本に背広が載っていないのは、限られた業界、場所でのみで使われていたものと思われます。
似たような発想ですが民法のシビル・ロー(Civil Row)が語源になっていると主張する人もおられます。

モーニング、燕尾服に比べ背が広いから・・・《形状説》

裁断した背部を見ての職人言葉が源流に
フロックコートを後ろから見ると背の部分が、5本の縫い目で構成されていることがわかります。背の中心と脇縫い目の間にもう1本下の方に美しいカーブを描いた縫い目が入っています。燕尾服もモーニングコートも背の部分は同様の裁断・裁縫方法を採用しています。
ところが普通の背広は左右1本づつ計2本の脇縫い目と背の中心部にある背縫い目の3本で構成されています。
後ろ身は二つに断たれた生地だけで出来ている訳ですから、裁断した状態では、背の部分の生地が広く見えます。洋服職人の仲間で「背の広い服」と呼んでいたのが、短くつまり「背広」になり、一般市民にまで広がったという説があります。裁断師の目でみた場合はこうなりますが、裁縫師の見方は少しニュアンスが違ってきます。

ゆったりした服を目指して背を広く
背からウエストに流れるラインが身体にピッタリフィットさせるため、背巾をや狭く仕上げるフロックコートに対して、背広は背の部分を広く造ってあるので「背広」であると、主張したくなります。
背広はアメリカではLounge Suit=ラウンジスーツと呼ばれいます。ゆったり着られる服、くつろぎ着を意味します。また、Sac Coat=サックコートとも言います。袋型、箱型、ズン胴型の別名を持つように、身体を締め付けず、楽に着用できる服です。
寸法が広いのか、面積が広いのかの違いはありますが、背の部分が広いのが背広のいわれだという主旨には代わりはありません。



テーラーヨシダのホームページ
http://www.shitateya.com


とびら  ホーム

ホームセビロフォーマルボトムコートアクセサリーテキスタイルパターントピックス検索目次リンク