TPOというのは、Time、Place、Occasionの頭文字をとったものもので
す。Time=時間、Place=場所、O=場合を考えて、それに相応しい洋服を着ようではないか・・・・という社団法人・日本メンズファッション協会(MFU)による提案が、ファッション業界だけではなく、あらゆる業種に影響を及ぼしました。
昭和38年(1963年)に発表されて以来40年弱の歳月が経過したいまでも折に触れ使われいます。ライフサイクルの短いファッション界では珍しいことです。
ヒットの影に人あり・・・服飾評論家、IVYの神様、元VANの社長・石津謙介氏の功績が光っています。かって石津氏はMFU理事長を務め、強烈な個性と指導力でトップリーダーとして活躍した人です。
TPOの由来を訪ねるとともに、発案者である石津謙介氏のプロフィールを紹介しましょう。
日本メンズファッション協会(MFU)では昭和35年(1960年)に「ハイスピリットカラー」をファッションテーマとして発表して以来、毎年その時々にふさわしい言葉を選んで、時には独得の造語まで考えてテーマ発表をしています。初めのうちは色彩にいついてのテーマが多かったようですが、次第にライフスタイルに関わるものが増えてきました。
TPOがテーマに採用されたのは、昭和38年のことです。昭和38年といえば池田勇人内閣が提唱した所得倍増政策が、ほぼ完成の域に達した時期ですが、第一次石油ショックに見舞われ、われわれの生活に大きな影響を与えました。日本人の服装を国際的水準へレベルアップしようとする、一般消費者への啓蒙的な意味を含めての設定でした。
日本メンズファッション協会(MFU)は紡績、織物業者、商社、アパレル、小売り、デザイナーなど、洋服だけではなく、頭にかぶる帽子から、靴にいたるまですべてのファッション関係者によって構成されています。
テーマ発表以外の事業として、その年のベストドレッサーを各界から選定、表彰していす。また、年に2回、鈴鹿サーキットでファッション産業会議を開いています。メンズファッションの世界的な動向、これからのライフスタイル変化などを勉強する集いです。1泊2日のこのゼミナールの参加費は金15万円也。マスコミに登場する有名な評論家、大学教授、芸術家、業界の権威者が講師として毎回名を連ねてるので、それだけの値打ちはあるのでしょう。約350名の参加者があるそうです。
T:Time(時)
食事でも朝食(ブレークファスト=Breakfast)、昼食(ランチ=Lunch)、夕食(ディナー=Dinner)に別れており、内容もそれぞれ違います。服装の場合も昔からのいろいろな規定があり、その規定は長年の歴史を経て、自然発生的に、培われてきたものです。少しずつの変化はあっても、革命的な変化は求めることはできません。多くの人の、コンセンサスを得て出来上がったルールは、一人や二人の意見では、到底変えることはできません。体制に従うしか方法がないのです。日本人、に一番欠けているのは、この時間観念だと言われています。
夜の催しにモーニングコートを着用したり、午前中のパーティーにタキシードを着る、大切なビジネスの打ち合わせにカジュアルウェアを着ていくのは、完全なルール違反です。日本人だけの集まりでは「まあまあ」で済むかも知れませんが、国際的な催しになると日本人の常識のが疑われます。
イタリアのサンレモは地中海に面した保養地です。海岸に近い丘の上に建っているロイヤルホテルに宿泊したことがあります。部屋には2つの背の高い洋服タンスが備え付けられていましたが、廊下にも洋服タンスがずらりと並んでいました。不思議に思って聞いてみると、7月から8月のバケーションには長期滞在のお客さんが大勢やってくるが、TPOに合わせて着分けるために何十着も洋服を持ってくるので、これでも収容しきれないということでした。
日本も豊かになりましたが、服装の面ではかなり遅れを取っているようです。
P:Place(場所)
同じ結婚披露宴でも一流のホテルで催される場合は、出席者も社会的地位の高い人が多くなります。指定された服装の範囲で最上級のものを着ていくべきでしょう。最近ではカジュアルな感覚のレストランを借り切って行われるケースも増えてきました。また、庭園で行われるガーデンパーティなど、趣の違った披露宴がありますが、このような雰囲気の場所では、モーニングコートはおよそ相応しくありません。
会議でも都心のホテルもあれば、温泉地、保養地で開催されることがあります。一番困るのは、第1日目はホテルで会議と会食、二日目はゴルフといったフォーマルとカジュアルの組み合わせた催しです。
どちらにも通用する洋服ということで中途半端な服にしないことです。少し荷物は増えてもフォーマルウェアとカジュアルウェアの両方を持っていくことです。
カジュアル・フライデーのかけ声と共に金曜日に限って、ビジネスの場でもカジュアル感覚の服を着てもよいことになっていますが、なんといっても職場は職場、ゴルフ場へ行くスタイルでの出勤はセンス、常識が疑われます。節制の効いたカジュアル、いつもの服を少しドレスダウンした程度のほうが浮いた存在にならないし、職場を訪ねてきたお客さんにも違和感を与えません。
O:Occasion(場合、機会)
OをObject(目的)と理解している人もいるようです。どちらでも意味はあまり変わりません。こうした場合は何を着ていけばよいのか、どんな目的のためにこの服を着るのかを考えて服を選ばなくてはいけないということです。
ビジネス、晩餐会、セレモニー、同窓会、国際会議、遊び、旅行、スポーツ、ドライブ、音楽会、観劇、地域の集会、講演会、人間の行動は複雑多岐に及んでいます。それぞれの集まりは独特の雰囲気を持っていますので、それを予測して着ていく服を考えなければなりません。
冠婚葬祭の場合は一層の注意が必要となります。この場合は自分の好みで着る要素は少なくなり、相手のことを中心に考え洋服、ネクタイ、アクセサリーを慎重に選ぶべきでしょう。ここではTPOを洋服中心に捉えてきましたが、TPOの発案者である石津謙介氏もいっているように「ファッションは生活そのもの」と広く解釈されるようになってきました。生活のあり方(ラフスタイル)をTPOで見直してみる必要があります。
TPOの考え方はあらゆる業界にあてはめられるために、いろいろな分野の業界が、この言葉を争って使いました。あまりのヒットに気をよくしたMFUでは、32年後の昭和50年(1995年)に「TPO法案」という名で再度テーマに採用しました。
MFUの大ヒットとしては1968年の「ミスター・ピーコック」があります。男性が様々な色彩を身に付けだした時代風潮を先取りしてのテーマですが、
男が孔雀のように美しく変身した「孔雀革命」の導火線の役割を果たしました。TPOはそれに勝るヒットを飛ばしました。
難解なテーマ、判りやすいテーマ、親しみやすいものなど色々あります。
各年のテーマを紹介しましょう。時代の推移が読み取れます。
1960年代
ハイスピリット・カラー、ポーラージェット・ライン、バック・トゥ・カントリー、TPO、東京アイト、ネオソドックス、3S
IN TPO、モダンアップ、ミスターピーコック、華麗なる野生
1670年代
マン・リボーン、ユースフル・アダルト、ニュー・ニート、愛のファッション、ビューティフル・チャンス、第3のカジュアル、アートが共存するふだん着、クロス・オーバー、ダブリング(新しい贅沢見つけた)、新・ドレスアップ
1980年代
CITY −CHIC、AUTHENTIC FLAVOR、STAGES OF
DANDYISM、感動新世紀、VINTAGE FLASH、THE FANTASIST、スタイル進化論、元祖イズム、貴人気分、インターナチュラル
1990年代
オープンエイジ オープンウェア、HYPHENIST、モダン・マナーズ、プロパーNo.93、DRAMATIC
WORKER’S、TPO法案、既成緩和服 オルタナティヴ ウェア、極め色、日本の四季服、SMART
STYLE SMART LIFE
2000年
MOBILE MODE
TPOの発案者は服飾評論家、IVYを日本に紹介、若者の圧倒的な支持を受け、神様的な存在になった人、元VANの社長、服飾評論家といくつもの顔を持つ石津謙介氏でした。同氏は東大の池邊陽、宮脇檀などの建築家との付き合いが深かったためか、建築的な発想で洋服作りに取り組んだと言われています。
誰に、何をという目的が非常にはっきりしています。洋服を企画するにあたっても、階層、経済力、年齢、居住地などをすべてを設定して、結論を出すようにしています。
また、出来上がった洋服は一般的には服地、裏地、付属、加工賃などの原価に利潤を加えて売値が設定されるのですが、VANでは出来上がった洋服は幾らなら買ってもらえるだろうか、というように消費者と同レベルの視線の高さで評価されます。
「流行よりも普遍的ルールと身だしなみまで考慮したお洒落=TPOをキーワードに実践せよ」という石津哲学と計画性を重視する建築家の思想が融合して出来上がったテーマです。
石津謙介さんとはメンズファッションの情報視察のため、ヨーロッパ旅行に同行したことがあります。その時に驚いたことはあらゆる物事に精通されていることです。それも薄っぺらな知識ではなく、深みがあり、厚みがあります。旺盛な好奇心、着道楽、食い道楽、遊び心が根底になっていることがわかりました。
石津謙介氏は明治44年(1911年)岡山県の出身。
岡山師範付属小学校の制服にあこがれて転校したのが、お洒落の始まりです。有名店で学生服を誂え、靴はエナメルをはくというキザっぽい子供だったといいます。スポーツが大好きで、ローラースケート、自転車、オートバイ、さらに、叔父さんが経営する私鉄会社の車庫で電車を実際に運転したというから驚きです。
岡山一中に進学しても着道楽はエスカレートします。、ヒップポケットにスクエアフラップを付ける、ズボンにアジャストベルトを付ける、上着丈を短めにして足を長く見せる・・・など、制服を自分の好みに改良しました。スポーツでは野球部のマネジャー、水泳選手、スキー選手として活躍しました。
明治大学では、手織のスコッチツイードの三揃えを着込み、手にはモダン雑誌「新青年」。
オートバイ部を設立して750CCのインディアンにまたがり、伊豆.日光に遠出したそうです。オートバイ部は自動車部に発展しました。中古の幌付きフォードで円タクのアルバイトをして、日本1周の旅も経験しました。
赤坂にあるフロリダなどの超高級ダンスホールに通い、乗馬、モーターボート、グライダーにも挑戦、大学に日本初の航空部を創立、グライダー教官の資格まで得ていました。
まだまだあります。「遊びの中から仕事が生まれ、仕事により情報が集まる」石津流の考え方、物の見方には教わるところが多かったようです。
明治大学商科専門部卒。昭和8年(1933年)中国天津に渡り大川洋行に入社、アパレルと出会う機会に恵まれました。昭和26年(1951年)メンズアパレル『VAN』を創業。同社の送り出したアイビールックは、若者の間で爆発的なブームを呼び、若者のライフスタイルや思想にまで大きな影響を与えました。300億売って、
37億の利益を出したことがあり、事業としても大成功を納めました。
しかし、「好事魔多し」会社のスケールが大きくなりすぎ、資金、商品、在庫、人材など管理面に問題が出て、丸紅などからの支援を受けながら経営が行き詰まり、昭和53年(1978年10月に自己破産宣告が下されました。それから、1年半もたたない昭和54(1979)年12月には中国体育運動委員会からモスクワ・オリンピックに出場する中国選手団
(300名) の衣装デザインを依頼され、そのしたたかぶりには周囲の人々も驚きの声を上げました。
80歳を過ぎて石津謙介氏は「人生四毛作論」を唱え始めました。
人生はおおよそ25年ごとに節目節目が現れるのというのです。
第1期目は生まれてから25歳まで。生きて行く基礎固めの期間。この時期には何でも経験してみて「自分」というものの基礎をがっちりと固めなければなりません。
2期目は25歳から50歳まで。この時期は築き上げた基礎を元に必死になって働いて、人生の枝葉や幹を、太くしっかりしたものに育て上げる時期です。この時期までに人生のあらかたが決まってしまうといっても良いかも知れません。
第3期、50歳から75歳まで。人生の最も充実した時期です。それまで育て上げた枝に花が咲いて、実を結びます。いよいよ収穫の時期になるわけです。
第4期、75歳を過ぎたら、取り込んだ収穫を元手に、悠々自適に過ごせばよいのです。毎日、着たいものをきて、食べたいものをたべ、やりたいことをやる。人の目なんか気にしない。
石津謙介氏自身がこのような生き方をを実行し、幸福感を噛みしめているとのことです。
これこそ『生き方のTPO』といえます。
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石津謙介氏のオフィシャルホームページ
http://www.microkids.or.jp/ishizu/life.html
日本メンズファッション協会ホームページ
http://www.mfu.or.jp/
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