戦争は多くの人命を奪い、多くのものを壊し、多くの悲劇を作り、残された
人々の心の色まで変えてしまいます。しかし、負の遺産だけを残すのではなく、ファッション性にも、機能性にも優れた洋服を誕生させるきっかけを作ってくれます。
命がけの戦場では動き易い、着やすい、軽い、丈夫、暖かいといった機能性が要求されます。
いらない装飾をすべて省き徹底的に機能性を追求したものは、「完成美」、「熟成美」ともいえる美しいデザインのものとなります。
第一次世界大戦の塹壕戦で大いに活躍した「トレンチコート」は、まさにその代表選手でしょう。
戦争が終わり街に平和が戻ってくると、レインコートとして男性はもちろん女性にも着用されるようになりました。素材もコットンのギャバジンから、オイルコーティング、ピーチスキン、ウール、革、合成皮革などとバラエティに富んできました。
平和な時に「トレンチ」といえば考古学者が遺跡を発掘するために掘る溝のことを指します。これが戦争となれば「塹壕」と名が変わります。1911年に勃発した第一次世界大戦は近代武器を駆使して陸、海、空から立体的に攻める今日の戦争とは違い、陸軍を中心とした戦いが多かったようです。
戦場の最前線に身長の半分ぐらいの深さの溝を掘り、その中で銃を構え、敵が現れるのじっと待つのです。その時に着用されたのが「トレンチコート」です。
降りしきる雨を通さないように肩は二重構造になっています。ボタンで留める肩章(エポレット)が付いていますが、これは水筒をつり下げるのに便利です。ダブルブレスになったコートの右肩から胸にかけて付られている当て布は、ライフルの銃床を支えるものです。
ウエスト位置で絞めるベルトには、手榴弾を下げるためのD字型の金属リングが6個付けられています。
首から寒風が入ってこないようになっている、三角形の布はチン・ウォーマー、あるいはチン・ストラップともいい、文字通りアゴを暖める役割を果たしています。
コートの袖口には細いベルトがつけられていますが、思い切り絞め上げると袖口から入ろうとする雨水を完全にシャットアウトしてくれます。ポケットは大きめで、手を入れると貫通していることが分かります。これはコートの下に着ている服のポケットから、物を取り出すのにわざわざコートを脱がなくてもOK、という親切設計になっています。生地は完全防水のギャバジンです。
一つ一つのディテールがそれぞれ役割を持っており、無駄というものはありません。
第一次世界大戦中には54万人の将校がこのコートのお世話になったといいます。
戦争が終わるとこの機能性の優れた服を街でレインコートとして着る人が増えました。なにしろ戦争というヘビーデューティに耐えたコートです。
ロンドンの雨はしとしとと降る霧のような雨で、日本のように土砂降りになることはめったにありません。傘を持っていてもステッキ代わりに持って歩いているだけで、殆どの人が広げようとしません。
すばらしいレインコートが一着あれば事足ります。雨に濡れるのをいとわず胸を張って歩くのがダンディだとされています。
トレンチコートといえばロンドンの二つの会社の名前が頭に浮かんできます。バーバリーとアクアスキュタムです。バーバリーの創業者・トーマス・バーバリーは1856年に服地店を開業しました。当時の服地は今と違って厚くて重いものばかりでした。夏にでも着用できる薄い服地を探していた彼は農夫が着ていたリネンに目を付け、リネンより安いコットンでギャバジンを織ることにしました。
知り合いの医者から「理想的な防水というのは、風と雨を防ぎ、適当に空気を通すもの」という話を聞かされ、糸の段階で防水をして、ギャバジンに織り上げた後で再度防水加工を施す方法を考え出し、理想に近いレインコート用の服地を作り出しました。
織物の一般名称になってしまった「ギャバジン」は同社が登録した商標でした。スペイン語で「巡礼者が着る上っ張り」という意味を持つ「カバルディナ」が、語源になったといいます。1911年に第一次世界大戦が勃発し、塹壕(トレンチ)で激しい戦闘が繰り広げられるのを見て、ボタンがなく紐で括るタイロッケンコートに改良を加え、トレンチコートを完成させました。
同じ1911年にノルウェーの探検家・アムンゼンが人類で初めて南極点に到達する偉業を成し遂げましたが、このとき着ていったのもバーバリーのギャバジンコートでした。
こうした実績をもとにバーバリーはジョージ5世、エドワード8世、ジョージ6世、エリザベス2世などの王族からロイヤルワラント(英国王室御用達)の金看板をもらっています。
バーバリーのトレンチコートを愛用する著名人として英国の名宰相サー・ウインストン・チャーチル、米国の大統領であったジョージ.ブッシュ、作家ではシャーロクホームズのコナン・ドイル、サマーセット・モームなど、俳優にもマレーネ・ディトリッヒを初めとして、数多の愛好者がおります。また映画「ピンクパンサー3」をはじめとするいくつものシーンにバーバリーのトレンチコートが登場しています。
もうひとつの雄・アクアスキュータム社も負けてはいません。
同社は1851年にロンドンのリージェント.ストリートに小さな高級紳士服店をオープンしました。1853年に抜群の防水性を持つウール服地を開発しました。ラテン語で防水という意味を持つ「アクアスキュータム」という名前がつけられました。
話が変わりますが私が高校生の頃ヨット部に所属しておりました。最初にヨットに乗ったとき、先輩部員が発した言葉は「そこのベラでアカをを汲んでくれ」でした。意味が分からずキョトンとしていると、「そら、そこのチリ取りのようなもので、舟の底にたまった水をかい出すんや」と言い直してくれました。ベラは水汲みであり、アカはアクワ、水のことでした。
アクアスは水、スキュータムは楯とか保護を意味します。クリミア戦争以降は兵士用の服地に防水、防寒性に優れた服地が用いられるようになりました。ことに第一次世界大戦の時は塹壕戦が激しくなり、軽くて、雨を通さず、暖かいコートが要求されました。アクアスキュウタムはこれにこたえて数多くのトレンチコートを供給してきました。
1951年には123種類のパターンを用意し、大小、太細どんな体形にでも対応できるようなシステムがすでに開発されていたといいます。
トレンチコートが出てくる映画はいくつかありますが、「カサブランカ」で、ナチスの将校を射殺したハンフリー・ポガートのトレンチコートを着た姿は名シーンとして、いつまでもお心に残っております。フロントを少し緩めに打ち合わせ、襟を半分だけ立てて、ベルトをバックルで留めずにさりげなく結んだ、少し崩した着こなしは話題を呼んだものです。このトレンチコートがアクアスキュータム製でした。
昭和天皇の葬儀の模様を世界に伝えるために来日したアメリカNBCのキャスター・トム・ブローコウも同社のトレンチコートを格好よく着こなしていました。
体型別システムをもとにして製作されたコートは英国はもとよりヨーロッパ諸国、アメリカ、アジアなど世界中に輸出されています。
世界で活躍するパリやミラノのデザイナーも、この不滅のアイテムには絶えず目を付けているようで、合成皮革、ピーチスキン、オイルコーティング、樹脂加工で表面効果の変わった素材などを発見るとす、それを使ってトレンチコートを制作してコレクションに加えています。
輝かしい経歴を持つトレンチコートの名を汚すような事件が起こりました。 米国コロラド州デンバー市から15キロほど離れたリトルトンのコンバイン高校がその舞台です。1999年4月20日午前11時半ごろ、食堂や図書館に黒いトレンチコートを着てマスクをした2人組の男が押し入り銃を乱射しました。
犯人は銃のほかに爆弾や手りゅう弾を持っていたということです。1870人の生徒はパニックに陥り、現場に居合わした生徒は銃弾を浴びて次々と倒れていきました。
この事件は広く世界に報道されましたので、ご存じの方も多いでしょう。
二人組の犯人は図書館で自殺、23人の生徒が死亡、20人が重軽傷を負いました。
犯人はトレンチコート・マフィアと呼ばれる13人のグループのメンバーでした。彼らは揃いの黒色トレンチコートを着ていました。
ヒトラーをこよなく崇拝し、過激な歌詞で若者に人気があるロックシンガー・マリリン・マンソンが好きでした。事件があった20日はヒットラーの誕生日でした。
こんな形でトレンチコートが有名になることは、お断りしたいものです。
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バーバリーの歴史(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/living/fashion/burberrys/burberrys1.html
"Pure British Style"アクアスキュータムホームページ
http://www.aquascutum.co.uk/
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