チョッキ(Vest)

チョッキは日本語の「直着」からきた?

「チョッキ」と片仮名で書くと、如何にも外来語のように思えますが、日本製のvest
言葉です。それなのに語源もはっきりしないシロモノです。
背広や礼服の下に着るので「直着」と職人さん仲間で呼ばれていたものが一般化したとする説が、一番有力視されていますが、残念ながらそれを裏付ける資料がありません。
洋服の本場イギリスではウエストコート(Waist Coat) 、アメリカではベスト(Vest)、フランスではジレ(Gillet)と呼んでいます。
初期のチョッキは丈が長く、今、われわれが着ている背広のジャケットぐらいありました。股間を隠し、お尻を覆うほどの丈が、どんどん短くなり、ウエストラインぎりぎりの寸法となりました。
ところで、チョッキの一番下のボタンは掛けない約束になっています。どうしてでしょうか。

チョッキは死語に、「ベスト」が取って代わる

「チョッキ」という言葉を知っていますか・・・と若い人に質問したところ「もちろん知っています。夕方会社へ帰社せず、直接家に帰ることでしょう。僕も時々やりますが。」直帰と早合点していたのです。
「そうじゃなくって、ジャケットの下に着るものですよ。袖のない・・・。」「あぁ、ベストのことですか。チョッキというのは古いですね」 チョッキもどうやら死語になりつつあるようです。
服飾の歴史を調べると、ベストという言葉は古くからあり、18世紀までさかのぼることができます。ズボンとはくから「ズボン」だといった同一人物の発想ではないと思いますが、ちょっと着るから「チョッキ」という説もあります。
これは単なる語呂合わせで眉つばものと思われます。ベストはアメリカ式の言葉で、イギリスではウエストコート(Waistcoat)と呼び、ベストはアンダーシャツを意味します。他の外国語を調べてみてもチョッキに当たる言葉は見当たりませんので、日本語に出典があると考えられます。

「チェック」の聞き違えか、直に着る「直着」か

ジャケットがなまったものともいわれますが、ジャケットがどうしてチョッキになるのか、理解に苦しむほどのひどいなまりです。(VestはJackと同意語ですが)、あと、形が似ていることから「ちゃんちゃんこ」がなまったもの。(なるほど日本に古くからある子供用の防寒着に形は似ていますが)、チェックのベストと外国人が早口で喋っているのを聞いて、チョッキと聞き違えたという話しもあります。(チェックの生地でチョッキを作るケースは多いようです。その代表的なものがタッターソールです。)、いずれも決定打になるほどの説得力を持っておりません。
消去法で最後に残ったのは職人言葉と思われる「直着」です。
物言いがつくのを覚悟の上で「シャツの上に直に着るもの」に、ひとまず軍配を上げておきましょう。

チャールズ二世、道徳の建て直しに「服装改革」

1665,1666の両年は英国にとっては災難の年でありました。ペストの大流行に次いで、ロンドンで大火災が起こりました。人心は荒みチャールズ二世国王とその取り巻きをはじめ一般大衆に至るまで性道徳を無視して、女優、売春婦と乱交、どうにでもなれという怠惰な雰囲気が漂っていました。
酒池肉林の乱れた世を正常なものに直すには、華美に走りすぎた男の服装を改革することが早道と考えたジョン・イブリンが、チャールズ二世に進言しました。
王は進言を取り入れて1666年10月7日「服装改革」を命じ、シャツの上にベストとコートを着て、下半身にはブリーチズをはくという、3点セットからなる洋服を推奨しました。

背部に粗末な生地を使い奢侈にブレーキ

提案者イブリンの頭の中にはイタリアで見たペルシャのベストが印象に残っていました。当初のベストは丈が長く膝ぐらいまであり、袖もついていました。
お腹の丸みに沿って数多くのボタンが掛けられるようになっていましたが、一番の特長は服を着たときには見えない背の部分に粗末な布地を使っていたことです。奢侈に走ろうとする人心にブレーキをかける役割を期待してのことです。
現在、一般のビジネスマンが着ている三揃えのチョッキの背部には高価な表地を使わず、値段の安い裏地が使われています。
滑りを良くする、フィット感を高める、などの理由もあるようですが、「直接目に付かないところは倹約する」という服装改革の精神が、チョッキの背に脈々と流れているのです。

短くなったチョッキ丈、膝からウエストまで

チョッキの上に着るコートはシルクブロケード、あるいはビロードが素材として使われ、なだらかな肩線に続いてウエストラインまで身体に沿い、裾にはフレアがつけられています。前からは丈の長いベストがよく見えるようになっています。ベストは男性の股間を隠す役割も果たしていたのです。
下半身を覆う半ズボンは膝丈の長さで、その下にはストッキングとハイヒールの靴を履いていました。ベストの丈は年を経るにしたがって短くなり、ついには今日のようにウエストラインまでの短いものとなりました。
ズボンはフランス革命の時に長ズボンになりました。このような変遷を経て、現代人が着用している三つ揃いが誕生したのです。
現在のセビロは上下服で、チョッキを抜いたものが多くなったといますが、服飾史の上では準主役を果たしてきたチョッキは、ともすれば間が抜けたようになる紳士のフロントを引き締めてくれる視覚的なな効果を持っています。
会社を代表するエグゼクティブともなれば、是非三揃えにしておきたいものです。
紳士のお洒落ポイントといわれているVゾーンもチョッキを着ると狭くなりますが、面積に反比例して効果は高くなります。
チョッキを縫うにはズボンと同じ8時間以上掛かります。コストは高くなりますが、それ以上の演出効果が期待できるでしょう。

チョッキの一番下のボタンを外したのはブランメル

三つ揃いの背広を着るときチョッキの一番下のボタンは外すことになっております。この習慣は19世紀の初めにジョージ四世が摂政殿下であったときに、ボタンを掛け忘れてパーティーに出席しました。飽食で腹がでっぷり膨れた殿下のことだけに、ボタンのはずれが余計に目立ちます。
ロンドン社交界の花形であったボウ・ブランメルが殿下に恥をかかさないために、自分のチョッキのボタンをさり気なく外しました。パーティーに出席した人は服装のマナーには一家言を持つブランメルと摂政殿下が、揃ってチョッキのボタンを外していたので、最新の着装マナーと勘違いして、一斉に右へ倣えをしました。ブランメルを巡る神話は文筆家によってとんどん作られていきました。当時のテーラーにとっては皇室御用達の金看板は何よりも有利な宣伝材料になりましたが、ふとっちょのジョージ四世の御用達より、ブランメル様御用達の方が効果的だと言わしめたほどです。

金の切れ目がお洒落の切れ目。哀れなダンディの末路

ジョージ四世はブランメルの細かい心遣い、堂々たる態度、優雅な着こなしが気に入り、自分の近衛連隊、第10軽騎兵隊に入隊させ、18歳で大尉に昇進させるというスピード出世を許しました。ダンディから生まれたような男・ボウ・ブランメル、未成年の時から洋服の着装術にたけ、弁舌もさわやかだったとみえます。
しかし、着装のルールを熟知しながら平気で、それをぶち破る横柄な態度には敵も多く、最後には王室からも見放され、経済的にもピンチを迎えます。賭博に手を出し借金取りに追い回され、フランスのカレーに逃亡するという情けない生活を強いられます。
ダンディを通すにも、お洒落をするにも「先立つもの」が、あるいは「それ」をふんだんに持ったパトロンが居なければならないという話です。チョッキの話からチョット脱線してしまいました。



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