ワイシャツ(white Shirt)

ホワイト・シャツが訛って「ワイシャツ」

ワイシャツは肌の汚れを上衣に伝えないように考案されたものです。当初shirts
は高級な麻で作られていました。シャツそのものも高額でしたが、汚れたらすぐさま洗い、いつ見ても白く、清潔に保つためのコストが大変でした。
シャツを着ることは高い代価を払えるステータスシンボルだったわけです。やがて、産業革命により事務職が増えたのと、コットン製品が安くなったので、身頃を値段の安いコットンで作り、目に見えるカラーとカフスの部分だけを麻で作り、紳士の体裁を整える人が増えてきました。
カラー・セパレーテッド・シャツ(Collar Separated Shirt)の誕生です。
背広の下に着るシャツは白でないといけない・・と長い間言い続けられてきたのは、白こそステータスを表す色だったからです。日本に初めて持ち込まれたシャツは当然白でした。外国人がシャツを「ホワイトショルツ」というのを「W」に続く「h」が無声音に近いため「ワイシャツ」と聞き違えたのでしょう。

カッターの語源は「勝った」か「レガッター」か?

後になって柄物や色物のシャツが出てきても、一向に構わず「ワイシャツ」と言い続けてきました。他に「ドレスシャツ」ともいいますが、最近では狭義に解釈してドレスシャツは礼服用のシャツを指す言葉として使われるケースが多くなっています。
また、「カッターシャツ」とも云います。こちらの方は主として外着として用いられるものの名称として使われていましたが、いつしか混同されて、ワイシャツと同じ意味で使われることが多くなりました。
カッターといえば裁断師のことです。紙や写真を切る道具もカッターです。しかし、カッターシャツのカッターは、アウターウェアのシャツを意味する「レガッターシャツ」の短縮語ともいわれていました。
しかし、THE WORLD OF SPORTS で知られるスポーツ用品のミズノ株式会社の創業者・水野利八氏と幹部社員の「勝った」という言葉にヒントを得たネーミングであることが判りました。
現在、業界では学生服の下に着るシャツは不思議なことに、「カッターシャツ」で統一されている感じです。これはそれぞれの学校に定められている服装規定をみると明らかになります。
関西地方より西ではカッターシャツを好んで使い、関東より東はワイシャツが、多く使われているようですが、最近では全国的にワイシャツという表現の方が優勢となっているようです。

ファッションリーダー「ミズノ」が生みの親

ベースボール・マガジン社が発行した「スポーツは陸から海から大空へ=水野利八物語=」によると大正6年までは、創業者・水野利八氏がひとりで考え、働き、そして店そのものを動かせていきましたが、規模も大きくなり、優秀な人材が入社し、個人商店から決別しました。
店主が30歳を少し過ぎたころというから、従業員の年令はさらに若かったのは、いうまでもありません。仕事を終え、夕食を取った後、誰が先ともなく、利八氏の周りに新進気鋭の従業員が集まってきました。何時も話題になるのは商売のことばかりでした。
運動用具の分野で商いの規模を広げようとする戦略も策定されていましが、本命商品である運動服装にも次々と新しいアイデアを注ぎ込みました。それは、大阪のファッションリーダーとしての地位を確保しておくためにも必要なことでした。
「勝った」、「勝った」、という歓呼の声にヒントを得た「カッターシャツ」も、この話し合いの場から生まれたものです。オーバースェーター(来日した米国の職業野球団の選手が着ていた)、ボストンバッグ(語呂がよいから)、ランパン(ランニングパンツ)、スポーツマンハット、日本グツ、少女服、オランダマフラー(柄織りマフラー)、ポロシャツ、替ズボン・・・今や普通名詞になってしまったものもありますが、総てが大正時代にミズノを率いる若い商売の鬼によってなされたネーミングだというから、その先見性にはおどろかされます。

裾が直線か曲線かで変わる着こなし

ワイシャツは丈が長目で、裾が丸く断たれています。これに対してアロハシャツの裾は直線になってます。直線の裾は原則としてズボンの外へ出すもの、丸いものはズボンの中に入れるもの、とされています。誰が決めたのか判りませんが、長い間に着こなしの常識とされてきました。その常識を知った上で崩しているのか、知らずに格好を付けているのか、アンダーウェアのアウトウェア化がそうした着こなしを許容しているのか判りませんが一部の若手が裾の丸いシャツをズボンの外に出して、得意げに街を闊歩する姿を見かけるようになりました。
京都服飾文化研究財団には、18世紀から19世紀に実際に着用されていた男性のシャツをが保存されているそうです。身近にこのシャツを見学した「スーツの神話」(文春新書)の著者・中野香織さんはその著書の中で次のように説明しています。
『かぶりタイプのシャツの丈はかなり長く(おそらく身長175センチくらいの男性が着ると、太ももの中間から膝あたりまでの長さになるのではないか)、両脇線の部分は、現在のシャツと同様で、正面はうしろよりも気持ち短めである。』

シャツはパンツの役割を兼ねていた?

『ちなみに、現在のような正面で全開するタイプのシャツが考案されるのは、1871年である。思わずややっと目を疑ったのは、正面とうしろ裾の、おそらく股間一帯に当たるであろうと思われる部分の変色である。どうやら、シャツの前後で股間をカバーしていた痕跡と推察される。
アンダーパンツまでは保存されていなかったが、ウィッレット&フィリス・カニングトン夫妻の「下着の歴史」によれば男性のアンダーパンツはちゃんと存在しいる。』男性としては誠に恥ずかしい所を見られてしまったのですが、シャツが男性の大切なものを包んでいたことは、間違いないようです。
シャツの着方がますます分からなくなってきました。出石尚三氏の説ではアンダーシャツはブリーフの中に入れて着るのが正しい着こなしだといいます。
シャツを着ていた人が生存していても聞きにくい問題を今になって調べるのは困難です。ここのところは、あまり明らかにせずに隠しておいた方が、魅力的なのかも知れません。

たかが「シャツ」、されど「シャツ」

シャツ業界は1割産業だと言われています。洋服業界の売り上げが2千億円とすると、シャツ業界の規模は2百億円というわけです。そういえば、量販店で19,800円の洋服を求める人は、一枚2,000円程度のワイシャツを選びます。35,000円のイージーオーダーの服には3,500円のシャツを、70,000円のプレタポルテには7,000円、30万円の高級注文洋服には3万円の最高級シャツが相応しい、というのが統計的な数字が示すお洒落のコストです。
お洒落の面では世界から一目置かれているイタリアでは、ジャケットより高価なシャツがいくらでもあります。お洒落の原点がシャツにあることを良く知っているから、投資を惜しまないのでしょう。
たかがシャツとバカにはできません。高級オーダーシャツの専門店として名が知られているターンブル&アッサーのシャツは背広よりも高いものがあります。経営的な余裕もあるのか、サビルローの有名テーラーを買収して世間をあっと言わせました。
顧客もそうそうたる人物が名を連ねています。チャールズ皇太子、政治家ではサー・ウインストーン・チャーチル、映画俳優のカーク・ダグラス、石油王、大実業家などのクローゼットには何十着かの同社の製品が入っているはずです。
「華麗なるギャツビー」の主演俳優・ロバート・レッドフォードもこの店のファンで、映画の中でも色彩に富んだ同社のカラーシャツを何枚も披露しています。
もちろん、ターンブル&アッサーでも初めのうちはホワイト・シャツだけを作っていましたが、来るべきカラー時代を見越して1930年代からカラーシャツに力を入れ始めました。
一流の顧客を相手にしていると、どうしても保守的となり、従来の慣習から抜け出せないものですが、新しいものに取り組む果敢な姿勢が今日の高い評価につながっているものと思われます。

ルールに厳しいい礼服のシャツは「白」

シャツの中で一番伝統がありルールに厳しいのは、何といっても礼服の下に着るドレスシャツでしょう。それも、夜の正礼装となれば、古くから伝わる着こなし方法や制約があります。
まずは燕尾服のシャツから。立衿(ウイングカラー)に白のボウタイをつけ、イカ胸は白蝶貝のスタッドボタンで留めます。カフスはシングル両穴のものが正式で、白蝶貝のボタンで留めます。折り返し構造になったダブルカフスは少しカジュアルな感覚になるため、燕尾服には禁物です。燕尾服のVゾーンと袖先は白を一色でまとめるのがポイントです。
もともとは、夜の準礼装として紳士礼服の仲間入りをしたタキシードは、ラウンジウエアの軽快さを武器にその地位を高めてきたものですが、当初は礼服としての格調に欠けるとの批判を防ぐため、シャツ、アクセサリー類は燕尾服に準ずることにしました。ただひとつ燕尾服との区別をつけるため、タイをブラックにしました。
したがって、フロントには黒蝶貝あるいはオニックスのスタッドボタンを使います。
昼間の礼装として着られるモーニングコートは立衿(ウイングカラー)に結び下げのネクタイをします。最近は並衿というか折衿のシャツを着る人も多くなってきましたが、これが略式だということだけは、知っておかなければなりません。カフスボタンは真珠か白蝶貝を用います。

胸を糊で固めるのは勲章を下げた習慣から

スポーツウェアとして、その機能性の良さから生き残ってきた洋服が、時を経て次代の礼服として用いられることが多いのですが、燕尾服の前歴もやはり乗馬服でした。19世紀の中頃に、燕尾服は礼服に格上げされますが、礼服としての格調を演出するめに考え出されたのが、正面にウイングのついたスタンドカラーとイカ胸でした。
礼装用として用いるには、ありったけの勲章を飾る場所が必要です。重みがある勲章を幾つ付けてもしっかりとホールドできる、芯地入りの布地をさらに糊で固めた「よだれ掛け」を作り、首の後ろで紐を結び、Vゾーンに垂らしました。
シャツ職人はこの奇妙なものを見て、形状が似ていることから「スルメ」「イカ」などと呼んでいました。服とは関係のないことですが、スルメは「目をする」に通じ、なんとなく語の響きが良くない、と競馬場では「アタリメ」と読みかえて販売しています。シャツの場合も「スルメ」を避け「イカ」に定着しました。
シャツの上から胸当てをつるすのもあまり格好の良いものではありません。いっそのこと身頃に取り組んでしまえばとVゾーンから見えるフロント部分をUの字型にカットして細かくヒダをとった布を縫い込みました。もちろん、勲章をつけても大丈夫なように糊でカチカチに固めてあります。堅胸と呼ばれることもあります。
勲章をつけるだけではなく、胸を硬くするのは鎧の伝統を今に残そうとする男の本能が働いているからだという人もいるようです。


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