”いないないばぁ〜”のマンハッタン



わたしが、”スミノフ”でカクテルに凝り出して道具やいろいろな種類の 酒を買い込みだした頃、山口 瞳さんの「酒飲みの自己弁護」という本(だったと思いますが・・) を読みました。
その本の中に新宿のバー「いないないばぁ〜」という店でそのマスター末武さんの作る ドライ・マティーニがどんなに酔っていても、 どうしても最後に飲みたくなって寄ってしまうという文章がありました。
当時、新宿に勤務していたわたしは、なかなか銀座まで出ていくのは、大変で、 もし、新宿でもおいしいドライ・マティーニが飲めるのならと この奇妙な名前の店「いないないばぁ〜」を捜し出して、 入ってみました。
やはり、最初にドアを開けるのには、とても勇気がいりました。

行ってみますと、山口 瞳さんの本に書いてあった末武さんは、すでに店に出ておられず、 その代わりに藤田さんというバーテンダーさんが、一人で切り盛りしていました。
実は、このあとこの藤田さんとのお付き合いは、20年近くにも及ぶのですが、 最初は、「とても冷たい対応」でありました。 しかし、それにもかかわらず、なんといっても新宿勤務でしたから、 営業で毎日飲んでいたわたしは、2次会、3次会と人が少なくなって、1人か2人になると 必ずここ「いないないばぁ〜」に寄るようになっていました。

ここは、まだ新宿が焼け野原だったころからある歴史のあるバーでした。 周りの店は時代を反映して毎年のように入れ替わりまさに「新宿ピンクゾーン」の あぶない通りの1つの真ん中にあったのでした。

ここで、いろいろなカクテルを飲んだのですが、 藤田さんのつくるカクテルの中では、”マンハッタン”がわたしは、とても好きです。
藤田さんは、怒るかもしれませんが、わたしには合ってました。

この藤田さんというかたは、最初とっつきにくい方でしたが、
実は、オチャメな方でありました。

親しくなると会社に電話(特製のサラダが「今日はできますよ」という連絡のため)を 下さりましたが、
「あの〜、”いないないばぁ〜”ですが、深谷さんいますか?」
などと言ってかけていらっしゃるのです。
電話を受けた女性がびっくりして、
「は・・?どちら様ですか?」
「”いないないばぁ〜”ですが・・・」とその”いたずら電話じゃないかしら?” と思われるのを逆に楽しんで電話をするのが、彼の趣味でした。
普通、電話でいきなり 「いないないばぁ〜」とか言われたら変だと思うほうが正しいでしょう。 そうでしょう?藤田さん?

また、伊勢丹のクイーンズ・シェフの1Fで売っている「クリーム・あんドーナツ」(ツインドーナツ?) というものを営業と称して差し入れ頂いたり(これが大変おいしいものです)したものです。 こうやって差しいれ頂いた日は、その日にはいけなくとも、できるだけすぐに行きました。 男だけで行くと”冷たい”のに、女性を連れていくととても”丁寧な応対”を していただきました。

この店は、なぜか?バーなのにTVが置いてあり、金曜日の10時から、 シリーズ最初の「ふぞろいの林檎たち」「金妻」なんかとかをここでよく見た記憶があります。

その後、わたしは、札幌に転勤となるのですが、藤田さんから、 札幌のバー”やまざき”を紹介されるのです。 藤田さんは、もともと北海道生まれでこの”やまざき”で若い頃修行をしたとのことでした。 この後、札幌から、東京に出張のたびに「いないないばぁ〜」に寄り、 ”やまざき”さんへの届け物を預かり、札幌に帰ったらそれをまた ”やまざき”さんに渡すという”人間伝書鳩”となって2つのバーの間を行き来したの でありました。

藤田さんの深谷に対するコメント。
「深谷さんもねぇ、楽しいお酒でいいんだけどねぇ。 酔っ払うとチョット声が大きくなるんだよねぇ。 ここは、みんな静かにお酒を楽しむ場所だからねぇ・・。ムフフフ・・・」

・・・そう、そうです。ごめんなさい。わたし酔いが回りますと声が大きくなります。 バーで静かに飲むんだったら、酔う前に来いということごもっともでございます。 しかし、位置的に最後から、2番目に寄る店として位置づけられていました関係上だいぶ 出来上がってしまっていたことも多かったのでしかたなかったのです。

現在は、藤田さんからは、「いつものヤツ」と言えば”ジン・リッキー”が出てくるというくらい ジン・リッキーばかり飲んでいます。でも今でも”マンハッタン”が美味しいと思っています。

現在、藤田さんは、独立してご自分のお店をお持ちになりました。
またまた、 歌舞伎町のあぶないメインストリートの1つに”藤田Bar”というバーを 去年の年末に開店なさいました。お祝いもって、1度だけ行きました。

今は、遠くてあまり行けませんが、「大きな声にならないうちに帰ります」から、 今後ともよろしくね。