健さんワールド



本日、『鉄道員(ほっぽや)』をビデオを借りてきて観ました。

わたし一人で観ていましたが、当然のことながら「泣けました」。

原作の浅田あにぃの本も読んでますが、非常に短い短編なのでどうやって映画にするのか?興味ありましたが、結構忠実に映画化してました。

わたしは、映画館が弱い街に住んでいるのでビデオのレンタルでということになりました。

この映画は、「健さん」による「健さん」のための「健さん」の映画です。久しぶりの東映の撮影所のスタッフがウレシ泣きに泣いて撮影したその思いが伝わります。

映画の中で「わしは、ほっぽやだから・・・」というセリフが何度も出てきますが、 これはそのまま「わしは、健さんだから・・・」と直しても全く違和感ないと妹が言ってましたが、まさにその通りと思いました。

「高倉 健」この人こそがほんとうの最後の映画スターと思いますね。

テレビで藤純子さんとの共演の任侠映画も何本か観ましたが、現代物でも変わらぬ「男気」「一途」「孤独」「男の哀愁漂う男」としての「健さんワールド」は、確実に男の憧れであります。


わたしが北海道営業所にいた時に、仕事の巡回で夕張を2回ほど訪問したことがありました。 同行した北海道生まれのラガーマンのH君は、営業車を走らせながら

「深谷さん、『幸せの黄色いハンカチ』って映画観ましたか?」 とわたしに聞きました。

「うん、観たことあるよ」
「だったら、今から最後のシーンの通りに走りますから、思い出してくださいね」
と言うのです。

映画では、最後のシーン近く、倍賞千恵子さんの待つ家まで、 無理矢理桃井かおりさんと武田鉄矢さんが赤いファミリアで送っていくのです。

健さんは、外を見ていることができずに、下を見るか、目をつぶって 「そのカメラ屋の角をまがって・・・そのたばこ屋の前を・・・」などと記憶で武田鉄矢さんに指示をしながらクライマックスの 最後のシーンまで走るのでした。

まさにそのシーンの通りかどうか?ほんとはしっかりと覚えてはいませんでしたが H君と共に走り、記念館?のようになっている撮影あとにも行ったような気がします。(ほとんど記憶なし)

この時、必死で赤いファミリアを走らせていた武田鉄矢さん(ほんとは免許持ってなかったそうです、この時は) は、その後

刑事物語で、「ハンガーヌンチャク」を操り、
3年B組で、「贈る言葉」を歌い、
101回目のプロポーズで、トラックの前に飛び出して「ぼくは、死にましぇーん!」と叫ぶ!!
これほど、俳優として売れっ子になるとは!わたしだけでなく、誰も想像しなかったと思います。

そして、とうとう健さんを半ば無理矢理に家に連れてきて、果たして黄色いハンカチは?
1枚だけを想像していた観客の期待を裏切り、何十枚もはためいていたのでした。

日本映画の最も感動的なシーンの1つでした。

どうして、健さんは北の街が似合うのでしょうか? 網走番街地から『駅』とか『夜叉』とか「流れ流れてたどり着く北の果ての終着駅」にイメージがあうのでしょうかね。

高倉 健さんのように生きたいと思っても「ほぼ、その正反対の行動」をしてしまうわたしです。
だから、健さんがパソコンなんか触って、「できるじゃねーか!」などというCMを作るヤツの気がしれません。

河島英五の歌、「時代おくれ」の歌詞を聞くときいつも健さんがイメージされます。


昔は、夕張は炭坑の町として栄えました。全盛期の活況は凄いものがあったそうです。

炭坑で働く方々は、命の危険と隣り合わせの仕事で明日死ぬかもしれない。

休みの日に遊びに行きたくてもサッポロすすきのはさすがに遠い。 それで、そこのカメラ店のご主人のお話ではニコンの一番高いカメラが炭坑全盛期には、凄い数売れていたそうです。 高いカメラを買うという消費をすることで、気持ちの解消をしていた方も多かったのでは?と思います。

「なんでもいいから、一番高いカメラをくれ!」という注文が多かったそうです。

その話を聞いてなんだか、その時のカメラを買った人の気持ちが分かるような気がしました。

巡回を終えて、帰り道、夕日が落ちそうになっている夕張の町を振りかえると当時商店のシャッターが 半分は閉まったままで「町全体がさびしかった」のをはっきりと覚えています。