今時、都の必需品



先週の金曜日の夜、久しぶりに新宿に仕事で行き、そのまま新宿近くに 住んでいる妹の家に宿泊するという予定をたてて、昔いっしょに仕事をした方々を忙しい中呼び出し、宴会を開催した。
とりあえず、こちらは、1人だけでも「いっしょに飲んで」頂ければ「御の字」という腹づもりである。

会議も予定通り終わって、6:30に新宿紀伊国屋の前で、待ち合わせ。

連絡の取れたデザイナーのエイゴアサイ氏(その日の最後に弾き語りで歌った河島英五の歌があまりにうまかったので命名)が、
1人で登場して 取りあえずどこかに入ろうという。

「できれば、店内からケータイのつながる店がいい」とのことであった。

そのまま、紀伊国屋を後にしてまっすぐ歩いたら、黄色い看板のビルが目に入った。
銀座では、お馴染みのビア・ホールの「ライオン」である。

「おぉ・・・、新宿にもライオンがあったのか!」などと感心した。

ここは、新宿ライオン会館という名前で、上(6階?7階?)から下(地下)まで すべてライオングループのお店で占められている、嫌でも巨大な黄色に黒の「ライオン」の文字 が目に入る店である。

「ここなら、あとからくる人もすぐわかるよね」
「そうですねぇ」

ということで、とりあえず 「今は、2人だが、後で4人になる」ということで、 1階の案内係のお兄さんに4Fに行くように言われた。

不況とはいえ、金曜日の新宿である。4人分の席が確保できただけでもラッキーである。 エイゴアサイ氏は、やおらケータイを取り出し、ビールの注文もそこそこに、 事前に当たりをつけていた方々に連絡を取りまくりはじめた。

事ここに至って、このように忙しい方々または、夜に仕事をする方々との宴会には、 この「ケータイ」こそが「今時、都の必需品」ということを思い知ったのでありました。

昔は、新宿で場所を決めずに取りあえず2人でどこかに入ってしまったら、 そのまま他のメンバーには会えずに最後の最後記憶がなくなる時間に どこかの店で落ち会うということになるのであった。

もう7:00には中ジョッキのお代わり3杯目を頼んでいたので、 7:30頃に3人目のプロデューサーのタカタカハギオ氏(ポルポトハギオ氏でも可)が来た時には すでにわたしとエイゴアサイ氏は、「声が大きく」なっていた。
わたしと仕事をしていた当時は、某大手印刷会社営業として勤務していたタカタカハギオ氏で あったが、現在は、プロダクションの最大手の会社に転職し、プロデューサーをしている。 この不況下に前年売り上げ140%達成だったということで、会社が変わっても 「相変わらず忙しい」そうである。

そして8:00ぐらいに4人目登場。こちらも某大手印刷会社の営業で当時は、 弊社の担当であったが、現在はどこを担当しているのか?わからないが、当時と同じ印刷会社の営業マンである。 なんとこの人は、この不況下に前年200%の売り上げを達成。 いったいどこを担当してるんだ?ヤバイ関係の会社じゃないの?ということで、この人は200%達成タカセ氏と呼ぶ。

最後に9:00?に2名が到着。
このおふたりともエイゴアサイ氏と同じデザイン会社のデザイナーであり、 ツインズカトウ氏は、

「火曜日にプレゼン3本かかえてるんで、きょうはちょっと・・・」
と電話でお話していたが、結局、来てくれた。

また、同じデザイナーで最年少のチャッターりょうた氏は、デザイン会社がマックを使って 仕事をするようになりだした頃に「マックの使い手」として名を馳せていた。 それが、高じて「チャット」にハマリ、ついにはオフ会を自分で主催するようになり、 そのチャット仲間をたずねて全国旅行を果たしたというハマリようである。

今回も、最初から参加は難しいと思われていた映画会社の方は、やはり残念ながら来られなかった。 だって、当たり前ですよ。来週(12/11)が初日ですからね。ミレニアムゴジラの封切りの。
ということで「忙しくて来られないのをわかっていながら」誘ってプレッシャーを掛け続ける。これが楽しい。
なんだか、最近体の調子わるいんだって?昔から、「体の弱いアウトドアマン」を自称していましたもんね。またいつか会える日を楽しみにしています。

ケータイとは、便利なものである。わたしは、今はまったく必要ない生活を送っているが、 忙しい都会人には、なくてはならないものでしょうね。 場所を決めていなくとも、ライオン会館という絶対にわかる場所を選んでおけば、 すんなり全員集まることができた。まったくロスなしである。

集まった人たちは、いろいろな会社にいるのであるが、最近それぞれが仕事を出したり受けたりと デザイン関係、印刷会社、プロダクションのプロデューサーだから、今でも 仕事のつながりを続けているそうである。一人堅気のメーカー工場勤務のわたしは嬉しい限りでありました。 さらにこられなかった映画会社の方とも現在、仕事で接触があると言っていた。

わたしは、久しぶりの新宿で、みんなの元気な様子を見て、「おおはしゃぎ」して いつものように、しゃべりまくりました。

そして、火曜日にプレゼン3件を抱えた最近ふたごのお子さんが生まれて一気に3児の父になって しまったツインズカトウ氏と次の日9:00から仕事の200%達成タカセ氏は、 10:40頃にお開きとなったライオン前から、新宿駅に帰りました。

で2次会は、いよいよ「その店の存在自体があるかどうか?わからない」ズブロッカの店「アントン」に デザイナー2名、プロデューサー1名とわたしの4名で行きました。 実に1年ぶりである。

「あ、あった!」

そうです。引っ越すかもしれないと言っていたアントンが 末広亭の向こうのいつもとおんなじ通りにありました。 そして、11時でしたが、満席状態でカウンターをつめていただき、4人が入ることが出来ました。 そこで、ズブロッカをまたボトルで「ぐいぐい」やり、水を飲み飲みやっておりました。

するとそこにケータイがなり、中野で飲んでいたわたしの妹がアントンにいるのなら「今からそっちに行く」と いうのです。時間は、その時すでに12時を回っていました。わたしは、金曜日と土曜日2日間妹の家に泊めてもらうことになっており、 完全に泥酔しているわたしを妹は「引き取り」に来たのでした。 もともとこの「アントン」という店は、妹の紹介の店です。 でも妹がタクシーに乗れる4人以内で3次会と称して、「くどい酒飲みオヤジ」を 連れてくるんではないか?と勝手に想像して、兄としては戦々恐々でした。

しかし、1人でご来店。正直ホッとしました。

妹がきて、また一段と大いに盛り上がりました。 妹とみんなは初対面でしたが。類は友を呼ぶでしょうかね。
→ 酒飲みには酒飲みで対抗。しかし、妹は1杯も飲みませんでした。その時は2軒はしごの後に来たと言っていましたが、 実は次の日冷静になって考えると3次会まで行っており、そのあとアントンに登場したのでした。わが妹ながら、恐るべし。
結局、ここでズブロッカのボトル2本を空にして完全に酔いました。

で、最後に(2時過ぎに!)またママさんのギター弾き語りをリクエストしてしまった人がいて、 2曲も熱唱を聴きました。では、お返しにということで、 6:30から飲んでいるデザイナーが、河島英五の「生きてりゃいいさ」を 弾き語りで歌って、締めたのが、2:40過ぎでした。
カラオケでは、聴いたことありますが、ギター弾き語りというのは感動しますね。 よくぞ、コードを現在まで覚えていると感心しました。 それでタクシーに乗って、妹の家まで帰りました。 昔と違って乗車拒否もなし。23区内に住むと夜更かししちゃうなぁ〜と思った次第です。

ほんとうは、次の日妹を藤田Barに連れて行っておごると約束していましたが、その前の日こんなに 飲んでしまいとても新宿まで出る元気がなく、今回は失礼しました。(藤田さん、ゴメンナサイネ!)

しかし、チャッターりょたとエイゴアサイは、次の日も「草野球の忘年会」に元気に出席していたとの 情報を得ております。チャッターりょうたは、アントンを出る時に妹が全然飲まなかったズブロッカを もったいないと思ったのでしょう、一気にあおっていました。
チャッターりょうた恐るべし!

みなさんの元気に乾杯です。おじさんのわたしは1日爆発すると2日目持ちません。年を考えないといけませんな。

最後にその時の曲「生きてりゃいいさ」の歌詞を書いときます。


「生きてりゃいいさ」 作詞・作曲 河島英五

きみが悲しみに 心を閉ざしたとき
思い出してほしい歌がある
人を信じれず 眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
※喜びも悲しみも 立ちどまりはしない
 めぐり めぐって行くのさ

手の掌を合わせよう ほら温もりが
君の胸に届くだろう

 −−−−2番省略−−−−−

きみにありがとう とてもありがとう
もう会えない あの人にありがとう
まだ見ぬ人に ありがとう
今日まで僕を 支えた情熱にありがとう
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
※くりかえし

今度は、わたし「時代おくれ」で対抗しようかな?→でも、ギター弾けない。
みなさん、忙しい中、集まってくれて本当にありがとうね。