絶妙のタイミング



ところは北海道のある地方都市。毎年恒例の”冬のお祭り”にお得意様が 出店されるのの販売応援に行った時のわたしの年齢が、30才ぐらいの頃の出来事である。

北海道の”雪祭り”は、実は札幌だけでなく時間をずらして 道内の各地方都市でも同様の”雪と氷のお祭り”が開催される。

わたしが札幌にいた頃の北海道は、札幌を除くと道南・道東・道北と大きく3つのエリアに担当分担しており、 毎年、最大イベントの”札幌雪祭り”への営業所全員の応援が終了すると、今度は地方都市の応援である。

担当地域以外の応援ならば、1回だけ、1つの都市だけの応援でいいが、地域担当者はそのエリアのすべての”祭り”に参加せねばならず、 阪神タイガースの「死のロード」も真っ青の「ほんとに死ぬかもしれないロード」の開始である。 担当者はみんな各都市の開催日が重なることだけを祈った。そうすれば、それを理由に「死のロード」 が短くなるからである。しかし、人生は無常。少しずつ”ズレ”て開催されるのが常であった。

当然、最も寒い道北担当者は、マイナス20〜30度の朝の冷たい氷雪を 踏みしめて売店に立ち、”祭り”が終ると次の街へ。まさに「旅芸人の記録」のような生活。 その時に、移動する日が猛吹雪、ブリザードだったりして、視界ほとんどゼロの中、前の車のかすかに見えるテールランプだけを頼りに走るのは当たり前の恐怖感。
これは「寒冷地手当て」だけでなく、「危険手当て」も支給してもらわないと”割りがあわない”とみな真剣に思っていたことと思う。

さて、本題に戻り、その日から開始される販売の売店の設営に スカッと晴れ渡った青空の下、小売店の次長、販社の所長、そしてメーカー担当者のわたしの3人は、 スコップを持って、会場に出かけた。 まずは、道路にある雪かきからスタート。30分間、マイナス10度の中、大汗をかきながら 平面を確保。続いてテントの立ち上げ。そして、看板屋さんがきて、結構りっぱな看板が テントの上に設置され、販売机・ストーブ・商品陳列とだいたい完成となった。

「ここまで、できればもう大丈夫。じゃ、ぼくは他のテントを手伝ってくるから」
と次長は、もう1軒自分のところで出している他社のテントへ向かって歩き出した。

「俺も、1回会社に戻ってからまたくるから。もう大丈夫だよね」
「はい、ここまで、できたら大丈夫です」
「のんびり待ってますよ」 そして、所長も車で営業所に帰った。ところが、のんびりどころではなかった。

「ああ・・、いい天気で気持ちいいなぁ。吹雪にならなくて良かった」
などと、一仕事終えた満足感から折り畳み椅子に腰掛けてくつろいでいた。

すると、そこに登場のタイミングを見計らっていたとしか思えない本当に「絶妙のタイミング」で このお祭りを取り仕切る”恐怖”の3人組の面々がわたしのテントに登場なさったのである。

一番右は、黒の皮ジャンにパンチパーマの一見して喧嘩が強いのがわかるタイプの方。 この方をボクサーと呼ぶ。そして真ん中の薄いサングラスをかけた方をNo.3と呼ぶ。 この方は、口から目にかけて大きな傷をお持ちで一見してその筋の方とわかるタイプの方。 最後に一番左にはNo.2。この方はとにかく最初から最後まで、めちゃくちゃ「怒って怒鳴りまくって」 いたが、驚いたことにまったく一見すると全く普通のかたぎのおやじさんに見えるのだった。 もし、酔っ払って夜にぶつかっても、喧嘩してOKと判断してしまうようなタイプ。 この恐怖の体験の後、「人は絶対に外見で判断してはいけない」と肝に銘じたのだった。

「おう、兄ちゃん、誰に断ってここに店出してるんだ。あーーーん↑」
この最後の「あーーーん↑」こそが、この業界の方の独特のイントネーションを感じさせる響きであった。

「え・・?あ・・?いや・・、その、わたしはただの手伝いです。なにも知りません」
と、当然のことながら「責任転嫁」に必死のわたしであった。

しかし、両脇のNo.2とボクサーは、いまにも殴り掛かからんばかりに青筋をたてて怒りの言葉の嵐である。 すると、真ん中のNo.3が、両脇の二人を抑えるようにして、
「まあ・・、まあ・・、まあ・・。兄ちゃんじゃ話がわからんのは、ようわかった。
だったら、話のわかる奴すぐ連れてこんかーい!

「は、はい。わかりました!すこしの間お待ちください。話のわかる人連れてきます」
そして、次長がいるはずの一番坂の上にあるテントまで、一目散に駆け出した。 しかし、この時、実はもし、次長がそのテントにいなかったらどうするか?真剣に考えながら走った。

1.そのまま、そのテントを走り抜けて札幌まで帰ってしまう。
2.「すいません。話のわかる人がいませんでした」と戻っていい訳をする。→ ぼこぼこにされる。

このどちらかだと思った。当然、この街に住んでいないわたしは、1.を選ぶ決心をしていた。

そして、坂の上のテントに到着。

やった!!いらっしゃいました。次長様が・・・。 日頃、商売で厳しい要求をする鬼の次長様がその時には「神様」に見えた。 ちょうど接客中だったにもかかわらず、割って入り、

「た、たいへんです。し・・、下のテントに3人組のコワイ方が・・・・!」
しかし、接客中だったため、「ちょっと待て」と言われ待ちました。 この時間の長く感じたこと。そして、事情を話して2人で坂の下のテントへ。

「おう、誰に断って、ここに店だしてんだ。おまえ!」
「いえ、誰って、ちゃんとNo.1様にご挨拶に行って了解を得ています」
「そうか。オヤジが了解してるって訳だな。でもよ。この場を取り仕切ってるのは おれたちだ、オヤジがいいと言っても駄目なもんは駄目だ。ほかから文句がでてんだ、よォー!」
「では、どうしろとおっしゃるんでしょうか?」
「とにかく、この場所から出ていきやがれ!そうすりゃ文句はねぇ。いいな、今すぐだ!!」


「・・・・・!!」 「・・・・・!!」


当然、反抗できるはずもなく、せっかく設営したテント・看板そのすべてを移動することに なった。

やっぱし、30分も雪かきするのおかしいと思ったんだよね。 きっと、そこはみんなが狙うので「だれも出してはいけない場所」だったと思う。 それを「地割り表」を読み違えたふりをしてその「緩衝地帯」に設営をしてしまったためと直感した。

しかし、もうすでに空いている場所はなく、次長の馴染みのホテルの前の 小さなスペースに移動することに決定。しかし、ここは、実は階段をほんの5、6段ですが、 登らなければならず、「絶対に売れない」と確信したのであります。

あーーあー、それだったら、最初に3人で雪かき始めたときにおっしゃって下さいよ。
いや、せめて看板が立つ前だったらどんなに移動が楽だったか・・・。
でも、すべて作戦だったんだろうと思います。テントも看板も設営して、 さらに弱そうな兄ちゃんのわたしが一人だけになってから登場するというのは。

まさに「絶妙のタイミング」である。

がっくし…。

この3日間「人生でこんな無意味な時間を過していいのか?」 と思えるほど「無意味な時間」を階段の上のテントの中で単にストーブに当たって過した。 予想通り全然売れなかったと思う。

そして、さらにわたしにだけおまけが・・・。

その次の日の昼に、昼飯から戻ったわたしに次長が
「深谷くん、差し入れが届いてるよ」
と言って、ビニール袋に入った缶コーヒー数本をわたしに手渡すのです。

「は??差し入れ?どなたからでしょ??」
きのうのNo.2様とNo.3様がさっき来て、
「きのうは若い兄ちゃんビビらせて、悪かったな。これ差し入れだ」
と置いていったというのです。

「えーーー!!そんなばかな!」と 思いましたが、絶対にないとはいえません。

「深谷、この世界の方は、挨拶にうるさいからちゃんとお礼に行ったほうがいいんじゃないの?」
「あの、真ん中の”たこ焼屋のテント”で酒飲んでらっしゃるから・・・」

しかし、わたしにはどうしても、そんなことがあるはずがないと自分に言い聞かせ、何度も次長から 「お礼に行ったら?」という忠告を無視しました。無視したのではなく、実はそんな勇気がなかったのが本当のところです。

でも、万が一にもほんとに昨日の方々からの差し入れだったらとビビって、
「いつでも反対方向に逃げられる」ように
絶えず注意をその”たこ焼屋のテント”に集中し、一日中、ずーと悩んでいたのでした。
そして、とうとうその日の仕事が終了し、最後に

「深谷、やっぱし今日中にお礼に行ったほうが・・」
と次長がくどくまだ言うので、

「お礼に行くぐらいだったら、札幌に逃げます」ときっぱり真顔で言いました。すると・・・、

「うん、嘘よ。”う・そ”。やっぱビビるよなぁ。こっちは一日面白かったぜぃ。そのコーヒーはきのうの夜行ったスナックのお姉ちゃんの差し入れだよ〜ん」

ば、ばか野郎!!、こんな時に「やっていい冗談」と「悪い冗談」があるぞー!

もし、信じて”たこ焼屋のテント”に挨拶に行ってたらどうするんだ!それこそぼこぼこになってたかもしれません。
想像しただけでも、ゾッとします。

「もし、その嘘を信じてホントにお礼に行ったら次長はどうしましたか?」と質問した。

「うん、深谷を見捨てて、もちろん逃げるよ♪」と、次長は嬉しそうにおっしゃいました。

えーーん、もうこんな人といっしょに仕事するのいやだよーー!もーー、お得意様も、なにも関係ない!!
そう心で思いながら、その日も「缶コーヒー差し入れして頂いた」お姉ちゃんの店で その話題を肴に3人で仲良く酒飲んでしまった自分が情けない。

あーーあぁ…、ぼくちんの「人生の空白の3日間」を返してくれーー!!