思い出の大一番



今年の正月のテレビの特別番組で、NHKと思うが?「大相撲思い出の名勝負」のような番組をやっており、途中からではあったが、 見ることができて、とても面白かった。

わたしが、チャンネルを合わせた時には、(テレビが白黒時代の栃若時代は終ってしまったんだと思う)すでに大鵬と柏戸の時代の取り組みをやっていた。
大鵬が引退を決めた最後の相撲は当時「若い力の象徴」の勢いの出てきた”貴ノ花”(今の若貴のお父さん)との一番というのも 記憶通りであった。この一番に負けて大鵬は引退を決意したのであった。
「なつかしいなぁ〜」と思って観ていたら、時代は進み、横綱玉の海(愛知県蒲郡の出身)と北の富士の時代に なった。

玉の海は下位力士に絶対に負けない横綱であった。 とにかく、中日まで必ず8戦全勝でいく。まさに大関、横綱の鏡である。不幸にして、これからと いう時に、盲腸から亡くなられしまい、ライバルだった北の富士もなにか「緊張の糸が切れた」ように その後は、圧倒的な力を発揮できなくなったようにわたしは感じた。

そして、学生相撲出身の横綱 輪島の登場である。わたしは輪島が、今までの自分の観てきた力士中最も好きな横綱である。

黄金のまわし。黄金の左。

左の前みつを取ったら負けない横綱であった。なんかそのスタイルに カッコ良さを感じていましたね。当時。
その後、プロレスラーになって、今もバラエティ番組なんかに出ていますけど、 全盛期の輪島の強さを知っていたらほんとは畏れ多いことだと思います。

「ふ〜ん、そんな取り組みもあったなぁ・・・」という感じで番組は、とうとう北の湖の時代まできた。

そして、大相撲の「思い出の大一番」と言われたら、すぐに「これだ!」とわたしが答える”あの一番”の映像が映し出されたのである。

それは、わたしが、高校3年生の卒業間近の3月場所のことである。

そして、その一番とは、当時の大関貴ノ花と横綱北の湖の「優勝決定戦の大一番」のことである。
これをわたしは、自宅ではなく、今はもうないが、東京のJR両国駅のホームから道を一本隔てただけの手が届くほどの駅前にあった”両国ホテル”というホテルの一室で小さなテレビで観た記憶が 鮮明に残っている。
このホテルには、きれいな”東京弁”をお使いになるおばあ様がいらっしゃって、 「東京のおばあちゃんは、しゃれとるなぁ〜」などと行くたびに感心していた。
ここは、"両国" という場所柄、お相撲さんも1Fのレストランで食事をしていることも たびたびあった。わたしがいた時の上位力士では、大関旭国関がオムライスを食べていたのを思い出す。

なぜ?愛知県の高校生のわたしが、東京で?

それは、受験のために上京していたのだった。
第1志望の私立も全滅で、確か来年のための練習ということで某国立2期校を受験してホテルに帰ってきてから観たように思う。

この、まさに「世紀の大一番」を一人で、この”両国ホテル”の一室で観た。

ここからは、記憶が曖昧だが、貴ノ花はその何場所か前にももう一歩で優勝というところまで 行っていたのだが、当時「無敵を誇る横綱」の北の湖の前に涙を飲んだとの記憶がある。
そして、その日、千秋楽、本割で貴ノ花が負け、2敗で並んでいよいよ初優勝を賭けた「世紀の優勝決定戦」となったのである。

当時、北の湖は、本当に強く、負けなかった。それに体格で圧倒的に劣るが「足腰が抜群に強いことのみ」 勝っている貴ノ花がまっこうから勝負を挑んだという形である。
当時の観戦に来ていた観客いやほとんど日本中が、すべて貴ノ花の味方である。悲鳴に近い絶叫の声援が絶え間なく 続いた。

そして、貴ノ花は、正面から勝負して「勝った」のである。完勝と言っていい勝ち方だった。

わたしは、今まで「あれほどたくさんの座布団が舞った」のを見た記憶はない。 テレビの画面が黒くなるほど座布団が舞っていた記憶がある。それほど、「国民の悲願の初優勝」だったのである。

その時、”両国ホテル”の一室でわたしは、感激して涙が出て止まらなかったのを覚えている。 その時の、自分の心の状態もあったと思うが、ほんとうにボロボロ泣いた。 その時は国民のほとんど90%以上がみな「貴ノ花」を応援していたと思う。 いわゆる「判官びいき」という感じであるが、その時の声援の凄さを思い出す。

その正月の特別番組には、スタジオに順番に大横綱がゲスト出演していた。 当然、北の湖も出演しており、 アナウンサーの質問にこのように答えていらした。

「この貴ノ花関との一番の時の声援は、凄かったと思いますが、当時土俵上でどのように感じて勝負に臨んでいましたか?」
「そうですね。この時の声援は今までに感じたことのない一種異様な雰囲気がありました。しかも、その声援がすべて 貴ノ花関に対するものということもわかっていました」
「そこで、わたしはますます、負けてなるものか!と闘志が高まりました。 それで”全力”で戦ったのです」
「結果は、負けましたが、全力を出して相撲を取れたと思ったので、 悔しさよりもなにかスッキリした爽快な気持ちになり、支度部屋に戻ったのを覚えています」
と淡々と語りました。

う〜ん、やっぱし大横綱になると、言うことが違うなぁ〜。
あの、国民のほとんど全員が貴ノ花に声援を送る中、 その声援に返って闘志を燃やし、全力を出しきって戦い、負けても爽快感が残ったとは。
その時の名勝負を思い出すとなおさら、素晴らしい発言でありました。

今は金星が出ない日を勘定するほうが早い相撲界。
「本当に強い」横綱が出てこないと連日の「満員御礼」の垂れ幕が下がるということは やはり難しいだろうと改めて感じたのでした。