同窓会の帰り道



横浜の韓国料理店で、わたしが学生時代に所属していたギタークラブの同窓会が開催された。 今年が創部40周年というサークルであるが、もちろん総会というのではなく、部分的な同窓会である。

わたしの代(1980年卒業)と1つ下の代(1981年卒業)の合同となったので、都合のつかない人も何人かいたが、 結局参加者は、子供も含めて15名という大盛況の宴会となった。

20年ぶりで再会した人もいて、たいへん楽しかった。

午後1:00から食事をして、 喫茶店の2次会をお開きにして関内駅に向かって歩き出したのは、4:30過ぎたころであった。 久しぶりの人が多いので「いくら話ても話足りない」感じである。やっぱ「お泊り」にしないと駄目ねぇ〜、などとつぶやく人もいた。

しかし、このメンバーは、ほとんど年をとらない。

不思議だ?なんでかな?
女性陣も若い。みんな元気いいよね。ほんと。

なんで、みんな20年前と同じ顔してるの?髪の毛もふさふさの人がほとんど。
うーん、会社の同期の奴らと 比べると やっぱ若いよなぁ。

こうして1つ下の代の仲間と会ってみんなの顔を見ているとどうしても、
「髭づらの彼」のことを思い出す。

地元の国立大学を受かったが蹴って東京にきたと言っていた。 同窓会に参加していたもう一人のUくんもまったく同じようにして東京に出てきていた。 ふたりは福岡高校の同級生である。
「東京にどうしても出てきたかった」と言ってたね。当時二人とも同じように。

「髭づらの彼」に最後に会ったときの場面を わたしは今もはっきりと覚えている。
場所は「れいちゃん」だった。

学生時代、今は広島に住んでいるこのサークルの同級生の久野くんがこの「れいちゃん」という焼き鳥屋の常連だった。
酒飲み友達のわたしも、当然、本当に毎日のように西武新宿線の新井薬師前のその店に通った。
その日、「髭づらの彼」とは、待ち合わせしたのでなく、偶然にいっしょになって飲んだのである。

その時わたしは、すでに就職しており、独りで学生時代に毎日のように通っていた「れいちゃん」に ひょっこり新宿から飲みに行った。そこに彼が、やはりひょっこり一人で現れた。

「おおぉ・・!久しぶりだなぁ〜!」

ということでいっしょに飲んだのである。

季節は秋であったと思う。その頃は秋が就職戦線まっさかりの時代だった。
「髭づらの彼」は、一般企業は全滅していて、最後に残っていたのは広告代理店の最大手のD社1社だけだった。 ちょうどその時次回が最終面接という状況だった。

その年、彼は夏休みに一人でインドに旅行に行っていてほとんど就職試験の準備をしておらず、 やはり出遅れたんだと思う。
結構、その日は落ち込んで「れいちゃん」の暖簾を押して一人で飲みにきたところだったという訳である。
しかし、D社はバイタリティーのある面白い人材を採用すると思ったので、 そのインドでの体験を熱く語れば
「ひょっとするといけるかもな?」
とわたしは、思った。
結果的に予感は的中した。

その時彼は、どこからも内定をもらっていなかったが、こんなことを言っていた。

「深谷さん、男と生まれたからには社会に出たら何かでっかいことやりたいですね」
つまり、なんらかの形で人生の足跡を残したいというような意味だったと思う。
たとえ、その年の就職がうまくいかなくっても。そんなこと問題じゃないという決意にも取れた。

その時、就職して、いきなりまったく環境のちがう「応援団」株式会社に出向させられて肉体的にも精神的にも ぼろぼろでしんどかったわたしは、相づちは打ったものの「そういってもね。現実は・・・」などと ほんとは思って聞いていた。

もうひとつ彼について覚えているのは、彼から薦められた本を2回繰り返し読んだことである。 その時だったか?以前の話だったか?忘れたが自分の読んだ本で最も感動したものは何か?という話題になったときに わたしは自分がなにを挙げたのか完全に忘れたが、彼が推薦した本は決して忘れることはない。

それは、
新田次郎「孤高の人」であった。

「深谷さん、この本は、ほんとにいいですよ。ぜひ、読んでみてください」
「別に山が好きじゃなくても、きっといいと思いますよ」
山登りの好きだった彼のその時の、明るい笑顔をはっきりと今でも覚えている。

わたしは同じ本を2回読むということをほとんどしないが、この「孤高の人」だけは、 2回読んだ。2回目はほんとは途中で1度読んだことを思い出したが、 面白いのでそのまま一気に読み終えた。
この本を読んで山岳小説という分野があるのを初めて知った。
そして、当時わたしもこの本に素直に感動した。

この本の主人公の生き方と彼が、ちょっとダブるのである。 登山靴の似合うこの後輩の風貌は、あご髭をたくわえた「優しそうな熊さん」だった。

そしてその一ヶ月後、最後に残ったD社から、見事内定をもらった。
電話が、なかったので、迷ったがこちらから電話をかけた。そうしたら、「受かりました」 とのことだった。
ウレシくて、わたしに結果を連絡するという約束を忘れてしまっていたところが また、彼らしかった。 D社に入社して、関西に転勤になり、関西テレビの担当になり活躍しているということは聞いていた。

そしてその後二度と会うことなく、彼の訃報を聞いた。 5年前の冬、突然肺ガンで亡くなった。年末もだいぶ押し迫ってのことだったと思う。

今回の同窓会で知ったのだが、三宮で葬式があったそうだ。 そして、年が明けて1ヶ月後の1月17日に阪神淡路大震災で その葬式の後に仲間が帰りに立ち寄って話をした喫茶店もみな何もかも完全に倒壊したという。

D社の平均寿命はOBを含めて62〜63才だそうだ。日本人の平均よりも20才も若い。
まさにそれを裏付けるような若さだった。享年38才と思う。

あの時、れいちゃんで言っていた「何かでっかいことやりたい」っていうの実現できたのかな?

「できたんだよね?」

同窓会の帰り道、20年前のままの笑顔の彼の顔を思い出した。