”外山滋比古先生”の教え



最近、このホームページを作りだすようになって思い出すのが、 この表題の「”外山滋比古先生”の教え」についてです。

それは、一年間の浪人生活の末になんとか東京で学生生活を始めて、1年か2年たったか?どうか?ぐらいの頃の話です。 ”ボッチ”(2000年の今アメリカに駐在の親しい友人で高校の3年時のクラスが同じでした。 彼といっしょに酒を飲んでの大暴れ経験は、たくさんあります。)の身内の女性で高校の一年後輩の”オネエ”という子がお茶の水女子大に入学しました。
そして、陶芸のクラブ?(記憶が定かでない)に入部し、その当時そのクラブの顧問をしていらしたのが、この外山滋比古先生だったという訳で、 なんと先生は、わたしたちの卒業した愛知県の県立高校のOBでした!

え・・!あの教科書で読んだ記憶のある外山滋比古先生が、高校の先輩?!
それまで、外山先生が高校の先輩にあたるということは、全く知りませんでした。

外山滋比古先生は、中学校や高校の国語教科書によく取り上げられている誰もが認める「文章の達人」です。
そこから「国語が専門」というイメージのある方ですが、ほんとのご専門は英文学の教授だったと思います。 間違っていたらゴメンナサイ。

ある日、「魂のラグビー部」で夏合宿を乗り切った驚異の体力の持ち主”ボッチ”、 高校時代陸上部で100メートルを11秒そこそこで走る”俊足カタヤマ”と”わたし”で 「大学は違うが東京に出てきている」高校時代のクラスメイトが 先生との宴会に出席するという縁に恵まれました。 先生にお願いをした”オネエ”と外山先生の都合5人で宴会が開催されました。

場所は、忘れましたが、どこかの?居酒屋だったと(新宿か?お茶の水か?)思います。

今、考えると大学教授としてだけでなく、当時から非常に広くご活躍だった先生が、よく、高校の後輩というだけで、 酒宴に出て下され、更にごちそうしていただきました。ありがとうございました。

さてその宴会ですが、元々、この宴会を強力に推進したはずの”ボッチ”くんは、 先生の席が決まるやいなや、すかさず その対面に”わたし”を座わらせ自分は先生の横に座りました。
この配置こそが、先生をお送りした後に”ひどい醜態”をわたしに演じさせることとなるのですが・・・。

その時には、わたしは「う、うまいなぁ〜、こいつ!こんなに偉い先生の対面じゃ、緊張するじゃんかよぅ…」程度の感じでその配置に素直に従いました。

もともと”ボッチ”と”わたし”に比べると酒量が少ない”俊足カタヤマ”は、”ボッチ”のさらに横に・・・。

「う〜ん、いくらわたしが酒が飲めるとはいえ、先生との対面というポジションでは、話題が苦しい・・・」

しかし宴会が始まりますと、わたしは飲むとよくしゃべる男ですから、先生にいろいろお話をお聞かせいただきました。 その中で、忘れようとしても忘れなれないお言葉があります。 それは・・・、

「先生、どうしたら先生のように上手な文章が書けるようになるのでしょうか?」
というわたしのあまりにも「安易かつ何も考えていない質問」にやさしくうなずき、お答え下さいました。

「それはね、簡単ですよ。毎日欠かさずに”書く”ということです。”書く”という作業を続けることです」
「たとえば、きょうみたいに酔っ払って帰っても、必ず書く。これを習慣にして10年続けてごらんなさい。そうすれば、 だれでも文章は上達するのです」
「実際に”書く”。それしかないんですよ」

「文章を書くことの達人」とも言うべき外山滋比古先生からの ありがたい「ご教授」にも、その時には、
「ふーん、そっかぁーー、そうなんだぁーー」という程度の感じしかもてないノー天気なわたしは、 「そんなことおっしゃられても、新聞記者になるんじゃないから無理だなぁ〜」と思ったのでした。 また、「10年」という時間がとても長い時間に感じられたのでした。 当時20才ちょどのわれわれには。

あの時にもし、ほんとに先生の「教え」を守り、 10年間毎日、何か物を書きつづけることのできる”強い意志”をもっていたら、 もう少しは、文章を書くことが上手になって現在に至ったんではなかろうか?といま40才を越えて分かるのです。

その日、先生を地下鉄の改札口で大声で”万歳三唱”でお送りし、新宿の喫茶店で、 当然のように反省会を開催しました。

し…、しかし、その喫茶店の席に座った瞬間、 わたしの”ひどい醜態”は始まったのでした。

なんと、その座ったそのまんまの姿勢でわたしはゲーゲー戻してしまい、 このような姿勢で人間が戻すことができるのを始めて知りました。 3人に介抱されてその日なんとか帰宅できましたが、掃除をしてくれた従業員さんたちの恨めしそうな顔がいまでも目に浮かびます。

当時は、まだお酒を飲み始めたばかりでコントロールができなかったんですね。酒量の。

ほれみてみぃ!先生の対面に座って、緊張の連続だったのに先生が どんどん日本酒をお酌をしてくださる。当然、お断りする訳にはいかず、ドンドン飲んだんですよ。わたしは。
”ボッチ”くんは、覚えているかな?あの時の席順。
わたしは今でも覚えております。
喫茶店の従業員のみなさんには大変にご迷惑をおかけしました。すいません。

後日、その外山先生との宴会の模様を父親に話しをしておいたところ、 ある日、父親から新聞の切り抜きが送られてきました。

それは、当時「世代百景」と題された(確か、産経新聞と思う)外山先生の執筆なさっていたコラムの切り抜きでした。 そこには、高校の後輩の若者たちと酒を飲み、語り合ったことが書いてあり、 最後に「地下鉄の改札で大声で万歳三唱で送られたわたしは、一回り若返ったような気がした」と 書いてあったと記憶しています。

「おおぉ・・・!、ホントに”あの外山滋比古先生”と飲んだんだなぁ〜」と感激した次第です。 ・・・認識が遅いっていうの!!

しかし、その時の先生の「教え」は、右から左に流してしまい、単なる酒飲みと堕してしまった、わたし。

いやいや、まてよ。20才の時に果たせなかった「先生の教え」を今からでも 果たせばいいのではないか?
まだ、40を越えたところじゃんか。
いまから、10年。それでも 50才台でしょ?ね?ね?。
去年の直木賞作家の桐野夏生さんも初期の作品群と受賞作の「柔らかな頬」では、 格段の差があるではないか!
桐野さんは今年49才のはずだ。まだ今からでも遅くはない。 別に小説を書くんではないが、文章はうまくなりたい。

なんと言っても、われわれは「文章の達人」から直に教えを頂いたのだから。

ホームページを作り、文章を書くという作業をしてみて、改めてあの時の 外山先生の「教え」を思い出しております。
先生、ありがとうございました。

25年の時の流れを経てやっと先生の「教え」の意味に気がつく、できの悪い生徒でした。