タイトルのあとの日付は、ビデオを見た日です。その時点で、ビデオ屋さんのどのコーナーを探せば、そのビデオが見つかるのか、書いときます。

N.Y.式ハッピー・セラピー (2004.9.29)
【新作コーナーにあります。】

なんじゃ、この題名?
「つまんないですから、決して見ないでください!」
と宣言してるようなものだ。
なんで、こんな題名が会議を通るのだろう?

「うん、そうだね、NYという言葉はいいね。
見る気をおこさせる。」
「じゃあ、部長、‘N.Y.’という表記にするのはどうでしょう?」
「そりゃいいね、通っぽいよ。
見る気をおこさせる。」
「そして、そのあとに続くタイトルは、
コメディー映画ですから、ユーモアティックなものがいいと思うのですが」
「たしかにその通りだ。それこそ、
見る気をおこさせる。」
「‘ハッピーセラピー’というのはどうでしょう?」
「言葉のすわりがいいね。
見る気をおこさせる。
待てよ、何かがひっかかる・・・‘ピー、ピー’だ!、
これは語呂合わせになっとるよ、キミ」
「さすが、部長、お気づきになりましたか!!」
「私は相当、カンが鋭いからな。
このタイトルで決定だ。
見る気をおこさせる。」

こんなことを書くために
この映画を取り上げたわけではありません。

ジャック・ニコルソンです。
ジャック・ニコルソンが出てるから、見たわけです。

20世紀の演技に革命をもたらしたのは
マーロン・ブランドです。
‘ウソ’とか‘形’だったものを、‘本当’へと変えたのです。
画期的でした。
映画界は一斉に演技法が変わりました。
そして、その演技法を頂点に導いたのが
ジャック・ニコルソンです。

なぜ、デ・ニーロやアル・パチーノではないのか?

デ・ニーロやパチーノは確かに一時代を築きました。
映画史上の偉人です。エリートです。
彼らはアクターズ・スタジオ出身で、メッソドといわれる演技術を・・・
と書き出すと、めんどくさいんで、
一言で言っちゃうと、
“頭で考えた演技”をする人たちです。
シナリオを読み込んで、役の人物像を掘り下げ、
監督とディスカッションしては、
役の人物像を掘り下げていく。
こうして、アメリカン・ニューシネマや80年代の名作が
次々と生み出されました。
けれど、限界があったのです。
頭で考えるため、これでもか!っちゅうくらい詰め込み、
見てるほうがお腹イッパイになるのです。
「デ・ニーロの演技はクサい」
などと言われるのは、このことです。

それに対し、ニコルソンは天才であり、体得した演技者です。
デ・ニーロやパチーノは
「緻密だなぁ、上手いなぁ」と感心はしても
こちらが思いもつかないことをやらかしてはくれません。
ニコルソンの演技は驚きの連続です。
それはしばしば‘笑い’につながります。
『愛と追憶の日々』の宇宙飛行士がプールに飛び込むシーン、
『イーストウィックの魔女たち』の悪魔が悔しがるシーン、
思い返すだけでもニヤっとします。
ただの突飛な演技では‘笑い’は生まれません。
「この人なら、こうするこうする」と
観客がすんなり理解・納得・共感できるにもかかわらず、
常人には発想できない演技。
そうした演技は頭からは生まれません。
そして、ニコルソンの演技の基礎となっているのは
長い下積み時代です。
1956年にデビューして、1969年の『イージー・ライダー』まで
彼はウンコのような映画に出まくりました。
しかも、予算がないため、監督もやればシナリオも書き編集までも経験しました。
理屈をこねてディスカッションしてる場合じゃありません。
そんなことしてたら殺されます。
そこで体得したものがニコルソンの土台となっているのです。

が、
そのニコルソンでさえ、
21世紀にはいり、その実力を発揮できなくなっています。

『アバウト・シュミット』
『恋愛適齢期』
『N.Y.式ハッピー・セラピー』

悲しくなってしまいます。

ひとつの理由に、演技法の変化があります。
今の20代30代の俳優の演技は、ニコルソンの演技とは全く違います。
映画における演技というものは、
時代とともに、変化しているのです。
ただ、現状では、‘変化’であって、‘進化’でないのが問題ですが・・・。
そのことは、また別の機会に。

もうひとつの大きな理由は、
ニコルソンの演技力を引き出せるシナリオがないのです。
特に、『N.Y.式〜』は
ニコルソンに対してシナリオであることを放棄しています。

「ニコルソンさん、あなたの役はセラピストです。
ただ、セラピストであるってこと以外一切、書いてません。
神経質な人なのか、ガンコな人なのか、明るい人なのか、
どんな人か、なーんも書いてません。
てゆうか、そんなことを書く力がないんですよ、ホントのところ。
会社も書けって言わないし。
だから、好きにやって、どうか、おもしろくしてください」

そんなシナリオです。
なのに、ニコルソンは善戦しています。
でも、地図なしでジャングルに踏み込むようなもので
あちこちに行きはするけど、目的地にはたどり着きません。
厚みのある、一貫した人間として成立していません。

「こんな映画で時間を浪費してる場合じゃない。
ジャック・ニコルソンが元気なうちに、
もう1本くらい、彼の名作を作ってくれっ!!」

20世紀の宝を前に切実な焦りを感じたいなら、この映画です。


ちなみに、
ジャック・ニコルソンが下半身だけ、いえ、身体だけで演技する
と僕は主張してるわけじゃありません。
彼だって、すっごーく頭をつかって演技してます、もちろん。

恋におちたシェイクスピア (2004.5.9)
【アカデミー賞コーナー、もしくは、名画コーナーにあります。】

1年ぶりの更新なのに、
数年前の映画をとりあげるのも、どうかと思ったのですが、
先日、ビデオでこの作品を見て、
書く気になりました。

手っ取り早く言うと、
『恋におちたシェイクスピア』(以下、『恋シェイ』)は、
1990年代のアメリカ映画トップ3に入る佳作です。

90年代のベスト1は、もちろん
『許されざる者』ですが、
(アメリカ映画史上に残るクラスの傑作)
これは、映画大好きのイーストウッドがその才能・経験を
最大限に発揮して生まれました。
つまり、‘クリント・イーストウッドの作品’です。
こんな映画を作れる人は他にはいません。
が、
『恋シェイ』は
誰の作品でもないのです。
いわば、奇跡なのです。

昔、僕が愛読していた「小学3年生」に
“太陽系惑星直列の恐怖”という特集がありました。

水・金・地・火・木・どってん・かいめーの星々が
一直線に並ぶ時、
引力のバランスが崩れ、地球に大異変が起こる。
富士山が噴火し、日本海の海水は干上がってしまうだろう。
そして、人類の大半が死に絶えてしまう・・・。
が、諸君、心配するなかれ。
全惑星が直列する確立は、限りなくゼロに近いのだ。
しかし、決してゼロではない。
もし、惑星が直列する日が訪れるなら、
それは、悪魔の奇跡と言うしかないだろう・・・。


こんなデタラメ記事を子供雑誌に載せるのもどうかと思うのですが、
『恋シェイ』は、これと同じなのです。

他の作品では全くさえない人々が
なぜか、『恋シェイ』のときにだけ、そろいもそろって
自己ベストを発揮したのです。

『恋シェイ』の脚本、監督を紹介すると・・・

脚本/マーク・ノーマン・・・
巨万の富を浪費した壮大な超失敗作『カット・スロート・アイランド』の脚本家
脚本/トム・ストッパード・・・
スピルバーグの経歴の汚点『太陽の帝国』の脚本家
監督/ジョン・マッデン・・・
ニコラス・ケイジを殺したくなる『コレリ大尉のマンドリン』の監督

これだけの駄作を作った人々が
なぜ、『恋シェイ』を作れたのか?

奇跡です。

そして、出演者の
グウィネス・パルトロウも
『ダイヤルM』や『オースティンパワーズ・ゴールドメンバー』のときより、
やる気を出してるし、
周りの脇役も手堅いし、その中でも
ベン・アフレックは
『パールハーバー』や『デアデビル』ほど天狗になってないから
神妙に演じてて良いし、
まあ、主役のジョセフ・ファインズが、可もなく不可もなくであれなんだけど・・・・・。

本当に、たまたま、いろんなめぐりあわせがドンピシャだったんです。

逆に言うと、
アメリカ映画は、こういう奇跡でも起こらないかぎり、
良質の作品は生まれてこない、ということになります。

‘アメリカの奇跡’を体験するなら、『恋シェイ』です。



そして、
ちょっと不思議なんだけど、
ロードショーで映画館で見たとき(1999年)よりも、
ビデオで見返したときのほうが楽しめました。
なぜ?
初見のときは、ストーリーの巧みさにどうしても目がいってしまうが、
2回目は、登場人物に感情移入して楽しむ余裕ができた。
って、ことなのかな。
こんな映画は初めてでした。
それほどよく出来てます。

ベイビー・イッツ・ユー (2003.6.17)
【大きいビデオ屋さんの、‘恋愛’とか‘ドラマ’のコーナー。
もしかしたら、女優別の‘ロザンナ・アークエット’のコーナーかも。】


この映画のコーナーでは、
どこのビデオ屋でも手に入る作品しか取り上げませんでした。
‘見られもしない映画’や‘聞いたこともない映画’のことを
ゴチャゴチャ書かれても、読む気にならないからです。
が、
今回はオキテ破りです。

『ベイビー・イッツ・ユー』は、’83年のアメリカ映画。
日本公開は、’87年秋。
僕は、六本木シネヴィヴァンにレイトショーを見に行きました。
60年代の名曲がふんだんに使われ、
ノスタルジックでほろ苦い、青春の挫折のラブストーリーに涙したのを覚えています。

先日、テレビの深夜映画でこの映画を16年ぶりに見直しました。

主人公のカップルを演じるのは、
ロザンナ・アークエットとビンセント・スパーノ。
ロザンナはかわいいし、ビンセントはハンサムです。
当時、ロザンナは24歳、ビンセントは21歳。
アメリカで注目されていたジョン・セイルズ監督の映画に主演した二人には
無限の未来が待ち受けていたはずです。
特に、ロザンナ・アークエットは、
前年の’82年に、自分に捧げられた(!)、TOTOの名曲『ロザーナ』が
世界的に大ヒットしたばかり。
スターになる予感を自分でも感じていたでしょう。

が、年が流れ、二人はどうなったか・・・・

はっきり言って、パッとしません。

確かに、ロザンナ・アークエットは80年代には数々の話題作に出演し、
『グレート・ブルー』のヒロインもやり、
昨年は初監督も果たしました。
本人としては、非常に満足している映画人生かもしれません。

でも、第三者から見ると、こんなはずでは・・・という思いがぬぐえません。
もっと高いところにいてもいいはずなのに、キャリア的にも人気的にも。

ビンセント・スパーノにいたっては、今なにしてるのかよく知りません。
なぜ、ニコラス・ケイジになれなかったのか。
ニコラス・ケイジがダメなら、せめてアンディ・ガルシアくらいになってもいいのに。
イタリア系のくせに、ちょっとさっぱりしすぎてるから?
ニコラス・ケイジほどねちっこい演技をしないから?
でも、大して違いはありません。
どこかの曲がり角を別の方に曲がっていれば、ニコラス・ケイジになれたかもしれません。

時間は万人に平等に流れていきます。
が、結果は万人に平等ではありません。残酷です。そして、不思議です。

『スター・ウォーズ』で、全く同等だった、
マーク・ハミルとキャリー・フィッシャーとハリソン・フォードは、
なぜこんなにも差がついたのか?

あんなに輝いていたロバート・デ・ニーロはなぜ失速し、
ジャック・ニコルソンはなぜ今も輝いているのか?

・・・・・・・。

時の流れを感じたいときには、『ベイビー・イッツ・ユー』です。

僕がこの映画を見た六本木シネヴィヴァンも今はありません。

マイノリティー・リポート (2003.1)
【監督スティーブン・スピルバーグのコーナーに、やがて並ぶはず】

はっきり言って、
おもしろいのか、おもしろくないのか、よくわからない映画です。

だんだん退屈になってきて、
その退屈さに耐え切れなくなりウトウトすると、ドカンとアクションが入り、
また、だんだん退屈になってきて、
その退屈さに耐え切れなくなりウトウトすると、ドカンとアクションが入り、
またまた、だんだん退屈になってきて・・・・・・

この繰り返しで映画は終わり、
見終わったときには、
「結局、おもしろかったんだっけ?つまんなかったんだっけ?」
と思わせる映画です。

そうなんです、なんとなく‘思っちゃう’のではなく
スピルバーグに「思わせ」られてしまうのです。


『マイノリティー・リポート』で、スピルバーグは
“映画のお約束”を数多く破っています。

この映画には、いかにも!って感じの悪役が登場し、
主役のトム・クルーズや、その上司も
「あいつは悪いヤツだ」とか「あいつには気をつけろ」などと話しています。
これによって、観客は
‘トムと悪役は対立している’という人間関係を把握し、
そのつもりで見ています。
が、映画の中盤で
唐突に、“真の悪役”が登場し、“いかにも!悪役”はあっさり殺されます。
“いかにも!悪役”は本当は悪役じゃなかったんだ・・・・
見事などんでん返し!!
のようにみえますが、
では、「あいつは悪いヤツだ」「あいつには気をつけろ」のセリフは
なんだったのでしょう?
‘実は、イイ人が捜査のために悪いフリをしていた’とか
‘実は、真の悪役が自分の正体を隠す為にトムをダマしていた’とか
‘実は、トムが大マヌケで、人を見る目がなかった’とか
なんらかの説明があれば、理解できるのですが、
なーんもないのです。
つまり、観客をダマすためだけの、
その場限りのテキトーなセリフだったです。
そのつもりで見ていた人間関係がまったく無視されるってことです。
これでは何を頼りに映画を見ていいのかわかりません。

また、題名にもなってる‘マイノリティー・リポート’というものが
映画のなかほどで、トムの命を救う大切なものだとわかり、
トムは必死になって、‘マイ・リポ’を探します。
そして、さんざん苦労し、やっと‘マイ・リポ’を手に入れたと思ったら
‘マイ・リポ’なんて本当は存在しないことが発覚します。
が、まさにその瞬間、たまたま、
トムは‘真の悪役’に襲われ、ピンチに陥り、
なんとか切り抜ける過程で‘真の悪役’の正体を見抜くことができ、
すぐさま、‘真の悪役’をハメるワナをセッティングし、
クライマックスの対決へ。
そして、見事、‘真の悪役’を倒し、メデタシ、メデタシ。
これってヘンじゃないですか?
‘マイ・リポ探し’は、なんだったの?
トムの行動の目的になってたわけでしょ?
突然、命をかけた目的がなくなったのに、ショックもうけず、ビクともせず、
即座に次の行動に乗り換えるってのは、どういうこと?
今まで‘マイ・リポ’を探してたことを一瞬にして忘れてしまったの?

数え上げたら、キリがありません。
人物設定、人間関係、行動原理、構成、伏線などなど
すべての点でカンペキに崩壊した映画です。

けれど、スピルバーグです。
29歳で、あの『ジョーズ』をつくった天才です。
アメリカ映画を根底から変えてしまった男です。
極東の黄色人種の1映画ファンに指摘されるまでもなく
すべてわかっているはずです。
ということは、すべて、わざと、やっているのです。

なんのために?

飽きたんですかね。

きつねうどん作りの天才がいるとします。
きつねうどんを作らせたら、世界一の腕前で、
世間の人は、彼がきつねうどんを作るのを楽しみにしています。
が、彼としては、きつねうどんは眼をつぶっててもカンペキに作れるから、
違うものを作ってみたいと思うわけです。
そこで彼は鍋焼きうどんを作ってみます。
すると彼は鍋焼きうどんも上手に作ってしまいました。
たぬきうどんもカレーうどんも、ぜーんぶ上手においしく作り上げ
うどん界に君臨します。
彼に頼めば、なんでもおいしく作ってくれるので
彼に注文は殺到します。
彼はどんどんおいしいうどんを量産します。
が、やがて彼は、
「おいしいうどんを作るのは飽きたなあ。
おいしくないうどんでも作ってみるか・・・。
そうだ!うどんはおいしいと決まってるわけじゃないもんね!!
やってみよっと。」
という境地に達します。
一般人には理解しがたい境地です。
が、世界でただ一人、彼だけが達することのできる境地です。

そうとしか思えないんですよね。

彼の罪は、
世の中のすべてのうどんをきつねうどん風にしてしまったことです。
鍋焼きうどんは鍋焼きうどんなんです。
鍋焼きうどんの天才が作らないとダメなんです。
なのに、きつねうどんっぽい鍋焼きうどんを流通させてしまったので
本当の鍋焼きうどんがなくなってしまったんです。
きつねうどんっぽい、たぬきうどん。
きつねうどんっぽい、カレーうどん。
どれもこれも、きつねうどん。
うどん好きはうどんを食わなくなります。

『マイノリティー・リポート』
スピルバーグの心の闇を知りたいときに見る映画です。
それ以外の方は
『ジョーズ』を見ることをオススメします。

セイブ・ザ・ラスト・ダンス (2002.11.1)
【新作じゃないけど結構最近の作品が集められてるコーナー】

アメリカ人とじっくりお話したいときには、もってこいの映画です。
(でも、英語だと「ハ〜イ」って声かけた後、会話が続かないので
セイン・カミュみたいな日本語ペラペラのアメリカンがいいな・・)

アメリカ人には怒られると思うけど、
アメリカって自己中心の単純バカのわっかりやすい国だと
僕は思ってます。
ハリウッドの映画を見てると、どうしてもそう思っちゃいます。

なのに突然、まったく理解しがたい面が突きつけられることがある。
それが、この『セイブ・ザ・ラスト・ダンス』です。

映画が始まって3分で、ラストまで全部読めちゃいます。
アメリカらしい、わっかりやすい!映画です。
バレエをあきらめた少女が
恋人にたすけられて、再びバレリーナになる夢を追い求める。
それだけの映画です。
「がんばれーっ!!」ってヒロインを応援しながら見る映画です。
なのに、ヒロインが超ブッサイク!!
どういうこと?
輝きゼロ、魅力ゼロ、笑顔バツ、好感度ゼロ。
そもそも、バレリーナ役なのに
すっげえデブ!
どういうこと?
バレリーナって、スラッとしてます、痩せすぎくらいに痩せてます。
百歩譲って、僕は寛大だから、デブには目をつぶりましょう、
バレエがうまければ。
なのに、ぜーんぜん大したことない、ていうかヘタくそ!
どういうこと?
魅力のない踊れないデブがなんでダンス映画のヒロインなわけ?

あっ、そっか、
ヒロインの恋人がカッコイイ二枚目なんだ!
ヒーローを「がんばれーっ!」って応援する映画なんだ
と、気を取り直して見てたら、
出て来ました!恋人役の若手黒人俳優!!
・・・なにこれ?クロンボの公務員?
そう思っちゃうほど、シケたショボクレのガリ勉くんだった。
ヒロイン以上に、輝きゼロ、魅力ゼロ・・(以下略)
どういうことなんだよーっっ!!

※第一の疑問※
なんで、こんな二人が
ティーンズ・ムービーの主役にキャスティングされるの?

※第二の疑問※
なんで、こんな映画が
アメリカで大ヒットしたの?
(『スター・ウォーズ エピソード2』のたった20分の1の制作費で
『スター・ウォーズ エピソード2』の4分の1もの売上があった!)
アメリカ人はなにが楽しくて
こんな映画を見るために、映画館に押しかけたのだろう?

さっぱり、わかりません。

さらに、
ヒロインの通うのが、スラム街にある黒人ばっかりのハイスクールで、
恋人も黒人のため、
人種問題がからんできます。

黒人のクラスメートから
「おまえは重油の中の牛乳なんだよ。オレたちには混じれないんだよ」
と差別され、

(自分達のことを重油にたとえるのも、どうかと思うんだけど・・・
これ、※第三の疑問※ね)

親友と思っていた、恋人の姉から
「医者になる弟は私達の希望の星なのよ!売女が横取りしないで!」
とののしられます。

“やっぱ、人種問題は根深いんだ。
アメリカ社会はムツカシイ問題を身近に抱えてるんだなあ・・・”
と、思ってたら

「ひどいこと言って、ごっめーん!」
の一言ですべて解決しちゃいます。

どういうこと?
そんなんでいいのかよ??

※第四の疑問※
非情にデリケートな人種問題を
こんなバカみたいな処理ですませて、
黒人はもちろん、白人も頭にこないのだろうか?

※第五の疑問※
そもそも、こういった疑問さえ思い浮かばないくらい、
アメリカ人って単純バカなの?

興味ある多くの疑問を提供してくれる映画です。
さあ、あなたもアメリカ人とレッツ・ディスカッション!

スター・ウォーズ エピソード2 (2002.9.1)
【公開中です。】

「好きな映画はなんですか?」と聞かれると、
「『スター・ウォーズ』!」と僕は答えます。

少々説明が必要なのですが、
‘僕が見た中で最良の映画’という意味ではないし、
‘僕が最も好きな映画’という意味ともちょっと違います。
強いて言うなら、‘運命の1本’という感じでしょうか。

『スター・ウォーズ』(もちろん、1作目のことです。念のため)の
日本公開はアメリカから1年遅れました。
今では信じられないのですが、
「けっ、どうせ、宇宙人とか出てくる、ガキの映画だろ」と
映画会社が公開に真剣じゃなかったんです。
最初に決まってた邦題は、『宇宙大戦争』でしたし、
公開時の字幕は‘フォース’のことを‘理力’と訳してました。
(‘フォース’というのは、映画の中に出てくる、
正義の味方が持ってる魔法の力みたいなもんです。とても大事なものなの。)
その1年の間に、映画に関する情報がちまたにあふれました。
逆効果でした。
待たされすぎてるうえに、
断片ばかり見させられすぎて、
新鮮味とか期待がかなり薄れてしまったわけです。
公開当時の雰囲気はそういうちょっと間の抜けたものでした。
(ですから、『スター・ウォーズ』は興行的に大ヒットしてません)

中学生だった僕は、その空気に染まり
完全に‘なめてかかって’見に行きました。

長い予告があって、やっと本編が始まり、
20世紀FOXのファンファーレが終わり、
一瞬の静寂のあと、
あの『スター・ウォーズ』のテーマが鳴り響いたとき、

「来た!」

僕はそう感じました。
雷に打たれたような感じです。
なんだかわからないけど、ものすごいものに遭遇してる。
そして、
僕の頭上をとてつもない宇宙船が通り過ぎていく、
あのファースト・シーンで僕は泣いてました。

最高に幸福な出会いです。
僕が大人だったら、こういう感動はしなかったし、
もっと小さくても、こういう感動はしなかったと思います。
あの歳であの映画を見たから。
後にも先にも、こんな経験はありません。

だから、‘僕にとってのこの1本’は『スター・ウォーズ』なのです。

そして、2作目、3作目が作られました。
1作目に比べ、ぜーんぜんおもしろくありません。
でも、あの狂喜乱舞した『スター・ウォーズ』の続き物なんですから、
見ないわけにはいきません。

そして、4作目の『エピソード1』が作られたとき、
僕は久し振りにワクワク期待して見に行きました。
『スター・ウォーズ』シリーズの生みの親であり、
1作目の監督でもあるルーカスが再び、監督するからです。
結果はサイテー。

1作目、2作目、3作目を貫いていたのは
徹底したエンターテインメント性でした。
主人公が実は、悪の親分の子供だった!とか
主人公が愛する姫は、実は双子の姉だった!とか
失笑をかう秘密が次々に明かされていくんです。
これは、映画史上、数限りなく作られてきた
西部劇、戦争映画、宇宙もの、海洋ものの名作映画、
というより、B級映画のエッセンスを取り込んでいたのです。
はっきり言うなら、
‘チープなエンターテインメントを最新技術で一生懸命作ること’が
『スター・ウォーズ』の魅力だったのです。

しかし、『エピソード1』は違いました。
「『スター・ウォーズ』を壮大で高尚な叙事詩にするんだ。」
ルーカスの意図しか見えませんでした。

なんでそんな風になっちゃったの?
1作目を作り始めたときは、そんなこと全然思ってなかったでしょ?
あれが好きだったのに・・・

世界中でそう思ってると思います。

でも、あの『スター・ウォーズ』の続き物だから、
見ないわけにはいかない。
世界中でそう思ってると思います。

そして、『スター・ウォーズ エピソード2』を
続き物だからという義務感だけで
世界中の多くの人が仕方なく見に行くハメになりました。

『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』は、
「義務とはいかにつらいものか」、
を実感したいときに見る映画です。

ちなみに、あと3年たったら、
『エピソード3』も見なきゃなりません・・・・。

ザ・エージェント  (2002.8.30)
【俳優別コーナーの‘トム・クルーズ’にあります。】

「かわいい子役を見たい!」というなら、この映画。

映画史上、最もかわいい子供だ!
少なくとも、僕が今までに見た映画の中では
サイコーの子供だっ!!
ああ、こんな子供を産みたいっ!!

ホントにそう思ったんです。
それくらい衝撃的な子役です。

この『ザ・エージェント』の子供(ジョナサン・リップニッキー)は
天才的な演技をするとか、
天使のような顔をしてるというんじゃありません。
とにかく、いい!んです。

なにがいいのか?どこがいいのか?

‘ありのまま、そのままにしてるだけなのに、
こんな子供がいたらいいと思う子供そのもの。’

強いて言うなら、こういうことでしょうか。
結局、俳優ってその人間性が出るもんですが、
ジョナサン君の人間性に、
ぞっこん惚れこんでしまうんだと思います。
ある種の‘オーラ’とも言えるでしょう。
文句なしに好きになります。
もし、この子を見ていいと思わなかったら、
あなたは鬼か悪魔かマネキンです。

ベタ誉めです。が、
ちょっと気になるのは、
この映画に出演したとき、彼は5才なのですが、
画面では、3,4才に見えます。
これがミソなのかもしれません。
この外見と中身の絶妙なアンバランスが
あの魅力を生んでいたのかも・・・・。
あの一瞬だけの輝きだったのかも・・・。
そう思うと、彼の以後の出演作を
見ることができません。
普通の子役になってたら悲しすぎる!

とにかくオススメします。ただし、
映画としては、ウンコです。

自分の信念を貫いて逆境を乗り越える
サクセスストーリーのはずなのに、
優柔不断のグズが他人のおかげで
たまたま成功してしまう話になってるんですから。
トム・クルーズの「オレは2枚目!」演技も
もうウンザリだし・・・。
早送りして見てもらっても結構です。
眼鏡をかけた子供が出てくるシーンだけ見てもらえれば。

初恋のきた道 (2002.6.6)
主演・チャン・ツィイー
【アジア映画のコーナー。もしくは、
監督別で「チャン・イーモウ」のコーナー】


・日々の生活で心が乾いてしまっている。
・「好き」という気持ちが世界で一番大事だった頃を
 忘れかけている。
・純愛に触れてみたい。
・「なんかウルっとくるラブストーリーはないかな?」
 と思っている。

どれかひとつでも当てはまるならば、
この映画が絶対おすすめです。

主演は、チャン・ツィイー。
とにかく、彼女がいいんです。

たまにいるんですよね、こういう人。
役と自分が完全に一体化していて、
演技をしてないわけじゃないんだけど、
演技をしてるようには見えないんです。
『大草原の小さな家』のローラの子供の頃が
これに当てはまります。

作品的に言うと、
チャン・ツィイーの魅力に引きずられすぎて、
明らかに全体的なバランスを逸しているのですが、
そんな分析は
この際、関係ないでしょう。

とにかく、けなげ
とにかく、純真
とにかく、愛
そうです、この映画は
「あの人が好きっ」っていうだけなんです。
ホントそれだけ。
ファンタジーに近いくらいです。
それだけで89分の映画にしてしまうんです。
それなのに、いえ、それだからこそ、
見る者を満足させるんです。

ちなみにチャン・ツィイーは
映画初出演でいきなり主役。
あまりに魅力的なので、
次々に大作の出演依頼を受け、
映画出演2作目が『グリーン・デスティニー』で
3作目が『ラッシュアワー2』です。

『ラッシュ〜』では、トメの扱い。

(トメとは、映画やドラマで出演者の名前がずらっと出る中で、
ちょっと別格の偉い俳優の名前が一番最後に出るでしょ。
あれをトメといい、大物のしるしなんです。)

チャン・ツィイーが出てるから見たわけで
すっごく期待してたのに、
ぜーんぜんダメ。
完全なミスキャストの上に、
役柄もひどく、かわいそうでした。

がんばってー、チャン・ツィイー。
ちょっと呼びにくい名前だけど・・・。


ラッシュアワー2 (2002.7.7)
主演・ジャッキー・チェン
【今は、「まだまだ人気作品」とかの新作に近いコーナーにあります。
やがては、俳優別の「ジャッキー・チェン」のコーナーに移動されます】


突然、始まったこの企画ですが、
「あなたがこういう心境のときには、この映画がオススメ」という
映画紹介です。
で、『ラッシュアワー2』はと言いますと、

あなたは会社代表で突然、英語弁論大会に出場することになりました。
さあ大変!
必死に英語を思い出し、命がけで英語を覚えました。
泣きたくなるくらいハードな毎日を送り、迎えた大会当日。
食中毒が発生し、弁論大会は中止。
あ、あんなに苦労したのに・・・・
ガックリ・・・
な〜んもする気になんないけど、映画でも見るか。
脳を使わなくても見れる映画がいいな。
すっごく面白い映画は疲れるから、パス。
かといって、全然つまんなかったら困るしなぁ・・・。
見ても見なくてもいいような映画はないかなあ・・・

それが、『ラッシュアワー2』です。

書いてて思ったんですが、
英語弁論大会のたとえは、もしかして不要・・・?

始まったばかりのコーナーなんで、
アタフタしてますね。・・・すいません。

一言でいうと、ガッカリ。
いつまでも童顔の万年青年だと思ってたジャッキーが
年くってるし、
昔、人気のあった、すっげえ二枚目ジョン・ローンが
(今でいうと、ジャン・レノみたいな流行り方。CMにも出てた。)
ゴム人形みたいな無表情の気持ち悪い顔になってるし、
ジャッキーとクロンボ俳優の主役コンビが
全然、息が合ってないし、
クロンボ俳優は一本調子にしゃべるだけでうるさいし・・・。
(この映画の最大の敗因は
脚本、監督、うんぬんよりも、
クロンボ俳優の魅力不足、力量不足につきると思う。)

そして、なにより、一番のガッカリはチャン・ツィイー。

チャン・ツィイーという僕の大好きな女優さんがいるんですが、
この人については次回。