2001/01/08更新

JUDY AND MARY 解散によせて


JUDY AND MARY がついに解散を発表した。十分に予想されたこととはいえ、実に中途半端な印象だ。1999年の一年間を充電期間として活動休止し、2000年になって活動を再開させたと思ったら、2001年になってすぐの解散発表。付きあっている男女が別れたりヨリを戻したり、また別れたりしているようで、どうにも見苦しい結末。メンバーやレコード会社の調整が一筋縄でなかったらしい舞台裏事情が透けて見えるようだ。

JAMの音楽的なピークが1997年であったことは明らかだ。前年に発表した8枚目のシングル「そばかす」は彼らにとって初のオリコン1位を獲得した作品であり、その勢いを駆って97年にリリースした4枚目のアルバム「THE POWER SOURCE」は210万枚以上を売り上げ、これまたアルバムとして初めて1位を獲得した作品であった。これらはセールス面でのピークだが、内容においても「THE POWER SOURCE」は90年代の邦楽を代表する素晴らしい作品になった。この時点で既にJAM内部では、後述するようなバンド内力学の変化が表れはじめていたとわたしは見るのだが、そうした沸騰寸前の緊張感をうまい形で音楽的成果に昇華させた作品が「THE POWER SOURCE」なのである。プロデューサーの佐久間正英氏(元、四人囃子のベーシスト)は、メンバーに芽生えはじめたエゴをさりげなく処理し、絶妙な匙加減で音のバランスを整えるのに手腕を発揮した。比類ないポップアルバムの完成は、敏腕プロデューサーの力なくしては考えられないものである。

「THE POWER SOURCE」発表後、これまで封じ込められていたJAM 内部の不穏分子が一気に湧出した。TAKUYA(g)である。そもそもJAMに一番最後に加入した彼にとって、JAMの音楽は自分のスタイルではなかった。JAMの音楽はリーダー恩田(b)のキャリアを振り返れば分かるように、そのルーツはパンク系ハードロックにある。ところがTAKUYAのルーツは、わたしが思うに80年代ニューウェイヴにあるのではないか? TAKUYAはロリータパンク/ガールズポップになんて興味はなかったように思えてならない。音楽的齟齬が生じるのは時間の問題であったが、これまでは恩田やプロデューサーがバンドをうまくまとめていた。またTAKUYAも恩田の趣味丸出しの楽曲に注文をつけて、よりキャッチーでポップなものに仕立て直すなど、いい意味で音楽性の相違を刺激しあったりしていたものだ。

TAKUYAは1997年9月、つまり「THE POWER SOURCE」リリースから半年後に念願のソロ・プロジェクト "ROBOTS" を始動させた。この場で自分の趣味を存分に追求する分には何の問題もないのだが、彼はそれをJAMの中に持ち込むという罪を犯した。そしてTAKUYAの音楽的成長(?)に伴ってJAM内部での発言力も強まり、リーダー恩田の影はすっかり薄くなってしまう。このあたりは恩田の不甲斐なさをも責められるべきだろう。「THE POWER SOURCE」までは恩田がJAMの曲の半分を書いていたのに、それ以降、恩田の曲はすっかり減ってしまった。シングル曲でもアルバム収録曲でもTAKUYAの作品ばかりになったし、あろうことか聖域であったはずの作詞面にも "Tack and Yukky" などとYUKIとの共作を示すクレジットが入るようになった。

「THE POWER SOURCE」に続いて発表された5枚目のアルバム「POP LIFE」(98年6月)、わたしはこれを初めて聴いたとき、言い様のない絶望感に囚われ、JAMも終わったなと感じたものだ。自己主張して譲らないTAKUYAのギターは完全にJAMの音楽の調和を乱していた。プロデューサーは前作に引き続き佐久間氏が担当したが、クレジットを見るとプロデューサーの次に "Album Concept and Additional Production: TAKUYA" の文字が入っている。完全にTAKUYA主導の音作りとなってしまった「POP LIFE」は、まさにそこら辺のどこにでも転がっているJ-POPサウンドだった。チャートでは最高順位2位、セールスは110万枚超、数字としては悪くないが、前作に比べるとやはり見劣りするものだった。もちろん売れる音楽が内容的に優れているわけはないが、JAMのピークが過ぎ去ったことは数字からもアルバムの内容からも明らかだった。

わたしはJAM崩壊の原因はTAKUYAだったと信じて疑わない。もちろん他のメンバーにもそれぞれ問題はあった。YUKIの作詞能力は落ちてきたし、恩田もリーダーとしてバンドを引っ張っていくことができなくなったとかいろいろと。ただ直接的な原因はやはりTAKUYAである。とはいえTAKUYAに恨みごとを言ったって、それは何の意味もないことだ。冷静に客観的に判断したうえで、「わたしはJAM崩壊の原因はTAKUYA」だと言っている。これは単なる事実であって、何ら価値判断を含むものではない。TAKUYAはTAKUYAで「THE POWER SOURCE」まではいい仕事をしたと思うし、それは最大の賛辞をもって評価されるべきことだ。

JAMが解散したからといって、残念だと思う気持ちはあんまりない。わたしの中でのJAMは1997年に終わってしまっているから。それ以降のJAMの曲に、これはという作品はひとつもなかった。わたしはJAMはもっと早く解散すべきだったとすら思っている、そう1999年の時点で。今後はYUKIと恩田が二人でユニットを組んだりすれば面白いのだけれど。


本日1月8日ファンクラブ会員宛に郵送されたメッセージ

YUKI
(vo)
こんないいバンドいなかった。
誇りに思っています。
JAMのYUKIよ、ありがとう! そしてさようなら!

TAKUYA(g)
JAMはなくなるけどこれからもよろしく。
おまえもがんばれよ!

五十嵐公太(ds)
やれることは全てやった!
満足しています。楽しんでもらえたかな?
オレも充分楽しめたよ。最高のバンドだよね。ありがとう。
さよならJUDY AND MARY ……みんなとは、またどこかで!

恩田快人(b)
これまで続けてこれたのも JUDY AND MARY の音楽に共感してくれたみんなのおかげです。ありがとう!


JUDY AND MARYとして最高のアルバムができたので2001年3月をもって解散することにしました。デビューから約8年、今まで応援してくれたJAMP会員のみんな本当にありがとう。そしてWARP TOURであいましょう。

2001年1月
JUDY AND MARY


THE POWER SOURCE JUDY AND MARY (1997)
JAMの最高傑作は間違いなくこれ。複雑なオンナのコの心の揺れを一刷毛で鮮やかに表現しきるYUKIの作詞能力、恩田テイストとTAKUYAテイストの絶妙な配合、JAMの現状を冷静に見据えた上での卓越したプロデュース、本当にこの瞬間にだけ奇跡の風が吹いたかのよう。



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