| CabinのArtGallery |
Mon, 26 Nov 2001 18:03 |
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ハワイに初めて行ったのは、商船学校の練習船に乗ったときのこと(※Reminiscence of Days「はじめての外国」参照)だが、その時知り合ったエリックさんとの付き合いは、彼が亡くなった1998年まで続いた。彼は、生まれがアメリカのミネソタ州で、両親はスウェーデン人だが、他のスウェーデン人夫婦の養子となって育ったとのことだ。
彼の仕事は、病院での手術室で患者に麻酔をかけることで、職名はAnesthetist(麻酔係)だった。その仕事のため、長年麻酔ガスを自分で吸ったのと"Chain-smoking"のせいで、肺病の一種に罹り、71歳で亡くなってしまった。 |
45歳の頃から60歳近くになって退職するまで、ハワイを離れてシアトルに移り、そこの病院で働いていたので、こちらから彼の所に行ったり(シアトルまで車で約3時間)、彼がこのCabinに来たりしたこともあった。
あの頃、彼は相当の酒飲みで、彼の所に泊まった時には昼前からアルコールの飲み物を出されたりして閉口したものだ。
病院を退職してからは彼のほんとうの"HOME"であるハワイに戻り、余生を過ごすことになった。
その"Stress-Free"の生活のせいか、長年の悪い習慣だった、酒とタバコをきっぱりと止め、水彩画を習いに行くようになった。 |
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もともとタレントはあったようだが、後年の絵を見ると、始めた頃の絵よりもかなりうまくなったと思う。彼も自分と同じく海の見える景色が大好きで、彼の作品には殆ど海が描かれている。
ハワイに帰ってからタバコを止めても、すでに彼の肺には害が出来ており、68歳頃からは酸素タンク無しでは居られなくなってしまった。
彼がプラスチックのパイプを鼻に入れている光景を初めて見たときのショックはいまでも忘れられない。
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| 普通の家(?) |
Wed, 14 Nov 2001 11:49 |
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我々がこのCabinを買って引っ越した頃、前の通り、いや、もっと下の大きな通りも、まだ砂利道だった。そのうちこの街の人口が増えるにつれて、家も どんどん建ってきた。
Cabinのそばを通る道は、東に行くものと、北に行く(坂道を上る)ものと二つあるが、かつては両方とも、家の前から2〜300mで行き止まりになっていたものだ。
人口増加に伴う自然の成り行きというか、近くの山を切り開いて住宅地にすることになり、東に行く道が延長されて、やがて他の道路とつながることになった。東に行く道路沿いの住民たちが集まって、貫通反対で市役所に陳情したり、その道路でデモをしたりしたが、結局住民の意思は無視されて、計画から間もなく、道は貫通してしまった。そして長年かかって大きくなった大木が遠慮無く切り倒され、新しい家がどんどん建っていった。 |
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そのうちに、Vancouverの街に行った帰り途から、山の一角を切り開いて住宅地にしたのが、はっきりと見えるようになった。
新しく建てた家は、どれを見ても2〜3家族がラクに住めそうな大きさだ。ガレージも3〜4台は入る広さがあるが、あの大きな家に2〜3人しか住んでいない、というのは珍しくないそうだ。
丘に出来た住宅地だから、もちろん景色は最高!
それだけにこれらの家を買うとすると、一億近くするのも少なくないだろう。香港やイランからのお金持ちが建てた家が多いようだ。 |
それにしても、あんな大きな家だと、掃除するだけでも2〜3日かかるだろうね。多分彼らは“掃除屋さん”を雇うのだろうけど……。
この住宅地に住む人たちが買い物や仕事に出かける時には、たいていの人が我等の“小さな”Cabinのそばを通って行くことになる。
おかげで、この道も今では交通量の多いハイウエイになってしまった。いい迷惑だが、物事の成り行きにさからうことはできない。
この景色の良いCabinからの引越しはとても考えられないし……。
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