7月18日〜8月5日まで、このCabinに“Y'sNotes”の作成者が訪問滞在していて、その間、YがHPの更新を頻繁にしていたので、このページの更新をする必要がなかった。
Yは17年前にここに半年ぐらい滞在していたし、以来何度か訪問してくれているので、また「帰ってきた」という感じがし、2週間あまりの時を共にできたことは、我々Cabinの住民にとっては、うれしく楽しいできごとだった。
17年前にはまだ彼はティーンエイジャーであったためか、今になっても我々に“子供扱い”されて閉口していたようだったが……(笑)。 |
Yの今回訪問の第一目的は、研究のための現地調査ということだったので、滞在中2回目の週末には、第二次世界大戦I当時に日系カナダ人がBC州の内陸に強制移住・収容されていた5〜6箇所の土地に行ってみることになった。

このCabin専属のVW Camperで行き、3人でこの車の中で寝ることに決まった。ところが、出発の前日、Camperに荷物を積み込むために車の向きを変えようとしてバックしたときに、前のバンパーをCabinの玄関先の角に引っ掛けるという事故があり、なんと、車からバンパーがまるごともぎとられてしまった!
“下手”をした人(誰??)はかなりクサってしまっていたが、その日すぐに修理もできず、前方のバンパーなしの“悲惨な姿”で旅に出ることになった。不幸中の幸いといえば、自分たちが車に乗っているときにはその“姿”が見えないことだった……。 |
バンクーバーを出発した我々は、ブリティッシュ・コロンビア(B.C)州南部のハイウエイを、途中の景色を楽しみながら5〜6時間走った。途中、Hopeという町の近くの収容施設後を視察したりした後、最初の夜はGrandForksという、B.C州南部中間でアメリカのワシントン州との国境にほど近い、小さな町の中のキャンプ場に泊まり、翌日と翌々日はアイダホ州と堺を接するあたりにある目的地、NewDenverという小さな町を訪問した。
その町には、当時日系人用として建てられた家(小屋)、集会場などが博物館として残されているので、中をのぞいてみたり、当時の写真や名簿を見たりした。 |
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博物館はもともと収容施設の建っていた場所に作られているのだが、そのそばを歩いてみると当時の小屋がまだかなり残っていることがわかった。また、よく気をつけて見ると、こぎれいになった家も、もとの小屋を建て増し(付け足し?)してペンキを塗り替えたものであることがはっきりとわかり、当時のことが生々しく感じられた。
家の畑で仕事をしていた日系二世のおばさんと日本語で話ができたし、博物館の人が電話で呼んでくれた86歳の日系人の人にも昔話聞くことができて、Yにとっては大きな収獲となったようだ。 |
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そのほかにも、近隣の何箇所かの旧・日系人収容地に行ってみたが、Kasloという町(村?)にある博物館以外には当時の面影はほとんど残っていなかった。
収容地となったところは、たしかにかなり内陸で山の中だが、NewDenverもKasloも大きな湖の傍にあり、土地柄としては悪いところではない、と自分は思った。(あえてそこに住みたいとは思わなかったが……) |
2日目、3日目の夜は違った場所のキャンプ場に泊まり、ほとんどの食事は自分たちで作って食べた。Yも食事後の皿洗いを手伝ったりしていた。(慣れない仕事!)
ただ泊まった場所がたまたま道路に近く、あまりいい場所でなかったことは残念だった。
キャンプファイヤーを炊くことはできなかったが、夕方にはビールを買うために車の多い道路を往復4キロ以上(!)も歩いたり、
Camperの中で3人でサイコロゲームをして遊んだり、と、楽しい時間をすごすことができた。
夜中は少々寒いぐらいの気温で、熟睡できたことは幸いなことだった。 |
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Cabinを出発してから帰るまで、合計1800キロ以上も走り、かなり遠くまで行ってきたという気がしたが、地図で見るとB.C州の中のほんの一部に過ぎず、いつものことながら、この国、この大陸の広さを思い知らされる。 |