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北国の夏 Mon, 26 Aug 2002 01:03
8月もあとわずかになってしまった。
8月というと、日本ではまだ“暑い暑い”夏の最中だが、この北国では8月も終わり近くになると、朝夕は暖房が必要になることは別に珍らしいことではない。
今年も8月になってから何度か朝方に暖房がきいていたが、平均すると“夏らしい”日が多かった。 しかしやはり北国は北国、特にこのあたりは海に近いため、真夏でも30度を越えるようなことは珍しいし、最低気温が20度以上ということもめったとない。家の中にいて扇風機が欲しいと思うのはひと夏で2〜3回ぐらいだ。それだけに、気温が23〜4度になると街の周辺のビーチはさっそくいっぱいになる(と言っても日本での“いっぱい”とはそうとう違うが……)。そうなると我々もご多分に漏れず、お気に入りの小さなビーチに、パラソル、サンドイッチ、本などをもって出かける。
湖畔のキャンプ場泳ぐ人も結構いるが、自分には水温は冷たすぎるし、
だいたい海水は“魚が泳ぐためにある”というのが自分の信念なので(笑)、めったに水に入ることはない。でも、Cabinからでもビーチに座ってでも、静かな海を見ることは大好きだ。


また、この時期には、ビーチと同様キャンピングも最も人気のある活動の一つと言えるだろう。
先日、友人家族と一緒に街の近辺にある湖の傍にあるキャンプ場に出かけた。そこでの水温は20度以上はあっただろうか、手をつけても冷たい感じがしなかった。
街からわずか20キロ足らず行った所にあるキャンプ場だが、夜11時にはゲートを閉めるせいと、隣のキャンプスポットが結構離れていたためか、あれほど静かな夜をすごしたことはない、というほどだった。我々も夜には火を炊き、ギターを弾いて一緒に歌ったり、ロウソクの灯りの下でカードゲームをして遊んだりして楽しんだ。こうした活動は、普段、街の騒音の中で生きなければならない人たちにとっては、ストレス解消にずいぶん役立つに違いないと思った。

他に暑い夏から解放(?)される方法としては、Cabinの裏山である、GrouseMountainに上がるという手もある。
およそ1,100メートルの頂上に行くと、さすがに気温はかなり低くなる。山の上では、人口孵化され人に育てられたBald Eagleをはじめ、4〜5種類の大きな鳥たちが飛んで見せる、というショウをしていた。
山の上もキャンプ場もビーチと同じく、残り少ない北国の夏を楽しむ人たちでいっぱいだった。
BC内陸旅行 Sun, 11 Aug 2002 16:51
Cabinでの朝食7月18日〜8月5日まで、このCabinに“Y'sNotes”の作成者が訪問滞在していて、その間、YがHPの更新を頻繁にしていたので、このページの更新をする必要がなかった。
Yは17年前にここに半年ぐらい滞在していたし、以来何度か訪問してくれているので、また「帰ってきた」という感じがし、2週間あまりの時を共にできたことは、我々Cabinの住民にとっては、うれしく楽しいできごとだった。
17年前にはまだ彼はティーンエイジャーであったためか、今になっても我々に“子供扱い”されて閉口していたようだったが……(笑)。
Yの今回訪問の第一目的は、研究のための現地調査ということだったので、滞在中2回目の週末には、第二次世界大戦I当時に日系カナダ人がBC州の内陸に強制移住・収容されていた5〜6箇所の土地に行ってみることになった。

このCabin専属のVW Camperで行き、3人でこの車の中で寝ることに決まった。ところが、出発の前日、Camperに荷物を積み込むために車の向きを変えようとしてバックしたときに、前のバンパーをCabinの玄関先の角に引っ掛けるという事故があり、なんと、車からバンパーがまるごともぎとられてしまった!
“下手”をした人(誰??)はかなりクサってしまっていたが、その日すぐに修理もできず、前方のバンパーなしの“悲惨な姿”で旅に出ることになった。不幸中の幸いといえば、自分たちが車に乗っているときにはその“姿”が見えないことだった……。
B.C州、Hope付近のハイウェイバンクーバーを出発した我々は、ブリティッシュ・コロンビア(B.C)州南部のハイウエイを、途中の景色を楽しみながら5〜6時間走った。途中、Hopeという町の近くの収容施設後を視察したりした後、最初の夜はGrandForksという、B.C州南部中間でアメリカのワシントン州との国境にほど近い、小さな町の中のキャンプ場に泊まり、翌日と翌々日はアイダホ州と堺を接するあたりにある目的地、NewDenverという小さな町を訪問した。
その町には、当時日系人用として建てられた家(小屋)、集会場などが博物館として残されているので、中をのぞいてみたり、当時の写真や名簿を見たりした。
NewDenverの近くを流れるスローカン・リバー NewDenverの日系博物館
モリタダシさんにインタビュー博物館はもともと収容施設の建っていた場所に作られているのだが、そのそばを歩いてみると当時の小屋がまだかなり残っていることがわかった。また、よく気をつけて見ると、こぎれいになった家も、もとの小屋を建て増し(付け足し?)してペンキを塗り替えたものであることがはっきりとわかり、当時のことが生々しく感じられた。
家の畑で仕事をしていた日系二世のおばさんと日本語で話ができたし、博物館の人が電話で呼んでくれた86歳の日系人の人にも昔話聞くことができて、Yにとっては大きな収獲となったようだ。
戦時中に建てられたまま現在も使用されている家屋 改築された家。しかし当時の面影が窺える。
スローカン湖遠景。この湖の周囲に1万人近くの日系移民が収容されていた。
そのほかにも、近隣の何箇所かの旧・日系人収容地に行ってみたが、Kasloという町(村?)にある博物館以外には当時の面影はほとんど残っていなかった。
収容地となったところは、たしかにかなり内陸で山の中だが、NewDenverもKasloも大きな湖の傍にあり、土地柄としては悪いところではない、と自分は思った。(あえてそこに住みたいとは思わなかったが……)
食事の後の皿洗い2日目、3日目の夜は違った場所のキャンプ場に泊まり、ほとんどの食事は自分たちで作って食べた。Yも食事後の皿洗いを手伝ったりしていた。(慣れない仕事!)
ただ泊まった場所がたまたま道路に近く、あまりいい場所でなかったことは残念だった。
キャンプファイヤーを炊くことはできなかったが、夕方にはビールを買うために車の多い道路を往復4キロ以上(!)も歩いたり、
Camperの中で3人でサイコロゲームをして遊んだり、と、楽しい時間をすごすことができた。
夜中は少々寒いぐらいの気温で、熟睡できたことは幸いなことだった。
夕食後、サイコロゲームに興じる Camperの2階で寝る
2泊目、Nelson近くのキャンプグラウンドにて
Cabinを出発してから帰るまで、合計1800キロ以上も走り、かなり遠くまで行ってきたという気がしたが、地図で見るとB.C州の中のほんの一部に過ぎず、いつものことながら、この国、この大陸の広さを思い知らされる。