カナダに最初に入ってきたのはイギリス人(1500年頃)で、多くの
イギリス人たちは西岸に住みつき、ブリティッシュ・コロンビア(BritishColumbia)と州名をつけた。
その後イギリス人に35年ほど遅れて移住してきたフランス 人は、東のケベック州
に住みついた。他にもヨーロッパ何カ国もから、この“空き地”の多い大陸に移住してきている。
この国の原住民はいわゆるアメリカンインディアン(今では「インディアン」のかわりに「Aboriginal」と呼ばれている)で、最初の移住者が来た頃には原住民たちは友好的だったそうだが、移住者がどんどん来るようになると、原住民たちにヨーロッパ人に対する“怒り”が出てきたことは、我々にも理解ができる。自分が住んでいる広い土地に、見知らぬ人が勝手に入ってきて住むのと同じことだろう。
一方、こんなに広い土地(B.C州だけで日本の面積の2.5倍以上!)に、ほんのわずかの人が住んでいたのだから、人口の溢れている国から移住してくるのは、自然の成り行きとも言えると思う。 |
このだだっ広い国のごくわずかの住民用にも道路が必要だし、一般の施設も要るのだから、当然われわれの払う税金が高いのも当然なわけだが、原住民たちは、固定資産税を払わなくていいし、学費も払わなくていいことになっているなど、その他にもたくさんの特権が与えられている。
国名“カナダ”は、フランス人が始め頃インディアンに出会ったときに“あっちに「村」(原住民語の発音で「カナダ」)がある”といったインディアンの言葉をフランス人が勘違いして、勝手に土地名とした、ということだ。 |
7月1日はカナダの誕生日で、“CanadaDay”という休日だ。
この“誕生日”にはカナダ全国でお祝いの行事が行われるが、バンクーバーも例外ではなく、あちこちで行事があるので、我々も参加した。NorthVancouverの港に面する公園でもいろいろな行事が行われていた。あちこちでのバンドコンサート、タグボートのデモ、救助ヘリコプターのデモ、犬のショーなどだ。
正式にカナダが「カナダ連邦」としてイギリス統治下の自治領となったのは1867年の7月1日のことだから、今年で136歳になったばかり、と国としては若い。 |
ちなみに、自分がこの国に移住してきた1967年は、ちょうど国が100歳になった年だった。だから自分は何か特別な移住者だと自分勝手に思っている(笑)。
その後、1926年に独立国となってからも、ケベック州のフランス系カナダ人がカナダから“離婚”したい、などという騒ぎがあったのはそう古いことでもない。国の公式の言葉は英語とフランス語の2ヵ国語併用となっていることを見ても、イギリス系とフランス系がいかに張り合っているかがよくわかる。カナダに来たことのある人は入国書類などが2ヵ国語で書いてあるのに気づいたことだろう。 |
様々な行事に参加して人ごみの中で気づいたのは、インド人、イラン人の多いことだ。 特にインド人は彼らの慣習の服を着、男はターバンを巻いていて目立つ。 ああいう人を見ると、なんとなく打ち解けることがむずかしく感じられるのはどうも仕方ないことだ。
ともかく、人ごみの中を歩いていても、たまにしか英語が聞こえてこない、と言っても言いすぎではないほどだ。
事実、この州で一番多い民族は中国人とインド人で、とりわけ香港の中国への返還があった1990年代以降、香港からの移住者が急増したため、街の名もそのうち“ホン(香)クーバー”と変えられるだろう、とまで言われているぐらいだ(笑)。 |
NorthVancouverとVancouverのダウンタウンを結ぶSeaBusに乗って、ダウンタウン側にある、“CanadaPlace”にも行ってみた。そこも新宿駅なみに(笑)混んでいたが、みんな誕生日を祝う人たちで、大パーティーといった雰囲気だった。
カナダ人のカントリーウエスターンのコンサートを、だだっ広い集会場でやっていて、立った人たちはダンスを楽しみ、椅子に座った人も手足を音楽にあわせて楽しんでいた。
“本当のカナダの音楽”であるカントリーウエスターンを聞くと、涙が出るほど感激してしまう。やはり、その地ではその地の音楽を聞くのが、なんといっても一番だ。 |
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少し足を伸ばして、ダウンタウンの真中の広場に行ってみると、そこでは殆ど20代の若者たちばかりで、黒人のドラムのバンド、ロックバンド、とそのまわりでのダンサーと、猛烈なエネルギーを感じた。
NorthVancouverの公園での小さな子を連れた、家族連れ中心のパーティーとは大きな違いだった。 |
カナダの国旗は1965年に新しく作られた、白と赤の楓の葉のデザインのもので、誕生日にはどこに行っても国旗が見られたし、白と赤を着た人や飾りがいたるところに見えた。CanadaPlaceでも、普段いろんな国旗をあげてあるところに、その日だけはすべてカナダの国旗があげられていたほどだ。
自分も含めて、移住してきた多数の住民は、生まれ故郷の民族であることは何年たっても変えることはできない。それゆえに、こういった機会には積極的にパーティーに参加して“カナダ人”になろうと努力している、とも言えるだろう。 |