No.275川越小江戸めぐり
−−−城下町川越の歴史と文化にふれる−−−
(歩程約2時間、ランクA)
 |
| 中院にて |
久しぶりの秋晴れの一日、城下町川越を散策した。
我が三芳町も,もとはといえば川越領内であったので市内出身メンバーもいるが今回はガイドさんをお願いした。
朝9時に川越駅を出発。ガイドさんは前原さん(1班)、池田さん(2班)で、赤のジャケットが粋である。
裏道を辿って中院につく。創建時は北院(現喜多院)、中院、南院とあったそうだが、南院は現存していない。
境内は静寂で散歩に好適。
島崎藤村の義母で茶人の「不染」(雅号、本名:加藤みき)の茶室、墓などを見る。東照宮・喜多院へ向かう。
 |
 |
| 喜多院 |
五百羅漢 |
幕府の直轄地で江戸への食料、資材の供給基地となった川越の発祥の地で、
由来話も現地で聞くと印象が深いが、
なにせ400年も前の話なので詳しいことは覚えていられない。
喜多院には「家光公誕生の間」、「春日の局化粧の間」がある。ここの庫裏は喜多院焼失の折、家光公の特命で江戸城の紅葉別殿を移築したとのこと。
今年、川越では家光公生誕400年記念行事が盛大に行われたが、家光公は川越で生まれたわけではないらしい。
ここの狭い空間で、お局様が授乳したり、竹千代君(幼名)がハイハイしたのだ。おねしょの痕もある(?)。暗殺を恐れてめったに外に出なかったそうだ。
復元建築でなく現物がさわれるところにあるのは奇跡である。ただし、「触らないで下さい」という注意書きがやたらとあるので、
そのうちガラス越しに見ることになるだろう。
つぎに境内の「五百羅漢」をゆっくりと見る。
自分にそっくりな羅漢さんが必ず見つかると言われており、眼鏡をかけた羅漢さんもいた。
ここをあとにし、三芳野神社・本丸御殿へ向かう。
 |
 |
♪ここはどこの細道じゃ 三芳野神社 |
本丸御殿 |
三芳野神社と我が三芳町の関係は釈然としないのであるが、童謡「通りゃんせ」発祥の地であるので、ちょっぴり自慢したくなる。
ガイドさん曰く「皆さんサッサと歩くので、こっちがくたびれる」。
本丸御殿は現存しているのは一部のみだが、玄関、大広間、諸役人の控えの間などが往時を偲ばせる。
歴代藩主には、将軍綱吉の側用人として「生類憐れみの令」の厳格な施行、「赤穂義士」切腹の決定に深く係わって評判の宜しくない
「柳沢吉保」がいる。
この人は、ほんとは三富開拓で我が三芳町の基礎を築いた立派な殿様である。
川越城は初雁城という優雅な別名をもつ。県営初雁球場付近で昼食。おりしも国体軟式野球で熊本・河浦高校対東京・創価高校の試合が
始まった。野球もあとが心残りだが次に向かう。
 |
 |
| 川越のシンボル・時の鐘 |
蔵造りの街を行く |
市立博物館で江戸時代の街の様子、明治の川越大火以来の蔵造りの町並み、当時の商店の様子などを勉強してから、
時の鐘と蔵造りの町並みを見物に行く。
「蔵造り資料館」で実際の蔵造りの中に入ってみる。驚くほど狭くて急な階段で2階にいくと、
町のシンボル「時の鐘」が格子窓から新鮮に見える。
菓子屋横丁でガイドさんにお礼をいって3時に解散した。
 |
| 蔵の2階から |
川越は空襲を受けなかったので、江戸、明治、大正、昭和、平成各時代の建物が雑然と立ち並び、
すこし時代に遅れたような人々の暮らしがあって、懐かしいようなぬくもりがあった。
今は、古い家は壊され町のいたる所に高層マンションが建ち、観光客でさわがしくなった。
喫茶店「陶路子(トロッコ)」の蔵のなかでコーヒーを飲みながら、ふと失われていくものの寂しさを感じた。
(文・写真:山田良雄)
平成16年10月24日(日)天候:晴れ、参加者47名、CL沢ソノ子、SL関 初子
コースタイム
ポイント 到着時刻 出発時刻 所要時間
川越駅 − 9:00 −
中院 9:30 9:50 0:30
東照宮 9:55 10:10 0:05
喜多院・
五百羅漢 10:15 11:20 0:05
三芳野神社・
本丸御殿 11:40 (昼食) 0:35
市立博物館 13:00 13:45 −
時の鐘 14:05 14:20 0:20
蔵の町並み 14:25 14:35 0:05
蔵造り資料館 14:35 14:55 0:00
菓子屋横丁 15:00 − 0:05
(歩程 1時間45分)