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私の散歩道
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玉川上水を中心にして、街のあちこちをデジカメ片手に歩いて見る。
机の前で、テレビを見ながら、何もしない日なども、思いつくまま書き綴った日記です。
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2005.04.30
鴨の遊ぶ水辺・・・根川緑道にて |
根川緑道は、桜の植樹など遊歩道としての整備などの他、かっての根川の再現に努めている。
水生生物や植生の回復のための努力が実り、水辺には多数の鴨などが群れている姿に思わず見とれる人々が憩う。
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2005.04.29
根川緑道 ・・・根川の流れ復活 |
昭和47年、多摩川への流路変更により、水路としての従来の役割を終えた根川の一部は埋め立てられた。
残された水路には僅かに井戸水と処理水が流されていたが、平成4年から、5年の時を経て根川緑道として全面改修された。
下水処理場で高度処理された一日2700トンの豊富な水が流され、小川や水辺を再現し、かつての根川に生息していた魚や水生生物の棲める環境を作り出し、小川に沿った道も整備され、市民の憩いの場として親しまれている。
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2005.04.28
根川緑道の桜と水辺のスポット・ |
根川は、もともと武蔵野台地手前の立川段丘の崖線からの湧水を集めた小川で、残堀川と合流し、多摩川に注いでいた。
昭和10年に氾濫防止のため整備工事が行われた際に桜が植えられ、それ以降増えた桜は地元の桜の名所となった。
しかしその後も氾濫が繰り返されたため、昭和47年に多摩川への流路変更が行われ、一部は埋め立てられた。
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2005.04.27
根川貝殻橋 ・・・根川緑道を歩く |
甲州街道が多摩川を渡る「渡し」は、何度か移動し、甲州街道の道筋もそれに伴って変った。
万願寺の渡しはその一つであり、台地の上を辿った甲州街道は、国立の青柳で段丘を下り、多摩川の河原に下った。
この段丘を下る坂を、昔は「貝殻坂」と呼んだ。
江戸時代の新編武蔵風土記の柴崎村の項には、「貝殻坂。青柳村と当村の界にあり。土中をうがてば、蛤の殻夥しく出づ。」
・・・以上橋の袂の案内板による。
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2005.04.26
新緑の矢川緑地・・・ 矢川を歩く |
ゴールデンウイーク直前の矢川緑地。
前回訪れたのは、およそ一月前だったが、三月末の寒々とした乾燥したところだったが、この時期になると緑の芽が吹き出し、あたり一面が湿地帯の木道に似合った景色と変ってくる。
これからますます緑地としての雰囲気がかもし出されることだろう。
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2005.04.25
矢川に咲く花菖蒲・・・矢川を歩く |
一ヶ月振りに矢川を歩く。
立川市のはずれで矢川緑地から流れ出した川は、国立市を流れる。
静かな流れに岸辺近くから黄色の花を付けたあやめがよく似合う。(4.26日撮影)
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2005.04.24
府中用水取水口・・・府中用水とママ下湧水 |
府中用水の取水口部である。
毎年田植え前に水を取り入れ、多を潤し、秋の収穫の前に水を止める光景が、風物詩となっている。
この水門は、立川市内を流れる緑川排水導管口のすぐ上流側にあり、水門でせき止められた水は導管口下に流れ出し、多摩川に注いでいる。
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2005.04.23
府中用水 2 ・・・ 府中用水とママ下湧水 |
府中用水が何時造られたかは、明らかではないが、次の様な説がある。
一説には羽村の玉川兄弟が、青柳から府中まで上水路を計画し、途中まで掘り進んだところ、土地の高低差が激しく工事を断念した。
後の人がその後を利用したと伝えられている。
この上水路計画は、本来江戸までのもので、今に残る玉川上水に先立つ計画路だったと言う人もいるようだ。
また別の説として、古い多摩川の河床を用水路として下とも伝えられている。
写真の位置は取水口に繋がるトンネル部分から表に出たところで、かなり深い位置に彫られている。
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2005.04.22
府中用水路 ・・・ 府中用水とママ下湧水 |
府中用水を辿ると、青柳稲荷神社下の崖下に多摩川に沿って川床が見られる。
府中用水は、多摩川の水を青柳南で取り入れ、谷保南部を通って府中まで導く農業用水路である。
江戸時代には、府中宿のうち、本町、番場宿、新宿、と是政村、上谷保村、下谷保村、青柳村の計七ヶ村が管理していたため「七ヶ村組合用水」と呼ばれていた。
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2005.04.21
府中用水・谷保堰 ・・・ ママ下への流れ |
本来崖下に広がる低地には、水田が広がっていた。多摩川から取水した府中用水にママ下の湧水が混ざって水田を潤していたのだ。
今では水田は見られず、府中用水から分岐するこの谷保堰も、水田工作の時期でないためなのか、乾いた川底をあらわにしている。
写真の府中用水の左側の穴部分が谷保の田圃えの分岐の堰の穴である。
さらにその向こうが中央自動車道。
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2005.04.20
ママ下湧水口 ・・・ ママ下湧水路を歩く |
さらにその先に進むと、特別養護ホームくにたち苑の建物が建つ。
そのすぐ手前がママ下湧水の持つとも豊富な湧水口である。
湧水口の上には柵などがまわされ、絵としてはあまり面白くない。
危険防止か、汚染防止なのか良く分からないが殆ど管理されていないといった感じの半ば壊れかかった柵だった。
この先には、たいした水量がないようで、草に覆われた水路は、通行止めとなり、進むことも出来ない。
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2005.04.19
湧水口からの流れ ・・・ ママ下湧水路を歩く |
先ほどの橋下の湧水口から、先の部分にはまだハケ下らしい風景が残っている。
先ほどの道路横に残された国立教育委員会の平成2年の説明文には、崖の様子と崖下に広がる水田の様子を描いたイラストと共に次の紹介文が記されていた。
「青柳段丘とママ下湧水」
このあたり一帯には、高さ8メートル前後の段丘崖が連なっており、北側には青柳段丘が、南側には古来多摩川の氾濫原であつた低地が広がっています。
崖のことを地方名で「まま」とも呼ぶ事から、ここから湧きでる地下水を、ここでは「ママ下湧水」と呼んでいます。
昔からこの一泰は、豊富な湧水群で、昭和初期までは、わさびだが見られました。
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2005.04.18
道路下に隠れた湧水口・・・ママ下湧水路を歩く |
滝乃川学園下をさらに西に湧水路を遡ると、新しく工事中の道に遮られる。
日野バイパスが多摩川を渡った石田大橋から矢川の西に分岐し、甲州街道に結ぶ道路である。
青柳崖線を橋で渡して、段丘の上に達し、甲州街道に接続する道路工事だが、崖線上までの工事が終了し、あとは甲州街道に接続工事が残っている段階である。
湧水路は僅かに残り、橋の下の部分で湧水口が見受けられ、橋に下りるあたりに青柳段丘とママ下湧水群の説明板が置かれているのも一寸寂しい気分だ。
工事未了なのでその先の一番大きな湧水口には、迂回しないと行かれない。
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2005.04.17
矢川・府中用水と合流・・・ママ下湧水路を歩く |
さらに遡って、矢川通り・石田街道を渡ると滝乃川学園下に達する。
滝乃川学園内を流れてきた矢川の流れと、ハケ下の湧水の流れはここで府中用水とも合流する。
府中用水自体の水量は殆どないが、このあたりでも湧水のポイントは数多くあり、豊富な水量に恵まれた緑豊かな場所である。
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2005.04.16
湧水口(郷土館下) ・・・ ママした湧水路を歩く |
道を元にとって返し、ママ下湧水の源流に向うと、郷土館の真下あたりの用水沿いの民家のはずれにも、湧水口がある。
この湧水の真上数メートルのところに、国立市の郷土文化館が建っている。
このすぐ南側に府中用水と矢川からの流れが並行して流れる。
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2005.04.15
湧水口(郷土文化館際)・・・ママ下湧水路を歩く |
ハケ下散策路から、崖の上をくねる道を郷土文化館に向うと、途中の崖下に湧水口が見える。
崖下に下り手で掬うときれいな水が湧き出す様子がはっきりと分かる。
崖線沿いに滲み出す幾つかの湧水口のひとつが、こんなところにもあつた。
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2005.04.14
ハケ下の散策路 ・・・ ママ下湧水路を歩く |
古民家園前から国立郷土文化館に向うヤクルト研究所横の崖下には、ハケ下の散策路が設けられている。
狭い水路を覆うように木道が設置され、木道伝いにはけ下を伝い歩ける散策路である。
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2005.04.13
古民家園 ・・・ ママ下湧水を歩く |
城山公園の西の端に古民家園が立つ。
甲州街道沿いの青柳村に建てられていた農家を移築し、復元したものだ。
江戸時代後期の典型的な萱葺き・入母屋造りの旧柳沢家の住宅で、平成3年に城山公園に復元した。
当時の農家の様子を出来るだけ忠実に再現し、敷地内には様々な樹木を植え、生垣を回らせている。
屋敷前の田圃では、もうこの地方でやらなくなった、米作りを体験できる。
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2005.04.12
城山公園 ・・・ ママ下湧水を歩く |
坂下から逆に、ママ下湧水路を遡ることにする。
谷保天神の南坂下から西方向に谷保浄水所と浄水公園がある。
そのさらに西に城山公園があり、水路はその南端を流れる。
谷保の城山は、中世・鎌倉時代初期の豪族・三田氏の城館跡と言われ、土塁に囲まれた二つの郭と自然の地形を活かした空堀が残されている。
一帯は雑木林に囲まれ、東京都はこの城館跡と周囲の緑を歴史環境保全地域に指定している。
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2005.04.11
崖下の流れ ・・・ ママ下湧水を歩く |
谷保神社常盤の清水からの流れは、やがて東南方向に流れを変え、中自動車道国立インターへの取り付け道に向う。
段丘の崖線に沿って水路として整備された流れとなって進む。
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2005.04.10
天神橋の合流点 ・・・ ママ下湧水 |
谷保神社の湧水点、常盤の清水からの水は、谷保神社境内の一画・厳島神社の池を潤し、やがて境内外の側溝に流れ込む。
谷保神社下の道路沿いに流れる水は、坂下集会所の先で城山公園方向からの流れと合流する。
赤く塗られた小さな天神橋の袂に、水門が設けられていた。
水源から南下した水は、この時点から東西方向に流れることになる。
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2005.04.09
厳島神社と常盤の清水‥・ママ下湧水 |
国立市の谷保神社は立川段丘と青柳段丘の崖線に接して神社が建っている。
甲州街道に面し多立川段丘の際に建つ鳥居からしばらく進むと傾斜のきつい階段があり、下りたところに本殿が広がるのは青柳段丘面上だ。
本殿奥にあるのが厳島神社で弁財天を祀り、神社の周囲は池に囲まれている。
池の水源は、少し先の常盤の清水と名付けられた崖下の湧水口だ。
ここからの清水が弁天さまの池に注がれ、池の清水を保っている。
もっとも数年前までは、神社横の砂山からの土砂が流れ込み濁っていたが、近年アジサイが植えられ、土砂の流入が収まりきれいな水を保っている。
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2005.04.08
府中用水と合流地点・・矢川を歩く |
滝乃川学園から流れ出た矢川は、まず学園付近の湧水を集める。
付近は青柳段丘とも言われる立川段丘の一部で、その崖下から湧水が清廉な水をほとぼらせている。
流れ出た矢川は、すぐその先で府中用水の支流に合流し、その名を失う。
付近一帯は、里山の風景の中。
かつては水田地帯だが、その先を走る中央高速道の手前近くまで、今は畑地が広がっている。
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2005.04.07
滝乃川学園-2 ・ 矢川沿いを歩く |
滝乃川学園の構内を150m程流れると、矢川は学園の外に出る。
滝乃川学園の外側にもまた幾筋かの湧水があり、出口付近でその流れを集め、清廉な流れとなって外部に流れ出てくる。
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2005.04.06
滝乃川学園 ・・・ 矢川沿いを歩く |
甲州街道を渡ると、矢川に沿った道はなくなる。
矢川通りからは100mも離れるが、交差点を渡ったら矢川に近い道まで戻る。
しばらく矢川から離れて進むと、矢川へ曲がる小さな道かあり、そこから先矢川は、滝乃川学園の構内を流れる。
滝乃川学園は、明治24年、わが国最初の精神薄弱児の教育施設で、昭和3年に谷保の地に移転以来の学園である。
写真の小橋は、滝乃川学園構内に流れ込んですぐのもので、構内の流れは1m足らずの小さな流れになっている。
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2005.04.05
五智如来 ・・・ 矢川沿いを歩く |
五智如来とは大日如来の別称である。
以下は、祠の横に建てられた国立市教育委員会の五智如来の説明板による。
「江戸時代、八王子在住の越後の人がこの地(四軒在家)に移住し、郷土で信仰していた五智如来を祀ったのが始まりと伝えられている。
五智如来は仏教で言う五種類の智(大円鏡智、妙親察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏様のことで、大日如来の別名とも言われています。
昭和の前期まで夕方になると五智如来の前に灯明、線香供花が絶えなかった。
現在でも10月12日には「おこもり」といって地元の人々が集まり、念仏をあげ供養している。
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2005.04.04
甲州街道 ・・・ 矢川沿いを歩く |
矢川が甲州街道を横断する橋を矢川橋と言う。
甲州街道を行き来する車は、そこが川であることすら気付かないだろう。
それほど矢川は狭く、川幅2mあまりの小さな川だ。
矢川橋の位置は、南武線矢川駅東横を南下し、甲州街道を横断して多摩川まで走る矢川通りの甲州街道との交差点、矢川駅入口から100m程立川寄りである。
橋の袂に五智如来を祀った祠があり、国立市教育委員会の説明板が建てられている。
その最初のくだりに、この地(四軒在家)とあるのは、集落の名で、この集落の東の端にこの祠を祀ったものと言う。
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2005.04.03
庭先の洗い場 ・・・ 矢川沿いを歩く |
矢川の名前の由来は、一般には寛政年間の谷保の案内に記された「古き池これ諏訪の淵、三家に久保に橋場こそ、流れも早やき矢川とや・・・」と詠まれるなど、流れが早いので、弓から離れる矢のような川であることから名付けられた言われている。
また雨期には野水が出るので野水川から来たとも言われる。
国立出身の作家、原田重久氏の「わが町国立」によると、矢川は始め谷川と書いたと言う。
矢川駅の北に「谷川上」の地名が残る。かって水源から上流にかけて谷状をした所が多く、そこから湧く流れを集めたので谷川と称したと思われる。
矢川と言う固有名詞になったのは、近代のことで、前述の矢保安内の「流れも早き矢川とや」から転化したのだろう。と書いておられる。
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2005.04.02
矢川いこいの広場・・矢川沿いを歩く |
矢川緑地を離れると国立市に入る。
国立市の第六小学校グランド前は、道路と矢川をはさんで対岸に、矢川いこいの広場が造られている。
矢川には渡りの飛び石が置かれ、広場えの石段に通じ、流れに親しむことも出来る。
この先、矢川はグラントに沿って直角に曲がり、斜めに甲州街道に向う。
六小グランドの隅では、矢川の水を引き蛍の生育池を設けていた。
南武線矢川駅は、小学校の東350m位の所。
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2005.04.01
矢川の家鴨 ・・・ 矢川緑地を訪ねて |
矢川緑地出口付近で矢川を棲家としているのか、十羽近くの鴨?に出会った。
陽だまりに上がっている鴨の数十センチの処で、クローズアップの写真を撮ったが、驚く様子もない。
鳥のことは詳しくないので、野生の鴨ではなく、放し飼いの家鴨なのだろう。
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