私の散歩道

私の散歩道
玉川上水を中心にして、街のあちこちをデジカメ片手に歩いて見る。
  机の前で、テレビを見ながら、何もしない日なども、思いつくまま書き綴った日記です。
2005.05.22      南養寺遺跡・敷石住居址・・国立史跡探訪
南養寺境内と南の台地からは、縄文中期(4〜5000年前)の竪穴住居址、顔面把手付土器。平安時代(800〜1200年前)の竪穴住居址などの遺構・遺物が多数発見されている。
 
昭和58年、庫裡改築の際に発見された敷石住居址は、ほぼ完全な形で出土した貴重なもので、庫裡内部床をガラス張りにして見られるとのこと。
 
また南養寺に続く、国立郷土文化館内の屋外の歴史庭園には、南養寺で発見された縄文中期末の柄鏡型敷石住居址が復元展示されている。 
2005.05.20      南養寺・鐘楼  ・・・ 国立の史跡探訪
南養寺鐘楼は、1788年建築による四本柱形式で屋根は入母屋造りの銅葺。
鐘は谷保の鋳物三家、関・森窪・矢澤氏の内、関家の鋳造によるもの。
 
鐘楼に向き合う大悲殿は、寛政5年藤井山円成院の観音堂を移築したもので、天井画、壁画を誇るとのこと。
円成院(現小平市)を建立の矢沢大堅は、現小平の新田開拓にむかうとともに、黄檗宗に帰依し、布教につとめた。
 
矢沢家は関東鋳工頭で、その始祖は、信州佐久の出で、奈良の大仏の制作に参加したと伝えられる。
 
 
2005.05.19      南養寺・山門  ・・・ 国立の史跡探訪
甲州街道と矢川通りの交差点近く、甲州街道に面した参道(駐車場)から南にあるのが谷保山南養寺。
臨済宗建長時派の禅寺で、開山は鎌倉時代約650年前である。
 
総門は、1780年江戸期の建設で、形式は薬医門。
切妻造り銅葺の屋根で「谷保山」の扁額がかかる。
 
 
2005.05.18      四軒在家遺跡・石室 ・・・ 国立の史跡探訪
石室は、南側を入口とし、多摩川の河原石による「河原石積横穴石室」で、被葬者を安置する「玄室」と入口から繋がる「羨道」が造られている。
 
玄室と羨道の境目部は、玄門と呼ばれ床には境を区切る梱(しきみ)石が置かれるが、この古墳にはないとのことだ。
 
この古墳石室は、何段もの河原石が積み上げられ、天井を覆うように造られていたと考えられるが、残念ながら、二三段を残すのみで、その上から天井にかけては失われていた。
 
この復元では、残りのよい部分に合わせ、一部補足復元している。
また周溝部分は、カラー舗装でその位置関係を表示し、その内側の墳丘部分は芝を張って表わし、石室の高さまで盛り土して墳丘を再現している。
 
**この四軒在家遺跡の項は、全て四軒在家公園内に表示の国立市教育委員会の説明板によって記した。**
2005.05.17      四軒在家遺跡・復元 ・・・ 国立の史跡探訪
四軒在家遺跡から発掘された古墳は、青柳古墳群の一部で、10基もの古墳が一度に発掘されたのは都内でも初めてで、7世紀前半のものである。
 
古墳は、盛り土の墳丘を持つ円墳を言うが、この墳丘部分は土地の開墾などにより失われていた。
墳丘周囲には、周溝と呼ばれる溝が掘られ、中央に石室がある。
 
石室は多摩川の河原石を積み上げた「河原石積み横穴石室」と呼ばれるものである。
 
また周溝は、大型古墳に見られる周濠と同様のもので、空間を明確に区切り、聖域を隔てるなどの意味があると思われる。
 
2005.05.16      四軒在家公園(古墳遺跡)・・・国立の史跡探訪 
国立市の四軒在家土地区画整理事業に伴う遺跡の発掘調査がが行われ、10基の古墳が発掘された。
 
日野バイパスが多摩川を渡る石田大橋の先、中央道国立府中インターへ向う道と分かれ、中央道の下を潜り甲州街道の矢川近くに接続道路が建設、完成間近かである。
 
道筋の区画化が完成した一角に新しい小公園が作られ、四軒材家遺跡の1号古墳が復元されている。
2005.05.14      昭和記念公園 ・・・ 園内のせせらぎ
トンボ池から流れ出したせせらぎが、やがて流れて渓流広場にたどり着く。
関東地方整備局管内の国営公園は、四ヶ所にある。
この昭和記念公園は、その中でも一番面積が狭い方だが、園内をざっと一回りするだけでも、すぐ2〜3時間が経ってしまう。
ちなみに関東での国営公園は、武蔵丘陵森林公園(埼玉)。ひたち海浜公園(茨城)。アルプスあづみ公園(長野)。と此処の計四ヶ所とのこと。
2005.05.13      昭和記念公園・・・地底の泉の巨大鯉のぼり
4月24日、子供の日に先駆けて、子供の森の中にある、まいまいず井戸の形をした地底の泉に、巨大な鯉のぼりが挙がった。
 
地底の泉の上に張られたワイヤーに沿って大きな鯉のぼりが引かれると、徐々にその姿を現し、井戸型の地底の泉一杯に鯉のぼりが風を孕んで泳ぐ。
周りの土手や、地底の広場は人の群れで一杯だった。
写真の状態はまだ2/3ぐらいの所。この後一杯に広がるのにまだまだ時間がかかった。
2005.05.12      昭和記念公園・・・子供の森のチューリップ
日本庭園から公園北西部の子供の森に足を運ぶと、此処にも大きなチューリップの園が出現する。
 
これがチューリップと目を疑う変った品種などが群れを成している。
原種が中心のナチュラルガーデン。
カラフルな色使いで曲線を活かしたロマンチックガーデン。
直線で仕切られたスクエアガーデン。と三つのゾーンに78000株が咲き競う。
樹木の生い茂る森の中なので一寸薄暗いのが残念な気がする。
2005.05.11      昭和記念公園 ・・・ 池泉回遊式庭園
池泉回遊式庭園の中心の面積6300uの池は、庭園の広さと奥行きを際立たせ、水面に四季の彩りを映すことで美しい景観が楽しめる。
池の南に広がる芝生広場では、野点などの催しを開くことも出来る。
2005.05.10      昭和記念公園 ・・・ 日本庭園の流れ
日本庭園は,歓楓亭を中心に日本の伝統的分化を継承する場として、人々がコミュニケーションをはかる場所として、様々な活動を行うことが出来る。
 
池の西側に位置する歓楓亭は、数寄屋大工の技法に加え、左官や漆塗りなどの技を用いた、本格的数寄屋造り。
大小4つの部屋があり、各部屋に炉が切られ、茶会を行うことが出来る。
池の周囲をめぐりながら鑑賞できる池泉回遊式庭園の様式を採り、目に映る景観は、山から平野へ、渓流から海へと歩きながら刻々と変化し、四季折々の木々や花々が季節を彩る。
2005.05.09      昭和記念公園 ・・・ 新設の盆栽苑
昭和記念公園の北の奥、日本庭園のすぐ隣りに新設された盆栽苑を覗いて見る。
あまり広い場所ではないが、エントランスゾーン、学習ゾーン、展示ゾーンと三つの区域がまとまりよく配置され、盆栽の作り方、鑑賞の仕方なども含めて解説してくれる。
鑑賞ゾーンには、樹齢百数十年に及ぶ盆栽の数点がその見事な姿を見せている。
 
2005.05.08      昭和記念公園・・・渓流広場のチューリップ
公園内のほぼ中央部、みんなの原っぱの西側をトンボの湿地辺りから流れ出す小川がある。
浅い流れが園内を南下し、みんなの原っぱの西南の花畑近くに浅い池を作る。
この池と流れの周辺が渓流広場と名付けられた所で、今までは芝生と植え込みの間で弁当を広げたり、子供が水に戯れたところだったが、今年はこの付近一帯に92,000球のチューリップの花壇が設けられた。
 
付近一帯がスケールアップし、一件水辺を含むこの地域が全て作りなおされて別の施設が出来たようだ。
オランダのキューケンホフ公園の前園長のデザインによる、早咲き・遅咲き球根を一ヶ所に植える技法、マルチレベルプランティングにより、通常より長期間チューリップが楽しめる、洋芝との組み合わせがきれいなガーデンで、スプリングマジックガーデンと名付けられている。
 
2005.05.07      昭和記念公園・・・ 咲き誇るチューリップ
残堀川は、昭和記念公園の玉川上水口から園の西端を南下し、昭島口で東に直角に曲がり園内を横断し、水鳥の池とみんなの原っぱの中間を横切る。
そしてまた池の右、花木園の先で直角に真がの南下し、西立川口と立川口の中間地点から園外に流れ出す。
水鳥の池からみんなの原っぱへは、残堀川にかけられた幾つかのルートの橋をまた渡らないといけない。
原っぱの周囲には、ポピー・コスモスの花畑が造られているが、今年は原っぱの左を流れる渓流に沿って、大きなチューリップの花壇が作られた。
園内のチューリップの総数は、200品種・17万球とのことだ。
 
 
2005.05.06      昭和記念公園 ・・・ 水鳥の池近くの木道
カナールの先、噴水の上から大きな芝生のふれあい広場が広がる。
その先には、園内を横切る残堀川を渡るふれあい橋が架かり、その先に広がる水鳥の池に向う。
 
池正面から左は西立川口やボートハウスへの道、右側が花木園からみんなの原っぱへの道だ。
 
水鳥の池際を右に進むと、水生植物の上に渡された木道がある。少し先の時期には、この辺りは花菖蒲がきれいなところだ。
 
 
2005.05.05      昭和記念公園・・カナール上の噴水とつつじ
昭和記念公園は、国土交通省、関東地方整備局(茨城、栃木、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉、山梨、長野の9都県を管轄)の管轄する国営公園です。
この噴水は、カナールの終りにあり、周りをつつじが取り囲み、一段高いベンチからは花をつけたつつじと今歩いてきたカナールと入口付近が見渡せる。
少し暖かいと、噴水付近の水路で遊ぶ子供の姿も見受けられる。
 
2005.05.04      昭和記念公園・・・カナール、出会いの広場
ゴールデンウイーク直前、立川にある国営の昭和記念公園を訪れた。
立川基地返還後、跡地の一部を昭和天皇在位50年記念事業の一環として公園化した。
計画面積は180haで、昭和58年に開園した。
開園時の面積は138haである。
 
写真の池は、立川口(正面とも言える)から入ってすぐにあり、真ん中にカナール(運河)とその両側かたらいの道を持つ洋風のエントランスゾーン。
カナールの両側の銀杏は、秋には素晴らしい黄色の色付を見せる。
 
2005.05.03      残堀川・・・根川緑道との分岐
緑道水路の放流口で根川緑道は終わる。
緑道のすぐ上にかって合流していた残堀川が流れている。
 
緑道から残堀川に登ると、川岸に桜の大樹が連なる遊歩道で、流れのすぐ多摩川側には奥多摩街道が車の列を作り、その先で多摩川に注ぐ。
箱根ヶ崎の狭山が池を源にし、武蔵村山・昭島・立川と立川段丘を12kmに及ぶ殆ど水のない一級河川である。
 
2005.05.02      湧水噴出口 ・・・ 根川緑道
もともと根川は、立川市内の段丘崖線から湧き出す清水を集めた小川だった。
明治26年に残堀川と合流し、多摩川への水路となった。
度重なる氾濫のため、柴崎町から多摩川への放水水路が出き、根川への接続が断たれたことは、前の項で記した通りである。
 
現在は高度処理水をこの地点から1日2700トンの放流が行われている。
2005.05.01      モノレールが上空を横切る根川緑道
多摩都市モノレールは、立川市を南北に走る。
コンクリートの軌道レールは東大和市の新青梅街道に近い上北台駅から芋窪街道の上に軌道を持ち立川駅横を交差し、そのまま南下して立日橋で多摩川を渡る。
 
多摩川を越えたモノレールは、ややジグザグに進んで、中央道と交差し、高幡不動の脇を抜け、多摩丘陵を越えて多摩センター駅に滑り込む。
 
根川緑道の上空を横切ったレールのすぐ右手は、柴崎体育館駅である。
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Last updated: 2005/7/1